2008/11/04

ソルジェニーツィン「収容所群島」

収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察
収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察
  • 発売元: ブッキング
  • 価格: ¥ 3,675
  • 発売日: 2006/08/03

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『収容所群島―1918-1956 文学的考察』(1973~1975年)を読了しました。
『収容所群島』は、全6巻です。トルストイの『戦争と平和』を上回る大長編でした。

痛くて痛くて、何度も読めなくなりました。
ほんとうに、絶望が行動の原動力となるのだということを、つよく感じました。

私はそこで過ごした十一年間を恥だとも呪わしい悪夢だとも思わず、かえって自分の血とし肉とした。いや、それどころか、私はあの醜い世界をほとんど愛さんばかりであった。
(木村浩訳、第1巻、序文)

◇◇◇

本書は、ソルジェニーツィン自身が「自分の目と耳を働かせ、自分の皮膚と記憶に焼きつけて《群島》から持ち出したもの」と、「総計二二七人に及ぶ人びとに物語や回想や手紙」をもとに織られた"収容所群島の歴史"です。この長大なタペストリーには、《群島》そのものの物語とその機構のからくり、《群島》の住人たちの物語、その住人の一人であったソルジェニーツィン自身の物語という三つの絵が巧みに織りこまれています。

本書におけるソルジェニーツィンは、まさに"真実の歴史"の語り部であると言えます。したがって、『イワン・デニーソヴィチの一日』や『ガン病棟』、『煉獄のなかで』のような文学作品とは大きく形式が異なります。ソルジェニーツィンの"語り"が、「氷層に閉ざされた」《群島》の氷を融かし、「まだ生きている肉」としてわたしたちに訴えかけています。

その"語り口"は、ソルジェニーツィン独特の反語を駆使した苦いユーモアです。革命後のソビエト体制、イデオロギーに対して激しく揶揄嘲弄し、完膚なきまでの批判を加えています。ときに挑戦的な攻撃調があり、脱獄囚たちの痛快な冒険譚があり、イワン・デニーソヴィチのような民話風の"語り"がありと、縦横に使い分けながら、重い事実を積み重ねていきます。
そして、ソルジェニーツィン自身の収容所におけるキリスト教への回心-信仰を受け入れ、内なる力にめざめていく過程-が、祈りにも似た静かなことばで告白されるのです。発刊当初から、本書がダンテの『神曲』と比較されてきたことは、そのためではないでしょうか。
ゆえに本書は、激しい"憤りの書"であるとともに、"祈りの書"でもあると思いました。

◇◇◇

印象に残った箇所をいくつか引用しておきます。

靴の泥を落とさなかったことがどうだというのか? 姑がどうだというのか? 人生で一番大事なこと、人生のすべての謎を、お望みなら私がさっそくあなた方にぶちまけてさしあげようか? はかないものを-財産や地位を追い求めてはいけない。そうしたものは何十年も神経をすりへらしてやっと手に入るものだが、一夜で没収されてしまうのだ。生活に超然とした態度で生きなさい。不幸におびえてはいけない。幸福を思いこがれてはいけない。結局のところ、辛いことは一生涯続くものではないし、一から十までいいことずくめということもないからだ。凍えることがないならば、飢えと渇きに苦しめられることがないならば、それでよしとするのだ。背骨が折れておらず、両脚が動き、両腕が曲がり、両目が見え、両耳が聞こえるならば、いったい誰を羨むことがあろう? 何のために? 他人に対する羨望は何よりも私たち自身をさいなむものだ。目をさまして、心をきれいにしなさい。そしてあなたを愛してくれる人びとを、あなたに好意を寄せてくれる人びとを、何よりも大切にすることだ。そういう人びとを立腹させてはいけない。罵ってはいけない。そういう人たちの誰とも喧嘩別れをしてはならない。ひょっとすると、それが逮捕される前のあなたの最後の行為となるかもしれないのだ! あなたはそのままその人たちの記憶にとどまるかもしれないからだ!(第2巻、pp.563)

われわれの足もとから石がくずれ落ちる。下へ、過去へむかって。それは過去の亡骸なのだ。
われわれは昇っていくのだ。(第4巻、pp.598)

