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2011/01/12

トルストイ「幼年時代」

幼年時代 (岩波文庫)
幼年時代 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店


2010年はトルストイ没後100周年ということで、トルストイのデビュー作『幼年時代』(1852年)を読みました。
『幼年時代』は、10歳のニコライ(愛称 ニコーレニカ)少年を主人公に、前半は狩りを中心とする一日の出来事、後半は舞踏会を中心とする祖母の「名の日」の出来事を描いています。

前半と後半をつなぐのは、<母親>のテーマです。前半の最後では、生まれ育ったペトロフスコエ村からモスクワへ旅立つことによる母親との別れが描かれ、後半の最後には母親の死が描かれています。

小さな綿入れのガウンを着て、聖像の前に立ち、「主よ、パパとママを救いたまえ」と言ったとき、どれほどすばらしい気持ちをあじわったことか! はじめてのとき、愛する母のあとについて、おさない私の口がたどたどしくとなえたお祈りを、こうしてくりかえすと、母への愛と神への愛が、なにか奇妙に一つの感情にとけあうのだった。
(トルストイ『幼年時代』藤沼 貴訳、以下同)

幼年時代に人が持っている清らかさと、無心と、愛の欲求と、信仰の力は、いつの日かよみがえるのだろうか? この上もなくすばらしい二つの美徳―無邪気な快活さと無限の愛の欲求―だけが人生の原動力だった時にまさる時期があるのだろうか?

『幼年時代』の前半では、ニコーレニカは「無邪気な快活さと無限の愛の欲求」を持っていました。
「無限の愛の欲求」とは、母親や神を無心に愛する気持ちのことで、両者は一体であったため、「愛の欲求」は「信仰の力」と同じでした。

◇◇◇

モスクワでの一日を描いた後半では、ニコーレニカは母と神に対する「無限の愛」とは別の愛を知るようになります。
かれが私の心に呼びさました、はげしい愛着の気もちのほかに、かれがそばにいると、私はそれに劣らずはげしい、もう一つの感情をあじわった、それは、かれを悲しますまい、なにかで気を悪くさせまい、きらわれまいという恐怖だった...(中略)...私たちはお互いに、愛情のことなどひとことも話さなかった。しかし、かれは自分が私にたいして権力を持っていることを感じていて、私の子どもらしい関係の中で、その権力を、無意識だが、暴君のように行使するのだった。

ニコーレニカは、親戚のセリョージャ少年に強く憧れ、「愛情」と同じ程度の「恐怖」を感じます。
セリョージャは、貧しい外国人のイーレニカ少年をいじめて遊びますが、ニコーレニカはイーレニカに対して同情の心を持たず、「軽蔑すべき存在」とさえ感じていました。ニコーレニカの心の変化は、セリョージャへの愛情と、彼と同じような「威勢のいい男を気どりたいという願い」のためでした。

しかしその夜、ニコーレニカは舞踏会で一緒にカドリールを踊った少女、ソーネチカに恋をします。

イーピン兄弟と別れをつげるとき、私はとてもざっくばらんに、いくらかつめたいぐらいに、セリョージャとことばをかわし、握手をした。かれはきょうから自分が私の愛を失い、私にたいする自分の権力を失ったことをさとったら、まったく平気なふりをしようとつとめたにしても、きっと、残念に思ったに違いない。
私は生まれてはじめて愛の裏切りをし、はじめてその愛情の甘美さをあじわった。私は手あかのついたなれきった愛を、神秘と未知にあふれた新鮮な愛の感情にとりかえるのがうれしかった。

故郷の村を出て、母から離れたことで、ニコーレニカは幼年時代から新しい時代へと移りはじめました。
「大人のまねをしたいという奇妙な願い」のために、無邪気さや多感さを捨て、慎重さや冷淡さ、軽蔑することや自尊心、残酷なふるまいを身につけます。
そして、「神秘と未知」の喜びはあるけれど、同じ程度に「恐怖」であり、「心がわり」もする不安定な愛を知り、「こまやかな子どもらしい愛情の清純な喜び」を失っていくのです。

