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2008/11/04

ソルジェニーツィン「収容所群島」

収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察
収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察
  • 発売元: ブッキング
  • 価格: ¥ 3,675
  • 発売日: 2006/08/03

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『収容所群島―1918-1956 文学的考察』(1973~1975年)を読了しました。
『収容所群島』は、全6巻です。トルストイの『戦争と平和』を上回る大長編でした。

痛くて痛くて、何度も読めなくなりました。
ほんとうに、絶望が行動の原動力となるのだということを、つよく感じました。

私はそこで過ごした十一年間を恥だとも呪わしい悪夢だとも思わず、かえって自分の血とし肉とした。いや、それどころか、私はあの醜い世界をほとんど愛さんばかりであった。
(木村浩訳、第1巻、序文)

◇◇◇

本書は、ソルジェニーツィン自身が「自分の目と耳を働かせ、自分の皮膚と記憶に焼きつけて《群島》から持ち出したもの」と、「総計二二七人に及ぶ人びとに物語や回想や手紙」をもとに織られた"収容所群島の歴史"です。この長大なタペストリーには、《群島》そのものの物語とその機構のからくり、《群島》の住人たちの物語、その住人の一人であったソルジェニーツィン自身の物語という三つの絵が巧みに織りこまれています。

本書におけるソルジェニーツィンは、まさに"真実の歴史"の語り部であると言えます。したがって、『イワン・デニーソヴィチの一日』や『ガン病棟』、『煉獄のなかで』のような文学作品とは大きく形式が異なります。ソルジェニーツィンの"語り"が、「氷層に閉ざされた」《群島》の氷を融かし、「まだ生きている肉」としてわたしたちに訴えかけています。

その"語り口"は、ソルジェニーツィン独特の反語を駆使した苦いユーモアです。革命後のソビエト体制、イデオロギーに対して激しく揶揄嘲弄し、完膚なきまでの批判を加えています。ときに挑戦的な攻撃調があり、脱獄囚たちの痛快な冒険譚があり、イワン・デニーソヴィチのような民話風の"語り"がありと、縦横に使い分けながら、重い事実を積み重ねていきます。
そして、ソルジェニーツィン自身の収容所におけるキリスト教への回心-信仰を受け入れ、内なる力にめざめていく過程-が、祈りにも似た静かなことばで告白されるのです。発刊当初から、本書がダンテの『神曲』と比較されてきたことは、そのためではないでしょうか。
ゆえに本書は、激しい"憤りの書"であるとともに、"祈りの書"でもあると思いました。

◇◇◇

印象に残った箇所をいくつか引用しておきます。

靴の泥を落とさなかったことがどうだというのか? 姑がどうだというのか? 人生で一番大事なこと、人生のすべての謎を、お望みなら私がさっそくあなた方にぶちまけてさしあげようか? はかないものを-財産や地位を追い求めてはいけない。そうしたものは何十年も神経をすりへらしてやっと手に入るものだが、一夜で没収されてしまうのだ。生活に超然とした態度で生きなさい。不幸におびえてはいけない。幸福を思いこがれてはいけない。結局のところ、辛いことは一生涯続くものではないし、一から十までいいことずくめということもないからだ。凍えることがないならば、飢えと渇きに苦しめられることがないならば、それでよしとするのだ。背骨が折れておらず、両脚が動き、両腕が曲がり、両目が見え、両耳が聞こえるならば、いったい誰を羨むことがあろう? 何のために? 他人に対する羨望は何よりも私たち自身をさいなむものだ。目をさまして、心をきれいにしなさい。そしてあなたを愛してくれる人びとを、あなたに好意を寄せてくれる人びとを、何よりも大切にすることだ。そういう人びとを立腹させてはいけない。罵ってはいけない。そういう人たちの誰とも喧嘩別れをしてはならない。ひょっとすると、それが逮捕される前のあなたの最後の行為となるかもしれないのだ! あなたはそのままその人たちの記憶にとどまるかもしれないからだ!(第2巻、pp.563)

われわれの足もとから石がくずれ落ちる。下へ、過去へむかって。それは過去の亡骸なのだ。
われわれは昇っていくのだ。(第4巻、pp.598)

われわれはもう何年も全ソ連邦の徒刑地でひどい労働をしている。そしてわれわれはゆっくりと年輪を重ねるように、人生理解の高みにのぼっていくのだ。その高みからは手に取るようにわかる-重要なのは結果ではないことが! いや、結果ではなくて、その精神なのだ! 何をしたかではなく、いかにしたかなのだ。何が達成されたかではなくて、どんな犠牲を払ってやったかなのである。
われわれ囚人の場合も、もし結果が重要ならば、どんな犠牲を払っても、生き残ること-という真理も正しいのだ。ということは-密告者になり、仲間を裏切ることであり、その報酬として良い場所を与えられ、ひょっとしたら、期限前の釈放も許されることである。《絶対に誤りのない教義》からすれば、ここはいかなる欠点もないだろう。もしそうならば、われわれに有利な結果となる。そして、重要なのは-その結果なのである。
誰も反対しないだろうが、結果を得ることは気持のいいことだ。しかし、人間らしさを犠牲にしてまでではないのである。
もし結果が重要なら、一般作業を避けるために、持っている力や能力を総動員しなければならない。頭をさげ、機嫌をとり、卑劣な行為までして、特権囚の地位を維持しなければならない。そして、そのことによって生き残るのである。
もし本質が重要なら、もはや一般作業を受け入れなければならない。ぼろぼろの衣服にも、むける手の皮にも、少量で粗末な食べ物にも、耐えなければならない。いや、ひょっとすると、死ななければならないのかもしれない。だが、生きている間は腰痛に耐えて、誇りをもって振舞わなければならない。そんなとき、つまり、あなたが脅しも恐れなくなり、報酬を追求しなくなったとき、あなたは主人たちのフクロウの目に最も危険な人物として映るのである。なぜなら、あなたを攻める方法がなくなってしまったからである。(第4巻、pp.600-601)

