2020/08/17

フォークナー「熊」

熊 他三篇 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 発売日: 2000/6/16

2020年4月18日の読書会で、ウィリアム・フォークナーの『熊』を読みました。
ウィリアム・フォークナー(1897年-1962年)は、アメリカ南部ミシシッピ州生まれの作家で、1949年にノーベル文学賞を受賞し、20世紀アメリカ文学を代表する作家として、広く知られています。
『響きと怒り』(1929年)、『八月の光』(1932年)、『アブサロム、アブサロム!』(1936年)をはじめとする代表作には、アメリカ南部の歴史的な土地問題や人種問題、南北戦争などが取り上げられています。

今回の『熊』は、1870年~1880年頃のミシシッピ州の大森林において、オールド・ベンという名前を勝ち得ている大熊を狩る狩猟物語ですが、これは大熊を仕留めることで物語が終わってしまう、単なる狩猟物語ではありません。
池澤夏樹は、フォークナーの『熊』について、次のように紹介しています。

いかにもというパターンの話がある。何度も書かれたテーマで、だいたいこうなるだろうと思って読んでいくとやっぱりそうる。
森にすごく大きな強い熊がいて、ハンターたちが次々に挑戦するけど、どうしても倒せない。最後に主人公が対決して...。
これなんかパターンどおりの話に思えるだろう。神話から始まって、シートンの『動物記』とか。劇画やゲームにもそのまま応用できそう。一歩まちがうと陳腐になる。
フォークナーの「熊」という短篇がそれなんだ。でも中身は違う。まるっきり違う。こういうところで作家は実力が知れると思う。(池澤夏樹『池澤夏樹の世界文学リミックス』2015年、河出文庫より)

物語の主人公アイザックは、先住民と黒人奴隷の血を引くサム・ファーザーズから森での狩猟の智慧を学び、オールド・ベンを狩ることを通して、人間と自然について深く考えるようになります。
自然を通して人間を考えるようになった結果、大農園の跡継ぎであるアイザックは、白人の土地所有について、また白人と黒人の関係について深く考え、しだいに苦悩するようになるのです。
したがって『熊』は、自然への愛着あふれるネイチャー・ライティング(nature writing)の一種であるとともに、主人公アイザックの内面的な成長物語、ビルドゥングスロマン(人間形成物語)であると言えるでしょう。

『熊』には二つのテクストがあり、フォークナー自身の手による改作によって、両者の内容は大きく異なります。
一つは、1942年5月9日刊の『サタデー・イヴニング・ポスト』に発表され、後に『大森林』(Big Woods:the Hunting Stories,1955)に収録されています。
これは全四章から成る構成で、岩波文庫の『熊 他三篇』(加島祥造訳)に収められており、読書会で読んだのはこちらの作品です。
もう一つは、『行け、モーセよ』(Go Down,Moses,1942)に収録されたもので、『サタデー・イヴニング・ポスト』に発表後、新たな章として第四章がまるごと書き加えられて、全部で五章の構成になっています。
この新しい第四章が追加された『熊』は、『フォークナー全集16 行け、モーセ』(大橋健三郎訳、冨山房、1973年)に収められています。
まずは、この第四章を除いた狩猟物語としての『熊』に焦点を当て、人間と自然というテーマについて見ていきたいと思います。
次に、第四章を加えた『行け、モーセ』に収められた『熊』と比較し、第四章のある無しによって、どのような違いがあるのか考察したいと思います。


※ネタバレ注意※

【目次】
1.『大森林』における『熊』について
......第1章:アイク10歳から11歳、狩猟への入門
......第2章:アイク12歳から15歳
......第3章:アイク16歳、大熊狩の終焉
......第4章:アイク18歳
......『熊』における人間と自然に対する考え方について
2.『行け、モーセよ』における『熊』第4章について
3. 結びに



1.『大森林』における『熊』について

第1章:アイク10歳から11歳、狩猟への入門



まずは、『大森林』(Big Woods:the Hunting Stories,1955)に収められた『熊』について見ていきましょう。
『熊』の舞台は、1870年代から1880年代にかけてのミシシッピ州の大森林です。
当時は、「原始の野や森(the wilderness,the big woods)」がまだ残っていました。
その大森林には、「オールド・ベン(Old Ben)」と呼ばれる一匹の老いた大熊が生きています。
罠のせいで片足が曲がったこの大熊は、トウモロコシの納屋を破って中を荒らし、子豚や親豚や仔牛までまるごと喰い、罠や落とし穴を破り、猟犬をひき裂き、散弾銃ばかりかライフル銃の弾でさえ玩具の鉄砲ほどの効目しか無い、という伝説を持っていました。

なにしろこの無人の大自然は呪われた運命のもとにあったのだ。その周辺は斧や鋤を持つ人間たちによってたえず喰いかじられ狭められていた。元来、人間とは原始林を恐れるものだ、というのもそれが自然の造り物だったからであり、互いに名も知らぬ間柄の人間たちが、そこに群がり寄って喰い荒らしたのであり、喰い荒らされた森ではあの大熊が仇名を持つようになり、いつしかそれはただの生きた大熊であるばかりか、古い消えた時代からの不変の生存物と思われはじめた-いわば大熊は古来の大自然の命の亡霊、象徴、復活神といったものであり、その大いなる足もとに、ちっぽけな人間どもが虚しい怒りと嫌悪心で襲いかかり、しがみついているのだ-この老いた大熊、独りきりの、不屈で孤独な存在、連れとなる雌も子供もいないまま、死ぬ運命さえ越えた存在-それは老妻に死なれ息子たちみんなに先立たれたギリシャ神話のトロイ王にも似ていた。(フォークナー「熊」加島祥造訳、『熊 他三篇』、岩波文庫、13頁)

that doomed wilderness whose edges were being constantly and punily gnawed at by men with plows and axes who feared it because it was wilderness, men myriad and nameless even to one another in the land where the old bear had earned a name, and through which ran not even a mortal beast but an anachronism indomitable and invincible out of an old dead time, a phantom, epitome and apotheosis of the old wild life which the little puny humans swarmed and hacked at in a fury of abhorrence and fear like pygmies about the ankles of a drowsing elephant; - the older bear, solitary, indomitable, and alone; widowered childless and absolved of mortality - old Priam reft of his old wife and outlived all his sons. (William Faulkner, "The Bear", Chapter 1 (Big Woods))