◇◇◇

母親は、死を目前にして夫と子供たちに手紙を書きます。

私はあなたたちといっしょにはいなくなります。でも、私の愛はけっしてあなたたちを離れないだろうと、かたく信じています、そして、この考えが私の心をとても喜ばせてくれるので、私は静かに、恐れることもなく、死が近づくのを待ち受けています。

子供たちへ向けた母親の愛情は、見返りを求めない「無限の愛」、神の愛にも似たものでした。
幼年時代に、ニコーレニカが「清らかさと、無心と、愛の欲求と、信仰の力」を持ち、母親や神に「無邪気な快活さと無限の愛の欲求」を向けることができたのは、母親のより大きな愛に満たされていたからだと思います。
そのため、母親の死とともに、ニコーレニカの幼年時代は終わったのでしょう。

ママの死と同時に、私にとって、しあわせな幼年時代が終り、新しい時代 ― 少年時代がはじまった。


読了日:2010年12月4日

2008/07/24

トルストイ「復活」(下巻)

復活〈下〉 (新潮文庫)
復活〈下〉 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 660
  • 発売日: 2004/12

★トルストイ「復活」(上巻)

トルスイ『復活』、下巻を読了しました。

『復活』は、"「淪落の女」を救い出す"恋物語の系譜だと思います。
しかし、刑務所とそこで生きる囚人たちを徹底して写実し、裁判制度や貴族の土地所有制度など、犯罪を生む貧困の構造をつくっている社会体制に、批判の眼差しを向けているのは、他の"「淪落の女」を救い出す"恋物語にはない試みです。

今回、メロドラマの背景にあるトルストイ主義を、色濃く感じました。
すごく、「転回」後のトルストイらしい作品です。


"「淪落の女」を救い出す"というテーマは、19世紀のロシア文学の流行でした。
男性が自己を犠牲にして女性に尽くすことは、当時の知識人の間では、理想の恋とされていたようです。

売春婦に恋をして、彼女を奈落から救い出そうと献身的に尽くす男性の愛は、ほんどんどが報われずに、拒絶されてしまうんですよね。
そういう意味では、悲恋物語です。
ペテルブルグのような20万都市に、3~4万人もの売春婦がいたという悲惨な現実を、やっぱり反映していたのでしょう。


読了日:下巻 2008年7月22日

2008/07/15

トルストイ「復活」(上巻)

復活 (上巻) (新潮文庫)
復活 (上巻) (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 660
  • 発売日: 2004/10

トルストイ『復活』(1889-99年)、上巻を読了しました。
新潮文庫の木村浩訳です。

『戦争と平和』を読んだあとに、最後の長編である『復活』を再読すると、
トルストイの、作家としての成熟がよく分かる気がします。
上巻は、トルストイお得意の生き生きとした貴族社会の描写が、ほとんどありません。刑務所の劣悪すぎる環境と、悲惨で滑稽で、それでいて愛おしい女囚たちの生が、描かれています。