では、どうして本当に信心深い人びとは収容所でも堕落せずにいられるのだろうか(彼らのことはすでに一度ならずふれている)? われわれはこの本のいたるところで彼らが《群島》のなかで自身に満ちた足取りをしていることにすでに気づいてきた-それはまさに目に見えないろうそくを手にして黙々と進む十字架行列の人びとみたいだ。機関銃で射たれたように、行列のなかの人が倒れると、次の人がすぐその場所に立って、また歩きつづけるのである。これこそ二〇世紀には見られない不屈の精神ではないか! しかも、それは絵のように目立たず、日常的なのである。たとえば、それはどこかその辺のドゥーシャ・チミーリおばさんである。丸顔の落ちついた、まったく読み書きのできない老婆である。(第4巻、pp.614)

彼らには有利な条件があるのだろうか? そんなことはない! 《修道女たち》は常に売春婦はあばずれ女どもと一緒に懲罰独立収容地点にしか収容されていなかったことが知られている。それなのに、信者たちのなかで堕落した者がいるだろうか? 死んでいった者はいるが、堕落した者はいないのではないか?
また、一部の動揺していた人びとがほかならぬ収容所のなかで信仰を受け入れ、それによって強くなり、堕落せずに生き残ったという例はどう説明すべきだろうか?
さらにまた、多くの人びとは、バラバラになっていて目立たないけれども自分の定められた転機を体験して、その選択を決して間違わないのである。それは自分だけが辛いのではない。自分の隣にもっと辛い、もっとひどい状態におかれている人びとがいるのだ、ということに気づいた人たちなのである。(第4巻、pp.615)



読了日:第1巻 2008年9月27日 / 第2巻 10月5日 / 第3巻 10月11日 / 第4巻 10月17日 / 第5巻 10月22日 / 第6巻 10月30日

2008/11/01

ソルジェニーツィン「風にゆらぐ燈火」

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

ソルジェニーツィン『風にゆらぐ燈火-汝の内なる光-』(1969年)を読みました。
ソルジェニーツィン追悼月間です。

◇◇◇

『風にゆらぐ燈火』は、1960年の"ラーゲリの外"を描いた戯曲です。
"ラーゲリの内"を描いた『鹿とラーゲリの女』とは、対をなす設定と言えます。
主人公アレックスは、刑事犯として10年の刑期のうち9年をつとめあげ、あと1年というところで殺人の真犯人がみつかり、釈放された元徒刑囚です。釈放後5年を経て、叔父のマヴリーキー宅を訪ねる場面から劇がはじまります。

本作では、都市に暮らすソビエト市民の「健康で人生を楽しんでいる」生活が描かれています。
音楽学校の教授である70歳のマヴリーキーは、「月刊食通」を購読し、自ら料理を楽しみ、「食事は人生の快楽」と断言します。
彼の自宅にはガス・レンジ、電気冷蔵庫、レコード棚があり、ステレオからはベートーヴェンのピアノ・コンチェルト二番の歓喜にあふれるロンドが流れています。
19歳の息子ジュームは父親に水上スキーをねだり、40歳の妻チーリヤは315馬力「バーガンディ・スプラッシュ」色のカブリオレ・スーパー88が持ちたくてしょうがありません。
彼女は、国際評論誌「アルゴル」の編集所で働くジャーナリストです。彼女によれば、「国内の方はわが国では万事オーケーだから、書くことがない」ため、「海外諸国の経済上の欠陥、その社会的病患の展望」を扱っており、「平和のために、力の均衡がわたしたちの側にいつも有利になるように闘っている」のです。

マヴリーキー  失われた年月というやつだな!
アレックス    いや、失われたというわけではありません。これはむずかしい問題です。もしかすると、かえって、必要な年月だったかも知れません。
マヴリーキー  どうしてまた「必要」だなんて? するとなんだね、お前の考えでは、人間には投獄は欠かせない、ということになるのかね? 監獄だなんで、こいつあみんな世の中から消え失せちまうがいいんだ!
アレックス    (溜息をつく)いや、そんなに手軽にはいかないのですよ。ぼくは、監獄よ、汝に祝福あれ、ということだってあります。
ソルジェニーツィン『風にゆらぐ燈火』(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

このように言うアレックスは、釈放後そのままカレドニアに5年留まり、「九年じゃ足りなかったので、残って考え足し」ていました。一方、アレックスと小、中学校、大学、戦地でも一緒だった三十年来の親友であるフィリップは、同じ罪でラーゲリ生活を送りながらも、アレックスとは正反対の立場をとります。フィリップは、ラーゲリのことを周囲に隠し、「なかったこと」にしました。

アレックス    おれにはわからないな。おれは監獄にいたことを恥と思ってない。たいへんためになったし...
フィリップ    ためになった? よく君はそんなことがいえるな。ここのこの修理工用の大ばさみで、命の一片-やわらかい神経、赤い血、若い肉、をきりとられたようなもんじゃないか。おれたちは石切り場で猫車を押したり、鉱山で銅の粉を吸いこんだりしていたのに、奴らはここの砂浜でぬくぬくと白い肌のからだを伸ばしておれたんだ。アル、逆だよ、とりもどすんだ、モーレツにとりもどすんだ! (拳を振りまわす)人生から二倍でも三倍でもふんだくってやるんだ! それがおれたちの権利というもんだ!

釈放後、フィリップは、アレックスがカレドニアに留まっていた5年の間に学位論文を提出し、大学附属の生物サイバネチックス研究所の創設に奮闘し、研究所所長として実績をあげ、「もりもり上に昇っている」のです。あと二、三か月もすると博士になり、教授になる計算です。マヴリーキー宅の隣にあるフィリップの自宅には、ピアノ、ステレオ、電話のある大きな客間、テレビのある小さな客間があり、休日にはジュームがうらやむ水上スキーを楽しんでいます。

他方アレックスは、都市には「有害なのと無益なのとそれから鼻もちならんほどつまらないのと、あるだけ」であると実感し、「何ももたないから、何も失う心配がない」生活を選ぶのです。

◇◇◇

ラーゲリの"内と外"に対する、この二つの異なった受け取り方は、「苦しみ」をどのように位置づけるかに対応しています。それはすなわち、「幸福」をどのように定義するかということでもあります。
フィリップの研究所に実習生としてアフリカからきているカビンバと、アレックスは次のような対話をします。