われわれはもう何年も全ソ連邦の徒刑地でひどい労働をしている。そしてわれわれはゆっくりと年輪を重ねるように、人生理解の高みにのぼっていくのだ。その高みからは手に取るようにわかる-重要なのは結果ではないことが! いや、結果ではなくて、その精神なのだ! 何をしたかではなく、いかにしたかなのだ。何が達成されたかではなくて、どんな犠牲を払ってやったかなのである。
われわれ囚人の場合も、もし結果が重要ならば、どんな犠牲を払っても、生き残ること-という真理も正しいのだ。ということは-密告者になり、仲間を裏切ることであり、その報酬として良い場所を与えられ、ひょっとしたら、期限前の釈放も許されることである。《絶対に誤りのない教義》からすれば、ここはいかなる欠点もないだろう。もしそうならば、われわれに有利な結果となる。そして、重要なのは-その結果なのである。
誰も反対しないだろうが、結果を得ることは気持のいいことだ。しかし、人間らしさを犠牲にしてまでではないのである。
もし結果が重要なら、一般作業を避けるために、持っている力や能力を総動員しなければならない。頭をさげ、機嫌をとり、卑劣な行為までして、特権囚の地位を維持しなければならない。そして、そのことによって生き残るのである。
もし本質が重要なら、もはや一般作業を受け入れなければならない。ぼろぼろの衣服にも、むける手の皮にも、少量で粗末な食べ物にも、耐えなければならない。いや、ひょっとすると、死ななければならないのかもしれない。だが、生きている間は腰痛に耐えて、誇りをもって振舞わなければならない。そんなとき、つまり、あなたが脅しも恐れなくなり、報酬を追求しなくなったとき、あなたは主人たちのフクロウの目に最も危険な人物として映るのである。なぜなら、あなたを攻める方法がなくなってしまったからである。(第4巻、pp.600-601)

では、どうして本当に信心深い人びとは収容所でも堕落せずにいられるのだろうか(彼らのことはすでに一度ならずふれている)? われわれはこの本のいたるところで彼らが《群島》のなかで自身に満ちた足取りをしていることにすでに気づいてきた-それはまさに目に見えないろうそくを手にして黙々と進む十字架行列の人びとみたいだ。機関銃で射たれたように、行列のなかの人が倒れると、次の人がすぐその場所に立って、また歩きつづけるのである。これこそ二〇世紀には見られない不屈の精神ではないか! しかも、それは絵のように目立たず、日常的なのである。たとえば、それはどこかその辺のドゥーシャ・チミーリおばさんである。丸顔の落ちついた、まったく読み書きのできない老婆である。(第4巻、pp.614)

彼らには有利な条件があるのだろうか? そんなことはない! 《修道女たち》は常に売春婦はあばずれ女どもと一緒に懲罰独立収容地点にしか収容されていなかったことが知られている。それなのに、信者たちのなかで堕落した者がいるだろうか? 死んでいった者はいるが、堕落した者はいないのではないか?
また、一部の動揺していた人びとがほかならぬ収容所のなかで信仰を受け入れ、それによって強くなり、堕落せずに生き残ったという例はどう説明すべきだろうか?
さらにまた、多くの人びとは、バラバラになっていて目立たないけれども自分の定められた転機を体験して、その選択を決して間違わないのである。それは自分だけが辛いのではない。自分の隣にもっと辛い、もっとひどい状態におかれている人びとがいるのだ、ということに気づいた人たちなのである。(第4巻、pp.615)



読了日:第1巻 2008年9月27日 / 第2巻 10月5日 / 第3巻 10月11日 / 第4巻 10月17日 / 第5巻 10月22日 / 第6巻 10月30日

2008/11/01

ソルジェニーツィン「風にゆらぐ燈火」

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

ソルジェニーツィン『風にゆらぐ燈火-汝の内なる光-』(1969年)を読みました。
ソルジェニーツィン追悼月間です。

◇◇◇

『風にゆらぐ燈火』は、1960年の"ラーゲリの外"を描いた戯曲です。
"ラーゲリの内"を描いた『鹿とラーゲリの女』とは、対をなす設定と言えます。
主人公アレックスは、刑事犯として10年の刑期のうち9年をつとめあげ、あと1年というところで殺人の真犯人がみつかり、釈放された元徒刑囚です。釈放後5年を経て、叔父のマヴリーキー宅を訪ねる場面から劇がはじまります。

本作では、都市に暮らすソビエト市民の「健康で人生を楽しんでいる」生活が描かれています。
音楽学校の教授である70歳のマヴリーキーは、「月刊食通」を購読し、自ら料理を楽しみ、「食事は人生の快楽」と断言します。
彼の自宅にはガス・レンジ、電気冷蔵庫、レコード棚があり、ステレオからはベートーヴェンのピアノ・コンチェルト二番の歓喜にあふれるロンドが流れています。
19歳の息子ジュームは父親に水上スキーをねだり、40歳の妻チーリヤは315馬力「バーガンディ・スプラッシュ」色のカブリオレ・スーパー88が持ちたくてしょうがありません。
彼女は、国際評論誌「アルゴル」の編集所で働くジャーナリストです。彼女によれば、「国内の方はわが国では万事オーケーだから、書くことがない」ため、「海外諸国の経済上の欠陥、その社会的病患の展望」を扱っており、「平和のために、力の均衡がわたしたちの側にいつも有利になるように闘っている」のです。