◇◇◇

トルストイの人間観察眼の鋭さに、今回あらためて気づかされたので、引用します。

 ふつう世間では、泥棒とか、人殺しとか、スパイとか、売春婦などというものは、自分の職業をよくないものと認めて、それを恥じているにちがいない、と考えがちである。ところが実際はまったくその逆なのである。世間の人びとはその運命なり、自分の罪悪や、過失なりによって、ある特定の立場に置かれると、たとえそれがいかに間違ったものであろうとも、自分の立場が立派な尊敬すべきものに見えるように、人生ぜんたいに対する見方を、自分に都合よく作り上げてしまうものなのである。そのような見方を維持するために、人びとは自分の作り上げた人生観なり、人生における自分の位置なりを認めてくれるような仲間たちに本能的にすがりつくのである。われわれにしても、その腕のよさを鼻にかける泥棒とか、淫蕩を自慢する売春婦とか、残忍ぶりを誇る人殺しなどについては、驚きあきれざるをえない。しかし、われわれがあきれるのは、これらの人びとの仲間や雰囲気があまりにも限定されたものであり、われわれ自身がその外に置かれているためである。しかし、自分の富すなわち略奪を誇る金持ちとか、自分の勝利すなわち殺人行為を誇る軍司令官とか、自分の権力すなわち圧政を誇る権力者などの間にも、やはりこれと同じ現象が生まれているのではないだろうか? われわれはこれらの人びとの中に、自分の立場を正当化するために、人生観や善悪の観念の歪曲を見出さないのは、そのような歪曲された観念をもつ人びとがはるかに多数をしめ、しかもわれわれ自身がそれに属しているからにすぎないのである。
(トルストイ『復活 上』木村浩訳、新潮文庫)


自己肯定できるような人生観や人間観を作り上げて、それによって自己肯定する犯罪者たちのメンタリティに、まず驚かされました。
そして、このようなメンタリティが、金持ちや軍司令官や権力者といった社会の多数派の人びとにも当てはまり、さらに悪いことに彼らが多数派であため、彼らの人生観や人間観が、主流(正統)なものとされるという指摘には、ほんとうに学ばされました。


トルストイは、情景描写や人物描写がすばらしく上手い作家です。貴族も農民も兵卒も仕官も役人も、囚人たちでさえ、いま息をしているかのようなリアルさがあります。
でも、トルストイの描写力のもっともすばらしいところは、目に見える表層部分だけでなく、人間の内面の奥深いところ、その精神的特徴までつかみとって、活写しているところなのだと、今回あらためて思いました。


読了日:上巻 2008年7月14日

★トルストイ「復活」(下巻)

2008/07/06

トルストイ「戦争と平和」(4)

戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)
戦争と平和〈4〉 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 820
  • 発売日: 2006/02

★トルストイ「戦争と平和」(1)
★トルストイ「戦争と平和」(2)
★トルストイ「戦争と平和」(3)

ついに『戦争と平和』全4巻読了しました。
わたしのいまの感動を、音楽であらわすと、ヘンデルの「祭司ザドク」です。ぴったりです。
というわけで、Zadok the Priestを聴きながら書きましょう。

◇◇◇

4巻は、トルストイの歴史観が雄弁に語られます。
3巻から、少しずつ彼の独創的な歴史解釈が語られているので、引用してみます。

カルル九世によってその命令をあたえられた聖バーソロミュー祭の夜が、彼の意志によって起こったことではなく、それをおこなうことを命令したように彼に錯覚されたにすぎないのだという想定、ボロジノの八万人の殺戮がナポレオンの意志によって起こったものではなく(彼が会戦の開始と進行について命令をあたえた、という事実にもかかわらず)、それを命じたように彼に錯覚されたにすぎないのだという想定、これらの想定が一見していかに奇異に思われようとも、われわれの一人一人が偉大なナポレオンより、人間として以上でないまでも、けっして以下ではない、とわたしに語りかける人間の価値というものが、この解答を認めることを命じるし、歴史上の研究がいくらでもこの想定を裏づけてくれるのである。
(トルストイ『戦争と平和 3』工藤精一郎訳、新潮文庫)

4巻からも、同様のテーゼを引用します。

人類の運動の目的としていずれかの抽象概念を措定したうえで、これらの歴史家たちは、皇帝、大臣、司令官、作家、改革者、法王、ジャーナリストなど、もっとも多くの足跡をのこした人々を、―それらの人々が、彼らの観点から、所定の抽象概念に協力または妨害した度合いに応じて、―研究するのである。しかし、人類の目的が、自由、平等、啓蒙、あるいは文明にあったことが、何によっても証明されていないし、大衆と支配者や人類の啓蒙家との関係が、大衆の意志の総和は常にわれわれの目にたつ人々に移されるものだという恣意的な仮定を基にしているだけなので、住んでいる土地をはなれたり、家を焼いたり、農業を捨てたり、殺しあったりしている数百万の人々の活動が、家も焼かないし、農業も営まないし、自分と同じような人々を殺しもしない、一にぎりの人々の活動の記述に表現されることは、ぜったいにないのである。
(トルストイ『戦争と平和 4』工藤精一郎訳、新潮文庫)