カビンバ     ...みんな金持ちで、苦労がない。あの人たちには、ほかの人たちがなんで生きているのかわかることはない! わたしはあの人たちにくっついた自分を憎んでいます! あの人たちをみんな憎んでいます!
アレックス    カビンバ君! そう、ぼくもあの人たちからすっかり遅れてしまった。監獄のせいでね。だからといって、どうする? 彼らを押しのけるか? 彼らの鼻っぱしをなぐりつけるか? カビンバ君! 憎悪、憤懣というやつはなんのたしにもならない。地上で最もむなしい感情なんだ。高みに立って理解しないといけない-君とぼくは幾世紀か何十年かを喪くした、ぼくたちは侮辱され、おとしめられたけど、復讐するというわけにはいかないのだ。それに、その必要もない。いずれにしても、われわれの方が彼らよりも豊かなのだ。
カビンバ      (憤然と)われわれが? 何が豊かなのですか? 何が?
アレックス     非常に苦しんできたことさ、カビンバ君。苦しみは魂の成長の核心だ。満ち足りた者は常に心の貧しき者だ。だからそっとゆっくり築いていこうじゃないか。

「苦しみは魂の成長の核心」であるという確信が、アレックスに「監獄よ、汝に祝福あれ」と言わせるのでしょう。わたしはアレックスの、「人生の充実感は善い原因からも悪い原因からも起こり得る。学者の人生も充実していれば、病気の猫をたくさん治療してやってる孤独な老婆の人生も充実している。」という言葉が、すごく好きです。

◇◇◇

本作の「汝の内なる光」という副題は、新約聖書のルカによる福音書第11章33節~36節からきていると思います。"病気の猫をたくさん治療してやってる孤独な老婆"であるフリスチーナおばさんが、マヴリーキーの死に際してローソクのともし火のなかで、「誰も燈火をともして、穴蔵の中または升の下におく者なし。すべての者の光を見んために、燈台の上に置くなり/この故に汝の内の光、闇にはあらぬか、省みよ」と読み上げる言葉に、本作の副題が織りこまれています。

ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。
ルカによる福音書第11章33節~36節(新共同訳)

表題である「風にゆらぐ燈火」とは、内なるともし火-アレックスの言う「内面的道徳律」-が、「幸福者の船」である「バーガンディ・スプラッシュ」に乗り、水上スキーで遊び、「もりもり上昇」することを求める"風"にゆらぎ、今にもかき消されそうになっている現代の状況を意味しているのだと思います。わたしのなかのともし火は、濁っているでしょうか、明るいでしょうか...。



読了日:2008年9月17日

2008/09/28

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』に登場する囚人、ロジオン・ニェーモフに注目してみましょう。

表題である「オレーニ」(鹿)は、ロシア人にとっては従順で臆病なトナカイのイメージであり、本書では「ラーゲリの掟」を知らない「お人好し」の囚人のことを意味しています。最近まで戦線にいた元将校ニェーモフは、まさに「オレーニ」です。彼のやさしさや正義感、道徳心がラーゲリにおける生活をより残酷なものにしていきいます。

ラーゲリ所長のオフチューホフは、作業主任に任命したニェーモフに次のように言います。

オフチューホフ それで、新しく来た奴らからいい品物をまきあげたか?
ニェーモフ おっしゃることがわかりません。
オフチューホフ ジャンパーだとか、皮外套だとか、絹のスカートだとか...自分でねこばばしておくつもりか?
ニェーモフ 失礼ですが、どうして、なんのために他人の品物をわたしがとったりしなければならないんですか?
オフチューホフ バカだな、生きるためだ! 「今日はお前死ね、おれはあしたにする」-これがラーゲリの掟だということを知らんのか?
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

「ラーゲリの精神」を実践することができないニェーモフは、謀略によってたやすく作業主任の立場を追われ、危険な一般作業に就くことになります。そして死の労働に従事しながらも、次のように言うのです。

ニェーモフ あのね、ぼくは、その、ときどき考えるんだけど...ぼくたちがもっているいちばん大事なものは結局命じゃないんじゃないかって気がする。
リューバ (じっと目を据えて)それじゃ、なんなの?......
ニェーモフ ラーゲリでこんなこと言うのはなんだか具合がわるいが...でも...良心...じゃないかって気がする。

◇◇◇

ソルジェニーツィンは『収容所群島』において、ニェーモフのような「オレーニ」がどのような道を辿るのか述べています。

すでに刑期の大部分を終えたこの収容所住人の表情には、残酷で毅然としたものが目立っていた(それが《収容所群島》の住人たちの民族的な特徴であるということを、私は当時まだ知らなかった。おだやかな、優しい表情をもつ人びとはたちまち《群島》で死んでいく)。彼は私たちがもがく様子を、まるで生後二週間の仔犬でも眺めるように、皮肉な笑いを浮かべて見ているのだった。
ソルジェニーツィン『収容所群島 2』(木村浩訳、以下同)

ニェーモフは、ソルジェニーツィンがブトゥイルキ監獄の第75監房で同室であった年若いブブノフのように、「その性格の純粋さと真っ正直さのために」、おそらくラーゲリで死ぬにちがいないのです。

彼のような人間はあそこでは生きられないのだ。



読了日:2008年9月17日

2008/09/27

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(1969年)を読了しました。

◇◇◇

1945年秋の、ラーゲリにおける数日間を描いた戯曲です。ソルジェニーツィンは、本作ではじめて女性の囚人たちの生活に光を当てています。
朝、まもなく日が出ようというところ、道路には囚人作業場へ出勤する列。汚れたぼろぼろの綿入れ胴着を着た男女の囚人たちでいっぱいです。その最後列には数人、小ぎれいな格好をした、作業現場でらくな仕事をしている囚人たちがいます。その中の「カッコイイ」服装のジーナは、作業現場のタイピストで、営繕係のラーゲリ妻です。女囚たちは、ジーナを次のように話しています。

―ジーンカったら、にくたらしい、新しいスカートはいているわ。
―マルーシカのスカートよ。マルーシカが転属させられるときに営繕係が脱がせたんだわ。
―営繕係とくっつけば殿様暮らしってわけね!(歌う)
あたしゃ、班長さんの情人(いろ)だった、
営繕係のご機嫌とった、
作業手配係と寝たことあるの、
だからあたしはスタハーノフカ。
―これで終わり。パン、片づけちまった。
―最低量なんか片づけるのがあたりまえさ。班長をみろ、自分と自分の女には一キロとってる!...
(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

