2020/11/29

メアリー・メラー「境界線を破る!-エコ・フェミ社会主義に向かって」



メアリー・メラーの『境界線を破る!-エコ・フェミ社会主義に向かって』(新評論)を読みました。
メアリー・メラー(Mary Mellor)は現在、ノーザンブリア大学の名誉教授であり、同大学の持続可能な都市研究所(the Sustainable Cities Research Institute (SCRI))の創設委員長を務めました。
メラーは、社会主義、フェミニスト、グリーンの視点を統合したオルタナティブ経済学について幅広く発表しています。
以下に、本書の要点をまとめた上で、メラーのディープ・エコロジー批判の妥当性について考察したいと思います。

【目次】
1.メアリー・メラー『境界線を破る!-エコ・フェミ社会主義に向かって』を読む
2.メアリー・メラーのディープ・エコロジー批判の妥当性に対する考察

◆◆◆

1.メアリー・メラー『境界線を破る!-エコ・フェミ社会主義に向かって』を読む


本書の論点は、①緑派の運動の潜在的可能性と限界、②家父長制的資本主義が女性と自然界に与えたインパクト、③男性支配の社会主義が資本主義と対峙するのに失敗した次第の考察、④女性の生活と仕事およびエコロジー的限界の拘束の分析を基礎にして、エコ・フェミ社会主義の諸要素の構築。


緑派の運動の代表的なグループ:

「俺の裏庭に足を踏み入れるな」NIMBYS(Not In My Back Yard)、「世界自然保護基金」WWF(World Wide Fund for Nature)、「ウィルダネス協会」(Wilderness Society)、「シエラ・クラブ」(Siera Club)、「グリーン・ピース」(Green Peace)、「地球の友」(Friends of the Earth)、「新時代における女性のオールタナティヴな発展をめざす」DAWN(Development Alternatives for Women in a New Era)、「世界女性環境会議」World WIDE(World Women Working for Women dedicated to the Environment)、「女性環境保護ネットワーク」(Women's Environmental Network)、「黒人環境保護ネットワーク」(Black Environmental Network)、「動物解放戦線」(Animal Liberation Front)、「地球第一!」(Earth First!)、「海の警察犬協会」(Canadian Sea Shepherd Conservation Socitety)

「グリーン・ピース」と「地球の友」はもっとも積極的な活動家たちの最大のキャンペーングループである。
「動物解放戦線」、「地球第一!」、「シー・シェパード協会」はキャンペーングループのなかで一番急進的であり、後者二つは「ウィルダネス協会」や「グリーン・ピース」から生まれてきた。このような急進的なグループのメンバーは、「エコタージュ」(エコロジー的に害を与えるものにたいする直接行動以外の、例えばサボタージュのようなもの)を実践しており、メラーによれば「地球を守るために」自ら進んで代償を払う「エコ革命家」である。
上記の代表的なグループについては、以前に読んだフレッド・ピアス『緑の戦士たち-世界環境保護運動の最前線-』に詳しく記されている。


緑の政治:

はじめて緑の党がつくられたのは、1973年イギリスにおいてであり、緑派がはじめて地方政権をとったのはフランスにおいてであるが、もっとも国際的に注目を集めたのは1983年にドイツ緑の党(グリューネン Die Grünen)が旧西ドイツ連邦議会で28議席を取得し、ペトラ・ケリーの名が世界中に知られたときである。
メラーによれば、グリューネンがつくり始めた四つの主な政治的原則(=エコロジー、社会主義、非暴力、分権化)は、エコ・フェミ社会主義的政治のヴィジョンである。
しかし、グリューネンはドイツ社会民主党との同盟以降、「レアロス」(現実派)と「フンディス」(原理派)とに分裂し、派閥間の対立に陥ってしまった。

フンディス(原理派)内には、ディープ緑派と「左翼的」緑派があり、レアロス内には「社会主義的」緑派とライトな緑派がいる。
さらに、草の根民主主義の原理に忠実であろうとするグループと、伝統的な路線を踏まえた政党をつくろうとするグループがあり、区分は複雑である。
グリューネン初期の指導的メンバーのひとりであったルドルフ・バーロは「たとえすべての提案が拒否されるとしても、全体的なメッセージを含んでいるわれわれの提案の方が、たとえ受けいれられはしても全体のプロセスがもっている自殺行為的な論理に手をつけずに、ただ徴候の修正に着手するだけの提案より、100倍もの価値がある」と述べている。
このバーロの立場は北アメリカの緑派の運動に影響をもたらしていると言える。
カリフォルニアでは強力な運動があったにも関わらず、ソーシャル・エコロジーを提唱するマレイ・ブクチンは、伝統的な政治システムの「薄汚れた現実」に関与すべきではない、と主張している。

メラーは、「改良主義か革命か」と選択をつきつけるのは、私たちを分断する「不要な境界線」であるとし、「革命家と改良主義者は対立すべきではなく、パートナー関係を結ぶべき」であると論じている。


ディープ・エコロジーとエコ・フェミニズムに関して

共通点:

メラーによれば、現在と過去、人間と自然、物質的なものと霊的精神的なもの、その間にある境界線に根底から挑戦してきたのが、エコ・フェミニストとディープ・エコロジストである。
両者とも、選挙に基づく政治や環境政策の問題を超えて、人間的実存にたいするもっと根源的な問いかけへと私たちを導いている。
エコ・フェミニズムは、ディープ・エコロジーとともに緑派の運動の内部において理論的、哲学的にいちばん活発に発展している分野である。

エコ・フェミニズム:

メラーによれば、エコ・フェミニストたちは女性のもっている自然との親和力と、男性の手による自然と女性の搾取というボーヴォワールの分析を共有しているが、彼女とは異なり、自然から「自由な」女性を求めてはおらず、むしろ自然と女性の親和的関係を讃え、これを利用して、男性がつくってきた自然と文化の間にある境界線をうち破りたいと考えている。
エコ・フェミニズムの考え方のなかには、次のような緊張関係が存在している。
女性と自然の関係は社会的につくられたもので、したがって社会的に解決できると考える人々と、特定の社会と時代を超えた生物学的かつ霊的精神的な親和関係があるため、女性と自然はより深い関係と考える人々の対立である。
キャロリン・マーチャントは社会主義的なエコ・フェミニズムのパースペクティヴから、アドリエンヌ・リッチはラディカル・フェミニズムのパースペクティヴから、生物学的なものと社会的なものは女性の生活のなかで絡みあっていると見ており、一方を他方から「きり離そう」としてきたものこそ男性的思考であると論じている。

親和的エコ・フェミニズムは、ニューエイジの考えとも、メアリ・ダリーやスーザン・グリフィンと結びついたラディカルな文化フェミニズムとも重なり合っている。
しかし、エコ・フェミニズムのインスピレーションの多くは、先住アメリカ人の文化がもっている霊的精神に由来しているため、埋もれた文化遺産を略奪する「文化的墓荒らし」に満足してしまう危険性があると、メラーは論じている。
社会的エコ・フェミニストのジャネット・ビールは、この種の研究は焦点を逸らすものであり、「私たちの神話をたんに『悪しき』ものから『良き』ものへ変えるだけで、私たちの社会的現実も変わるだろう、といった誤った前提をつくるもの」であると非難している。
一方で、霊的精神性とは社会的現実を変革する闘争のなかで女性を鼓舞する一源泉なのであり、スターホークによればエコ・フェミニズムの霊的精神性は「内在性、相互の結びつき、コミュニティ」の三本の糸によって貫かれている。

メラーは、女性は明るみに出されるべき真理を「その忠実な信者として」探し求めている、と仮定されうるのか、それとも、女性そのものが、新しい方法で、自然と関連している人間について「知ること」の源泉となりうるのか、と論じる。
この問いはエコ・フェミニズムの霊的精神性と政治行動の関係において重要な意味を持っている。
もし、神秘的なものが自然との親和関係を表す隠喩ではなく、「現実である」と考えられるのであれば、変化の動員は、社会や既成の政治組織を超えたところに移り、政治的な原動力は、各個人と神秘的源泉の間にあるということになる。
したがってメラーは、そのメッセージを「自覚して」いる人々や、それを「悟った」人々とそうでない人々との間に、ヒエラルキー的でも分裂的でもある関係をつくる結果になると、危惧している。
メラーは、「私たちに必要なのは、女性の惑星との生物学的な親和力に目を向けるより、男性にその親和力が欠けているのはなぜか、その理由を探ること」であり、「男性が母親にならないようにし向けているものはなにか」を問う必要があると主張する。

また、社会的エコ・フェミニズムに対して親和的エコ・フェミニズムが優勢になった場合、フェミニズムのダイナミズムを失ってエコ・フェミ二ンの原理、つまり「女性」原理、「フェミニン」原理の賞賛に転化してしまう危険性がある。
エコ・フェミニズムは男性がつくりあげてきた二元性の克服を強調する場合、男性の社会支配をフェミニズム的世界ととり替えることを求めているのか、それとも男性原理の圧倒的優位のバランスをとるために失われた二元性の半分である「フェミニン原理」を補うことを求めているのか、明確ではないとメラーは主張する。

メラーは、前者の立場をエコ・フェミニストと称するのは適切だが、後者の立場はエコ・フェミ二ンと表現するべきであると主張する。
フェミニンとは、男性的なものの失われた半片などではなく、家父長制的文化のなかで男性的なものをつくるために男性が必要としているものであり、ボーヴォワールが指摘しているように、男性の権力の源泉となっているものである。
したがって、家父長制的社会の中で、女性が抑圧を体験しているからこそ、自然に対するものも含めてそれ以外の抑圧と搾取の形態を分析するユニークな視点が女性に可能となるのである。