彼の歴史観は、独創的なのかもしれないのですけれど、『戦争と平和』がその思想に基づいて書かれているので、読者としては、読みすすめているうちにその歴史観が自然と身につくというか、上記のように作者があらためて語りを入れなくとも、実感によって理解できます。

最下層の兵卒たちの、なんと生き生きと描かれていることでしょう!
トルストイの歴史観が、ちっとも奇異に感じられません。
そこが、トルストイのすごいところだなぁと思います。


読了日:第4巻 2008年7月6日

2008/06/29

トルストイ「戦争と平和」(3)

戦争と平和 (3) (新潮文庫)
戦争と平和 (3) (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 900
  • 発売日: 2005/12

★トルストイ「戦争と平和」(1)
★トルストイ「戦争と平和」(2)

トルストイ『戦争と平和』第3巻を読了しました。
今回は、読むのに少し時間がかかりました。
というのも、あの「ボロジノの戦い」(1812年)が、3巻の中心だからです。
1巻からうっすらそんな気がしていたのですけれど、わたしは戦争の描写が苦手なのだ、ということが今回はっきりしました。

◇◇◇

印象に残った場面をいくつか紹介します。
まずは病がようやく癒え、礼拝で祈祷するナターシャの心情吐露。

『神さま、この身を御意にまかせます』と彼女は考えた。『何も欲しません、何も望みません。お教えください、何をしたらよろしいのでしょう、自分の意思をどのように用いたらよろしいのでしょう! 神さま、あたしをささげます、あたしをお受けください!』とナターシャは心にみちてくる感動をおさえきれずに、こうつぶやくと、十字も切らずに、いまにも目に見えぬ力が自分を抱きとり、自分の身から、自分の哀惜や、願望や、非難や、希望や、過失から、解放してくれるのを待つかのように、ほっそりとした両腕を垂れたまま立っていた。
(トルストイ『戦争と平和 3』工藤精一郎訳、新潮文庫)

ナターシャという女性は不思議な(複雑な)キャラクターです。
少女から成熟した女性への移り変わりが描かれているので、とても魅力的なのですけれど、手放しで好きになれない(共感できない)気がします。
無邪気さと残酷さ(エゴイズム)が、違和感なく同居しているところ。そこが魅力であり、共感できないところかもしれません。
1巻からずっと思っていたのですけれど、ナターシャは『カラマーゾフの兄弟』のリーザと、似た匂いを感じます。

したがって、ナターシャがアンドレイ公爵との婚約を破棄し、アナトーリ・クラーギンと駆け落ちしようとしたエピソードは、とても彼女らしいと思いました。
もちろん驚いたのですけれど、予想の範囲内というか。いかにも、彼女が選びそうな行為と言いますか。
この人格設定は、ほんとうに秀逸だと思います。