彼女たちが揶揄するように、ジーナはラーゲリ生活において非常に優遇されており、楽な暮らしをしています。このように、権力のある囚人(作業主任、医師、営繕係、会計係など)や自由人の職員(主席技師、現場監督など)や警備関係の軍人(ラーゲリ所長、看守の軍曹など)と親密な関係を持ち、自分の立場を守る女囚は「シャラショーフカ」(=あばずれ→ラーゲリ女)と呼ばれています。したがって、表題である「オレーニ・イ・シャラショーフカ」(鹿とラーゲリ女)の「ラーゲリ女」とは、ジーナのような女囚を意味しているのです。
ソルジェニーツィンは、「シャラショーフカ―ラーゲリ女。尻軽で、別に強いられたわけでもないのにいろごとをやらかす者」と註をつけています。

◇◇◇

『鹿とラーゲリの女』では、男性の囚人もいくつかに分類できることがわかります。①権力を持った幹部、②軍人や幹部に賄賂を送り、一般作業に従事しない構内勤務員、③「ブラトノイ」と呼ばれる刑事犯、④一般作業に従事する一般の囚人の4種類です。①と②の囚人たちは、警備関係の軍人と同じく④にあたる大多数の囚人たちを搾取・抑圧する立場にあります。そのため、家族から差し入れの食糧・物資が多く届く比較的豊かな囚人は、どうにかして②になろうと、こぞって①に取り入ります。

メレシチェーン (ホミッチに)あんた、いいセーターもってるな。色が気に入った。
ホミッチ (身体検査のあとで、まだ着こまずに)そのうえ色があせないんですよ! 品をみて下さい!(さわらせる)外国製です。着ていたのは誰だと思います?スウェーデンの百万長者の息子ですよ。
メレシチェーン まさか?
ホミッチ (中略)どうです着てみてごらんなさい。あたたかくて軟らかい。
メレシチェーン どれ着てみよう。百万長者のせがれとは面白い。(着る)
(中略)
メレシチェーン そうか、ありがとう。いいセーターだ。あんたの名前をきかなかったが。
ホミッチ ボリスですよ。
メレシチェーン あんた、夕方わしの個室に寄ってくれ、話がある。あんたもおさまるところへおさまらんといかん。
ホミッチ (気軽に)お礼を申します。でもわたしは深刻がるのはきらいでしてな。能ある者はどこへ行っても大丈夫です!

医師のメレシチェーンは①であり、ラーゲリ所長とすら気軽に話せるほどです。所長は、メレシチェーンに次のように言います。

オフチューホフ さあ、ほしいものはなんでもいえ。お前には欲しいものはないな。お前は自由人よりいい暮らしをしている。食い物には見向きもしないし、女には不自由していないし、アルコールはわしの方がお前からもらっている。さあ、なんだ?州市(まち)へ一週間護送兵なしで出してやろうか?ありがたく思え、お前は五十八条だからな!
メレシチェーン 州市(まち)へですか?わるくない。
オフチューホフ わるくないなんてもんじゃない。ほんとは絶対にいかんのだ。しかしなんとかしてやる。お前が必ず戻ってくるのを知っているからだ。お前にはこんないい所はほかにない。ほかになにかあるか?

◇◇◇

③「ブラトノイ」たちは、窃盗・強盗・殺人などで逮捕された刑事犯であり、彼らは「働かない」ことを約束された囚人です。なぜならブラトノイは、「スターリンのおぼえがめでたい」、「社会的にみぢかな者」だからです。過酷な矯正労働に従事させられている大多数の囚人たちは政治犯であり、彼らは「社会的異分子」とみなされます。一方で、少数のブラトノイは「社会的新和分子」とみなされ、「ラーゲリが出来てこの方、ブラトノイが働いたためしはない」のです。
煉瓦積みの作業現場で、ブラトノイたちが作業班長であるガイに言います。

ジョーリック (上半身をおこして)班長、一服しましょうや。話があるんだ。なんとなく。
ガイ、すぐさま大またで彼らに近づきそばに腰をおろす。
フィクサートゥイ あのな、班長。あんたまだラーゲリの掟を知らねえんだ。おれたちゃ働かねえことになってる。おれたちが働いたってのはな、なんといおうか、あんたに敬意を表したまでなんだ。運搬台(もっこ)はもってってくれ。ほかの奴らにわたして働かせろ。
ジョーリック 早い話が、おれたちゃ掟どおりやってるってわけよ。わかったな?
ガイ 掟どおり?
ジョーリック そのとおり。
ガイ それで―パンは貰うことになってるのか?
フィクサートゥイ そうさ。そいつあいちばんでっかいやつをな。バランダはいらねえ、ほかの奴にやっていい。おれたちにゃ炊事場から運ばせるし、油っけにはこと欠かねえ。
ガイ 作業は誰がやる?
ジョーリック 働くのか? どん百姓どもがやるさ。いろんな小ものがな。それに政治犯の旦那方よ。

①、②、そしてシャラショーフカという囚人の型は、どのような集団においても存在し得るだろうなぁと思いました。その一方で、ブラトノイという存在には非常に驚かされました。
彼らはなぜ、「働かない」ことが掟となっているのでしょうか。ガイは次のように言います。「やつらの上司はおれたちの血を吸わすためにやつらを飼っているんだ。五十八条の者をやつらの餌食にしたんだ。監獄でもラーゲリへ護送中でもやつらと必ず一緒にする......」すなわち、一般作業に従事するしかない貧しい大多数の囚人たちを、より苦しめるシステムとして、ブラトノイたちは機能しているのです。



★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

2008/09/15

ソルジェニーツィン「煉獄のなかで」

煉獄のなかで 上巻
煉獄のなかで 上巻
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1972

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』(1968年)を読了しました。

◇◇◇

モスクワ近郊の「特別収容所」(シャラーシカ)を舞台に、1946年のクリスマスから数日間が描かれています。
シャラーシカは、囚人である科学者や技術者たちが、国家のために開発・研究を進める研究所です。ソルジェニーツィンによれば、「しゃばにいるどんな学者でもそこで働かせてもらうのを名誉と考えるにちがいないほど、水準の高いもの」でした。
「第一圏にて」という原題は、ダンテ『神曲』の地獄の第一圏の意味で、シャラーシカを比喩的に表したものです。シャラーシカから一般収容所に送られようとする囚人が、次のように表現しています。

