- 闇の奥 (岩波文庫)
- 発売元: 岩波書店
- 発売日: 1958/1/25
コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness,1902)を読了しました。
『闇の奥』は、彼が河蒸気船の船長として、1890年6月12日から12月4日まで、ベルギー領コンゴに滞在した体験に基づいて書かれている、自伝的小説です。
コンラッドが所属していた「奥コンゴ貿易会社」は、奥地開発を名目として、象牙採集で原住民たちを搾取する会社であったことは、作品にある通りです。
彼が初めて目にしたアフリカ奥地の真実は、船乗りコンラッドを殺して、植民地事業の実体を告発する作家としてのコンラッドを生みました。
コンゴ最奥地の密林でマーロウ、すなわち作者コンラッドが見た「闇の奥」(Heart of Darkness)とは何だったのでしょうか?
1.植民地事業という「闇」
マーロウにとって、はじめ「闇の奥」は、文明の光がさしていない、暗黒大陸アフリカの奥地を意味していました。
彼は、そのアフリカ大陸を蛇にたとえます。そして蛇に魅入られた小鳥のように、アフリカ行きを望むのです。
とぐろを解いた大蛇にも似て、頭は深く海に入り、胴体は遠く広大な大陸に曲線を描いて横たわっている。そして尻尾は遥かに奥地の底に姿を消しているのだ。とある商店の飾窓に、その地図を見た瞬間から、ちょうどあの蛇に魅入られた小鳥のように、―そうだ、愚かな小鳥だ、僕の心は完全に魅せられてしまった。
(コンラッド『闇の奥』中野好夫訳、以下同)
しかし、アフリカに到着して、マーロウの抱いていた夢は、急速に悪夢の色を帯びはじめます。
まるで過熱した墓穴を思わせるような、沈黙と土臭のする大気、侵入者を拒もうという大自然の意志のように、危険な渚の涯しなくつづく索漠たる海岸、生きながら死相を湛えた大気の流れ、―それらの到るところで、死と貿易との陽気な舞踏がつづけられているのだった。
そして、マーロウが河口の出張所で目にするものは、原住民を酷使する非能率な白人たちの姿でした。
鉄道敷設の工事をやっているらしいトロッコは、まるで「動物の死骸」のように横たわり、レールは錆びついて放り出されています。
痩せ衰えた6人の黒人が首に鉄の枷をはめられ、よろめきながら歩いています。木陰を歩くと、「病苦と飢餓との黒い影」すなわち瀕死の黒人たちが雑然と転がっています。
森は、彼らの「死を待つところ」だったのです。
マーロウは、「まるで暗澹たる地獄にでも飛び込んだような気がした」と語ります。
マーロウは黒人たちを、単なる搾取の対象と見なしてはいなかったのでしょう。
鉄枷をはめられた黒人たちを目撃して、彼は「この人間どもを、どう考えてみても、敵だとは言えまい。」と感じます。
マーロウは、白人によって、「海岸のあらゆる僻陬から連れて来られ、不健康な環境、慣れない食物に蝕まれ、やがて病に仆れて働けなく」なるまで酷使される黒人の惨状、すなわち植民地化の実体を目の当たりにするのです。
植民地事業の理念とは、商業を活発化し、産業を起こし、進歩をもたらし、蛮族を教化するという大義です。
しかし、果たして本当に白人たちは、そのような文明化の使命に燃えてアフリカへ向かったのでしょうか。
「もちろん金儲けのためさ。どう、いけないかい?」と、マーロウと中央出張所への旅路をともにした白人は、いかにも侮蔑するように答えます。
中央出張所の白人たちは、まるで象牙に向かって祈ってでもいるかのような「破戒無慙の巡礼」であり、「その祈りの中には、あたかもあの死屍から発する腐臭にも似た、愚かな貪婪の臭い」がただよっていました。
マーロウは、あらゆる白人たちが押し込み強盗のように、理想も持たず、貪欲さに支配されていることを知るのです。
このように、植民地事業は、原住民を教化する大儀の下で、実は象牙という物質的利益を得ようとする事業でした。
「闇の奥」という言葉は、前述の通り、アフリカ出発前はマーロウにとってアフリカの奥地を意味していました。
しかしアフリカに到着し、植民地事業の理念と現実との大きな隔たりを目撃した時、「闇」は、植民地事業そのものを意味するようになったと思います。
この言葉は、政治的な広がりを持ちはじめたと言えるでしょう。
2.「闇の奥」-クルツを変貌させた「闇」
マーロウは、病気のクルツを収容するため、河蒸気船に乗って最奥地の出張所へ旅立ちます。すなわち、「闇の入り口」から「闇の奥」への旅を始めるのです。