このように親和的エコ・フェミニズムによって、社会問題や政治問題から目が逸らさせることになる危険性はあるが、それでも女性の「生物学的特殊性」と霊的精神性は力を呼びおこす巨大な源泉であるとメラーは論じる。
メラーによれば、女性のもっている統合的な力を明証しているのがチプコ運動である。
結論としてメラーは、社会的エコ・フェミニズムと親和的エコ・フェミニズムの両者の洞察がともに必要なのであり、あれかこれかの問題ではないと主張する。

メラーが論じた「親和的エコ・フェミニズム」と「社会的エコ・フェミニズム」の対立は、以前に読んだイネストラ・キングが「傷を癒す-フェミニズム、エコロジー、そして自然と文化の二元論」の中でも詳しく論じられている。
リンク先記事に、イネストラ・キングによる分類に則り、リベラル、社会主義、文化の各フェミニズムの見取図を掲載しているので、参照のこと。
キングは、ラディカル・フェミニズムにおいて社会主義フェミニズムと文化フェミニズムの対立があることを示し、そのどちらの意見も取り入れたエコフェミニズムを提唱した。
社会的エコ・フェミニズムと親和的エコ・フェミニズムとの意見対立を乗り越えようとする姿勢は、メラーとイネストラ・キングは共通していると言える。

ディープ・エコロジー批判:

ディープ・エコロジーには、二つの原理的矛盾があるとメラーは指摘する。
第一の矛盾は、人間を含めて存在するものすべてに平等な内在的価値があるとする考え方(生物中心の平等主義)と、自然中心主義(エコ中心主義)の関係にある。
メラーによれば、ディープ・エコロジーの本質は、全体つまりガイアのニーズが優先権をもたねばならないということにあるため、エコ中心主義はアンチ・ヒューマニズムへと容易に転落する。

第二の矛盾は、自然の内在的価値という考えと、人間の自己実現という目的の関係にある。
ディヴォールとセッションズが「ディープ・エコロジーはいわゆる事実のレヴェルを越えて、自己と地球の叡知のレヴェルへと進み...包括的な宗教的、哲学的世界観を明瞭に表現し...エコロジー的意識を包含した私たち自身と自然を根本的に直感し体験する」と論じていることから明らかなように、ディープ・エコロジーの目的のひとつは自然界との関係を通じて「私たち自身をより深く体験すること」とされており、このような動機は自然中心ではなく、人間中心であり、ディヴォールにとって自然保護とは「自己防衛」なのである。
メラーは、この二つの矛盾の結果、ディープ・エコロジーは人間中心主義の底流にアンチ・ヒューマニズムの要素を結びつけることになり、潜在的に人種差別主義、性差別主義、階級差別主義であると論じる。
メラーは、有効なエコロジーの政治をつくりあげるためには、ディープ・エコロジーの洞察を、社会内部の社会的、経済的な分裂の理解と結びつける必要があると主張する。

メラーによれば、ディープ・エコロジー運動における北アメリカでもっとも強力な直接行動グループである「地球第一!」は、驚くほど性差別的である。
元海兵隊員のデイヴ・フォアマンらカウボーイ風の靴と帽子で身を固め、「たくましく元気な顔をした」6フィート5インチの長身ですっくと立ち、ブルドーザーの(おそらく同じように男性的な)運転手に立ち向かうといったイメージが賞賛されている。
そこで語られるロック・クライミング技術を使って300フィートの木によじ登るというような、メンバーの手柄話には肉体的な技術と力強さが要求されており、女性メンバーが多数いるにも関わらず、女性参加の歴史は書かれていない。
なお、カナダの強力な直接行動グループ「シー・シェパード協会」も同じである。
メラーによれば、原野保護の闘いのなかには強いフロンティア精神の匂いがあり、カウボーイとインディアンの代わりに、エコ戦士の移住者と木材伐採や道路建設の「新植民者」が登場する。
双方とも白人男性であり、最後のフロンティアに手を伸ばそうとしているが、ある者は搾取すべき原材料の源泉として、他方は体験すべき「処女」地として見ているのである。

しかし、原野保護の問題はけっして単純ではなく、潜在的な人種差別の要素があり、誰が原野の所有者なのかという階級的問題もあると、メラーは批判する。
ある土地が原野であると宣言することは、そこが(先住民もワイルドだと想定しないかぎり)先住民にとって故郷ではない、と想定することなのである。


エコ・フェミ社会主義(Feminist Green Socialism)

緑派の社会運動、緑の党の政治、エコフェミニズム、ディープ・エコロジーの議論を踏まえて、メラーが提唱する新しいヴィジョン.は、「女性中心でありなおかつ地球中心でもあるヴィジョンであり、人間社会のなかの、また人類と自然界の間の創造的関係を回復し再建することになるようなヴィジョン」である。

メラーによれば、従来の社会主義は「女性の不払い労働や、植民地化された人々の搾取と抑圧、地球資源の「無料」の搾取を無視したもの」である。
したがって、メラーは「私たちに必要なのは、男性と資本主義双方の拘束から私たちを解放できる社会主義」と主張する。

将来の社会主義(エコ社会主義):