マヴリーキー  失われた年月というやつだな!
アレックス    いや、失われたというわけではありません。これはむずかしい問題です。もしかすると、かえって、必要な年月だったかも知れません。
マヴリーキー  どうしてまた「必要」だなんて? するとなんだね、お前の考えでは、人間には投獄は欠かせない、ということになるのかね? 監獄だなんで、こいつあみんな世の中から消え失せちまうがいいんだ!
アレックス    (溜息をつく)いや、そんなに手軽にはいかないのですよ。ぼくは、監獄よ、汝に祝福あれ、ということだってあります。
ソルジェニーツィン『風にゆらぐ燈火』(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

このように言うアレックスは、釈放後そのままカレドニアに5年留まり、「九年じゃ足りなかったので、残って考え足し」ていました。一方、アレックスと小、中学校、大学、戦地でも一緒だった三十年来の親友であるフィリップは、同じ罪でラーゲリ生活を送りながらも、アレックスとは正反対の立場をとります。フィリップは、ラーゲリのことを周囲に隠し、「なかったこと」にしました。

アレックス    おれにはわからないな。おれは監獄にいたことを恥と思ってない。たいへんためになったし...
フィリップ    ためになった? よく君はそんなことがいえるな。ここのこの修理工用の大ばさみで、命の一片-やわらかい神経、赤い血、若い肉、をきりとられたようなもんじゃないか。おれたちは石切り場で猫車を押したり、鉱山で銅の粉を吸いこんだりしていたのに、奴らはここの砂浜でぬくぬくと白い肌のからだを伸ばしておれたんだ。アル、逆だよ、とりもどすんだ、モーレツにとりもどすんだ! (拳を振りまわす)人生から二倍でも三倍でもふんだくってやるんだ! それがおれたちの権利というもんだ!

釈放後、フィリップは、アレックスがカレドニアに留まっていた5年の間に学位論文を提出し、大学附属の生物サイバネチックス研究所の創設に奮闘し、研究所所長として実績をあげ、「もりもり上に昇っている」のです。あと二、三か月もすると博士になり、教授になる計算です。マヴリーキー宅の隣にあるフィリップの自宅には、ピアノ、ステレオ、電話のある大きな客間、テレビのある小さな客間があり、休日にはジュームがうらやむ水上スキーを楽しんでいます。

他方アレックスは、都市には「有害なのと無益なのとそれから鼻もちならんほどつまらないのと、あるだけ」であると実感し、「何ももたないから、何も失う心配がない」生活を選ぶのです。

◇◇◇

ラーゲリの"内と外"に対する、この二つの異なった受け取り方は、「苦しみ」をどのように位置づけるかに対応しています。それはすなわち、「幸福」をどのように定義するかということでもあります。
フィリップの研究所に実習生としてアフリカからきているカビンバと、アレックスは次のような対話をします。

カビンバ     ...みんな金持ちで、苦労がない。あの人たちには、ほかの人たちがなんで生きているのかわかることはない! わたしはあの人たちにくっついた自分を憎んでいます! あの人たちをみんな憎んでいます!
アレックス    カビンバ君! そう、ぼくもあの人たちからすっかり遅れてしまった。監獄のせいでね。だからといって、どうする? 彼らを押しのけるか? 彼らの鼻っぱしをなぐりつけるか? カビンバ君! 憎悪、憤懣というやつはなんのたしにもならない。地上で最もむなしい感情なんだ。高みに立って理解しないといけない-君とぼくは幾世紀か何十年かを喪くした、ぼくたちは侮辱され、おとしめられたけど、復讐するというわけにはいかないのだ。それに、その必要もない。いずれにしても、われわれの方が彼らよりも豊かなのだ。
カビンバ      (憤然と)われわれが? 何が豊かなのですか? 何が?
アレックス     非常に苦しんできたことさ、カビンバ君。苦しみは魂の成長の核心だ。満ち足りた者は常に心の貧しき者だ。だからそっとゆっくり築いていこうじゃないか。

「苦しみは魂の成長の核心」であるという確信が、アレックスに「監獄よ、汝に祝福あれ」と言わせるのでしょう。わたしはアレックスの、「人生の充実感は善い原因からも悪い原因からも起こり得る。学者の人生も充実していれば、病気の猫をたくさん治療してやってる孤独な老婆の人生も充実している。」という言葉が、すごく好きです。

◇◇◇

本作の「汝の内なる光」という副題は、新約聖書のルカによる福音書第11章33節~36節からきていると思います。"病気の猫をたくさん治療してやってる孤独な老婆"であるフリスチーナおばさんが、マヴリーキーの死に際してローソクのともし火のなかで、「誰も燈火をともして、穴蔵の中または升の下におく者なし。すべての者の光を見んために、燈台の上に置くなり/この故に汝の内の光、闇にはあらぬか、省みよ」と読み上げる言葉に、本作の副題が織りこまれています。

ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。
ルカによる福音書第11章33節~36節(新共同訳)

表題である「風にゆらぐ燈火」とは、内なるともし火-アレックスの言う「内面的道徳律」-が、「幸福者の船」である「バーガンディ・スプラッシュ」に乗り、水上スキーで遊び、「もりもり上昇」することを求める"風"にゆらぎ、今にもかき消されそうになっている現代の状況を意味しているのだと思います。わたしのなかのともし火は、濁っているでしょうか、明るいでしょうか...。