あそこは地獄ではありません。あそこは地獄なんかではありません! われわれが送られようとしている所が地獄なのです。われわれがもどろうとしている所が地獄なのです。シャラーシカは地獄のなかでもっとも上にあるいい第一圏なのですよ、あそこは―ほとんど天国といってもいいくらいの所ですよ......
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』木村浩・松永縁彌訳、以下同)

『煉獄のなかで』は、『ガン病棟』(1968年)と同じく、非常にポリフォニックに書かれています。これが、ソルジェニーツィンの作風なのでしょうね。
囚人数学者のネルジン、ユダヤ人言語学者でありながら社会主義の熱心な擁護者であるルービン、農民出身である囚人雑役夫スピリドン、ネルジンの妻ナージャ、外交官ヴォロジン、シャラーシカで権力をふるうヤーコノフ技術大佐、ヤーコノフの上司でありスターリンその人とも接見するアバクーモフ大臣などなどたくさんの人物が登場します。
なかでもスターリンの描き方は、やはり印象深かったですね。

 その男の名は、世界中の新聞が述べたて、何千のアナウンサーが何百のことばでしゃべり、演説者が演説のはじめと終わりで叫び、ピオネールたちのかん高い声が歌いあげ、主教たちが祈祷の中で唱えていた。その男の名は、軍事捕虜たちの瀕死の唇に、囚人たちのはれ上がった歯茎にこびりついていた。その男の名をとって、都市、広場、通り、大通り、学校、病院、山脈、運河、工場、鉱山、国営農場、集団農場、軍艦、砕氷船、漁船、製靴協同組合、託児所などがぞくぞくと改名され、それでもまだ足りず、モスクワのジャーナリストの一グループはヴォルガや月まで改名することを提唱していた。
が、その男は、首の皮のたるんだ(これは肖像画にはかかれなかった)、トルコ・タバコの匂いが口にしみついた、本に跡を残す脂性の指をもった、小柄な老人にすぎなかった。

「すべての時代と民族のもっとも天才的な戦略家」でも「偉大なる指導者」でも「最良の友」でもない、弱々しく老いた、卑小な"人間"としてのスターリン像は、ソクーロフ監督の映画『太陽』における滑稽な小男としての昭和天皇を思い出しました。



読了日:2008年9月3日

2008/08/25

ソルジェニーツィン「ガン病棟」(2)

ガン病棟〈第2部〉 (1969年)
ガン病棟〈第2部〉 (1969年)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1969

★ソルジェニーツィン「ガン病棟」(1)


ソルジェニーツィン『ガン病棟』に登場する、オレーク・フィリモノーヴィチに注目してみましょう。

わたしは、オレークが、流刑地である農村に郷愁を感じ、強い愛着を持つのと、『マトリョーナの家』のイグナーチッチが農村に心の安らぎを見出すのは、同じメンタリティだろうと思いました。
イグナーチッチも、10年あまりラーゲリに抑留されています。
オレークの手紙には次のように綴られています。

特に長生きをしたいわけではないのです! 将来の計画を立てたところで何になりましょう。絶えず警護兵に監視され、あるいは絶えず痛みを感じながら生きてきたのですから、今は僅かの間でも警護兵と痛みの両者を抜きにして生きたい―それが精いっぱいの望みなのです。何もレニングラードやリオ・デ・ジャネイロに行きたいというのではなく、ただあの鄙びた村へ、つつましいウシ・テレクへ帰りたいだけなのです。もうじき夏ですね。この夏は星空の下で眠り、夜中に目醒めたら、白鳥座やペガソス座の傾き具合で時刻を知りたい。この夏、脱走防止用のライトに消されていない、あの星空を眺めることさえできれば、もう再び目醒めなくても構いません。
(ソルジェニーツィン『ガン病棟』小笠原豊樹訳、以下同)

一方で、オレークは都市の生活に対しては「疲労」と「吐き気」を感じます。

なんだって? 大勢の人間が塹壕の中で死に、同胞墓地や、極地のツンドラに掘った小穴の中へ投げこまれ、中継監獄で寒さに震え、鶴嘴を担いで疲労困憊し、継ぎあてをあてた綿入れ一枚で寒さを凌いでいたというのに、この潔癖な男ときたら、自分のルバシカのサイズのみならず、カラーのサイズまで覚えているのか?!

このカラーのサイズがオレークを打ちのめしたのである! カラーにまでいろいろなサイズがあろうとは夢にも思わなかった! 傷ついた呻き声を発しながら、オレークはルバシカ売り場から離れて行った。カラーのサイズか! なんのためにそんな繊細な生活を送らなければならないのか。なぜそんな生活に復帰しなければならないのだ。カラーのサイズを覚えるということは、すなわち、ほかの何かを忘れるということではないか! もっと大切な何かを!

あまりに非人間的な生活を体験した後では、オレークは「頭脳を根本的に裏返されてしまった」ため、「もう何であろうと無邪気に客観的に受け入れることはできない」のです。

都市の人々の、経済成長の恩恵を受けた豊かで文化的な―ラーゲリやそこに抑留されている人間としての尊厳を奪われたたくさんの人々が、まるで存在していないないかのような―生活は、オレークにとってうわべだけの"大切な何かを忘れた"生活に思えるのでしょう。


ここから、ソルジェニーツィンの分身と言えるオレークやイグナーチッチが、農村に心を寄せる理由がわかります。
そして、ソルジェニーツィンがマトリョーナ・ワシーリエブナやザハール・ドミトリッチのように、素朴で誠実な"人間らしい"人々を、愛情と尊敬を込めて描いた理由も、ここにあると思います。

◇◇◇

雑役婦のエリザヴェータ・アナトーリエヴナも、ラーゲリを終えた女性でした。
暇な夜勤のときなどフランス語の小説を読むほどの教養ある彼女が、看護婦は触れることのない不潔なもの、不都合なものの出し入れを一手に引き受け、まめまめしく働いています。

オレークやイグナーチッチが「古き良きロシア」に心の安らぎを覚えるように、彼女は古いフランスの小説を読みます。

「悲劇的な小説といっても、私たちの経験と比べれば、なんだか滑稽な話ばかりですね」と、エリザヴェータは言います。
彼女は、ほんとうは古いフランスの小説ではなく、現代のロシアの小説を読みたいのでしょう。
しかし「安全な道」を選んだ著者たちは、彼女にとって「現在生きている人たち、現在苦しんでいる人たちには、なんの関心もないように思えるのです。
表現はオレークと異なりますが、エリザヴェータも同じ違和感を共有しているのだと思います。

