2008/05/19

カフカ「断食芸人」(1)

変身・断食芸人 (岩波文庫)
変身・断食芸人 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 価格: ¥ 504
  • 発売日: 2004/09

『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きるものである』(マタイの福音書4-4)


フランツ・カフカの『断食芸人』(Eine Humgerkünstler,1924)を読了しました。
この作品は、「自分に合った食べものを見つけることができなかった」ひとりの男の物語です。

この何十年かの間に、断食芸人に対する関心がすっかり薄れてしまった。以前なら自分で大々的に興行を打って、けっこうな実入りにありつけたものだが、今ではそんなことはとうてい不可能である。時代がすっかり変わってしまったのだ。
(カフカ『断食芸人』池内紀訳、以下同)

かつて人気と評判を博し、もてはやされていた断食芸人が、次第に流行遅れとなり、人々から忘れ去られてしまった時代が舞台となっています。
はじめ、断食芸は「誰もが一日に一度は断食芸人を見ないではいられない」人気の見世物でした。カフカはここで、2種類の観客を描いています。

大人にとっては流行っているからには見逃す手はないといった式のおたのしみだったのに対して、子どもたちにはそうではなかった。ポカンと口をあけ、互いに手を握りあい、身じろぎ一つせずにながめていた。

流行に迎合する「大人」と、驚き怖がっている「子ども」。「大人」たちは、断食をインチキであると見なし、誰一人の彼の芸の真実を見ようとしません。
断食芸人の人気は、彼の芸がほんとうに理解され評価されたのではなく、「大人」たちの不信と誤解にもとづいた、見せかけの栄光にすぎませんでした。

じつは、彼にとって断食は、「この世でもっともたやすいこと」であり、「断食の能力に対していかなる限界」も感じていなかったのです。
さらに不幸なことに、彼は望むまま自由に断食をすることが許されず、興行主によって必ず、40日で断食を中断させられてしまいます。
それも医学的理由や人道的配慮からなされたのではなく、「四十日以上となるとパタリと客足がとまる」からという商売上の理由からにすぎず、彼の真の能力を発揮する機会は決して与えられません。

四十日を過ごしたというのに、どうして今になって止めなくてはならないのだ? もっと永く、限りなく永くつづけられるのだ。今まさに至福の時を迎えたというのに、なぜ中止しなくてはならないのか? もっと断食しつづける栄誉を、なぜ奪おうとするのか。

そのため、見物人たちが「満足して帰っていく」中で、「彼だけがひとり不満だった」のです。
彼は、「限りなく自分を超える」ことを目的に断食をしていました。

なるほど、みたところ栄光につつまれ、世間からもてはやされてきた。だが当人はたいてい気が晴れなかった。誰もがまじめにとってくれないので、ますますもって気持ちがふさいだ。

世間の頑なな偏見と誤解ゆえに、断食芸人の生活は外面的には華やかでしたが、内面的には怒りと屈辱に満ちたものだったと言えます。
「彼はいかにも正視に堪えないほどに痩せて」いましたが、それは「断食のせいで痩せたのではなく、より多く、むしろ自分に不満でそうなった」かもしれないのです。

しかし、時とともに彼の芸は見物人に飽きられ始め、「ある日、断食芸人はもはや観客に見捨てられて」いました。
長年のパートナーであった興行主と別れ、彼は大きなサーカス一座と契約を結びますが、人々はいまや「ただただ動物見たさにやってくる」のでした。
彼は、自分が「動物小屋に向かう途中の邪魔もの」にすぎないことを認識し、かつての自信と誇りも薄れてゆきました。
ところが、人気も評判も得られなくなったかわりに、彼は、思いのまま自由に断食芸に没入することができるようになったのです。

断食芸人はかつて夢想したとおりの断食をつづけていた。それはみずから予告したとおり、この上なくたやすいことだった。しかし、もはや誰も日数をかぞえていなかった。

可能な限り断食をつづけ、「限りなく自分を超える」目的を果たせたにも関わらず、やはり「彼の心は重かった」のでした...。
ついに彼は、サーカス小屋の片隅で見物人もないまま、断食芸に没頭して死んでゆきます。

「いつもいつも断食ぶりに感心してもらいたいと思いましてね」
「感心しとるともさ」
「感心などしてはいけません」
と断食芸人が言った。
「ならば感心しないことにしよう」
と監督が言った。
「しかし、どうして感心してはいけないのかな」
「断食せずにはいられなかっただけのこと。ほかに仕様がなかったもんでね」
と断食芸人が言った。
「それはまた妙ちきりんな」
監督がたずねた。
「どうしてほかに仕様がなかったのかね」
「つまり、わたしは―」
断食芸人は少しばかり顔を上げ、まるでキスをするかのように唇を突き出し、ひとことも聞き漏らされたりしないように監督の耳もとでささやいた。
「自分に合った食べものを見つけることができなかった。もし見つけていれば、こんな見世物をすることもなく、みなさん方と同じように、たらふく食べていたでしょうね」
とたんに息が絶えた。薄れゆく視力のなかに、ともあれさらに断食しつづけるという、もはや誇らかではないにせよ断固とした信念のようなものが残っていた。

死に間際の告白によって、彼が断食をするほんとうの理由が明かされます。ここから、彼がどれだけ断食をつづけ、「限りなく自分を超え」たとしても、決して「満足」できなかった理由が分かるのです。
彼の真実の願望は、断食による限りない自己超越ではなく、自分の口にあった食べものをみんなと同じようにおなか一杯食べることでした。
つまり、ほんとうに生きたかったのは現実のみんなと同じ生だったのです。

皮肉なことに、彼の死後、代わって檻に入れられたのは「一匹の精悍な豹」でした。断食芸人には見向きもしなかった観客たちは、突然吸い寄せられるように檻に近づき豹に見入ります。
「咽もとから火のような熱気とともに生きる喜びが吐き出されている」ような豹は、断食芸人とは正反対をなす、輝かしく生き生きとした生命そのものを象徴しているかに見えます。
これは、断食芸人の己の生命を枯渇させた芸に対する、カフカの痛烈なイロニーなのかもしれません。


★カフカ「断食芸人」(2)