この大熊は、死滅した古い時代から出現した不撓不屈にして無敵の時代錯誤(an anachronism indomitable and invincible out of an old dead time)であり、古い野生の生命の一つの幻影、一つの縮図、一つの神格(a phantom, epitome and apotheosis of the old wild life)であると語られてます。
大熊は、猟犬で追いかけ、銃弾を撃ち込むことが出来る現実的なこの世の獣(a mortal beast)であると同時に、大森林を象徴する神聖な幻影(a phantom)である、という二重の意味を持つ存在と言えます。

フォークナーは、さらに大熊をトロイア最後の王プリアモス(old Priam)に喩えています。
ホメロスの叙事詩『イーリアス』によれば、トロイア戦争によって、プリアモスの息子ヘクトールは殺され、トロイア滅亡後にプリアモスも殺されます。
大熊をプリアモスに喩えることによって、アガメムノン率いるアカイア人の軍勢によってトロイアが滅ぼされたように、やがて人間によって大森林が侵略され、大熊も殺される運命にあることを、第一章から暗示しているのです。


主人公アイザック・マキャスリン(Isaac MaCaslin、愛称アイク Ike)は、10歳になって初めて、「あの広大な大低地、あの大森林(the Big Bottom,the big woods)」(第1章)において、毎年11月に2週間に渡って行われる狩猟の仲間に加わります。
ド・スペイン少佐(Major de Spain)率いる狩猟の一団が目指す獲物は、この大熊オールド・ベンにほかなりません。
しかし不思議なことに、アイクにとっては、「彼らが熊や鹿を狩りに行くのでなくて、殺す気さえないあの大熊とただ出会うために出かけてゆくかのように」(To him, they were going not to hunt bear and deer but to keep yearly rendezvous with the bear which they did not even intend to kill.)思えたのです。
「あの大熊という死を知らぬ凄まじい存在とは、ただ毎年、出会いの儀式をするだけ」(the yearly pageant-rite of the old bear's furious immortality)と感じられたその特別な狩猟に、アイクは10歳から16歳まで毎年参加し続けることになります。

十歳で狩に入った時から、彼は、自分が新しく生まれ直したと感じた。それは奇妙なことでさえなかった。(「熊」岩波文庫、16頁)

It seemed to him that at the age of ten he was witnessing his own birth. It was not even strange to him. ("The Bear", Chapter 1)

狩猟の仲間に加わることを許され、初めて大森林に入った時、アイクは自分自身の誕生を目撃しているように思えました。
大森林に入った最初の年に、アイクは大熊を自分で獲物を狩ることも、あの大熊を見ることも出来ませんでした。
しかしアイクは、大熊を追う十一匹の猟犬たちの甲高く惨めな、泣き声のような吠え声を聞き、野営地に帰った猟犬たちの恐怖におじけ、音も立てずに目玉だけ光らせている光景や、裂かれた耳や肩を見ます。
そして、狩猟の達人であるサム・ファーザーズ(Sam Fathers)が、アイクを「冬の日の薄暗くなった原始の森の中」(in the thick great gloom of ancient woods and the winter’s dying afternoon)に連れて行き、腐った倒木につけられた大熊の爪の跡を見せ、濡れた地面につけられた、大熊の巨大な二本指の足跡を見せるのです。

その時アイクは、猟犬たちの恐怖とほとんど同じものを自分の中に感じました。
その恐怖は、疑惑や恐れとは違ったものであり、「怖いけれど近づきたい気持ち、偉大なものへの謙遜の心、太古からの森にたいする自分の小ささと無力感」(an eagerness, passive; an abjectness, a sense of his own fragility and impotence against the timeless woods, yet without doubt or dread)でした。
大森林における初めての狩猟を終えて、アイクはどうしても大熊と出会わなければならない、大熊を見なければならない(So I will have to see him, he thought, without dread or even hope. I will have to look at him.)という思いを強くしたのです。


アイクが11歳の夏、ド・スペイン少佐の一行とともに再び大森林へやってきた時に、彼は驚くべき行動に出ます。
毎朝彼は朝食をすますと、野営地から一人で森へ出かけ、遅くまであちこちを探し歩きました。
狩猟に加わって2年目の彼は、「クリスマスの贈り物」として「自分の銃」をすでに持っていました。
アイクがこの銃をその後70年ものあいだ使い続けることを、フォークナーは予見しています。(He had his own gun now, a new breech-loader, a Christmas gift; he would own and shoot it for almost seventy years)
三日目の夕暮れ時、大熊の足跡すら見つけられず途方に暮れるアイクに、サム・ファーザーズが「銃のせいだよ」(It's the gun.)と助言します。