読了日:2008年9月17日

2008/10/06

「デルス・ウザーラ」(黒澤明監督)


黒澤明監督「デルス・ウザーラ」(1975年、原題 Дерсу Узала)を観ました。
モスクワ国際映画祭金賞、そしてアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞しています。

原作は、ウラディーミル・アルセーニエフ『デルス・ウザーラ』(1921年)で、著者アルセーニエフ(1872年-1930年)が、20世紀初頭にロシア極東地域を調査した探検記です。
1930年にモスクワで出版され有名になり、日本には1941年に紹介されました。


黒澤監督は、助監督時代に『デルス・ウザーラ』を読み、一度は、舞台を開拓時代の北海道に移して映画化しようと試みましたが、どうしても大自然のスケールの点から、日本の話に置き換えるのは無理があり、放棄されていたテーマでした。
ソ連では、黒澤監督の評価が非常に高く、黒澤監督に、ソ連で映画を作ってもらいたいという提案はソ連側からなされました。
当時、自殺未遂事件で再起を危ぶまれていた黒澤監督は、若い頃からの夢だった『デルス・ウザーラ』で、復活を遂げたのです。

ハリウッド進出の失敗から、黒澤監督は覚え書き「私の監督方針大要」を書き、演出や撮影方法を的確に伝えました。
黒澤監督に強い敬意を払っていたソ連側は、彼に全面的な協力を惜しまず、黒澤の芸術上、創作上の意見を100パーセント尊重したそうです。

◇◇◇

1889年、ウラジオストクへ赴任してきたウラディーミル・クラヴジェヴィチ・アルセーニエフは、その地で義勇兵部隊の隊長を拝命し、沿海州地方の地理学的、戦略的研究のための探検を開始します。
1906年にウスリー地方の本格的調査に着手した直後、野営中に出会ったナーナイ族の老人が、デルス・ウザーラでした。
ナーナイ族は、ツングース系の少数民族で、アムール川流域に居住しています。
作品中では、ナーナイの旧称であるゴリドが使われていました。

デルス・ウザーラは、家族をすべて天然痘で失い、一人で密林で猟をして暮らしていました。
アルセーニエフは、森に詳しいデルスに探検行のガイド役を頼みます。
河の氾濫、猛吹雪、猛虎の出現などが一行をまちうけますが、その度ごとに、タイガで身につけたデルスの驚くべき洞察力と知恵によって切り抜けます。

しかし64歳の黒澤監督は、力強い漁師としてのデルスのすばらしさに焦点を合わせるのではなく、迫りくる老いと死の恐怖におびえ、生の輝きが衰えたデルスに眼差しを向けています。
アルセーニエフの回想という形式をとったことによって、彼のデルスへの深い共感と厚い哀惜の気持ちが、全編を満たしています。
「小さな人間」の前では、シベリアの大自然は、あまりにも美しく残酷です。

◇◇◇

文法がめちゃくちゃな、単語だけのロシア語を話すデルスの姿が、ユーモラスに描かれています。
デルス役は、トゥヴァ族出身のマキシム・ムンズクが演じています。
トゥヴァ族は、ナーナイ族と同じロシアの北方少数民族で、エニセイ川源流域に居住しています。
「デルス・ウザーラ」は、北方少数民族の自然観や、自然観と密接に結びついたシャーマニズム信仰を分かりやすく描いた、貴重な作品だと思います。
デルスは、火も水も生きている「人」として扱い、話しかけます。
彼にとっては、太陽が「一番えらい人」であり、月が「二番目にえらい人」なのです。


アルセーニエフが、デルスと共に探検を行った1906年は、日露戦争が終結した翌年にあたります。
19世紀、ロシアのシベリア進出が行われましたが、シベリアのさらに東の沿海州は、1858年に清との条約で、清とロシアとの共有地とされていました。
1850年にロシア領となり、1882年には、沿海州南端のウラジオストクがロシア太平洋艦隊の基地に、そして1901年には、シベリア鉄道が開通。
さらに1903年には、シベリアのハバロフスクとウラジオストクを結ぶウスリー鉄道が完成して、帝政ロシアの極東への進出が本格化します。
翌1904年、これをアジアにおける脅威とみる日本との間に日露戦争が起こり、ロシア海軍の軍港であるウラジオストクは日本海軍の封鎖作戦を受けます。
すなわちアルセーニエフは、帝政末期の動揺の時代に生きたロシアの軍人でした。



鑑賞日:2008年7月14日

2008/10/04

「チェブラーシカ」(ロマン・カチャーノフ監督)

チェブラーシカ [DVD]
チェブラーシカ [DVD]
  • 発売元: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
  • 発売日: 2008/11/21