マーロウは、「地上には植物の氾濫があり、巨木がそれらの王者であった原始の世界へと帰って行く思い」であると語り、奥地へ向かう自分たちを「先史時代の地球、そうだ、まだ未知の遊星という相貌を残していた地球上の放浪者」であると見なしています。
河蒸気船が一歩一歩、深く奥地へ進むにつれて、マーロウの言葉には原始性を暗示させるものがしだいに表れ始めます。
そして、何百万の樹々に囲まれ、「人間の卑小さ」をひしひしと感じるのです。
そうした意識の芽生えはマーロウに、飢えに苛まれながら汗して働く黒人たちと、文明開化の炉火を掲げてやってきた白人たちとが、同じ人間であることを強く認識させます。
彼等は唸り、跳ねり、旋廻し、そして凄まじい形相をする。―だが、僕等のもっとも慄然となるのは―僕らと同様―彼らもまた人間だということ、そして僕自身と、あの狂暴な叫びとの間には、遥かながらもはっきりと血縁があるということを考えた時だった。
「闇の奥」を訪れたマーロウが目撃したのは、文明の使者から原住民たちの神へと変貌した、クルツの姿でした。クルツは、彼自身が「蛮習抑制国際協会」のための報告書に記しているように、
僕等白人が、現在到達している文明の高さから考えて、「彼等(蛮人)の眼に超自然的存在として映るのはやむをえない、―吾々はあたかも神の如き力をもって彼等に接するのである」(同上)
文明の力によって湖沼地帯の原住民部族を打ち従え、彼等に崇められる支配者となったのです。本来のクルツは、「非常に非凡な人物」でした。
彼は、文明社会のあらゆる美徳を身につけており、文明化の理想に燃えて、コンゴ奥地の貿易支部を熱心に志願したのでした。なぜ教養ある文明人である彼が、原住民を支配する神、すなわち象牙略奪の悪魔として、その地方一体を荒らしまわったのでしょうか。
わたしは、クルツが全身を浸していた西欧文化こそが、彼の変貌の根底にあると考えます。
原住民たちを支配し、神として野蛮の権化と化したクルツは、それを可能にする原住民たちへの憎悪と、常に同居していたと言えます。
前述の報告書の最後に付け加えた、「よろしく彼等野獣を根絶せよ!」という言葉から明らかです。
これは、決して彼の性格に起因するものではありません。
彼が受けてきた教育の成果なのです。
西欧の文明化をもたらした啓蒙思想は、理性と教養ある市民のみを人間とみなすものと言えます。
それゆえ、人間の枠に入れられることがなかった二級市民としての貧困層や女性、そして何より植民地の原住民たちへの搾取を正当化しました。
わたしは、こうした差別の思想がクルツの原住民に対する憎悪を増長させ、彼の支配と抑圧を思想的に正当化したと思います。
すなわち、クルツが象牙への際限のない欲望に身を委ね、自分に逆らった原住民たちの首を柱の先にのせて並べる悪魔と化したのは、人間を人間と見なさない差別の思想が根本にあったと言えるのではないでしょうか。
植民地事業が「闇の入り口」であるとするならば、闇の奥へ深く入っていったマーロウが発見した「闇の奥」は、文明化の思想の根底にある、深刻な差別意識だったと言えるでしょう。
3.おわりに
クルツと同じ旅路を辿ったマーロウは、しだいに黒人たちを支配の対象としてではなく、同じ人間として親近感すら抱くようになります。
彼は、クルツのような多くの白人にとっては「サハラ砂漠の砂一粒ほどの値もない」黒人の舵手の死を悼み、非常な悲しみを感じるのです。
あの彼が傷を負った時、じっと僕の顔を見た底知れぬ親愛に満ちた表情は、―いわば人生至上の瞬間に突如として確認される遥かな肉親の繋がりのように―いまなお僕の記憶にはっきり残っている。
この点において、クルツとマーロウは大きく異なると言えます。
原始の闇に包まれ、孤独と恐怖にさいなまれた二人は、全く異なる人間観を抱くに至りました。理性と教養を兼ね備えたクルツではなく、
根っからの船乗りであるマーロウが、植民地事業に対する疑問や、黒人に対する愛着を、直観的に見出すのです。
これは、きわめて暗示的です。
コンラッドは、『闇の奥』を通して、文明開化を唱えながら物質的利益獲得のためには、原住民を搾取する植民地主義を批判しているだけではありません。
たとえクルツのような、文明社会の理想に対するひたむきな姿勢があったとしても、搾取と抑圧の構造をもたらすことを指摘していると思います。
言い換えれば、文明開化の理念そのものを、告発しているのです。
そして、理性と教養の限界性を告発し、人間性の回復を図る担い手となるのが、「生ける人間」としての労働者であることを、暗示しているのではないでしょうか。
読了日:2007年2月18日