サム・ファーザーズは、先住民のチカソー族の酋長と黒人の奴隷女性との間に生まれた男(son of a Negro slave and a Chickasaw chief)であり、大森林の野営地の近くに小さな小屋を建てて、独りで住んでいます。
この老いた狩人がまだ町に暮らしていた頃から、アイクは大森林や大熊の話を聞き、狩りの仕方を教わっていました。
アイクが10歳になり、ド・スペイン少佐の一団に加わった時から、彼はサムと一緒に本当の大自然での修練期に入った(He entered his novitiate to the true wilderness with Sam)のです。
フォークナーは、アイクが老サム・ファーザーズに師事し、大森林での狩猟の修行に入ることを'his novitiate'(彼の修練期)と表現しています。
novitiate(修練期)とは、修道生活を志す者が、修道の請願を立てる前の見習い期間(準備期間)を指す言葉です。
したがって、アイクが大森林へ入ることは、修道院へ入ることと同じであり、アイクにとって狩猟は単なるスポーツや娯楽を超えた、内的な、精神的な修行であると言えます。
大森林のそばで、妻子もなく、一人で生きているサム・ファーザーズは、まさに荒野で修道生活を送る修道者であり、アイクを教え導く老練な修練長であると言えるでしょう。

次の朝、サム・ファーザーズの「銃のせいだよ」(It's the gun.)という助言を受け入れて、アイクは自分の銃を持たずに、夜明け前の森へ出発しました。
彼は、磁石と彼の父親のものだった古い分厚い銀の懐中時計だけを頼りに、森の中を旅をしました(travelling now not only by the compass but by the old, heavy, biscuit-thick silver watch which had been his father’s.)。

なぜなら彼は銃を置いてきた身だからだ-それも彼自身の意志からしたことだ-自分を放棄してのことだ。それは熊と出会うための唯一の条件であり、それを彼は受け入れたのだ。それは大熊の変幻自在な動きばかりか太古からの狩人と狩られる者とのあいだのかけ引きのすべてを忘れることであり、彼はその条件を受けいれたのだ。もう心配さえなかった。たとえ恐怖にとりつかれた瞬間でさえ平気な気持でいられたろう-(「熊」岩波文庫、35頁)

He had left the gun; by his own will and relinquishment he had accepted not a gambit, not a choice, but a condition in which not only the bear’s heretofore inviolable anonymity but all the ancient rules and balances of hunter and hunted had been abrogated. He would not even be afraid, not even in the moment when the fear would take him completely ("The Bear", Chapter 1)

アイクは、野営地を出発してから9時間も探し続けましたが、大熊を見つけることが出来ませんでした。
彼は自分の必要性から、謙虚さと平和の中で、後悔することなく、自分自身をすでに放棄していました(He had already relinquished, of his will, because of his need, in humility and peace and without regret)。
そして、銃を捨ててきただけではまだ十分ではなかった(yet apparently that had not been enough, the leaving of the gun was not enough)と確信し、アイクは時計と磁石を捨て去り、大熊を求めてさらに旅を続けたのです(Then he relinquished completely to it. It was the watch and the compass.)。

フォークナーは、アイクが時計と磁石を持っていたことで、彼はまだ汚染されていたのだ(He was still tainted.)、と表現しています。
第1章の冒頭近くに、鋤や斧を持った人間によって絶え間なく、小さくかじられることを運命づけられた原生自然(doomed wilderness whose edges were being constantly and punily gnawed at by men with plows and axes)と語られているように、大森林は絶えず、少しずつ人間によって侵食されていました。
文明の発展とともに原生自然が侵略されてきたと考えれば、時計や磁石のような文明の利器は、自然にとっては武器と同じと言えるでしょう。
そのためフォークナーは、自然に対する武器を持ったままでいるアイクを、彼はまだ汚染されている、と表現したのだと思います。
アイクが大熊と出会うためには、文明の利器を全て放棄し、完全に非武装状態にならなければいけないのです。

アイクは、自分が道に迷ったことを自覚した時、「サムから受けた教えと訓練の通り」(he did as Sam had coached and drilled him)にしました。
彼は、輪を描くように歩き、いま来た道に出会うという方法を実践しましたが、自分が磁石と時計を残してきた茂みへ戻ることは出来ませんでした。
そこで今度は、サムが彼に教え、訓練してくれた第二の方法(he did next as Sam had coached and drilled him)を実践しました。
彼は、前とは反対方向にもっと大きく輪を描いて廻り、自分の来た踏み跡にぶつかるようにしましたが、どこまで歩いても彼自身の踏み跡にはぶつかりませんでした。
ついに彼は、サムが彼に教え、訓練してくれた最後の方法(he did what Sam had coached and drilled him as the next and the last)を実践しました。
彼は倒木に坐って、気を落ち着かせたのです。
するとその時、彼は大熊の歪んだ足跡が地面についているのを見つけました。
彼はその足跡を「疲れもせず、夢中で、恐れも疑いも持たず」(tireless, eager, without doubt or dread)追い続けました。

同時にそこに、あの木と茂み、枝に掛かった磁石と時計が木洩れ陽に当たって金色に光るのも見えた。それから彼は大熊を見た。それはぬっと現れたのではないし、にわかに飛び出たのでもなかった。前からもうそこに立っていたのだ。不動の様で、風のない昼の熱い木洩れ陽の中にくっきりと姿を現わしていた-それは彼が空想し夢に描いたものほど大きくなかったけれども、たぶんあれ位だと予期した大きさであり、斑な光の下なので輪郭が明らかでないせいか実際よりずっと大きな存在-それが彼を見つめていた。(「熊」岩波文庫、38頁)

It rushed, soundless, and solidified—the tree, the bush, the compass and the watch glinting where a ray of sunlight touched them. Then he saw the bear. It did not emerge, appear: it was just there, immobile, fixed in the green and windless noon’s hot dappling, not as big as he had dreamed it but as big as he had expected, bigger, dimensionless against the dappled obscurity, looking at him. ("The Bear", Chapter 1)