ロマン・カチャーノフ監督「チェブラーシカ」(1969年-1983年、原題 Чебурашка)を観ました。
チェブラーシカとワニのゲーナは、ロシア・アニメでもっとも人気のあるキャラクターのひとつです。
今年、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー提供作品として、再び劇場公開されることになりました。

チェブラーシカ・シリーズは、「ワニのゲーナ」(1969年)、「チェブラーシカ」(1971年)、「シャポクリャーク」(1974年)、「チェブラーシカ学校へ行く」(1983年)の全4話です。
もともと大好きな作品でしたので、たくさんの人に知ってもらえる機会ができて、うれしいです。

原作は、エドゥアルド・ウスペンスキーの童話です。
ロシアで出版されている絵本では、画家によってさまざまな絵柄がありますが、通常知られているチェブラーシカのイメージは、カチャーノフ監督のもとで美術監督を務めたレオニード・シュワルツマンのものでしょう。
日本でもキャラクター・グッズが販売されていますね。

◇◇◇

「シャポクリャーク」(1974年)の中で、工場廃水によって川の水が汚染されていることにゲーナが気づき、工場長に直接会いに行って抗議をするという場面が描かれています。
現代のわたしたちにとっては珍しくもない描写ですが、当時の状況を考えますと、実はとてもすごいことだと思います。

"母なるヴォルガ"は、スターリンが30年代に川沿いに産業コンビナート、ダム、運河をつくりはじめてから、自然破壊の限りを尽くされてきました。
かつてはいくらでもとれたチョウザメ(ロシア人の大好物であるキャビアのとれる魚)も、ほとんど姿を消したと言われています。
産業排水、特にアストラハンの巨大な化学コンビナートからの廃水が魚を殺し、ダムが上流の産卵場への道筋を断ち切ったためです。
1989年のはじめに、ヴォルガを守るための委員会がモスクワで設立され、農村派作家グループの指導者的存在であったワシリー・ベロフが委員長を務めました。
彼らは、ダム湖をなくし、汚染を減らし、チョウザメをよみがえらせることを求めました。

しかしこのような視点は、70年代後半における公式路線からはかけ離れていました。
当時は、『ソ連における自然破壊』という批判的な小冊子を書いたソ連政府の職員が、原稿をこっそり西ドイツに持ち出さなければならない時代だったのです。
そのため、70年代前半に子供向けアニメのなかで、環境汚染に対する批判が描かれていることに、今回あたらめて驚かされました。


チェルノブイリ原発事故をはじめ、アラル海の死、カザフスタンの原発からの有毒ガス放出、ポーランドやチェコスロヴァキア、東ドイツの深刻な大気汚染など、同様の恐ろしい環境破壊の事実は多くあります。
アニメでは、抗議を無視して廃水を垂れ流しにする工場を、ゲーナがその個性を活かしてこらしめますが、実際に80年代には東欧各国で、環境保護団体が抗議活動を行いました。
ハンガリーにおけるドナウ川のダム建設反対運動は、80年代半ばの東欧の歴史の流れを変え、スターリン体制の崩壊に道を開くうえで、決定的な役割を果たしたと言われています。
ブルガリアでは89年にエコグラースノスチが結成され、大気汚染や黒海の汚染に反対して大衆集会を開いて1000人以上を集め、9000を越える請願署名を獲得しました。
このためメンバーの40人以上が当局によって逮捕され、暴行を受けました。
東ドイツでは、80年代の後半にアルヒェ環境ネットワークなどのグループが慢性的なスモッグに対してキャンペーンを行いました。
スモッグがもっとも深刻だったビターフェルトとライプツィヒが抗議活動の中心となり、のちにドイツ統一の呼びかけもここからはじまりました。

東欧の人々が生活してこざるを得なかった劣悪な環境に対する反発が、80年代の東欧の"反乱"に火をつける役割を果たし、その後の政治的変動を引き起こした引き金のひとつとなったのでした。



鑑賞日;2008年6月25日

2008/09/28

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』に登場する囚人、ロジオン・ニェーモフに注目してみましょう。

表題である「オレーニ」(鹿)は、ロシア人にとっては従順で臆病なトナカイのイメージであり、本書では「ラーゲリの掟」を知らない「お人好し」の囚人のことを意味しています。最近まで戦線にいた元将校ニェーモフは、まさに「オレーニ」です。彼のやさしさや正義感、道徳心がラーゲリにおける生活をより残酷なものにしていきいます。

ラーゲリ所長のオフチューホフは、作業主任に任命したニェーモフに次のように言います。

オフチューホフ それで、新しく来た奴らからいい品物をまきあげたか?
ニェーモフ おっしゃることがわかりません。
オフチューホフ ジャンパーだとか、皮外套だとか、絹のスカートだとか...自分でねこばばしておくつもりか?
ニェーモフ 失礼ですが、どうして、なんのために他人の品物をわたしがとったりしなければならないんですか?
オフチューホフ バカだな、生きるためだ! 「今日はお前死ね、おれはあしたにする」-これがラーゲリの掟だということを知らんのか?
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