「いつになったら、私たちのことが小説に書かれるのでしょう。百年経たないと駄目なのですか」

彼女の心の叫びとも言える訴えが、強くわたしの胸に残りました。



読了日:第1部 2008年8月18日 / 第2部 2008年8月19日

2008/08/24

ソルジェニーツィン「ガン病棟」(1)

ガン病棟〈第1部〉 (1969年)
ガン病棟〈第1部〉 (1969年)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1969

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの長編『ガン病棟』(1968年)を読了しました。

『ガン病棟』は、人間が自分の病気と死に向き合うことを描いた作品です。
このテーマを扱った作品と言えば、トルストイ『イワン・イリイチの死』や、映画「生きる」(黒澤明監督)が思い浮かびます。

◇◇◇

『ガン病棟』は、ウズベク共和国の首都タシケント市の総合病院のガン病棟が舞台の、いわゆる<主人公不在の小説>です。第1部は1955年2月初旬の1週間、第2部はそれから1ヶ月後の3月初めを描いています。

第13病棟すなわちガン病棟には、ラーゲリ生活を終え、永久追放の身であるオレーク、党官僚として権力のあるパーヴェル・ニコラーエヴィチ、若く才能を認められた地質学者ヴァジム・ザツィルコ、旋盤工として働きながら勉強をするまだ16歳のジョームカなど、さまざまな階層を代表する患者たちが収容されており、誰もが等しく同じ死の淵に立たされています。
彼らの治療に当たる女医、看護婦、雑役婦など数多い登場人物たちも、死と向き合う普遍的な人間像であり、それぞれが人には言えない暗い影を背負っています。

普遍的な人間存在を描いていると同時に、『ガン病棟』は1955年のソビエト社会の縮図であり、そこに描かれた人々は、1955年のソビエト社会に"生きた具体的な人間"なのです。
本作の特徴と言えるポリフォニーの手法は、きわめて効果的に"生きた"人間を浮かび上がらせていますね。

◇◇◇

『ガン病棟』は、1968年ソビエト作家同盟機関紙「文学新聞」によって「思想的に見て本質的に改作を要する作品」と決めつけられ、ソルジェニーツィンは激しく批判されました。

「ノーヴィ・ミール」誌にすでに発表されていた『イワン・デニーソヴィチの一日』、『クレチェトフカ駅の出来事』、『マトリョーナの家』、『公共のためには』、『胴巻のザハール』の単行本は出版を拒否され、彼の作品の公開朗読会やラジオでの朗読放送も禁止されていました。『ガン病棟』も、数章ずつの掲載は5つの雑誌に拒否され、全編の掲載は3つの雑誌に拒否されたと言われています。ついに西欧での『ガン病棟』の出版という事態を迎え、国内でのソルジェニーツィンをめぐる状況はいっそう厳しくなりました。

そして1969年10月、彼は突如としてソ連作家同盟リャザン支部から除名されました。それまでに、彼はどんな小さな文章をも国内では発表できない状況にありましたが、ソ連作家同盟の会員であることは、ソビエト社会における彼の身分を保証するものだったのです。

皮肉にも翌1970年秋、ノーベル文学賞が決定しました。スェーデンの文芸評論家たちはこの受賞について、「ソルジェニーツィンの文学が生き残るためにはノーベル賞は不要であろうが、ノーベル文学賞の権威のためにはソルジェニーツィンの文学が必要である」と論評したといいます。
この讃辞が暗示した通り、どれだけ当局に禁じられようとも、ソルジェニーツィンの文学は現在まで生き残っています。


★ソルジェニーツィン「ガン病棟」(2)

2008/08/23

ソルジェニーツィン「胴巻のザハール」

ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 798
  • 発売日: 1987/06

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの「胴巻のザハール」(1966年)を読了しました。

◇◇◇

「胴巻のザハール」は、語り手が自転車旅行をしたクリコーボの古戦場と、その番人である「赤毛の精霊」ザハール・ドミトリッチの思い出を描いた短編です。

 この身にしみる寒さだというのに、ザハールは干草の山で寝たのだ! なんのために? どんな不安に、あるいはどんな愛着に、この男はつきうごかされたのか。
 わたしたちが前の日に感じていた、この男をあざけり、見下す気持ちは、みるみる消え失せた。この寒い朝、干草の山から立ちあがったザハールは、すでにして単なる番人ではなく、この古戦場の精霊であり、この野原から決して立ち去らぬ警護の牧神だったのである。
(ソルジェニーツィン「胴巻のザハール」小笠原豊樹訳)

ザハールの胴巻の中には感想帳と、許された唯一の武器である斧がしっくり収まっています。



ザハールの人物像は、『マトリョーナの家』のマトリョーナ・ワシーリエブナと同じ系譜だと思いました。マトリョーナは「敬虔の人」であり、ザハールは「警護の牧神」です。

マトリョーナは、親類や村人から「お人よしで馬鹿で、他人に無料奉仕ばかり」しているとされ、軽蔑のまじった憐みの眼差しを向けられています。
いたずらをやりそうな見学者に一々喰ってかかり、土地の荒廃について毎回熱烈に腹を立てるザハールも、野卑で滑稽な人物としてみなされ、権限は全くなく、給与は最低賃銀以下の27ルーブリです。

しかしながら、大地とそこに住まう無数のマトリョーナやザハールがいたからこそ、わたしたちの村や町が成り立ってきたのであり、誰にも評価されないところで、彼らの「素朴さや誠意」がわたしたちの生活を支えているのです。
これが、『マトリョーナの家』そして『胴巻のザハール』に織りこまれた、ソルジェニーツィンのメッセージだと思いました。 読了日:2008年8月13日

2008/08/22

ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」

ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 798
  • 発売日: 1987/06

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの「マトリョーナの家」(1963年)を読了しました。

◇◇◇

まず書き出しが、すばらしいです。

 もう、かれこれ半年はつづいているだろうか、モスクワから百八十四キロ離れた地点にさしかかると、どの列車も申し合わせたように速力をゆるめ、ちょうど手探りで歩くほどのスピードになる。乗客は窓ガラスに顔を押しつけたり、デッキに出てみたりする。線路の修理でもしているのだろうか。運行表からズレたのか。
 いいや。踏切を一つ通りすぎると、列車はふたたび速力を盛りかえし、乗客はほっとして座席に戻る。
 なぜこうなのか、そのわけを知り、かつ忘れないのは、機関手だけである。
 それから、わたしも。
(ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」小笠原豊樹訳、以下同)