アイクは、サムに教わり訓練されたことだけを頼りにして、大熊の足跡へたどり着き、はじめて大熊を見ることが出来ました。
フォークナーは、大熊が姿を現わした瞬間を「それはぬっと現れたのではないし、にわかに飛び出たのでもなかった。前からもうそこに立っていた(It did not emerge, appear: it was just there)」と表現しています。
大森林の神聖な象徴である大熊は、文明的な武装を一つ一つ放棄していくアイクの様子を、実はアイクのすぐ間近でじっと見つめていたかのようです。
アイク自身は、大熊がすぐそばにいることに気づかず、彼が文明人として一度死に、大森林に完全に身をゆだねた時にようやく、大熊がすでに「そこに立っていた」ことに気づいたのです。

わたしは本作を初めて読んだ時、わずか11歳のアイクが、銃を持たずに一人で森の奥へ行き、磁石と時計までも捨て去り、大熊を求めて長い旅を続けたことに、大いに驚嘆しました。
池澤夏樹が「こういうところで作家は実力が知れる」と語っていたように、単に大熊を追跡する興奮とスリルを描いた狩猟物語ではないのだ、と思わせられました。

狩猟に加わって最初の年に、大熊におびえて震えている猟犬を見て、森の奥でサムから大熊の巨大な足跡を見せられた時、アイクは大熊に対する恐怖と自分の無力感を感じました。
その気持ちは、文明人が自然の猛威に対して抱く、恐怖と無力感と同じであると言えます。
鋤と斧を持つ人間は、自然を恐れたからこそ(men with plows and axes who feared it because it was wilderness)、それを絶えず喰いかじり続けたのです。
その翌夏、アイクは大熊に対する恐怖と無力感を克服して、文明人としての自分自身を放棄し、「謙遜した平和な心」(in humility and peace)で大森林と向き合い、初めて大熊を見出しました。
ここに、フォークナーの人間と自然に対する考え方がよく表現されていると思います。
自然の前では、人間は小さく無力な存在であり、自然に対して「偉大なものへの謙遜の心」や「謙遜した平和な心」を持ち続けなければならないのです。

フォークナーは、大森林の中で狩りをする男たちというのは、白人でもなければ黒人でも先住民でもなく、忍耐する意志と大胆さを持ち、生きのびるための謙遜と技術を持った男たち(It was of the men, not white nor black nor red but men, hunters, with the will and hardihood to endure and the humility and skill to survive)であると表現しています。
フォークナーの考えでは、自然の前に人間は、白人とか黒人とか先住民といった人種の優劣は存在せず、全員が同じくちっぽけなものであり、人間もまたその自然の一部であるのです。

第2章:アイク12歳から15歳


次の年、12歳となったアイクは、初めて牡鹿を射ち殺して、サム・ファーザーズがその鹿の血をアイクの顔に塗りつけ、イニシエーションの儀式としました。
『熊』第二章の冒頭に、「彼はすでに牡鹿を射ち殺していて、その温かい血をサム・ファーザーズが彼の顔になすりつける儀式を終えていた」(He had killed his buck and Sam Fathers had marked his face with the hot blood)とあります。
フォークナーは、サム・ファーザーズが行った儀式を'accolade'という言葉で表現しています。
'accolade'とは、「栄誉のしるし」といった意味であり、歴史的にはナイト爵位の授与式において、抱擁やキスによって授与のしるしとすること、あるいは剣で肩へ軽く打つ動作で授与のしるしとすることを指す言葉です。
『大森林』および『行け、モーセよ』に収録されている短編『むかしの人々』("The Old People")では、次のように語られています。
彼が引き金を引き、彼の撃って流した血をサム・ファーザーズが彼の顔になすりつけ、彼は子供であることを止めて、ひとりの狩人、ひとりの男になった。(「むかしの人々」岩波文庫、162頁)

He pulled trigger and Sam Fathers marked his face with the hot blood which he had spilled and he ceased to be a child and became a hunter and a man. ("The Old People", Chapter 2)

したがって、サム・ファーザーズの行動は、アイクに一人の男、一人の狩人としての誇りを与えるイニシエーションの儀式(accolade)であったと言えます。

両側の壁の上や背後からは大自然が彼らの過ぎるのを見張っていたが、いまはそれも敵意の薄い目であり、さらに敵意は薄れ消えてゆくだろう。なぜなら牡鹿はなおも永遠に跳ね走るだろうからだ-慄える銃身がしまいにはまっすぐ鹿に向けられ、発射されつづけるだろうが、それでも鹿は永遠の瞬間の中で永久に不死の姿で跳ね走りつづけるからだ。幌馬車は揺れたり跳ねたりして動いてゆき、なおも少年の思いはあの牡鹿との時間をたどり直していて、発射、サム・ファーザーズが彼自身とあの血、サムがあの血はあの血を彼に塗ることで彼と大自然を永久にひとつに結びつけ、大自然は彼を受け入れてくれた。というのもサムが彼は立派にやったと言ってくれたからだ。(「むかしの人々」岩波文庫、162-163頁)

The wagon wound and jolted between the slow and shifting yet constant walls from beyond and above which the wilderness watched them pass, less than inimical now and never to be inimical again since the buck still and forever leaped, the shaking gun-barrels coming constantly and forever steady at last, crashing, and still out of his instant of immortality the buck sprang, forever immortal; the wagon jolting and bouncing on, the moment of the buck, the shot, Sam Fathers and himself and the blood with which Sam had marked him forever one with the wilderness which had accepted him since Sam said that he had done all right, ("The Old People", Chapter 2)

このイニシエーションの儀式を終えて、大自然はアイクに対する敵意(inimical)を消して、彼を受け入れ、彼は大自然と永遠に一つになった、と語られています。
アイクは、自分が初めて牡鹿を殺した瞬間を何度も思い返し、その不滅の瞬間(his instant of immortality)の中で、牡鹿は永遠に跳躍し続ける(the buck still and forever leaped)のです。
アイクが初めて牡鹿を殺した思い出は、『熊』第四章(『行け、モーセよ』収録の『熊』第五章)にも挿話されています。
さらに、『行け、モーセよ』に収録されている短編『デルタの秋』("Delta Autumn")の中では、80歳近くなったアイクによって、次のように回想されています。

