2020/11/15

「ハイドリヒを撃て!」(ショーン・エリス監督)

ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦
  • 監督: ショーン・エリス
  • 発売日: 2018/2/2


ショーン・エリス監督の映画「ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦」(2016年、原題"Anthropoid")を観ました。
第二次世界大戦中の1942年に、チェコスロバキアのレジスタンスたちによって実行された「エンスラポイド作戦」(Operation Anthropoid)を題材とした映画です。
その作戦の目的は、ナチス・ドイツ軍によって占領されたボヘミアとモラビアの統治者であったラインハルト・ハイドリヒを暗殺することでした。
チェコ、イギリス、フランスの合作映画で、2015年の夏に、プラハの出来る限り実際の場所で撮影され、冬の場面も人工雪を用いて撮影されました。

わたしは、2014年6月の読書会でローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942年』(2013年、東京創元社)を読んで、この「エンスラポイド作戦」について初めて知りました。
本作は、ローラン・ビネの歴史小説を原作とした映画ではなく、脚本はショーン・エリス監督自身とアンソニー・フルーウィンが執筆しています。
ショーン・エリス監督は、1970年イングランド・ブライトン生まれ。
アンソニー・フルーウィンは、1947年ロンドンのケンティッシュ・タウン生まれで、かつて映画監督スタンリー・キューブリックの個人アシスタントを務めたこともあり、現在はスタンリー・キューブリック・エステートの代表を務めています。
なお、ローラン・ビネの『HHhH』に基づいた映画は2017年に公開されており、そちらはセドリック・ヒメネス監督の「ナチス第三の男」(原題"HHhH")です。

※ネタバレ注意※

映画の冒頭、ナチス・ドイツ軍によるチェコスロバキアの占領後、親衛隊最高幹部で国家保安本部長官であったラインハルト・ハイドリヒが保護領副総督に就任し、抵抗運動を行うチェコ人たちを大量に逮捕し、公開処刑した事実を実際の記録映像を用いて説明しています。

1941年12月、在英チェコスロバキア亡命政府から密命を受けた二人の工作員、スロバキア人のヨゼフ・ガブチークとチェコ人のヤン・クビシュは、彼らの占領された祖国にパラシュートで降下しました。
ヨゼフ・ガブチークをキリアン・マーフィー(1976年アイルランド生まれ)が、ヤン・クビシュをジェイミー・ドーナン(1982年北アイルランド生まれ)が演じています。
着陸時に木を突き破って墜落したヨゼフは負傷しますが、二人はレジスタンス組織の連絡員に会うために出発します。
まもなく彼らは、二人のチェコ人に発見されますが、その二人はレジスタンスへの協力者を装った密告者でした。
密告に気づいたヨゼフは、躊躇なく一人を撃ち殺しますが、逃走したもう一人の男を追いかけたヤンは、撃つのにためらって逃走を許してしまいます。
この冒頭の短い戦闘場面で、占領統治下に暮らすチェコ人が、報奨金目当てに同胞であるレジスタンスを密告する現実を説明するとともに、ヨゼフとヤンの軍人としての覚悟の違いを表現しています。

ヨゼフとヤンはプラハに入りますが、市内の至る所にドイツ兵が立って市民を監視し、兵士たちを乗せた軍用車や軍用犬を連れた兵士が行き交います。
ヨゼフの負傷した足をエドゥアルド医師が手当し、その医師に手配によって、レジスタンス組織インドラの幹部であるラジスラフ・ヴァネックとハイスキーに会うことができました。
ヨゼフとヤンが自分たちの使命を明かすと、ヴァネックは報復を恐れて反対し、亡命政府を強く非難しますが、トビー・ジョーンズ演じるハイスキーは、「チェコスロバキアはナチス・ドイツに抵抗する意志があるか」試されていると言い、「エンスラポイド作戦」への協力を表明しました。

