2008/09/15

ソルジェニーツィン「煉獄のなかで」

煉獄のなかで 上巻
煉獄のなかで 上巻
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1972

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』(1968年)を読了しました。

◇◇◇

モスクワ近郊の「特別収容所」(シャラーシカ)を舞台に、1946年のクリスマスから数日間が描かれています。
シャラーシカは、囚人である科学者や技術者たちが、国家のために開発・研究を進める研究所です。ソルジェニーツィンによれば、「しゃばにいるどんな学者でもそこで働かせてもらうのを名誉と考えるにちがいないほど、水準の高いもの」でした。
「第一圏にて」という原題は、ダンテ『神曲』の地獄の第一圏の意味で、シャラーシカを比喩的に表したものです。シャラーシカから一般収容所に送られようとする囚人が、次のように表現しています。

あそこは地獄ではありません。あそこは地獄なんかではありません! われわれが送られようとしている所が地獄なのです。われわれがもどろうとしている所が地獄なのです。シャラーシカは地獄のなかでもっとも上にあるいい第一圏なのですよ、あそこは―ほとんど天国といってもいいくらいの所ですよ......
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』木村浩・松永縁彌訳、以下同)

『煉獄のなかで』は、『ガン病棟』(1968年)と同じく、非常にポリフォニックに書かれています。これが、ソルジェニーツィンの作風なのでしょうね。
囚人数学者のネルジン、ユダヤ人言語学者でありながら社会主義の熱心な擁護者であるルービン、農民出身である囚人雑役夫スピリドン、ネルジンの妻ナージャ、外交官ヴォロジン、シャラーシカで権力をふるうヤーコノフ技術大佐、ヤーコノフの上司でありスターリンその人とも接見するアバクーモフ大臣などなどたくさんの人物が登場します。
なかでもスターリンの描き方は、やはり印象深かったですね。

 その男の名は、世界中の新聞が述べたて、何千のアナウンサーが何百のことばでしゃべり、演説者が演説のはじめと終わりで叫び、ピオネールたちのかん高い声が歌いあげ、主教たちが祈祷の中で唱えていた。その男の名は、軍事捕虜たちの瀕死の唇に、囚人たちのはれ上がった歯茎にこびりついていた。その男の名をとって、都市、広場、通り、大通り、学校、病院、山脈、運河、工場、鉱山、国営農場、集団農場、軍艦、砕氷船、漁船、製靴協同組合、託児所などがぞくぞくと改名され、それでもまだ足りず、モスクワのジャーナリストの一グループはヴォルガや月まで改名することを提唱していた。
が、その男は、首の皮のたるんだ(これは肖像画にはかかれなかった)、トルコ・タバコの匂いが口にしみついた、本に跡を残す脂性の指をもった、小柄な老人にすぎなかった。

「すべての時代と民族のもっとも天才的な戦略家」でも「偉大なる指導者」でも「最良の友」でもない、弱々しく老いた、卑小な"人間"としてのスターリン像は、ソクーロフ監督の映画『太陽』における滑稽な小男としての昭和天皇を思い出しました。



読了日:2008年9月3日