2008/08/22

ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」

ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 798
  • 発売日: 1987/06

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの「マトリョーナの家」(1963年)を読了しました。

◇◇◇

まず書き出しが、すばらしいです。

 もう、かれこれ半年はつづいているだろうか、モスクワから百八十四キロ離れた地点にさしかかると、どの列車も申し合わせたように速力をゆるめ、ちょうど手探りで歩くほどのスピードになる。乗客は窓ガラスに顔を押しつけたり、デッキに出てみたりする。線路の修理でもしているのだろうか。運行表からズレたのか。
 いいや。踏切を一つ通りすぎると、列車はふたたび速力を盛りかえし、乗客はほっとして座席に戻る。
 なぜこうなのか、そのわけを知り、かつ忘れないのは、機関手だけである。
 それから、わたしも。
(ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」小笠原豊樹訳、以下同)

ロシア文学史において、「マトリョーナの家」は農村派文学の古典と言われています。
スターリン死後のソビエト文学の中には、農村に保持されている古き良き価値に共感を寄せる一連の作品が現れるようになり、とくに1960年代後半以降この傾向は顕著なものとなって、「農村派」という呼び方が一般化しました。
農村を扱った文学の歴史は古く、カラムジーン、グリゴローヴィチ、トゥルゲーネフ、トルストイ、ブーニンなどによる古典的作品が多くあります。現代の農村派の特徴は、農村に寄せる作家の共感がある種の喪失感や郷愁の念とないまぜられている点です。

「マトリョーナの家」は、語り手であるイグナーチッチが、「古き良きロシア」タリノボ村にある、マトリョーナ・ワシーリエブナの家での下宿生活を回想する物語です。
誰もが農村を出て都会へ就職したがる時代に、イグナーチッチは「鉄道から離れた所」に就職し、そこで永住したいと考えています。「古き良きロシア」の農村は、彼の心に安らぎを与えるのです。
ここからも、ソルジェニーツィンが思想的には農村派に極めて近い所に位置していたことが分かります。

◇◇◇

ソルジェニーツィンのヒューマニズムの精神は、マトリョーナという人物像にぎゅっとつまっていると思います。

 きれいな服を欲しがらなかった。畸型や悪徳を美しく飾るためのきれいな服を。
 自分の夫にすら理解されず、棄てられたひと。六人の子供をつぎつぎと失ったが、善良そのもののような性格は決して失わなかったひと。妹や義理の姉たちとは、あまりにもかけはなれた生涯をすごしたひと。他人のために無料奉仕する、間の抜けた、愚かなひと。このひとは、死んだとき、何の貯えもなかった。薄汚れた山羊と、びっこの猫と、イチジクと......。
 わたしたちは、このひとのすぐそばで暮らしていながら、だれひとりとして、このひとが敬虔の人であることを知らなかった。諺に言う。敬虔の人がいなければ、村は成り立たない。
 町も。
 わたしたちの地球ぜんたいも。

彼女の素朴で、おだやかな、やさしい人柄は、「古き良きロシア」を象徴しているのでしょう。 読了日:2008年8月13日