ヨゼフとヤンはレジスタンスの協力者であるモラヴェツ家に下宿することになり、アレナ・ミフロヴァ演じるモラヴェツ夫人は二人を温かく迎え入れます。
ビル・ミルナー演じるモラヴェツ家の息子アタは、ヴァイオリニスト志望の気弱そうな青年ですが、母親同様にレジスタンスの協力者です。
モラヴェツ家で働く若い家政婦のマリーも協力者であり、同じく協力者である処刑されたチェコ軍人の娘レンカを紹介します。
マリーを演じたのはシャルロット・ルボン(1986年カナダ生まれ)、レンカを演じたのはアンナ・ガイスレロヴァ(1976年チェコスロバキアのプラハ生まれ)です。
限られた情報と少ない装備で、ヨゼフとヤンはハイドリヒを暗殺する方法を見つけなければなりません。
ヨゼフはレンカと、ヤンはマリーと恋人同士を装って外出し、二人はレジスタンスの仲間たちと会合し、彼らと同様にパラシュートで送り込まれた他の工作員アドルフ・オパルカとカレル・チュルダと合流します。

ヤンとマリーは互いに愛し合うようになり、ヤンは結婚を申し込み、マリーも受け入れますが、ヨゼフはヤンに自分たちの使命を思い出させます。
ヨゼフもレンカと心を通わせていましたが、ヨゼフにとってはどんな感情よりも祖国のために使命を果たすことが重要でした。
作戦決行の前日、使用する銃の準備をしていたヤンは、至近距離で標的を射殺しなければならない恐怖によって、過呼吸の発作を起こしますが、ヨゼフはヤンに訓練どおり銃弾を込める動作をさせ、彼を落ち着かせます。
至近距離で暗殺作戦を実行することは、護衛兵の反撃によって自分たちも射殺されることが必ず想定されます。
映画の冒頭で密告者を撃てずに逃がしてしまったヤンは、マリーを愛したことによって、「死にたくない」という思いがより強まり、過呼吸を引き起こすほどの緊張と恐怖を感じたのでしょう。
特殊訓練を受けた軍人であっても、祖国のために命を捨てる覚悟を決めるには、言葉にできない恐怖や葛藤を乗り越えなければいけないのだと説得力を持って伝わり、心揺さぶられました。

1942年5月27日午前10時30分、暗殺作戦は実行されました。
ヨゼフのステン短機関銃は暗殺に失敗しますが、ヤンの投げた対戦車手榴弾が爆発してハイドリヒに重傷を負わせました。
ヤンは自転車に飛び乗って、コルトM1903を発砲しながら逃げ去り、ヨゼフは電信柱の後ろに隠れて発砲し、ハイドリヒと交戦しました。
逃げ惑うプラハ市民の間をヨゼフは逃走し、肉屋へ逃げ込みますが、肉屋の店主はナチスの協力者であり、店の外に飛び出して大声で叫び、追跡する兵たちを呼びよせます。
ハイドリヒの運転手を務めていた親衛隊曹長ヨハンネス・クラインがヨゼフを追って来て、彼はクラインを銃撃し、トラムに乗って逃走し、隠れ家までたどり着きました。
ハイドリヒは病院に運ばれたが、爆発の負傷によって、1942年6月4日に死亡しました。

暗殺実行犯を取り逃がしてしまった親衛隊の治安部隊は、チェコ人に対して凄まじい報復を行います。
リディツェ村は破壊され、16歳以上の男性は全員射殺され、子供や女性は強制収容所に送られるなど、虐殺が続きました。
路上でナチス兵から逃げようとしてレンカが殺されたことを知ったヨゼフは、ひどく取り乱し、ヤンに抑えられます。
これまで常に落ち着いた態度で感情を抑制していたヨゼフが、初めて感情を表に出した場面で、言葉に出さずとも、彼がレンカを心から愛していたことがよく分かります。
ヨゼフとヤンと作戦を実行したオパルカたち工作員は、プラハの聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の神父に匿われ、聖堂で潜伏生活を始めます。
一方、ヨゼフたちと同じパラシュートで送り込まれた工作員でありながら、作戦決行当日に現場に来なかったカレル・チュルダは、仲間を裏切って暗殺犯の正体を明らかにし、彼らを匿っていたモラヴェツ家の情報を売りました。

カレルの裏切りによって、モラヴェツ家は多数のゲシュタポ将校に襲われ、モラヴェツ夫人は青酸カリの錠剤を飲んで自殺。
息子アタは残忍な拷問を受け、ついにナチスの要求に屈します。
カレルの裏切りが発覚した直後から、モラヴェツ家が襲撃されるまでの場面に、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番「シャコンヌ」BWV1004が演奏され、この家族の過酷な運命を暗示するようで、悲愴感がいっそう際立ちました。
1942年6月18日、何百人ものナチス軍が大聖堂を襲撃し、ヨゼフとヤンを含む工作員たちは6時間に及ぶ壮絶な戦いの末、死んでいきました。
同じ時間に、レジスタンス組織を率いるハイスキーの家もゲシュタポ将校に襲撃されますが、彼も逮捕される直前に服毒自殺しました。