「ラーゲリの精神」を実践することができないニェーモフは、謀略によってたやすく作業主任の立場を追われ、危険な一般作業に就くことになります。そして死の労働に従事しながらも、次のように言うのです。

ニェーモフ あのね、ぼくは、その、ときどき考えるんだけど...ぼくたちがもっているいちばん大事なものは結局命じゃないんじゃないかって気がする。
リューバ (じっと目を据えて)それじゃ、なんなの?......
ニェーモフ ラーゲリでこんなこと言うのはなんだか具合がわるいが...でも...良心...じゃないかって気がする。

◇◇◇

ソルジェニーツィンは『収容所群島』において、ニェーモフのような「オレーニ」がどのような道を辿るのか述べています。

すでに刑期の大部分を終えたこの収容所住人の表情には、残酷で毅然としたものが目立っていた(それが《収容所群島》の住人たちの民族的な特徴であるということを、私は当時まだ知らなかった。おだやかな、優しい表情をもつ人びとはたちまち《群島》で死んでいく)。彼は私たちがもがく様子を、まるで生後二週間の仔犬でも眺めるように、皮肉な笑いを浮かべて見ているのだった。
ソルジェニーツィン『収容所群島 2』(木村浩訳、以下同)

ニェーモフは、ソルジェニーツィンがブトゥイルキ監獄の第75監房で同室であった年若いブブノフのように、「その性格の純粋さと真っ正直さのために」、おそらくラーゲリで死ぬにちがいないのです。

彼のような人間はあそこでは生きられないのだ。



読了日:2008年9月17日

2008/09/27

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(1969年)を読了しました。

◇◇◇

1945年秋の、ラーゲリにおける数日間を描いた戯曲です。ソルジェニーツィンは、本作ではじめて女性の囚人たちの生活に光を当てています。
朝、まもなく日が出ようというところ、道路には囚人作業場へ出勤する列。汚れたぼろぼろの綿入れ胴着を着た男女の囚人たちでいっぱいです。その最後列には数人、小ぎれいな格好をした、作業現場でらくな仕事をしている囚人たちがいます。その中の「カッコイイ」服装のジーナは、作業現場のタイピストで、営繕係のラーゲリ妻です。女囚たちは、ジーナを次のように話しています。

―ジーンカったら、にくたらしい、新しいスカートはいているわ。
―マルーシカのスカートよ。マルーシカが転属させられるときに営繕係が脱がせたんだわ。
―営繕係とくっつけば殿様暮らしってわけね!(歌う)
あたしゃ、班長さんの情人(いろ)だった、
営繕係のご機嫌とった、
作業手配係と寝たことあるの、
だからあたしはスタハーノフカ。
―これで終わり。パン、片づけちまった。
―最低量なんか片づけるのがあたりまえさ。班長をみろ、自分と自分の女には一キロとってる!...
(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

彼女たちが揶揄するように、ジーナはラーゲリ生活において非常に優遇されており、楽な暮らしをしています。このように、権力のある囚人(作業主任、医師、営繕係、会計係など)や自由人の職員(主席技師、現場監督など)や警備関係の軍人(ラーゲリ所長、看守の軍曹など)と親密な関係を持ち、自分の立場を守る女囚は「シャラショーフカ」(=あばずれ→ラーゲリ女)と呼ばれています。したがって、表題である「オレーニ・イ・シャラショーフカ」(鹿とラーゲリ女)の「ラーゲリ女」とは、ジーナのような女囚を意味しているのです。
ソルジェニーツィンは、「シャラショーフカ―ラーゲリ女。尻軽で、別に強いられたわけでもないのにいろごとをやらかす者」と註をつけています。

◇◇◇

『鹿とラーゲリの女』では、男性の囚人もいくつかに分類できることがわかります。①権力を持った幹部、②軍人や幹部に賄賂を送り、一般作業に従事しない構内勤務員、③「ブラトノイ」と呼ばれる刑事犯、④一般作業に従事する一般の囚人の4種類です。①と②の囚人たちは、警備関係の軍人と同じく④にあたる大多数の囚人たちを搾取・抑圧する立場にあります。そのため、家族から差し入れの食糧・物資が多く届く比較的豊かな囚人は、どうにかして②になろうと、こぞって①に取り入ります。

メレシチェーン (ホミッチに)あんた、いいセーターもってるな。色が気に入った。
ホミッチ (身体検査のあとで、まだ着こまずに)そのうえ色があせないんですよ! 品をみて下さい!(さわらせる)外国製です。着ていたのは誰だと思います?スウェーデンの百万長者の息子ですよ。
メレシチェーン まさか?
ホミッチ (中略)どうです着てみてごらんなさい。あたたかくて軟らかい。
メレシチェーン どれ着てみよう。百万長者のせがれとは面白い。(着る)
(中略)
メレシチェーン そうか、ありがとう。いいセーターだ。あんたの名前をきかなかったが。
ホミッチ ボリスですよ。
メレシチェーン あんた、夕方わしの個室に寄ってくれ、話がある。あんたもおさまるところへおさまらんといかん。
ホミッチ (気軽に)お礼を申します。でもわたしは深刻がるのはきらいでしてな。能ある者はどこへ行っても大丈夫です!

