- 鹿とラーゲリの女
- 発売元: 河出書房新社
- 発売日: 1970
現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(1969年)を読了しました。
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1945年秋の、ラーゲリにおける数日間を描いた戯曲です。ソルジェニーツィンは、本作ではじめて女性の囚人たちの生活に光を当てています。
朝、まもなく日が出ようというところ、道路には囚人作業場へ出勤する列。汚れたぼろぼろの綿入れ胴着を着た男女の囚人たちでいっぱいです。その最後列には数人、小ぎれいな格好をした、作業現場でらくな仕事をしている囚人たちがいます。その中の「カッコイイ」服装のジーナは、作業現場のタイピストで、営繕係のラーゲリ妻です。女囚たちは、ジーナを次のように話しています。
―ジーンカったら、にくたらしい、新しいスカートはいているわ。
―マルーシカのスカートよ。マルーシカが転属させられるときに営繕係が脱がせたんだわ。
―営繕係とくっつけば殿様暮らしってわけね!(歌う)
あたしゃ、班長さんの情人(いろ)だった、
営繕係のご機嫌とった、
作業手配係と寝たことあるの、
だからあたしはスタハーノフカ。
―これで終わり。パン、片づけちまった。
―最低量なんか片づけるのがあたりまえさ。班長をみろ、自分と自分の女には一キロとってる!...
(染谷茂・内村剛介訳、以下同)
彼女たちが揶揄するように、ジーナはラーゲリ生活において非常に優遇されており、楽な暮らしをしています。このように、権力のある囚人(作業主任、医師、営繕係、会計係など)や自由人の職員(主席技師、現場監督など)や警備関係の軍人(ラーゲリ所長、看守の軍曹など)と親密な関係を持ち、自分の立場を守る女囚は「シャラショーフカ」(=あばずれ→ラーゲリ女)と呼ばれています。したがって、表題である「オレーニ・イ・シャラショーフカ」(鹿とラーゲリ女)の「ラーゲリ女」とは、ジーナのような女囚を意味しているのです。
ソルジェニーツィンは、「シャラショーフカ―ラーゲリ女。尻軽で、別に強いられたわけでもないのにいろごとをやらかす者」と註をつけています。
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『鹿とラーゲリの女』では、男性の囚人もいくつかに分類できることがわかります。①権力を持った幹部、②軍人や幹部に賄賂を送り、一般作業に従事しない構内勤務員、③「ブラトノイ」と呼ばれる刑事犯、④一般作業に従事する一般の囚人の4種類です。①と②の囚人たちは、警備関係の軍人と同じく④にあたる大多数の囚人たちを搾取・抑圧する立場にあります。そのため、家族から差し入れの食糧・物資が多く届く比較的豊かな囚人は、どうにかして②になろうと、こぞって①に取り入ります。
メレシチェーン (ホミッチに)あんた、いいセーターもってるな。色が気に入った。
ホミッチ (身体検査のあとで、まだ着こまずに)そのうえ色があせないんですよ! 品をみて下さい!(さわらせる)外国製です。着ていたのは誰だと思います?スウェーデンの百万長者の息子ですよ。
メレシチェーン まさか?
ホミッチ (中略)どうです着てみてごらんなさい。あたたかくて軟らかい。
メレシチェーン どれ着てみよう。百万長者のせがれとは面白い。(着る)
(中略)
メレシチェーン そうか、ありがとう。いいセーターだ。あんたの名前をきかなかったが。
ホミッチ ボリスですよ。
メレシチェーン あんた、夕方わしの個室に寄ってくれ、話がある。あんたもおさまるところへおさまらんといかん。
ホミッチ (気軽に)お礼を申します。でもわたしは深刻がるのはきらいでしてな。能ある者はどこへ行っても大丈夫です!
医師のメレシチェーンは①であり、ラーゲリ所長とすら気軽に話せるほどです。所長は、メレシチェーンに次のように言います。
オフチューホフ さあ、ほしいものはなんでもいえ。お前には欲しいものはないな。お前は自由人よりいい暮らしをしている。食い物には見向きもしないし、女には不自由していないし、アルコールはわしの方がお前からもらっている。さあ、なんだ?州市(まち)へ一週間護送兵なしで出してやろうか?ありがたく思え、お前は五十八条だからな!
メレシチェーン 州市(まち)へですか?わるくない。
オフチューホフ わるくないなんてもんじゃない。ほんとは絶対にいかんのだ。しかしなんとかしてやる。お前が必ず戻ってくるのを知っているからだ。お前にはこんないい所はほかにない。ほかになにかあるか?
◇◇◇
③「ブラトノイ」たちは、窃盗・強盗・殺人などで逮捕された刑事犯であり、彼らは「働かない」ことを約束された囚人です。なぜならブラトノイは、「スターリンのおぼえがめでたい」、「社会的にみぢかな者」だからです。過酷な矯正労働に従事させられている大多数の囚人たちは政治犯であり、彼らは「社会的異分子」とみなされます。一方で、少数のブラトノイは「社会的新和分子」とみなされ、「ラーゲリが出来てこの方、ブラトノイが働いたためしはない」のです。
煉瓦積みの作業現場で、ブラトノイたちが作業班長であるガイに言います。
ジョーリック (上半身をおこして)班長、一服しましょうや。話があるんだ。なんとなく。
ガイ、すぐさま大またで彼らに近づきそばに腰をおろす。
フィクサートゥイ あのな、班長。あんたまだラーゲリの掟を知らねえんだ。おれたちゃ働かねえことになってる。おれたちが働いたってのはな、なんといおうか、あんたに敬意を表したまでなんだ。運搬台(もっこ)はもってってくれ。ほかの奴らにわたして働かせろ。
ジョーリック 早い話が、おれたちゃ掟どおりやってるってわけよ。わかったな?
ガイ 掟どおり?
ジョーリック そのとおり。
ガイ それで―パンは貰うことになってるのか?
フィクサートゥイ そうさ。そいつあいちばんでっかいやつをな。バランダはいらねえ、ほかの奴にやっていい。おれたちにゃ炊事場から運ばせるし、油っけにはこと欠かねえ。
ガイ 作業は誰がやる?
ジョーリック 働くのか? どん百姓どもがやるさ。いろんな小ものがな。それに政治犯の旦那方よ。
①、②、そしてシャラショーフカという囚人の型は、どのような集団においても存在し得るだろうなぁと思いました。その一方で、ブラトノイという存在には非常に驚かされました。
彼らはなぜ、「働かない」ことが掟となっているのでしょうか。ガイは次のように言います。「やつらの上司はおれたちの血を吸わすためにやつらを飼っているんだ。五十八条の者をやつらの餌食にしたんだ。監獄でもラーゲリへ護送中でもやつらと必ず一緒にする......」すなわち、一般作業に従事するしかない貧しい大多数の囚人たちを、より苦しめるシステムとして、ブラトノイたちは機能しているのです。
★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)