2008/07/10

関口和男「環境問題・哲学・科学-環境の哲学の可能性を探る序論その2」を読む


関口和男氏の「環境問題・哲学・科学-環境の哲学(Environmental Philosophy)の可能性を探る序論その2-」(法政大学人間環境学会、2002年)を読みました。構成は以下の通りです。

はじめに
1.環境問題・哲学・科学とは何か?
2.環境問題と哲学
3.環境問題と科学
4.哲学と科学
おわりに

関口氏は第2章において、アルネ・ネスのディープ・エコロジー論とピーター・シンガーの実践の倫理について論じていますが、ここではディープ・エコロジー論についてのみ書きます。

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関口氏は、「ここにおいては、彼の思想の内実を詳細に検討するのではなく、むしろ1973年の論文でのテーゼから、1984年のセッションズとの共同構想を経て翌年(1985年)デュヴァル・セッションズの共著『ディープエコロジー』の中へ明確に仕上げられたテーゼ("platform")への移行がなぜ起こったのか、その理由を中心してディープエコロジーの哲学的な性格を考えてみたい。」と問題提起し、フレア・マシューズの見解を引用して理由づけしています。

関口氏がディープ・エコロジーについて論じるのに参照しているのは、"A Companion to Environmental Philosophy"(edited by Dale Jamieson,2001)に収録されている、フレア・マシューズが執筆した"Deep ecology"です。関口氏が論じている、アルネ・ネスの1973年論文でのテーゼから、1984-85年のplatformへの移行がなぜ起こったのか、という問題提起は、フレア・マシューズが"Deep ecology"の中ですでに詳しく論じています。したがって、関口氏の論文は、フレア・マシューズのディープ・エコロジー論の影響を強く受けていると言えます。
ちなみに、マシューズの"Deep ecology"は、ディープ・エコロジーについての良いまとめになっていると思います。

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関口氏は、ネスの自己実現論を、トマス・ヒル・グリーンの哲学を利用しながら論じ、「グリーンの思想のうちで共通善の概念が果たす役割を、ネスのエコソフィーでは何が果たしているのであろうか。たしかに、ネスは「自己の外への熱愛("fallin in love outward")」なる言葉を使うが、この神秘的、よく言って情緒的観念をもって、抽象概念とすることに、ネスのエコソフィーの哲学的営為としての限界が垣間見られるのである。」と、結論づけています。

この部分に、すごく違和感を覚えました。ネスの著作中で、「自己の外への熱愛("fallin in love outward")」という表現を見た記憶がなかったからです。本当にネスがそう表現しているとすれば、たしかに関口氏が言うように、ネスのエコソフィーは哲学ではなく「賢者の箴言」でしょう。でも、この箇所には注釈が付けられていなかったので、引用元がはっきりしませんでした。本当にネスの発言かどうか気になったので、"Companion"をみてみますと、フレア・マシューズは以下のように表現しています。
Although Naess is careful not to equate self-realization with happiness,in any personal sense thereof,he promises that the joy and meaningfulness of life are increased through increasing self-realization.The conditions under which the self is widened are,he says,experienced as positive and basically joyful;such expansion is akin to "falling in love outward".
(Mathews,Freya."Deep ecology",in Dale Jamieson(ed.),A Companion to Environmental Philosophy,Massachusetts:Blackwell Publishers,2001,pp.218-232.)

関口氏は、おそらくこの箇所から上述の見解を導出しているのでしょう。
しかし、マシューズが言っているのは、<ネスの言う自己実現は、いわゆる "falling in love outward"の状態だよ>ということです。このことから、 "falling in love outward"は、ディープ・エコロジストが自然との一体化を説明する際にしばしば利用する一種の慣用表現で、ネスが直接言っているわけではないのでは?と思いました。

そこで、 "falling in love outward"で調べてみたところ、デヴァルの論文に行き当たりました。
1995年のTrumpeter(ディープ・エコロジーに関する専門誌)に掲載された"Greening our Lifestyles:The Demise Of The Ecology Movement?"です。

The ecosophical poet Robinson Jeffers suggested that,in the post-exuberant era,we learn to "falling in love outward",with the great beingness of life.Lovers who fall in love outward do not "harvest" their love of a forest, a seashore,or nature.
(Devall,Bill."Greening our Lifestyles:The Demise Of The Ecology Movement?",in Trumpeter,Vol 12,No 3,1995)

というわけで、 "falling in love outward"という言葉はロビンソン・ジェファーズが用いた表現だったのですね。
詩人であるロビンソン・ジェファーズであれば、「自己の外への熱愛」という情緒的な表現も理解できます。
また、ロビンソン・ジェファーズの"falling in love outward"という表現は、ジョアンナ・メイシーの『世界は恋人 世界はわたし』と通じる部分があると思います。

1973年に、アルネ・ネスが初めて提唱したディープ・エコロジー論は、多くの人々の共感を呼びました。現在では、アルネ・ネスの思想からインスピレーションを受けて、数多くの詩人や活動家たちが、実際にディープ・エコロジー運動を展開しています。
関口氏の論文を読んで、ディープ・エコロジーについて論じるとき、アルネ・ネス自身が執筆したアルネ・ネス哲学と、アルネ・ネスに共感する思想家・哲学者たちの議論、さらに実際の活動家たちの行動は、厳密に分けて考える必要があると思いました。