2008/07/05

「ベニスに死す」(ルキーノ・ヴィスコンティ監督)

ベニスに死す [DVD]
ベニスに死す [DVD]
  • 発売元: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • レーベル: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2010/04/21

ルキーノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」(1971年、原題 Morte a Venezia)を観ました。
トーマス・マンの同名小説が原作、1976年に死去したヴィスコンティ監督の晩年の名作です。

夏のヴェネツィアへ、転地療養に訪れた作曲家アシェンバッハは、ホテルのサロンで、完璧な美を具現する少年タジオに出会い、一目で心を奪われます。
初老の作曲家が美少年に恋いこがれ、苦悩しながらも、まるで、すいよせられるように「死」へと導かれていく姿が描かれています。


この映画には不吉な「死」の影が、全編にわたってちりばめられています。
ヴェネツィアに到着したばかりの船の中で、アシェンバッハに話しかける、化粧をした醜悪な老人。
彼はタジオとの出会いを予告するかのように、「あなたの可愛い方によろしく」と言います。
あるいはホテルのテラスで演奏する、化粧をした辻音楽師。彼は、わざとアシェンバッハに見せつけるように、彼の前で歌います。それは、「死」の告知を暗示しているのではないでしょうか。
辻音楽師が、一度ホテルの支配人に追い出されても、もう一度戻って演奏する演出は、抗うことが困難な「死」の強さを、意味していると思います。
理髪師が施したアシェンバッハの若返りの化粧も、彼自身は若返って、タジオに愛の告白ができると喜んでいますが、死化粧そのものであり、彼の運命をを「死」へと加速させます。


ヴェネツィアの街も、しだいに「死」の影を色濃くしていきます。
ホテルの優雅なサロンや、バカンスを楽しむ浜辺の情景とは対照的に、もう一つの醜悪な姿が浮き彫りになります。
駅では浮浪者が伝染病で突然たおれ、広場には消毒液の鼻につく異臭、アシェンバッハが通りかかると、物乞いの黒衣の老女が、膝に顔を埋めたまま手を差し出します。
街じゅうの人々が伝染病の蔓延を知りながら、観光客が減ることをおそれて、それをひた隠しにしているのです。
やがて路地のあちこちでは病人の物が焼かれてるようになり、街は薄汚れて荒涼としていきます。
その醜悪な情景こそ、「海の女王」と称えられたヴェネツィアの、退廃し、疲弊した真実の姿かもしれません。
アシェンバッハの老いと共に、滅びゆく都ヴェネツィアも、避けがたい「死」の運命にあるというメッセージでしょうか。

◇◇◇

そして、浜辺でタジオを見つめながら、恍惚としてアシェンバッハは死んでいきます。
その死は、化粧の白粉が汗で溶け、白髪染めが黒い筋となって流れ落ち、冷酷なほど醜悪に描かれています。

わたしは、彼の「死」が耽美的だとは思いません。
煙と煤にまみれて病んだヴェネツィアが、どうしようもなく醜悪なように、ヴィスコンティ監督は、滅びゆくものの美しさを、はっきりと否定しているのだと思います。
アシェンバッハの死の場面は、美しく描こうと思えばいくらでも美しくできたでしょうに、それをしなかったのは、監督に美しく描く意志がそもそも無かったからでは、と思うのです。

ただ、その醜悪さにすら、ヴィスコンティ監督は愛おしさを含んだ眼差しを向けているため、わたしたち観る側に、彼の死を「美しいもの」と錯覚させるのかもしれません。
全編を流れるマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調 第4楽章アダージェットの、甘く哀しい旋律が、醜悪な滅びゆくものへの、アンビヴァレントな愛着心を、いっそうかきたてますね。


鑑賞日:2008年4月29日