メラーの提唱するエコ社会主義の出発点は、世界の天然資源が私的所有によっても、国民という境界線によっても分割されない状態をうちたてることでなければならず、私たちが持続可能で、社会的に公正な社会をつくらねばならないとすれば、富を共有するようにしなければならない。
将来の社会主義が意味するものは、真に分裂のない世界を実現することである。
神秘主義的転回を遂げた緑派の人々は、私たちが自然界との結びつきを意識の変革として認識すべきであると強く主張し、この結びつきを精神的かつ敬虔な仕方で認識すれば私たちの責任が自覚され、その責任感から行動するようになると仮定している。

一方でメラーは、私たちは地球との結びつきを認識していないかもしれない、実質的にはこれまで地球と結びつき、相互に結びつき合ってきていることに問題の本質があると論じる。
メラーによれば、「初期の社会が地球に対して抱いていた敬虔さはたんに精神的なものではなく、世界を文字どおり境界のないものと見なす物質的現実を反映したものであり、問題は、境界なき世界の精神的認識の再創造ではなく、国民国家、私的土地所有、分裂した個々人によって境界線を引かれている世界のなかで、境界なき世界を実質的現実として実現する政治ルートを発見すること」なのである。

エコ・フェミ社会主義:

メラーが提唱するエコ社会主義の社会が実現されるとすれば、それはフェミニズム的な社会でなければならない
エコ・フェミ社会主義の課題は、男性の利害と経験に基づいてうちたてられた世界、男性の体験する世界、私=ミーの世界から、女性の利害と経験に基づいてうちたてられた世界、女性の体験する世界、私たち=ウィーの世界へと転換することである。
女性の経験に基づくわれわれの世界が必要とするのは分権であり、エコロジー的、物理的、社会的な安全と言える。



◆◆◆

2.メアリー・メラーのディープ・エコロジー批判の妥当性に対する考察

メラーが論じた、ディープ・エコロジーにおける生物中心の平等主義と自然中心主義(エコ中心主義)は矛盾しており、アンチ・ヒューマニズムに陥りやすいという批判に関して考えてみたい。
ディープ・エコロジーを最初に提唱したアルネ・ネスは、次のように応答している。

平等の権利という言葉でもって定義された生命圏平等主義の原理は、これまで時々誤解され、人間の必要は人間以外のものたちの必要に対してけっして優先されるべきものではないことを意味していると受け取られた。しかしこのような意図はまったくない。実際において私たちは、たとえば私たちにより近いものに対しより大きな責任を負う。これは、義務には時として人間以外のものの殺生や傷害が含まれることを意味している。(アルネ・ネス『ディープ・エコロジーとは何か』文化書房博文社、1996年、271頁)

上記のように、ネス自身はそもそも、生態圏中心主義(自然中心主義またはエコ中心主義)という言葉を用いていない。
彼は、生態圏中心主義ではなく、生命圏平等主義ないし生態圏平等主義という言葉を用いている。
ネスの提唱した生命圏平等主義は、人間と人間以外のものすべての権利が尊重される社会である。
生態圏中心主義という言葉には、人間中心に対して生態圏中心という、人間対自然の二元論的思考が根底にあると言える。
ネスは、人間対自然の二元論的思考を回避するために、生態圏中心主義ではなく、生命圏平等主義を構想したと言える。
したがって、生態圏中心主義に対するメラーの批判は、ネスの哲学を厳密に読み解く限りにおいて、妥当ではない。

しかし、現実のディープ・エコロジストの多くは、生態圏中心主義という言葉を用いている上に、人間嫌いの傾向も強い。
このような事実から、ディープ・エコロジーは生態圏中心主義の立場からのウィルダネス保存の運動として誤解され、批判されてきたと言える。

さらに、メラーが論じたディープ・エコロジーにおける自然の内在的価値という考えと、人間の自己実現という目的の矛盾について考えてみたい。
アルネ・ネスが提唱した「エコソフィT」において、最高の規範、究極の目標を示す言葉として、「自己実現」(Self-realization)がある。
ネスによれば、この用語は次の四つの段階に厳密化される。
T0 : 自己実現(self-realization)
T1 : 自我実現(ego-realization)
T2 : 自己実現(self-realization)
T3 : 自己実現(Self-realization)
ネスは、自我(ego)と自己(self)を区別するだけでなく、小文字ではじまる自己(self)と大文字ではじまる自己(Self)を区別して、言葉を用いている。
個人主義的で功利主義的な思考の中で用いられる、自己実現、自己表現、自己利益などの言葉は、ネスの言う「自我実現」に対応している。
ネスは、我々が自我(ego)あるいは偏狭な自己(self)から出発して、深遠にして包括的なエコロジー的自己(Self)を目指すことを「エコソフィT」の究極の目標と構想したのである。

したがって、「エコソフィT」における「自己実現」(Self-realization)という概念は、他のものから導き出せない究極の規範であるため、自然の内在的価値という仮定から導出されたものではない。
「エコソフィT」において最も基本的な規範(最高の規範)である「自己実現」から導出された「生態学に由来する規範と前提」に、自然の内在的価値が含意される。
すなわち、自己実現と内在的価値は矛盾しないため、これについてのメラーの批判は妥当ではないと言える。