◇◇◇

つづいて、ニコライ・ボルコンスキイ老公爵の死をめぐる、とてもとても感動的な場面。

「いつも考えていた! おまえのことを...考えていた」とつづいて彼は、これでわかってもらえると自身がついたらしく、いままでよりもずっとはっきりと、わかるように言った。公爵令嬢マリヤは嗚咽と涙をかくそうとして、老父の手に額を押しあてた。
老公爵は左手で彼女の髪をなでた。
「一晩じゅうおまえを呼んでいたんだよ...」と彼は言った。
「それがわかってたら...」と彼女は涙声で言った。「はいったら悪いと思いまして」
老公爵は娘の手をにぎりしめた。
「眠らなかったのか?」
「ええ、眠りませんでした」と頭を横に振って、公爵令嬢マリヤは言った。思わず父のまねをして、彼女は、父と同じように、むしろしぐさで話すようにつとめて、自分まで舌を動かすのがやっとのような思いになっていた。
「嬢や...それとも...おまえ...かな」公爵令嬢マリヤは聞き分けることができなかった、しかし、その目の表情から推して、これまで口にしたことのないような、やさしい愛撫の言葉が言われたことは、まちがっていなかった。「どうしてきてくれなかったのだね?」
『それなのにわたしは、このお父さまの死を、死を望んでいたなんて!』と公爵令嬢マリヤは思った。老公爵はしばらく黙っていた。
「ありがとうよ...娘や、やさしい...何もかも、よくしてくれたな...ゆるしてくれな...ありがとう...ゆるしてくれな...ありがとうよ!...」涙が老公爵の目から流れおちた。
(中略)
公爵令嬢マリヤはテラスに足をとめた。空は晴れわたって、陽光がまぶしく、暑かった。彼女は父に対するはげしい愛のほかには、何かを理解することも、何を考えることも、何を感じることもできなかった。彼女はこの愛をこれまで自分でも知らなかったような気がした。彼女は庭へ走り出た、そしてアンドレイ公爵が植えた若い菩提樹の並木道を池のほうへ駆けおりていった。
「それなのに...わたしは...お父さまの死を望んでいたなんて! そうだわ、早くおしまいになるように、わたしは望んでいたんだわ...心の安らぎを得ようとして...でも、わたしはどうなるのかしら? お父さまがいなくなったら、わたしの安らぎなんて何のために!」公爵令嬢マリヤは小走りに庭の中を歩きまわり、間歇的に慟哭を吹き上げてくる胸を両手でおさえつけながら、声に出してつぶやいた。
(トルストイ『戦争と平和 3』工藤精一郎訳、新潮文庫)

もぅ、何も言うことがないです。感動です。涙です。
ナターシャとの比較で言えば、公爵令嬢マリヤはすごく誠実で素朴な性格だと思います。
そのため、共感しやすいし、応援したくなります。

◇◇◇

主要登場人物のなかで、女性にこだわって書くとしたら、あと、はずせないのがエレンでしょう。
彼女も、すごいキャラクターだなぁと思います。
エレンと比較すれば、『カラマーゾフの兄弟』のグルーシェニカなんかは、ずっと誠実な気がしました。
エレンはある意味で、最強なことはまちがいないと思います。
今後、彼女の思惑が外れて、社交界から干されたりすることはあるのかなぁ...?

これから4巻を読みたいと思います。いよいよ最終巻ですので、楽しみです。


読了日:第3巻 2008年6月28日

★トルストイ「戦争と平和」(4)

2008/06/07

トルストイ「戦争と平和」(2)

戦争と平和 (2) (新潮文庫)
戦争と平和 (2) (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • スタジオ: 新潮社
  • 価格: ¥ 860
  • 発売日: 2005/12

★トルストイ「戦争と平和」(1)

トルストイ「戦争と平和」第2巻を読了しました。
面白すぎます。
第2巻は、主要登場人物のさまざまな人生の節目が繊細に描かれています。

最も印象的だったのは、従軍して死んだと思われいたアンドレイ公爵が、生きて帰ってきたと同時に、長男を出産して妻リーザが亡くなるエピソードです。

アンドレイ公爵戦死の知らせに、悲嘆する父ニコライ公爵と妹マリヤ。
二人は出産が間近に迫ったアンドレイ公爵の若妻リーザに、無事出産が終わるまで夫の死を隠していることにしました。
そして三月の吹雪の夜、リーザのお産が始まります。