医師のメレシチェーンは①であり、ラーゲリ所長とすら気軽に話せるほどです。所長は、メレシチェーンに次のように言います。

オフチューホフ さあ、ほしいものはなんでもいえ。お前には欲しいものはないな。お前は自由人よりいい暮らしをしている。食い物には見向きもしないし、女には不自由していないし、アルコールはわしの方がお前からもらっている。さあ、なんだ?州市(まち)へ一週間護送兵なしで出してやろうか?ありがたく思え、お前は五十八条だからな!
メレシチェーン 州市(まち)へですか?わるくない。
オフチューホフ わるくないなんてもんじゃない。ほんとは絶対にいかんのだ。しかしなんとかしてやる。お前が必ず戻ってくるのを知っているからだ。お前にはこんないい所はほかにない。ほかになにかあるか?

◇◇◇

③「ブラトノイ」たちは、窃盗・強盗・殺人などで逮捕された刑事犯であり、彼らは「働かない」ことを約束された囚人です。なぜならブラトノイは、「スターリンのおぼえがめでたい」、「社会的にみぢかな者」だからです。過酷な矯正労働に従事させられている大多数の囚人たちは政治犯であり、彼らは「社会的異分子」とみなされます。一方で、少数のブラトノイは「社会的新和分子」とみなされ、「ラーゲリが出来てこの方、ブラトノイが働いたためしはない」のです。
煉瓦積みの作業現場で、ブラトノイたちが作業班長であるガイに言います。

ジョーリック (上半身をおこして)班長、一服しましょうや。話があるんだ。なんとなく。
ガイ、すぐさま大またで彼らに近づきそばに腰をおろす。
フィクサートゥイ あのな、班長。あんたまだラーゲリの掟を知らねえんだ。おれたちゃ働かねえことになってる。おれたちが働いたってのはな、なんといおうか、あんたに敬意を表したまでなんだ。運搬台(もっこ)はもってってくれ。ほかの奴らにわたして働かせろ。
ジョーリック 早い話が、おれたちゃ掟どおりやってるってわけよ。わかったな?
ガイ 掟どおり?
ジョーリック そのとおり。
ガイ それで―パンは貰うことになってるのか?
フィクサートゥイ そうさ。そいつあいちばんでっかいやつをな。バランダはいらねえ、ほかの奴にやっていい。おれたちにゃ炊事場から運ばせるし、油っけにはこと欠かねえ。
ガイ 作業は誰がやる?
ジョーリック 働くのか? どん百姓どもがやるさ。いろんな小ものがな。それに政治犯の旦那方よ。

①、②、そしてシャラショーフカという囚人の型は、どのような集団においても存在し得るだろうなぁと思いました。その一方で、ブラトノイという存在には非常に驚かされました。
彼らはなぜ、「働かない」ことが掟となっているのでしょうか。ガイは次のように言います。「やつらの上司はおれたちの血を吸わすためにやつらを飼っているんだ。五十八条の者をやつらの餌食にしたんだ。監獄でもラーゲリへ護送中でもやつらと必ず一緒にする......」すなわち、一般作業に従事するしかない貧しい大多数の囚人たちを、より苦しめるシステムとして、ブラトノイたちは機能しているのです。



★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

2008/09/17

フレッド・ピアス 「緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線」

緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
  • 発売元: 草思社
  • 発売日: 1992/05

フレッド・ピアス『緑の戦士たち-世界環境保護運動の最前線-』(平澤正夫訳、草思社、1992年)を読了しました。
WWF、グリーンピース、地球の友といった有名な環境保護団体の成立過程や運動手法などが伝えられています。
それぞれの団体の個性やイメージ、力関係といったものは日本にいると見えにくいので、とても参考になりました。

◇◇◇

★WWFを育てた人々
  • マックス・ニコルソン
    ...イギリスで最初の公的な自然保護運動の組織を生み出し、1961年に世界野生生物基金(のちに世界自然保護基金と改称。略称はともにWWF)を創設するさいに、指導的な役割を果たした。
    ...ニコルソン計画:WWFの資金を得るために考えた「金持ちの良心とプライドと虚栄心に訴える方法」=各国の王室の人たちに加わってもらい、野生生物保護にあまり乗り気でない裕福な実業家や会社から寄付を集める計画。
    →彼の計画は成功し、WWFの創設メンバーにはフィリップ殿下、オランダのベルンハルト殿下、大金持ちの第1号となったスイスの巨大化学工業会社ホフマン・ラ・ロシュのリュック・ホフマンが加わることになった。最初の寄付者はロンドンの富裕な不動産開発業者ジャック・コットンで、1万ポンド出した。つぎがシェル石油だった。こういった大金持ちからの多額の寄付が、その後しばらくはWWFの主要な資金源となった。