ネスの哲学は、すべてのものの相互関係性(関係主義的思考、ゲシュタルト的思考)を前提としており、自己実現(すなわち、自己の拡張)が進むことによって、我々自身にとっての最善が、また他の存在にとっての最善になる。
したがって、究極の目標としての「自己実現」の追求から、生態系全体における階級なき社会、すなわち「生態圏平等主義」(ecospherical egalitarianism)が導き出されるのである。
ネスは、「生態圏平等主義」あるいは「生命圏平等主義」というディープ・エコロジーの原理を、「全生物種の民主制」(a democracy of life forms)という言葉で説明してしている。

このように、ネスの「エコソフィT」における「自己実現」と「生態圏平等主義」を読み解けば、ディープ・エコロジーはアンチ・ヒューマニズムであり、人種差別主義、性差別主義、階級差別主義であるという批判は的外れであることが分かる。
しかし、メラーを含めたエコフェミニズム、ソーシャル・エコロジー、ポスト・コロニアリズムの人々が、ディープ・エコロジー運動をアンチ・ヒューマニズムであると批判する理由は、ディープ・エコロジーを標榜する急進的な活動団体の存在があると言える。
また、ネスの哲学を継承しディープ・エコロジー哲学を展開しているGeorge SessionsやBill Devallも、ウィルダネスと野性を重視し、原始を理想化する傾向がある。
ネス自身は、ウィルダネスの保存と拡充の必要性に言及してはいるが、ウィルダネス保存を重視することが人間を敵視し人権を蹂躙するアンチ・ヒューマニズムになってはならないと警告している。

メラーのディープ・エコロジー批判は、ネスの「エコソフィT」に対しては明らかに誤解と言えるが、一部のディープ・エコロジストの極端な意見や行動に対しては、妥当な批判であると言える。
メラーが批判したとおり、アンチ・ヒューマニズムな生態圏中心主義の思考を前提としたウィルダネス保存運動は、非常に差別的であり、貧しく抑圧された人々や女性に対して著しく公正さを欠いていると言えるだろう。
ディープ・エコロジストの極端に抑圧的で厭世的な意見は批判されるべきであると思うが、ネスの提唱した「エコソフィT」の「生態圏平等主義」の原理と、そこから導き出される「全生物種の民主制」は、メラーの提唱するエコ・フェミ社会主義の理想と重なり合う部分が多いのではないか、とわたしは考える。



読了日:2008年10月10日

2020/11/15

「ハイドリヒを撃て!」(ショーン・エリス監督)

ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦
  • 監督: ショーン・エリス
  • 発売日: 2018/2/2


ショーン・エリス監督の映画「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」(2016年、原題"Anthropoid")を観ました。
第二次世界大戦中の1942年に、チェコスロバキアのレジスタンスたちによって実行された「エンスラポイド作戦」(Operation Anthropoid)を題材とした映画です。
その作戦の目的は、ナチス・ドイツ軍によって占領されたボヘミアとモラビアの統治者であったラインハルト・ハイドリヒを暗殺することでした。
チェコ、イギリス、フランスの合作映画で、2015年の夏に、プラハの出来る限り実際の場所で撮影され、冬の場面も人工雪を用いて撮影されました。

わたしは、2014年6月の読書会でローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942年』(2013年、東京創元社)を読んで、この「エンスラポイド作戦」について初めて知りました。
本作は、ローラン・ビネの歴史小説を原作とした映画ではなく、脚本はショーン・エリス監督自身とアンソニー・フルーウィンが執筆しています。
ショーン・エリス監督は、1970年イングランド・ブライトン生まれ。
アンソニー・フルーウィンは、1947年ロンドンのケンティッシュ・タウン生まれで、かつて映画監督スタンリー・キューブリックの個人アシスタントを務めたこともあり、現在はスタンリー・キューブリック・エステートの代表を務めています。
なお、ローラン・ビネの『HHhH』に基づいた映画は2017年に公開されており、そちらはセドリック・ヒメネス監督の「ナチス第三の男」(原題"HHhH")です。

※ネタバレ注意※

映画の冒頭、ナチス・ドイツ軍によるチェコスロバキアの占領後、親衛隊最高幹部で国家保安本部長官であったラインハルト・ハイドリヒが保護領副総督に就任し、抵抗運動を行うチェコ人たちを大量に逮捕し、公開処刑した事実を実際の記録映像を用いて説明しています。