ナチス軍に包囲される中で、ヤンが「死にたくない」と恐怖するブブリークに訓練どおり銃弾を込める動作をさせ、落ち着かせる場面は、作戦決行前日にヨゼフがヤンを落ち着かせるために行ったものと同じでした。
ブブリーク同様に、かつては死の恐怖に怯えていたヤンは、自分の死を受け入れた上で、最後の戦闘に向かったように感じました。
ヨゼフたちが隠れていた地下墓地は水責めされ、流れ込んでくる大量の水の中で応戦し、最後まで残った工作員全員が自殺しました。
自殺を決意した瞬間、ヨゼフは光の中に自分を迎えに来たレンカの幻を見ます。
彼女はヨゼフに向かって手を伸ばし、引き金を引いた時のヨゼフの表情は穏やかで満足げで、地上では一緒になれなかった二人が、これから天上では永遠に一緒にいられるのだ、と思わせる演出でした。
最後の自殺の場面で、ロビン・フォスター作曲の"The Crypt"が流れ、静かで美しいピアノの旋律が心に残りました。
最終的には、ハイドリヒ暗殺の報復として、推定5000人ものチェコ人が親衛隊によって殺されたという事実が説明され、映画は終わります。



ローラン・ビネの『HHhH』を読んで、「エンスラポイド作戦」の結末まで知った上で観ましたが、やはり重苦しく辛く悲しい気持ちになりました。
実際の出来事は、ホラー映画よりもよほど恐ろしいと感じました。
一番観ていて辛かったのは、モラヴェツ家の息子アタが、カレル・チュルダの裏切りによってゲシュタポに逮捕され、惨たらしい拷問を受ける場面です。
映画鑑賞後に『HHhH』を読み返してみて、モラヴェツ家について、映画で描かれたとおりの歴史的事実が書かれていましたが、ほんの数行の文字を読むのと、実際に映像で見るのでは、衝撃が全く違うものだなと改めて感じました。
モラヴェツ家の17歳の息子アタは、一日中拷問を受けましたが、口を開くことを拒否しました。
少年はブランデーの飲まされた上で、切断された母親の頭を見せられ、口を割らなければ次は父親だと脅され、屈服したと記録されています。
アタと父親のモラヴェツ氏はマウトハウゼン強制収容所へ移送され、1942年10月24日に処刑されました。

映画では描かれませんでしたが、13,000人以上の市民が逮捕されて拷問を受け、カレル・チュルダの裏切りによって、レジスタンスの家族や協力者たち少なくとも254人が殺害されました。
その中にヤン・クビシュの恋人アンナ・マリノヴァ(Anna Malinová)、映画ではマリーとして描かれた女性も含まれており、彼女もマウトハウゼン強制収容所へ移送されて死にました。
最後に聖堂で立て籠もって戦い自殺した工作員の一人アドルフ・オパルカの父も殺害され、叔母もマウトハウゼン強制収容所に移送されて処刑されました。

パラシュートで送り込まれた工作員でありながら仲間を裏切り、親衛隊に自発的に情報を提供したカレル・チュルダが、その後どうなったのか、映画では描かれていません。
カレルは50万ライヒスマルクの報奨金を受け取り、彼の母と妹は拘留から解放され、彼は新しい名前とドイツ市民権を得ました。
1944年に親衛隊員の姉妹であるドイツ人女性と結婚し、プラハに住居と月給3,000ライヒスマルクを受け取り、ゲシュタポのために働くスパイとして終戦まで活動しました。
彼はレジスタンスのふりをしてベーメン・メーレン保護領を旅し、彼を匿った全ての人々をゲシュタポに引き渡しました。
1945年5月、彼はアメリカの占領地に逃げようとして、チェコのレジスタンス組織に逮捕され、釈放後に裏切り者であったことが明らかになって再逮捕され、裁判で重反逆罪により死刑判決を受けます。
裁判では、彼は反抗的で図々しい態度で、裁判官にパラシュート部隊員の仲間を裏切った理由を聞かれて、「100万マルクのためならあなたも同じことをする」と答えました。
判決を受けた当日、1947年4月29日に彼は絞首刑に処されました。