サムがその熱い血のなかに両手を浸して彼の顔に永遠の印をつけてくれたが、一方彼はふるえまいとつとめながら、十二歳の少年ではまだそのときはその気持ちを言葉にあらわすことはできなかったとは言うものの、おいらはお前を殺した、おいらはおまえの飛びさってゆく生命を辱めるような振舞をしてはならない。今から永久においらの振舞はおまえの死にふさわしいものにならなければいけない、といった、謙譲な、そしてまた誇り高い気持ちで立っていた、そういうことのために、いや、それ以上のことのために、サムは彼に印をつけてくれたのだった(「デルタの秋」大橋健三郎訳、冨山房、397頁)

Sam dipped his hands into the hot blood and marked his face forever while he stood trying not to tremble, humbly and with pride too though the boy of twelve had been unable to phrase it then: I slew you; my bearing must not shame your quitting life. My conduct forever onward must become your death; marking him for that and for more than that:("Delta Autumn")

イニシエーションの儀式を受けて、アイクは自分が殺した牡鹿の生命に対する謙遜の心(humbly)を持ち、その謙遜の心から、牡鹿の生命に恥じない行動を誓うことによって、さらに人間としての誇り(pride)を体得したのです。

フォークナーは、アイクを主人公とする一連の作品『熊』、『むかしの人々』、『デルタの秋』において、この'humbly'(謙遜して、謙虚に)という言葉を繰り返し用いています。
'humbly'および'humble'、'humbleness'という言葉が、『熊』には5回(『行け、モーセよ』収録の『熊』には6回)、『むかしの人々』には1回、『デルタの秋』には3回も用いられています。
さらに、'humbly and joyfully'「謙虚にそして喜んで」("The Old People")、'humble and proud'「謙虚で誇り高い」("The Bear")、'humbly and with pride'「謙虚にそして誇りを持って」("Delta Autumn")、'humbly,with joy and pride'「謙虚に、喜びと誇りを持って」("Delta Autumn")と何度も表現されています。
その謙遜の心(謙虚な心)は、大自然に対する恐怖や無力感とではなく、人間としての喜びや誇りへとつながっているのです。

上述した通り、『熊』第一章において、初めて大熊を見た時のアイクは、大自然に対して謙遜の心を持ち、自分自身を完全に放棄していました。
その後、初めて牡鹿を殺した時のアイクは、自然と動物に対する謙虚さを持つと同時に、殺した動物の生命に恥じない行動をすることを誓うことで、自己放棄の段階を乗り越え、人間としての喜びや誇りを感じる段階に到達したと言えます。
このアイクの精神的な成長過程に、フォークナーの人間と自然に対する考え方がよく表れていると言えるでしょう。

したがって、アイクが自然に対して謙虚になり、自分自身を放棄して、文明人として一度死ぬことは、彼の精神的修行(novitiate)の第一段階であったと考えられます。
自然に没入した自己放棄の状態から、自然に受け入れられ、自然の一員としての喜びや誇りを自覚することで、アイクは文明人として再び生まれ直したと言えます。
『熊』第一章において、アイクが10歳の時に、自分が新しく生まれ直したと感じた(It seemed to him that at the age of ten he was witnessing his own birth)と語っていたように、大森林における精神的修行は、アイクにとってまさに精神的誕生(his own birth)を意味していたのです。

フォークナーは、アイクの大森林における精神的修行の過程を次のように表現しています。

もしサム・ファーザーズを彼の師匠とするなら、彼の幼稚園は裏の原っぱでの兎やリス狩だったし、彼の大学はあの老いた大熊の走り廻る森であり、さらにあの老いた大熊そのものは-妻もなく子もなくて自分が祖先である大熊は-まさに彼の大学院といえるのだった。(「熊」岩波文庫、40頁)

If Sam Fathers had been his mentor and the backyard rabbits and squirrels his kindergarten, then the wilderness the old bear ran was his college and the old male bear itself, so long unwifed and childless as to have become its own ungendered progenitor, was his alma mater. ("The Bear", Chapter 2)

アイクにとって、サム・ファーザーズは彼の教師であり、兎やリスは彼の幼稚園であり、大森林は彼の大学であり、老いた大熊は彼の母校であったのです。
12歳のアイクは、殺した牡鹿の生命に恥じない行動をすることを誓い、人間としての喜びや誇りを体得して、精神的修行の第二段階に到達しました。
このようにして、アイクは精神的修行の過程で、自然に対する道徳的責任の意識を持つようになり、現実の問題を判断する価値基準を身につけていきます。
サム・ファーザーズを教師とし、大森林を大学、老いた大熊そのものを母校として修得したその道徳的責任の意識が、『行け、モーセよ』収録の『熊』第四章に描かれている、21歳となったアイクの決断へ直接つながっていると言えるでしょう。



アイクが13歳、狩猟に加わって4年目の夏に、サム・ファーザーズは「大熊を追いつめてつかまえられる犬」(He’s the dog that’s going to stop Old Ben and hold him.)を探し出し、「ライオン」(Lion)と名づけます。

あの朝のサムはもう見抜いていたのだ。彼は年をとった人だ。あの人には子供もいなければ世間もなく、もう一度会いたいような血筋のものはこの地上のどこにもいない。たとえ会えたとしても、彼は抱きあったり話したりできない。なぜって彼はもう七十年以上も黒人だったからだ。でももう、いまではそんなことも終わりかけていてそれが彼には嬉しかったんだ。(「熊」岩波文庫、47頁)