1941年12月、在英チェコスロバキア亡命政府から密命を受けた二人の工作員、スロバキア人のヨゼフ・ガブチークとチェコ人のヤン・クビシュは、彼らの占領された祖国にパラシュートで降下しました。
ヨゼフ・ガブチークをキリアン・マーフィー(1976年アイルランド生まれ)が、ヤン・クビシュをジェイミー・ドーナン(1982年北アイルランド生まれ)が演じています。
着陸時に木を突き破って墜落したヨゼフは負傷しますが、二人はレジスタンス組織の連絡員に会うために出発します。
まもなく彼らは、二人のチェコ人に発見されますが、その二人はレジスタンスへの協力者を装った密告者でした。
密告に気づいたヨゼフは、躊躇なく一人を撃ち殺しますが、逃走したもう一人の男を追いかけたヤンは、撃つのにためらって逃走を許してしまいます。
この冒頭の短い戦闘場面で、占領統治下に暮らすチェコ人が、報奨金目当てに同胞であるレジスタンスを密告する現実を説明するとともに、ヨゼフとヤンの軍人としての覚悟の違いを表現しています。

ヨゼフとヤンはプラハに入りますが、市内の至る所にドイツ兵が立って市民を監視し、兵士たちを乗せた軍用車や軍用犬を連れた兵士が行き交います。
ヨゼフの負傷した足をエドゥアルド医師が手当し、その医師に手配によって、レジスタンス組織インドラの幹部であるラジスラフ・ヴァネックとハイスキーに会うことができました。
ヨゼフとヤンが自分たちの使命を明かすと、ヴァネックは報復を恐れて反対し、亡命政府を強く非難しますが、トビー・ジョーンズ演じるハイスキーは、「チェコスロバキアはナチス・ドイツに抵抗する意志があるか」試されていると言い、「エンスラポイド作戦」への協力を表明しました。

ヨゼフとヤンはレジスタンスの協力者であるモラヴェツ家に下宿することになり、アレナ・ミフロヴァ演じるモラヴェツ夫人は二人を温かく迎え入れます。
ビル・ミルナー演じるモラヴェツ家の息子アタは、ヴァイオリニスト志望の気弱そうな青年ですが、母親同様にレジスタンスの協力者です。
モラヴェツ家で働く若い家政婦のマリーも協力者であり、同じく協力者である処刑されたチェコ軍人の娘レンカを紹介します。
マリーを演じたのはシャルロット・ルボン(1986年カナダ生まれ)、レンカを演じたのはアンナ・ガイスレロヴァ(1976年チェコスロバキアのプラハ生まれ)です。
限られた情報と少ない装備で、ヨゼフとヤンはハイドリヒを暗殺する方法を見つけなければなりません。
ヨゼフはレンカと、ヤンはマリーと恋人同士を装って外出し、二人はレジスタンスの仲間たちと会合し、彼らと同様にパラシュートで送り込まれた他の工作員アドルフ・オパルカとカレル・チュルダと合流します。

ヤンとマリーは互いに愛し合うようになり、ヤンは結婚を申し込み、マリーも受け入れますが、ヨゼフはヤンに自分たちの使命を思い出させます。
ヨゼフもレンカと心を通わせていましたが、ヨゼフにとってはどんな感情よりも祖国のために使命を果たすことが重要でした。
作戦決行の前日、使用する銃の準備をしていたヤンは、至近距離で標的を射殺しなければならない恐怖によって、過呼吸の発作を起こしますが、ヨゼフはヤンに訓練どおり銃弾を込める動作をさせ、彼を落ち着かせます。
至近距離で暗殺作戦を実行することは、護衛兵の反撃によって自分たちも射殺されることが必ず想定されます。
映画の冒頭で密告者を撃てずに逃がしてしまったヤンは、マリーを愛したことによって、「死にたくない」という思いがより強まり、過呼吸を引き起こすほどの緊張と恐怖を感じたのでしょう。
特殊訓練を受けた軍人であっても、祖国のために命を捨てる覚悟を決めるには、言葉にできない恐怖や葛藤を乗り越えなければいけないのだと説得力を持って伝わり、心揺さぶられました。

1942年5月27日午前10時30分、暗殺作戦は実行されました。
ヨゼフのステン短機関銃は暗殺に失敗しますが、ヤンの投げた対戦車手榴弾が爆発してハイドリヒに重傷を負わせました。
ヤンは自転車に飛び乗って、コルトM1903を発砲しながら逃げ去り、ヨゼフは電信柱の後ろに隠れて発砲し、ハイドリヒと交戦しました。
逃げ惑うプラハ市民の間をヨゼフは逃走し、肉屋へ逃げ込みますが、肉屋の店主はナチスの協力者であり、店の外に飛び出して大声で叫び、追跡する兵たちを呼びよせます。
ハイドリヒの運転手を務めていた親衛隊曹長ヨハンネス・クラインがヨゼフを追って来て、彼はクラインを銃撃し、トラムに乗って逃走し、隠れ家までたどり着きました。
ハイドリヒは病院に運ばれたが、爆発の負傷によって、1942年6月4日に死亡しました。