映画では、レジスタンスの秘密会合を行うカフェにナチス兵が立ち寄った時に、カレルが室内で大きな物音を立てる場面や、会合で暗殺作戦の中止に賛同する場面を描き、最終的には襲撃当日に現場に来ないという場面を描いて、カレルが裏切り者になる伏線を演出しています。
映画を見ると、チェコ人全員が一致団結してナチスに抵抗したわけではなく、ヨゼフやヤンやハイスキーのように自分の命を捨てて抵抗する意思を示す人々や、モラヴェツ家やマリーやレンカのようにレジスタンスに密かに協力する人々、カレルや肉屋の店主や最初に出会った密告者のようにゲシュタポに協力して同胞を裏切る人々などが隣り合って暮らしていて、占領下のチェコ社会の複雑さがよく分かりました。
ナチスの占領統治がチェコ人の間に断絶を生み出し、誰が敵か味方か分からず、いつ密告され逮捕されるから分からない恐怖で、常に緊張を強いられる生活は、人々に連帯して抵抗する力を失わせていると感じました。




映画のエンディングの一番最後に流れた"Dulce et Decorum Est"という合唱曲が、静かな祈りに満ちた美しい歌声で感動しました。
イギリスの作曲家ガイ・ファーリー(Guy Farley)が、本作のために作曲した合唱曲で、有名なレクイエムの一節とホラティウスの一節から成る歌詞が歌われています。

Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.
主よ、永遠の安息を彼らに与えてください、
そして絶えることのない光が彼らを照らしますように。

Dulce et decorum est pro patria mori.
祖国のために死すは美しく名誉なり。

古代ローマの抒情詩人ホラティウスの『頌歌』第3巻第2歌(Odes III.2.13)の一節である、"Dulce et decorum est pro patria mori"とは、直訳すると「祖国のために死ぬことは甘美にして名誉あることだ」という意味です。
この名句は、イギリスの詩人ウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen, 1893年-1918年)が、第一次世界大戦中に自身の悲惨な従軍体験を歌った反戦詩の表題として引用され、よく知られるようになりました。
映画の終曲に歌われた"Dulce et Decorum Est"を聞いて、わたしはオーウェンの"Dulce et Decorum Est"と題する詩を思い起こさずにはいられません。

My friend, you would not tell with such high zest
To children ardent for some desperate glory,
The old Lie: Dulce et decorum est
Pro patria mori.

友よ、君はそのような強い熱意をもって教えはしないだろう
命がけの名誉を求めている子供たちに
あの古くからの大嘘である「祖国のために死すは、美しくも名誉なり」を

オーウェンは"Dulce et Decorum Est"と題した詩の中で、醜くもだえ苦しみ、血泡を吹きながら死んでいく悲惨な兵士たちの姿を生々しく歌いました。
そして、祖国のために死ぬことを美化する価値観を真っ向から否定し、国家が若者たちを都合よく利用するための"The old Lie"であると厳しく批判したのです。
この詩は1917年から1918年に書かれ、オーウェンの戦死後、1920年に発表されました。
"Dulce et Decorum Est"というホラティウスの名句は、かつては戦没者の記念碑などに用いられましたが、1921年以降は戦争のプロパガンダとして批判的に解釈されるようになったと言われています。

映画の中では、ヤンやブブリークが「死にたくない」と恐怖する場面が印象的に描かれています。
実際のヤンは28歳、ヨゼフは30歳の若さで死んでいるのです。
二人が祖国のために覚悟を持って戦って死んでいったことは間違いなく、その行為をどう受けとめるかは、映画を観た一人ひとり違う思いを抱くでしょう。
このエンディング曲の歌詞には、"Requiem æternam dona eis"(主よ、永遠の安息を彼らに与えてください)というレクイエムの一節も用いられています。
ヨゼフとヤンたち7人のパラシュート部隊員をはじめ、モラヴェツ家やリディツェ村など、「エンスラポイド作戦」の影響で殺された5000人の人々へ、永遠の安息を祈るレクイエムであると感じます。
この曲は、静かな祈りと慰めに満ちた美しいレクイエムでありながら、"Dulce et decorum est pro patria mori"という言葉で、愛国心とは何か、祖国のために死ぬことは本当に美しく名誉なのか、問いかけてくるのです。


(2017年10月15日、映画館にて初鑑賞)