  • テディ・ゴールドスミス
    ...ゴールドスミス家はヨーロッパ有数の銀行家一族だった。経済界での彼は、弟の金融業者で会社乗っ取り屋でもあるジェイムズ・ゴールドスミスの風変りな添えものでしかない。しかし、イギリスの緑派にとっては1990年に創刊20周年を迎えた急進的な緑派の雑誌「エコロジスト」の創始者兼発行人である。
    ...雑誌「エコロジスト」:1970年に創刊された。1972年は環境に対する関心が世界的に高まった年だった。アメリカ、イギリスその他多くの諸国の政府は環境保護機関(アメリカでは環境保護庁、イギリスでは環境省)を新設し、新しい法律を制定せざるを得なくなった。結局は何の効果もなかった法律ができ、官僚機構が整備された途端に、環境問題の議論の熱はしばらくのあいだ冷めてしまった。石油危機につづく世界経済の激しい落ち込みのために、環境への悪影響より経済の成長が止まることの方に世界の関心は向けられた。その後、10年以上の歳月がたち、豊かな西側諸国が80年代に経済成長をつづけた結果、ようやく環境問題が再び政治課題として全面に踊り出た。


★グリーンピースのたたかい
  • ...現代において野生生物の生存に国際的な関心を呼び起こした最初の団体はWWFであったが、環境保護運動を誰もが加われるものにしたのは、60年代(=平和と愛、抗議と兵役忌避の時代)にスタートしたグリーンピースと地球の友だった。ともにきまじめなアメリカのシエラ・クラブから飛び出した人々がはじめたのだが、すぐに若い世代がこの運動を担うようになった。
  • ...そこにはヒッピー、マルクス主義者、毛沢東主義者、トロツキスト、イッピー、急進的なヴァンクーヴァー解放戦線、兵役忌避者、脱走兵などさまざまな人々が集まっていた。

  • ...メディアを使ったたたかい:グリーンピースは、動く映像の力をはじめて認識した市民団体だった。小さなゴムボートを操って捕鯨船の銛の前に飛び出したり、有毒廃棄物を積んだ船のへさきの下に突っ込んだりすると、カメラがそれをとらえ、テレビ画面で世界中の人が見ることになる。1971年にグリーンピース財団に改組されたあとの初代議長が、マスコミを使う選挙運動を手がけてきたベン・メカトフであったのは、むしろ当然であろう。
    =グリーンピースは一種の聖像(イコン)であり、何百万人もの人々を環境に目覚めさせるシンボル。

  • ...グリーンピースのやることは話として面白いので、マスコミのデスクがグリーンピースのイメージにすっかり乗せられてしまい、運動に不利なことは抑えて出さないようにしていた。このため、多くの諸国で、ライヴァルである地球の友には「勇敢なシロウトの失敗者集団」というイメージがあるのに対し、グリーンピースの方は「向こう見ずの成功者」というイメージを20年にわたって保ってきた。
    →このイメージを損なわないためには、グリーンピースは明瞭で分かりやすいメッセージを伝えなければならない。第三世界の農業や森林の再生といった込み入った問題は避けがちであった。
    =グリーンピースは腰が重く、他の勢力がすでに問題をはっきりさせ、政治的な動きがはじまってから場面に登場することが多い。しかし、そうした動きを世界的に大きな運動にするという点にかけては、誰もかなわない。

★シー・シェパード
  • ポール・ワトソン:グリーンピースはいまなお、創設者がもっていた昔ながらのクエーカー教徒の倫理観を信じている。
    =人や物に決して暴力をふるわない。「過激すぎる男」ワトソンは、このルールを大きく曲げ、組織から追放された。情熱に駆られたワトソンは、シー・シェパードという組織を別につくった。そして、より大きな法に適うのなら、現実の法律に反してもかまわないという立場で、活動をするようになった。
    →多くの人々の頭の中では、ワトソンとグリーンピースは結びついていたので、グリーンピースがワトソンのために傷つけられた名声を取り戻すのは容易でなかった。


★地球の友
  • ...地球の友は中央集権的なグリーンピースとは異なり、各国支部に自主性がかなりあった。これは、「ロビー活動をする専門家の小集団」をつくることが狙いであったためである。創設メンバーは会員を増やすことは考えておらず、信頼性の高い調査をおこなうことの意義を強調した。

  • ...反核キャンペーンにおいても、地球の友は公聴会を重視し、グリーンピースの戦術とはまったく対照的だった。いつも事実を慎重に調べ、とりすました態度を見せた地球の友に比べ、グリーンピースははじめからひたすら大衆受けを狙ったものだった。地球の友に比べ、当時のグリーンピースは調査もぞんざいだった。

  • ...イギリスの環境保護団体の熱心な活動家の多くは、地球の友で経験を積み、そのかなりの者がグリーンピースにたどりつく。



読了日:2008年8月29日