2008/09/17

フレッド・ピアス 「緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線」

緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
  • 発売元: 草思社
  • 発売日: 1992/05

フレッド・ピアス『緑の戦士たち-世界環境保護運動の最前線-』(平澤正夫訳、草思社、1992年)を読了しました。
WWF、グリーンピース、地球の友といった有名な環境保護団体の成立過程や運動手法などが伝えられています。
それぞれの団体の個性やイメージ、力関係といったものは日本にいると見えにくいので、とても参考になりました。

◇◇◇

★WWFを育てた人々
  • マックス・ニコルソン
    ...イギリスで最初の公的な自然保護運動の組織を生み出し、1961年に世界野生生物基金(のちに世界自然保護基金と改称。略称はともにWWF)を創設するさいに、指導的な役割を果たした。
    ...ニコルソン計画:WWFの資金を得るために考えた「金持ちの良心とプライドと虚栄心に訴える方法」=各国の王室の人たちに加わってもらい、野生生物保護にあまり乗り気でない裕福な実業家や会社から寄付を集める計画。
    →彼の計画は成功し、WWFの創設メンバーにはフィリップ殿下、オランダのベルンハルト殿下、大金持ちの第1号となったスイスの巨大化学工業会社ホフマン・ラ・ロシュのリュック・ホフマンが加わることになった。最初の寄付者はロンドンの富裕な不動産開発業者ジャック・コットンで、1万ポンド出した。つぎがシェル石油だった。こういった大金持ちからの多額の寄付が、その後しばらくはWWFの主要な資金源となった。

  • テディ・ゴールドスミス
    ...ゴールドスミス家はヨーロッパ有数の銀行家一族だった。経済界での彼は、弟の金融業者で会社乗っ取り屋でもあるジェイムズ・ゴールドスミスの風変りな添えものでしかない。しかし、イギリスの緑派にとっては1990年に創刊20周年を迎えた急進的な緑派の雑誌「エコロジスト」の創始者兼発行人である。
    ...雑誌「エコロジスト」:1970年に創刊された。1972年は環境に対する関心が世界的に高まった年だった。アメリカ、イギリスその他多くの諸国の政府は環境保護機関(アメリカでは環境保護庁、イギリスでは環境省)を新設し、新しい法律を制定せざるを得なくなった。結局は何の効果もなかった法律ができ、官僚機構が整備された途端に、環境問題の議論の熱はしばらくのあいだ冷めてしまった。石油危機につづく世界経済の激しい落ち込みのために、環境への悪影響より経済の成長が止まることの方に世界の関心は向けられた。その後、10年以上の歳月がたち、豊かな西側諸国が80年代に経済成長をつづけた結果、ようやく環境問題が再び政治課題として全面に踊り出た。


★グリーンピースのたたかい
  • ...現代において野生生物の生存に国際的な関心を呼び起こした最初の団体はWWFであったが、環境保護運動を誰もが加われるものにしたのは、60年代(=平和と愛、抗議と兵役忌避の時代)にスタートしたグリーンピースと地球の友だった。ともにきまじめなアメリカのシエラ・クラブから飛び出した人々がはじめたのだが、すぐに若い世代がこの運動を担うようになった。
  • ...そこにはヒッピー、マルクス主義者、毛沢東主義者、トロツキスト、イッピー、急進的なヴァンクーヴァー解放戦線、兵役忌避者、脱走兵などさまざまな人々が集まっていた。

  • ...メディアを使ったたたかい:グリーンピースは、動く映像の力をはじめて認識した市民団体だった。小さなゴムボートを操って捕鯨船の銛の前に飛び出したり、有毒廃棄物を積んだ船のへさきの下に突っ込んだりすると、カメラがそれをとらえ、テレビ画面で世界中の人が見ることになる。1971年にグリーンピース財団に改組されたあとの初代議長が、マスコミを使う選挙運動を手がけてきたベン・メカトフであったのは、むしろ当然であろう。
    =グリーンピースは一種の聖像(イコン)であり、何百万人もの人々を環境に目覚めさせるシンボル。

  • ...グリーンピースのやることは話として面白いので、マスコミのデスクがグリーンピースのイメージにすっかり乗せられてしまい、運動に不利なことは抑えて出さないようにしていた。このため、多くの諸国で、ライヴァルである地球の友には「勇敢なシロウトの失敗者集団」というイメージがあるのに対し、グリーンピースの方は「向こう見ずの成功者」というイメージを20年にわたって保ってきた。
    →このイメージを損なわないためには、グリーンピースは明瞭で分かりやすいメッセージを伝えなければならない。第三世界の農業や森林の再生といった込み入った問題は避けがちであった。
    =グリーンピースは腰が重く、他の勢力がすでに問題をはっきりさせ、政治的な動きがはじまってから場面に登場することが多い。しかし、そうした動きを世界的に大きな運動にするという点にかけては、誰もかなわない。

★シー・シェパード
  • ポール・ワトソン:グリーンピースはいまなお、創設者がもっていた昔ながらのクエーカー教徒の倫理観を信じている。
    =人や物に決して暴力をふるわない。「過激すぎる男」ワトソンは、このルールを大きく曲げ、組織から追放された。情熱に駆られたワトソンは、シー・シェパードという組織を別につくった。そして、より大きな法に適うのなら、現実の法律に反してもかまわないという立場で、活動をするようになった。
    →多くの人々の頭の中では、ワトソンとグリーンピースは結びついていたので、グリーンピースがワトソンのために傷つけられた名声を取り戻すのは容易でなかった。


★地球の友
  • ...地球の友は中央集権的なグリーンピースとは異なり、各国支部に自主性がかなりあった。これは、「ロビー活動をする専門家の小集団」をつくることが狙いであったためである。創設メンバーは会員を増やすことは考えておらず、信頼性の高い調査をおこなうことの意義を強調した。

  • ...反核キャンペーンにおいても、地球の友は公聴会を重視し、グリーンピースの戦術とはまったく対照的だった。いつも事実を慎重に調べ、とりすました態度を見せた地球の友に比べ、グリーンピースははじめからひたすら大衆受けを狙ったものだった。地球の友に比べ、当時のグリーンピースは調査もぞんざいだった。

  • ...イギリスの環境保護団体の熱心な活動家の多くは、地球の友で経験を積み、そのかなりの者がグリーンピースにたどりつく。



読了日:2008年8月29日