It had been foreknowledge in Sam’s face that morning. And he was glad, he told himself. He was old. He had no children, no people, none ofhis blood anywhere above earth that he would ever meet again. And even if he were to, he could not have touched it, spoken to it, because for seventy years now he had had to be a Negro. It was almost over now and he was glad. ("The Bear", Chapter 2)

第1章において、サム・ファーザーズは「まだ犬が来ていねえよ」(“We ain’t got the dog yet.”)とアイクに二度も語っています。
彼は、大熊に恐怖して惨めに鳴き声を上げる十一匹の猟犬たちではなく、大熊を追いつめてつかまえられる本物の犬を、長年探していました。
サム・ファーザーズは、牝鹿の咽喉をかみ裂き、小鹿を殺し、ド・スペイン少佐の仔馬までも殺した獣の足跡を見た時、それが「大熊を追いつめてつかまえられる犬」であると、見抜いたのだと思います。
彼が求めていた本物の犬が見つかったことで、年毎の大熊との出会いの儀式(yearly rendezvous with the bear)もついに終わることを予期し、彼は嬉しかった(It was almost over now and he was glad.)のでしょう。

その大犬ライオンは、マスチフ犬とエアデル犬とその他の血が混ざったような野生の犬であり、肩までの高さは30インチ(約76センチメートル)を越え、体重は90ポンド(約40キログラム)以上の超大型犬でした。
ライオンは、サム・ファーザーズによって手なずけられた後、次の年から狩猟の仲間であるブーン・ホガンベック(Boon Hogganbeck)の元で2年間に渡って飼育されます。
ブーンは、先住民のチカソー族の血が四分の一混じった白人であり、「鈍感で激しい気性の男」(the violent, insensitive, hard-faced man )で、「ほとんど子供に近い単純な心の人間」(the mind almost of a child)でした。
ブーンは、そのチカソー族の祖母から受け継いだ血を誇りに思っており、ウィスキーを飲んだ時には、自分の父親は純血のチカソー族で酋長だったなどと嘯くほどでした。

アイクが15歳の11月に、この大犬ライオンは大熊を追いつめ、猟犬たちも加わって、狩猟仲間であるコンプソン将軍(General Compson)が射撃した銃弾が、大熊についに血を流させます。
大熊は、猟犬を殺して包囲を破って逃げ出し、ブーンとライオンが追いかけましたが、最期には取り逃がしてしまいました。
ブーンは大熊まで25フィート(約7.6メートル)の距離まで近づき、五度も銃弾を撃ちましたが、全て命中しませんでした。

ブーンは、「今まで何を撃ってもはずれてしまう男」(Boon had never been known to hit anything.)でしたが、「ひとつの欠点とひとつの美点」(one vice and one virtue)を持っていた、とフォークナーは語っています。
その欠点とはウイスキーであり、その美点とはド・スペイン少佐とアイクのいとこであるマキャスリンに、絶対的な忠誠心を持っていたこと(He was brave, faithful, improvident and unreliable; he had neither profession, job nor trade and owned one vice and one virtue: whisky, and that absolute and unquestioning fidelity to Major de Spain and the boy’s cousin McCaslin.)です。
フォークナーは、ブーンを不器用で頼りないが、勇敢で忠実な、愛すべき人物として描いています。

ライオンが大熊を追いつめ、ブーンが撃ち損なって、その年の狩猟は終わりました。
しかしアイクは、この狩の中で、サム・ファーザーズと同じように、来るべき大熊の死を予期していたのです。

もはやこの狩ではすべてが決っているのだと彼は思った。何かは言えないが、もう何かが始まっているようだった-いや実際にはじまっていたのだ。いわば舞台の最後の幕があがろうとしていた。それは何かの終りのはじまりだった。それが来ても彼は嘆き悲しまないだろうと知っていた。自分がこの狩に参加できることに、いやただこの狩を見ることができることに、嬉しさと誇りを感じたのだ。(「熊」岩波文庫、66頁)

It seemed to him that there was a fatality in it. It seemed to him that something, he didn’t know what, was beginning; had already begun. It was like the last act on a set stage. It was the beginning of the end of something, he didn’t know what except that he would not grieve. He would be humble and proud that he had been found worthy to be a part of it too or even just to see it too. ("The Bear", Chapter 2)

第2章において、「だから彼はライオンを憎んだり恐れたりすべきだったのだ」(So he should have hated and feared Lion.)という表現が、三度も繰り返して語られています。
アイクにとって、大熊は大森林の象徴であり、「偉大なものへの謙遜の心」を教えられた神聖な存在と言えます。
ド・スペイン少佐やコンプソン将軍ら狩猟の仲間たちも、元来大熊を殺すつもりはなく、ただ毎年の出会いの儀式(yearly rendezvous with the bear which they did not even intend to kill.)を楽しんでいました。
しかし、大犬ライオンを飼育して、大熊を狩り立てる訓練をすることは、いずれ大熊を殺し、大森林の不滅の象徴が失われることを意味します。
大熊を殺すつもりはないにもかかわらず、大熊を狩り立てる、という矛盾した複雑な気持を、フォークナーは「だから彼はライオンを憎んだり恐れたりすべきだったのだ」と表現しているのです。


第3章:アイク16歳、大熊狩の終焉


次の年、アイクが16歳となった12月に、大犬ライオンは再び大熊を追いつめ、ブーンがナイフを手に大熊と戦います。

ブーンはナイフを手離さずにいて、少年の眼にはナイフを突き刺してさぐる彼の腕や肩の細かな動きが見てとれた。再び熊は大きく立ち上がった-人間と犬とをぶらさげたまま、身を廻し、二歩三歩、森のほうへと人の歩くように踏みだし、そして倒れ落ちた。それは崩れたのでもなければ、潰れたのでもなかった。木の倒れるのと同じように、体全体が倒れこんだのであり、人と犬と熊は、一体となって、一度だけバウンドしたかに見えた。(「熊」岩波文庫、90頁)