「おや、嬢ちゃま、本通りをだれかの馬車が来るよ!」と窓枠をつかんで、そのまま閉めずに、乳母が言った。「角燈で照らしながら。きっと医者だね…」
「ああ、神さま! よかったわ!」と公爵令嬢マリヤは言った。「迎えにでなくちゃ、先生はロシア語をご存じないから」
 公爵令嬢マリヤはショールで肩をつつんで、迎えに駆け出していった。ロビーを通ってゆくとき、玄関先に一台の箱馬車がとまり、いくつかの角燈が動いているのが、窓から見えた。彼女は玄関の階段の上に出た。欄干の柱の上に脂蝋燭が立てられて、炎が風にゆられていた。召使のフィリップが、もう一本の蝋燭を手に持って、びっくりした顔をして、下のほうの階段の踊り場に立っていた。そのもっと下の、階段の曲り角のかげに、防寒長靴らしい重い足音が聞こえた。そして聞きおぼえのあるような、マリヤはそんな気がしたのだが、声が何か言った。
「それはよかった!」とその声が言った。「で、お父さまは?」
 つづいてまた声が何やら言って、デミヤンが何やら答えた、そして防寒長靴の足音がこちらからは見とおせぬ階段の曲り角へ、しだいに早さをましながら近づいてきた。
『あれはアンドレイだわ!』と公爵令嬢マリヤは思った。『いや、そんなはずはない、それではあんまり偶然すぎるもの』と彼女は考えた、そして思ったと同時に、召使が持って立っていた踊り場に、毛皮外套の襟に雪をつけたアンドレイ公爵の顔と姿があらわれた。たしかに、それは彼だった。しかし蒼白く、やつれて、すっかり面変わりしたその顔には、異様に柔和だが、しかし不安そうな表情があった。彼は階段をのぼりきると、妹を抱きしめた。
「ぼくの手紙がとどかなかったのか?」と彼はきいた、そして、返事を待たずに(もっとも、マリヤは口をきくことができなかったから、返事を聞けるはずはなかったのだが)、引返すと、彼のあとから玄関へはいってきた医者といっしょに(アンドレイ公爵は最後の駅で医者といっしょになったのだった)、急いでまた階段をのぼって、また改めて妹を抱きしめた。
「これが運命というものか!」と彼は言った。
(トルストイ『戦争と平和 2』工藤精一郎訳、新潮文庫)


アンドレイ公爵の劇的な帰還、そして同夜、妻リーザは息子の出産と引き換えに命を落とします。
この一連の流れに、すごく痺れました。
いつもは厳格な老公爵が、戦死したと思っていた愛息の無事を知り、「何も言わずに、しわだらけのかたい両手で万力のように息子の首を抱きしめ、子供のようにおいおい泣き出した」というのにも、じぃんとなりました。


読了日:第2巻 2008年6月7日

★トルストイ「戦争と平和」(3)
★トルストイ「戦争と平和」(4)

2008/05/08

トルストイ「戦争と平和」(1)

戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)
戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 820
  • 発売日: 2005/08

トルストイ『戦争と平和』(1864-69年)を読んでいます。
新潮文庫の工藤精一郎訳です。
全4巻のうち、やっと1巻を読了したところです。

ロシアの歴史や文化をいろいろ勉強してきたので、そろそろ楽しめるかなぁと思って、手に取りました。
大長編の看板に気圧されて、どきどきしながら読み始めたのですが、なぁーんだ、と安心。
読みなれたいつものトルストイでした。
まぁ、あたりまえですよね。急に難解になるはずないですよね。

わたしはたぶん、社交界の噂話だけで第1部を費やしちゃうようなトルストイが、大好きです。

◇◇◇

気になった箇所を引用します。

将軍も兵士も一人一人が、自分がこの人海の中の一粒の砂であることを意識しながら、自分が無にも等しい存在であることを感じていた、そしてそれと同時に、自分がこの巨大な全体の一部であることを意識して、自分の力を感じていた。
(トルストイ『戦争と平和 1』工藤精一郎訳、新潮文庫)