ロシア文学史において、「マトリョーナの家」は農村派文学の古典と言われています。
スターリン死後のソビエト文学の中には、農村に保持されている古き良き価値に共感を寄せる一連の作品が現れるようになり、とくに1960年代後半以降この傾向は顕著なものとなって、「農村派」という呼び方が一般化しました。
農村を扱った文学の歴史は古く、カラムジーン、グリゴローヴィチ、トゥルゲーネフ、トルストイ、ブーニンなどによる古典的作品が多くあります。現代の農村派の特徴は、農村に寄せる作家の共感がある種の喪失感や郷愁の念とないまぜられている点です。

「マトリョーナの家」は、語り手であるイグナーチッチが、「古き良きロシア」タリノボ村にある、マトリョーナ・ワシーリエブナの家での下宿生活を回想する物語です。
誰もが農村を出て都会へ就職したがる時代に、イグナーチッチは「鉄道から離れた所」に就職し、そこで永住したいと考えています。「古き良きロシア」の農村は、彼の心に安らぎを与えるのです。
ここからも、ソルジェニーツィンが思想的には農村派に極めて近い所に位置していたことが分かります。

◇◇◇

ソルジェニーツィンのヒューマニズムの精神は、マトリョーナという人物像にぎゅっとつまっていると思います。

 きれいな服を欲しがらなかった。畸型や悪徳を美しく飾るためのきれいな服を。
 自分の夫にすら理解されず、棄てられたひと。六人の子供をつぎつぎと失ったが、善良そのもののような性格は決して失わなかったひと。妹や義理の姉たちとは、あまりにもかけはなれた生涯をすごしたひと。他人のために無料奉仕する、間の抜けた、愚かなひと。このひとは、死んだとき、何の貯えもなかった。薄汚れた山羊と、びっこの猫と、イチジクと......。
 わたしたちは、このひとのすぐそばで暮らしていながら、だれひとりとして、このひとが敬虔の人であることを知らなかった。諺に言う。敬虔の人がいなければ、村は成り立たない。
 町も。
 わたしたちの地球ぜんたいも。

彼女の素朴で、おだやかな、やさしい人柄は、「古き良きロシア」を象徴しているのでしょう。 読了日:2008年8月13日

2008/08/19

ソルジェニーツィン「クレチェトフカ駅の出来事」

ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 798
  • 発売日: 1987/06

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィンの「クレチェトフカ駅の出来事」を読了しました。

◇◇◇

大祖国戦争初期、ソビエト時代に育った正しく"成熟した純潔なソビエト青年"であるゾトフ中尉が、密告者に変貌する一瞬を切り取った短編です。

「いや、もう御心配なく、ゾトフさん」いろんな種類のボタンがついている汚れた上着の胸に、トベリチノフは片手の指を扇のようにひろげて押しあてた。「これだけで、もう充分に感謝しております」男の目つきも声つきも、もはや悲しそうではなかった。「おかげさまで体も心もあたたまりました。あなたは、いい方ですね。こういう苦しい時代には、たいへん貴重な体験です。で、教えていただきたいのですが、わたしはこれからどこを経由して、どう行ったらよろしいのですか」
「まずですね」と、ゾトフは満足そうに説明を始めた。「グリャージ駅まで行ってください。ああ、地図がないと説明に不便だな。わかりますか、グリャージがどの辺にあるか」
「いや、どうも、あまり........名前は聞いたことがあるようだけれども」
「そりゃ、あるでしょう、有名な駅だから! もしグリャージ到着が明るいうちでしたらこの証明書を持って―この駅を通られたことを、ここに添え書きしておきます―グリャージの司令部へ行ってください。司令官が配給所に紹介しますから、二日分の食糧が受け取れます」
「どうもいろいろお世話様です」
「もし到着が夜だったら、列車からおりずに、じっと乗っていてください! それこそ毛布がひとりでに運んでくれますよ! ......グリャージから、この列車はポボーリノへ行きます。ポボーリノにも配給所があるけれども、乗りおくれないように気をつけてくださいね! 列車はさらにアルチェーダまで行きます。アルチェーダで、あなたが乗り継ぐ列車は二四五四一三列車となっています」
ゾトフは遅延証明書をトベリチノフに手渡した。それを、上着の、ボタンのついているほうのポケットに収めてから、トベリチノフは訊ねた。
「アルチェーダ? それは聞いたことがありません。どの辺ですか」
「スターリングラードのちょっと手前ですよ」
「スターリングラードの手前」と、トベリチノフはうなずいた。だが、額に皺を寄せた。かすかに努力の色を見せて、訊き返した。「失礼ですが.......スターリングラードというと.......昔は何と呼ばれていましたか」
この瞬間、ゾトフの内部で何かが破裂し、ひんやりするものが胸をかすめた。こんなことがあり得るだろうか。ソビエトの人間が、スターリングラードを知らないのか。いや、こんなことは絶対にあり得ない! 絶対に! 絶対に! とうてい考えられない!
だが、ゾトフは辛うじて感情を隠した。なんとなく服装を直した。眼鏡にさわった。それから冷静な声で言った。
「昔はツァリツィンです」
(してみると、包囲脱出兵じゃないんだ。潜入したんだ! スパイだ! 白系のエミグラントかもしれない。だから、こんなに礼儀正しいんだ。)
ソルジェニーツィン「クレチェトフカ駅の出来事」(小笠原豊樹訳)

そしてゾトフは、「感じのいい喋り方」で「教養のある賢い男」と見なしていたトベリチノフを騙して勾留し、本部へ護送しました。しかし彼は、トベリチノフのことを一生涯、どうしても忘れることができませんでした。