He had never released the knife and again the boy saw the almost infinitesimal movement of his arm and shoulder as he probed and sought; then the bear surged erect, raising with it the man and the dog too, and turned and still carrying the man and the dog it took two or three steps toward the woods on its hind feet as a man would have walked and crashed down. It didn’t collapse, crumble. It fell all of a piece, as a tree falls, so that all three of them, man, dog and bear, seemed to bounce once. ("The Bear", Chapter 3)

第2章において、「だから彼はライオンを憎んだり恐れたりすべきだったのだ」と三度も繰り返し表現され、アイクが大熊の死を予期した通り、ついに大熊オールド・ベンは殺されたのです。
大熊との戦いによって重傷を負った大犬ライオンは、医者の手術のかいなく、ブーンに手厚く看護されながら死にました。

大熊の死と同時に、サム・ファーザーズも突然倒れ、医者が「生きる気力をなくしちまった」(He just quit.)と診察する病状に至ります。
自分の小屋に寝かせられたサム・ファーザーズは、「それは老いた人であり、また野性人、森の人種からまだ一世代もへていない野性の人であり、そして子供はなく、親族もなく、隣人もなく-いまは動きもしない両眼を開いているがもはや人々を見ていなかった。」(the old man’s body, the old man, the wild man not even one generation from the woods, childless, kinless, peopleless—motionless, his eyes open but no longer looking at any of them)と表現されています。
サム・ファーザーズに付き添いながら、アイクだけが「サムも死んでゆく」(only the boy knew that Sam too was going to die.)と確信していました。

そしてサム・ファーザーズが自分の意志で死を望み、ブーンがサムの死を手助けしたことを、フォークナーは示唆します。
大犬ライオンを埋葬した低い丘で、ブーンとアイクは新しい壇の上にサムの遺体を安置し、四本の柱を立て、その間を若木でつないで囲い、先住民の伝統に則ったと思われる葬儀を行いました。
アイクの父親代わりであるマキャスリンに問い詰められ、ブーンは「サムはこうしてもらいてえんだ。おれたちに頼んだんだ。どうやってほしいか。ちゃんと教えたんだ。」(This is the way he wanted it. He told us. He told us exactly how to do it.)と叫び、サムの遺体を動かすことを強く拒絶します。

このようにして、大森林を象徴する神聖なものであった大熊は殺され、大犬ライオンも死に、長年に渡った大熊狩は終焉を迎えました。
その大熊の後を追うように、まるで大熊と運命を共にするかのように、サム・ファーザーズは自ら死を選び、第3章は終わります。


第4章:アイク18歳


大熊が殺され、サム・ファーザーズと大犬ライオンが死んだ狩を最後に、ド・スペイン少佐は二度と野営地を見ようとせず、大森林の所有地の材木伐採権をメンフィス市にある製材会社に売り渡すことに決めました。
いつもの狩仲間であるコンプソン将軍らは、ド・スペイン少佐に製材会社との契約を取り消すよう説得を試みますが、少佐は説得に応じませんでした。
かつては、毎年6月にド・スペイン少佐とコンプソン将軍の誕生祝いの狩を2週間に渡って行いましたが、その年は6月になっても誕生祝いを誰も口にせず、狩仲間たちの絆もしだいに薄れていきます。
同じ年の冬、コンプソン将軍とマキャスリンとアイクをはじめとする狩仲間たちは、幌馬車を二日間も走らせ、町から40マイルも離れた狩場へ出かけました。
彼らは、毎年通った野営地を遠く越えた場所で、2週間のテント暮らしをし、これがコンプソン将軍にとっての最後の狩となりました。

そして次の年の6月、アイクが18歳の時に、ド・スペイン少佐の許可を得て、彼は一人であの野営地へ出かけたのです。
再訪したアイクが見たのは、半分ほど出来上がっている新しい製材工場、新しい鉄道レール、クレオソートの鋭く臭う枕木の山、古い森の木々の間を轟音を立てて走って行く材木列車でした。
アイクは、二年前の最後の大熊狩の日に見た列車を思い起こして、今や列車自体が破壊を持ち込んでいるかのように感じます。

しかし今度は違っていた-まるで列車自体があの破壊を持ち込んでいるかのようだった(いや列車ばかりか彼自身がそうだし、さらにはあれを見てしまった彼の眼やあれを覚えこんだ彼の記憶までがそうであり、そればかりか衣服までが、ちょうど清くて柔らかな空気に病気や死の悪臭を持ちこむかのように)破壊をこの呪われた運命の森へ持ちこんでいるのだ-それも実際に斧が木々に打ちこまれず、製材所はまだ完成せず、レールや枕木はまだ敷かれないのにもう、森の破壊の影はどんどん侵入しているのだった(「熊」岩波文庫、120頁)

yet this time it was as though the train (and not only the train but himself, not only his vision which had seen it and his memory which remembered it but his clothes too, as garments carry back into the clean edgeless blowing of air the lingering effluvium of a sick-room or of death) had brought with it into the doomed wilderness even before the actual axe the shadow and portent of the new mill not even finished yet and the rails and ties which were not even laid; ("The Bear", Chapter 4)

アイクは、列車だけでなく、自分自身や自分の衣服さえもが森へ破壊を持ちこんでいるように感じられ、製材所や鉄道がまだ完成しないうちに、森の破壊を予期するのです。
フォークナーは、森のびっしり並び立った木々の間を列車が走り、新しい製材所が建設される光景を、清く柔らかな空気に病気や死が持ちこまれたようだ、と表現しています。
この光景を見たとたんに、なぜド・スペイン少佐がこの野営地へ二度と戻らなかったかをアイクは理解し、自分自身も今後は二度とこの思い出の地へ戻らないだろうと確信するのです。