オーストリア軍とロシア軍の閲兵式におけるとても美しい描写です。
両皇帝が総勢8万の同盟軍します。
ぴかぴかにみがきあげられ、飾り立てられた部隊に、毛並みが光沢を放つほどつやつやに手入れされた馬。

軍隊という大きな全体の中の、「個」の複雑なメンタリティに驚きました。
単純に「個」が全体に埋没しているわけではない、というところに。


読了日:第1巻 2008年5月24日

★トルストイ「戦争と平和」(2)
★トルストイ「戦争と平和」(3)
★トルストイ「戦争と平和」(4)

2008/04/20

トルストイ「クロイツェル・ソナタ」

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)
イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)
  • 発売元: 光文社
  • 価格: ¥ 660
  • 発売日: 2006/10/12

『イワン・イリイチの死』に引き続き、『クロイツェル・ソナタ』(1889年)を読みました。
古典新訳文庫の望月哲男訳です。

妻を殺した男の思想は、フェミニズム思想史の視点から見ると、なかなか面白いです。
リベラル・フェミニズムの限界を批判し、「私」的領域での不平等の問題を扱っていると言う点では、ケイト・ミレットらラディカル・フェミニズムの立場にとても近いような気がします。
「私」での不平等を是正するためにためには、「男性の女性観が変わり、女性自身の女性観が変わることしかない」という帰結は、その通りなのですが、そのための方法が"禁欲"になるのが、トルストイらしいと言うか、ラディカル・フェミニズムの主流の議論と大きく異なるところです。

時代の制約でしょうか。キリスト教の影響でしょうか。
でも、同じキリスト教を思想的バックボーンにしている、メアリー・デイリーらポスト・キリスト教フェミニズムの立場や、フェミニスト神学の立場とも一致しないので、やはり時代の制約かもしれません。
時代の制約があったとはいえ、

ではひとつ、あの軽蔑の的となっている不幸な女性たちと最上流の社交界の貴婦人たちを見比べてみてください。衣装も同じ、ファッションも同じ、香水も同じ、腕、肩、胸のむき出し方も同じなら、ヒップを強調するぴっちりしたスカートも同じ、宝石や高価な光物への情熱も同じ、気晴らしもダンスも音楽も歌も同じではないですか。一方がありとあらゆる手段で男を誘惑しようとしているとすれば、他方も同じことをしているのです。何の違いもありません。もし厳密に定義するならば、こう言うしかないでしょう―短期型の売春婦は通例軽蔑され、長期型の売春婦は尊敬される、と。

という一文を見ると、現代でも論争が続いている「性の商品化」問題の本質を見事に捉えていて、なかなか鋭いなぁと思います。



読了日:2008年4月13日

2008/04/13

トルストイ「イワン・イリイチの死」

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)
イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫)
  • 発売元: 光文社
  • 価格: ¥ 660
  • 発売日: 2006/10/12

トルストイ『イワン・イリイチの死』(1886年)を読みました。
古典新訳文庫の望月哲男訳です。

とても良いです。
感動した、とかそういう言葉では感想を正しく表現できないのですが、このテーマで書きうる最高レベルに到達していると思いました。
終章は、すぐにはよく意味が分からなくて、でも強烈な印象で、何度も何度も繰り返し読みました。

「なんと良いことだろう、そしてなんと簡単なことだろう」彼は思った。「だが痛みは?」彼は自問した。「痛みはどこへいった? おい痛みよ、おまえはどこにいる?」
 彼は耳をすました。
「ほら、ここだぞ。かまうな、痛みなど放っておけ」
「では、死は? 死はどこだ?」
 彼は自分がかねてからなじんできた死の恐怖を探してみたが、見出せなかった。死とは何だ?恐怖はまったくなかった。死がなかったからだ。
 死の代わりにひとつの光があった。

すばらしいですね。
トルストイ、すごいなぁ。


読了日:2008年4月13日