◇◇◇

興味深いなぁと思ったのは、"非情な密告者"となったゾトフのメンタリティです。
彼の密告は、「良心の命じるままに」行われたものでした。
トベリチノフがほんとうに「変装した破壊活動分子」であったかどうかはゾトフには分かりません。しかし、最後に「こんなことは、あとで取り消すわけにはいかないのですよ!」と、トベリチノフが叫んだように、ゾトフの密告がトベリチノフの一生を無残に変えてしまったということは、ゾトフも気づいていたと思います。それゆえ、彼は「縞模様のワンピース姿の少女の写真」を大切に持っていたトベリチノフのことを、一生涯忘れることができなかったのでしょう。
"ソビエト青年"としてではなく、"人間"としての彼の良心が、一生涯消えない罪の意識を彼の心に刻みつけたのだと思います。 読了日:2008年8月13日

2008/08/07

ソルジェニーツィン ; 略歴メモ


略歴メモ
年代 出来事
1918年コーカサスのキスロヴォツスク市に生まれる。
ソルジェニーツィン家は革命前まで南ロシア有数の裕福な家庭で、当時ロシアに9台しかなかったロールスロイスを所有していた。
1936年18歳。ドン河畔ロストフ市の中学を卒業、ロストフ大学理学部数学科へ入学。
1941年23歳。ロストフ大学理学部数学科を卒業。6月、独ソ開戦となり、輜重部隊へ編入される。
1942年24歳。偵察砲兵中隊長に任ぜられる。以後、レニングラード、オリョール・クールスク湾曲部の有名な戦闘に参加。白ロシア、ポーランドを経てベルリン進攻作戦に参加。この間、戦功により、「祖国戦争」ニ等勲章および赤い星勲章を授与される。
1945年27歳。2月、砲兵大尉として東プロシャのケーニヒスベルグ近郊において逮捕される。理由は友人宛の書簡において匿名ながらスターリンを批判したため。
ただちに、モスクワのルビャンカ刑務所へ送られ、6月、欠席裁判により8年の刑を宣告され、矯正労働収容所で働く。
数学と物理の専門家として『煉獄のなかで』の舞台となっている「特別収容所」へ移される。
1950年32歳。北カザフスタンのエキパトゥーゼ市の政治犯収容所へ移され、そこにおいて石工および鋳工として働く。『イワン・デニーソヴィチの一日』に舞台となったところである。ここにおいてガンを患い、手術を受けたが根治にいたらなかった。
1953年35歳。2月、8年の刑期を1か月余分に勤めあげて釈放され、行政命令によりコシテレク(カザフスタン南部)へ「永久追放」に処せられた。ガンがふたたび悪化し、生死の間をさまよった末、タシケントの病院へ送られた。そこが『ガン病棟』、『右手』の舞台となった。
3月、スターリン死去。
1954年36歳。密かに執筆活動をはじめる。
1956年38歳。2月、第20回ソ連共産党大会においてスターリン批判が行われる。ようやく追放を解かれ、ロシア・ヨーロッパ地区へ戻る。ウラジーミル州にて『マトリョーナの家』で描かれているエピソードを体験する。
1957年39歳。正式に名誉回復される。リャザン市に移り、同市の中学校で数学・物理を教えながら創作活動に没頭する。
1962年44歳。「ノーヴィ・ミール」誌11号に『イワン・デニーソヴィチの一日』が発表され、世界的な話題となった。シーモノフはじめ文壇の大御所たちから讃辞を浴び、ただちにソ連作家同盟の会員に推された。戯曲『鹿とラーゲリの女』をモスクワの「現代人」劇場で上演する契約ができた。しかし、最終的な上演許可がおりず、上演されなかった。
1963年45歳。「ノーヴィ・ミール」誌1号に『クレチェトフカ駅の出来事』、『マトリョーナの家』の2編を同時に発表する。同誌7号に『公共のためには』を発表。『イワン・デニーソヴィチの一日』はレーニン賞候補として最終予選まで残る。
1965年47歳。イギリスの「エンカウンター」誌3号に『十五の断章』が発表される。『煉獄のなかで』の草稿が国家保安委員会によって没収されるという事件が起こる。
1968年48歳。「ノーヴィ・ミール」誌1号に『胴巻のザハール』を発表。『ガン病棟』の一部が完成、作家同盟モスクワ支部の推薦を受けたが、各文芸誌からその掲載を断られる。
1967年49歳。いわゆる「ソルジェニーツィン事件」がはじまる。
1968年50歳。『ガン病棟』は西欧で出版される。
1969年51歳。『煉獄のなかで』も西欧で出版される。短編『右手』、『復活祭の行列』も西欧で出版される。11月12日、ソ連作家同盟リャザン支部より除名される。
1970年52歳。10月、ノーベル文学賞がソルジェニーツィンに決定する。
1971年53歳。『一九一四年八月』をパリのYMCA社から出版。ソ連では完全に黙殺された。春、息子エルモライ生まれる。





2008/08/06

ソルジェニーツィンの死を悼む


8月3日夜(日本時間で4日朝)、アレクサンドル・ソルジェニーツィンが亡くなりました。
1918年生まれ、89歳でした。
ソルジェニーツィンという作家は、非常にシンボリックな存在でしたから、彼の死はほんとうに、ひとつの時代が終わったのだということを実感させます。

◇◇◇

亀山郁夫氏が、ソルジェニーツィンを追悼して寄稿していました。

敬虔なロシア正教徒であり、キリスト教的ヒューマニズムの視点から社会の「悪」を告発する作家精神は、同世代の誰よりも19世紀的であり、その意味ではレフ・トルストイやドストエフスキーの正統な後継者だったと言える。
社会主義の非人間性を糾弾し、検閲の廃止を訴えたソルジェニーツィンは、体制への批判と賛美を「二枚舌」で使い分けた多くの知識人と違い、ドン・キホーテのような直情さで権力に闘いを挑んだ。その最高傑作はソ連最大のタブーを克明に記録した『収容所群島』(73~76年刊)だ。
(亀山郁夫「ソルジェニーツィン氏を悼む」読売新聞2008年8月5日朝刊)

亀山氏が言うように、思想的には彼は、ロシア農村の古い宗教的美徳を称える保守派です。文学的にも、多くが19世紀の伝統的なリアリズムを負っており、モダニズムの精神からは遠い所に位置していました。
『収容所群島』や『赤い車輪』も、文学作品として成功しているかどうかについては意見が分かれるようです。


    主要作品 : 『イワン・デニーソヴィチの一日』、『マトリョーナの家』、『ガン病棟』、『煉獄のなかで』、『収容所群島』、『赤い車輪』、『仔牛が樫の木に角突いた』