暗殺実行犯を取り逃がしてしまった親衛隊の治安部隊は、チェコ人に対して凄まじい報復を行います。
リディツェ村は破壊され、16歳以上の男性は全員射殺され、子供や女性は強制収容所に送られるなど、虐殺が続きました。
路上でナチス兵から逃げようとしてレンカが殺されたことを知ったヨゼフは、ひどく取り乱し、ヤンに抑えられます。
これまで常に落ち着いた態度で感情を抑制していたヨゼフが、初めて感情を表に出した場面で、言葉に出さずとも、彼がレンカを心から愛していたことがよく分かります。
ヨゼフとヤンと作戦を実行したオパルカたち工作員は、プラハの聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の神父に匿われ、聖堂で潜伏生活を始めます。
一方、ヨゼフたちと同じパラシュートで送り込まれた工作員でありながら、作戦決行当日に現場に来なかったカレル・チュルダは、仲間を裏切って暗殺犯の正体を明らかにし、彼らを匿っていたモラヴェツ家の情報を売りました。

カレルの裏切りによって、モラヴェツ家は多数のゲシュタポ将校に襲われ、モラヴェツ夫人は青酸カリの錠剤を飲んで自殺。
息子アタは残忍な拷問を受け、ついにナチスの要求に屈します。
カレルの裏切りが発覚した直後から、モラヴェツ家が襲撃されるまでの場面に、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番「シャコンヌ」BWV1004が演奏され、この家族の過酷な運命を暗示するようで、悲愴感がいっそう際立ちました。
1942年6月18日、何百人ものナチス軍が大聖堂を襲撃し、ヨゼフとヤンを含む工作員たちは6時間に及ぶ壮絶な戦いの末、死んでいきました。
同じ時間に、レジスタンス組織を率いるハイスキーの家もゲシュタポ将校に襲撃されますが、彼も逮捕される直前に服毒自殺しました。

ナチス軍に包囲される中で、ヤンが「死にたくない」と恐怖するブブリークに訓練どおり銃弾を込める動作をさせ、落ち着かせる場面は、作戦決行前日にヨゼフがヤンを落ち着かせるために行ったものと同じでした。
ブブリーク同様に、かつては死の恐怖に怯えていたヤンは、自分の死を受け入れた上で、最後の戦闘に向かったように感じました。
ヨゼフたちが隠れていた地下墓地は水責めされ、流れ込んでくる大量の水の中で応戦し、最後まで残った工作員全員が自殺しました。
自殺を決意した瞬間、ヨゼフは光の中に自分を迎えに来たレンカの幻を見ます。
彼女はヨゼフに向かって手を伸ばし、引き金を引いた時のヨゼフの表情は穏やかで満足げで、地上では一緒になれなかった二人が、これから天上では永遠に一緒にいられるのだ、と思わせる演出でした。
最後の自殺の場面で、ロビン・フォスター作曲の"The Crypt"が流れ、静かで美しいピアノの旋律が心に残りました。
最終的には、ハイドリヒ暗殺の報復として、推定5000人ものチェコ人が親衛隊によって殺されたという事実が説明され、映画は終わります。



ローラン・ビネの『HHhH』を読んで、「エンスラポイド作戦」の結末まで知った上で観ましたが、やはり重苦しく辛く悲しい気持ちになりました。
実際の出来事は、ホラー映画よりもよほど恐ろしいと感じました。
一番観ていて辛かったのは、モラヴェツ家の息子アタが、カレル・チュルダの裏切りによってゲシュタポに逮捕され、惨たらしい拷問を受ける場面です。
映画鑑賞後に『HHhH』を読み返してみて、モラヴェツ家について、映画で描かれたとおりの歴史的事実が書かれていましたが、ほんの数行の文字を読むのと、実際に映像で見るのでは、衝撃が全く違うものだなと改めて感じました。
モラヴェツ家の17歳の息子アタは、一日中拷問を受けましたが、口を開くことを拒否しました。
少年はブランデーの飲まされた上で、切断された母親の頭を見せられ、口を割らなければ次は父親だと脅され、屈服したと記録されています。
アタと父親のモラヴェツ氏はマウトハウゼン強制収容所へ移送され、1942年10月24日に処刑されました。

映画では描かれませんでしたが、13,000人以上の市民が逮捕されて拷問を受け、カレル・チュルダの裏切りによって、レジスタンスの家族や協力者たち少なくとも254人が殺害されました。
その中にヤン・クビシュの恋人アンナ・マリノヴァ(Anna Malinová)、映画ではマリーとして描かれた女性も含まれており、彼女もマウトハウゼン強制収容所へ移送されて死にました。
最後に聖堂で立て籠もって戦い自殺した工作員の一人アドルフ・オパルカの父も殺害され、叔母もマウトハウゼン強制収容所に移送されて処刑されました。

パラシュートで送り込まれた工作員でありながら仲間を裏切り、親衛隊に自発的に情報を提供したカレル・チュルダが、その後どうなったのか、映画では描かれていません。
カレルは50万ライヒスマルクの報奨金を受け取り、彼の母と妹は拘留から解放され、彼は新しい名前とドイツ市民権を得ました。
1944年に親衛隊員の姉妹であるドイツ人女性と結婚し、プラハに住居と月給3,000ライヒスマルクを受け取り、ゲシュタポのために働くスパイとして終戦まで活動しました。
彼はレジスタンスのふりをしてベーメン・メーレン保護領を旅し、彼を匿った全ての人々をゲシュタポに引き渡しました。
1945年5月、彼はアメリカの占領地に逃げようとして、チェコのレジスタンス組織に逮捕され、釈放後に裏切り者であったことが明らかになって再逮捕され、裁判で重反逆罪により死刑判決を受けます。
裁判では、彼は反抗的で図々しい態度で、裁判官にパラシュート部隊員の仲間を裏切った理由を聞かれて、「100万マルクのためならあなたも同じことをする」と答えました。
判決を受けた当日、1947年4月29日に彼は絞首刑に処されました。

映画では、レジスタンスの秘密会合を行うカフェにナチス兵が立ち寄った時に、カレルが室内で大きな物音を立てる場面や、会合で暗殺作戦の中止に賛同する場面を描き、最終的には襲撃当日に現場に来ないという場面を描いて、カレルが裏切り者になる伏線を演出しています。
映画を見ると、チェコ人全員が一致団結してナチスに抵抗したわけではなく、ヨゼフやヤンやハイスキーのように自分の命を捨てて抵抗する意思を示す人々や、モラヴェツ家やマリーやレンカのようにレジスタンスに密かに協力する人々、カレルや肉屋の店主や最初に出会った密告者のようにゲシュタポに協力して同胞を裏切る人々などが隣り合って暮らしていて、占領下のチェコ社会の複雑さがよく分かりました。
ナチスの占領統治がチェコ人の間に断絶を生み出し、誰が敵か味方か分からず、いつ密告され逮捕されるから分からない恐怖で、常に緊張を強いられる生活は、人々に連帯して抵抗する力を失わせていると感じました。




映画のエンディングの一番最後に流れた"Dulce et Decorum Est"という合唱曲が、静かな祈りに満ちた美しい歌声で感動しました。
イギリスの作曲家ガイ・ファーリー(Guy Farley)が、本作のために作曲した合唱曲で、有名なレクイエムの一節とホラティウスの一節から成る歌詞が歌われています。

Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.
主よ、永遠の安息を彼らに与えてください、
そして絶えることのない光が彼らを照らしますように。

Dulce et decorum est pro patria mori.
祖国のために死すは美しく名誉なり。

古代ローマの抒情詩人ホラティウスの『頌歌』第3巻第2歌(Odes III.2.13)の一節である、"Dulce et decorum est pro patria mori"とは、直訳すると「祖国のために死ぬことは甘美にして名誉あることだ」という意味です。
この名句は、イギリスの詩人ウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen, 1893年-1918年)が、第一次世界大戦中に自身の悲惨な従軍体験を歌った反戦詩の表題として引用され、よく知られるようになりました。
映画の終曲に歌われた"Dulce et Decorum Est"を聞いて、わたしはオーウェンの"Dulce et Decorum Est"と題する詩を思い起こさずにはいられません。

My friend, you would not tell with such high zest
To children ardent for some desperate glory,
The old Lie: Dulce et decorum est
Pro patria mori.

友よ、君はそのような強い熱意をもって教えはしないだろう
命がけの名誉を求めている子供たちに
あの古くからの大嘘である「祖国のために死すは、美しくも名誉なり」を

オーウェンは"Dulce et Decorum Est"と題した詩の中で、醜くもだえ苦しみ、血泡を吹きながら死んでいく悲惨な兵士たちの姿を生々しく歌いました。
そして、祖国のために死ぬことを美化する価値観を真っ向から否定し、国家が若者たちを都合よく利用するための"The old Lie"であると厳しく批判したのです。
この詩は1917年から1918年に書かれ、オーウェンの戦死後、1920年に発表されました。
"Dulce et Decorum Est"というホラティウスの名句は、かつては戦没者の記念碑などに用いられましたが、1921年以降は戦争のプロパガンダとして批判的に解釈されるようになったと言われています。

映画の中では、ヤンやブブリークが「死にたくない」と恐怖する場面が印象的に描かれています。
実際のヤンは28歳、ヨゼフは30歳の若さで死んでいるのです。
二人が祖国のために覚悟を持って戦って死んでいったことは間違いなく、その行為をどう受けとめるかは、映画を観た一人ひとり違う思いを抱くでしょう。
このエンディング曲の歌詞には、"Requiem æternam dona eis"(主よ、永遠の安息を彼らに与えてください)というレクイエムの一節も用いられています。
ヨゼフとヤンたち7人のパラシュート部隊員をはじめ、モラヴェツ家やリディツェ村など、「エンスラポイド作戦」の影響で殺された5000人の人々へ、永遠の安息を祈るレクイエムであると感じます。
この曲は、静かな祈りと慰めに満ちた美しいレクイエムでありながら、"Dulce et decorum est pro patria mori"という言葉で、愛国心とは何か、祖国のために死ぬことは本当に美しく名誉なのか、問いかけてくるのです。


(2017年10月15日、映画館にて初鑑賞)