列車が走り去り、レールの立てる音や排気音や汽笛の轟音が聞こえなくなると、アイクは森が以前と変わらず聳えたっていることに気づきます。森は「思いに耽る様子であり、他を省みず、数しれず、永遠に、緑に、どんな製材小屋よりも古く、どんな支線レールよりも長く」聳えたっていた(The wilderness soared, musing, inattentive, myriad, eternal, green; older than any mill-shed, longer than any spur-line.)のです。
アイクは夏の緑に取り囲まれ、寂しくはないが孤独の中にいて、森の木々は変わらないことを感じ、歳月を越えて変わりゆくことはないだろうと予期します。
「夏の緑や秋の野火や雨、鉄を思わす寒さ、時には雪の来る冬がめぐりゆくのと同じように」(They did not change, and, timeless, would not, any more than would the green of summer and the fire and rain of fall and the iron cold and sometimes even snow)、新しい製材工場や鉄道の建設によって森が破壊されることも、死と再生を繰り返す自然の営みの一部であると考えて、大森林は永遠に変わらないと確信するのです。

森の中を歩きながら、アイクは自分が12歳の時に初めて牡鹿を射ち殺し、サム・ファーザーズにその鹿の血を顔に塗りつけられた狩を思い起こします。
やがてアイクは、大熊の裂けた足指を入れたブリキ缶を墓標とする大犬ライオンの墓を通り過ぎ、サム・ファーザーズの墓にほんのわずか立ち止まっただけで、丘をおりました。

丘は死者の住居ではなかったからだ、なぜならそこには死などなかったからだ。ライオンの死もサムの死もないのだ。二人とも大地にしっかり止まっていないで大地の中で自由なのだ。いや大地の中というより大地そのものになって自由なのだ。あの万物の命に融けこみながら、なお個々の万物として生きているもの-木の葉と小枝と微細なもの、空気と太陽と雨と霧と夜、樫の木と葉とドングリは暗い夜から明け方へ、暗い夜から再び明け方へと数知れぬ繰り返しのつづく中にあって、万物であり、なおもその中のひとつなのであり、あの大熊もそうなのだ。あの大熊もそのひとつなのだ。(「熊」岩波文庫、131頁)

the knoll which was no abode of the dead because there was no death, not Lion and not Sam: not held fast in earth but free in earth and not in earth but of earth, myriad yet undiffused of every myriad part, leaf and twig and particle, air and sun and rain and dew and night, acorn oak and leaf and acorn again, dark and dawn and dark and dawn again in their immutable progression and, being myriad, one: and Old Ben too, Old Ben too; ("The Bear", Chapter 4)

サム・ファーザーズも大熊も大犬ライオンも、墓の下に眠っているのではなく、大地と一体化し、大地の一部として普遍の存在となったのだと、アイクは考えます。
「彼はぼくがここに来る前からもう知ってるんだ、今朝はぼくが森に来ていると知ってたんだ」(He probably knew I was in the woods this morning long before I got here, he thought)と思ったからこそ、アイクはサム・ファーザーズの墓前で、ほんのわずかしか立ち止まらなかったのでしょう。


『熊』における人間と自然に対する考え方について


これまで見てきた通り、『熊』に描かれたアイクの精神的修行の過程から、フォークナーの人間と自然との関係に関する考え方を読み解くことが出来ます。
精神的修行の第一段階において、アイクは自然に対して謙虚になり、自分自身を放棄し、文明人として一度死ぬことで、自然の一員として再び生まれ直します。
精神的修行の第二段階では、アイクは自分が殺した生命に恥じない行動をすべきであると考え、自然に対する道徳的責任の意識を持つとともに、人間としての喜びや誇りを体得します。
そして精神的な修行を終え、アイクがついに到達したのは、大自然の循環の中に永遠の命があるという自然観および死生観です。

読書会では、このフォークナーの自然観は、東洋思想の持つ自然観に近いのではないかという意見が出されました。
たしかにフォークナーの自然観は、人間が「暴君」のように好き勝手に自然を支配することを正当化してきた欧米の伝統的な哲学観および神学観と一線を画すると言えます。

アリストテレスは、植物は動物のために存在し、すべての他の動物は人間のために存在すると述べており、自然はすべてのものを人間のために作ったにちがいないと主張しています。
トマス・アクィナスは人間と自然の関係を神学的文脈に位置づけ、人間は動物を殺そうと、他の何らかの方法でそれを用いようと、何ら不正を犯すことなく、それを利用できると述べています。
アリストテレスとトマス・アクィナスに共通するのは、人間だけが道徳的地位を持っており、その他のすべてのものは人間の利益になるかぎりにおいてのみ価値を持っているにすぎない、という考え方です。

17世紀のルネ・デカルトは、すべての実在は「精神」と「肉体」に還元できると論じました。
デカルトの考えによれば、道徳的地位を持っているかどうかの判断基準は意識であり、動物と植物は「ものを考えない獣」、単なる機械にほかならないのです。
カントの倫理学説では、自由に、合理的に行動できる自律した存在だけが道徳的存在であると論じています。
18世紀の欧米人たちは、人間ではない動物や植物にはこうした能力は欠けていると信じていたため、「主体」と「目的」に権利と道徳的地位を限定しているカントの分析は、人間だけが道徳的地位を持っているという考え方をより強固にしたと言えます。
こうした伝統的な人間中心主義の考え方が、自然の搾取と支配するための理論的根拠を与え、多くの場面で環境破壊や環境劣化を正当化してきました。

リン・ホワイトは『現代の生態学的危機の歴史的根源』(1967年)において、『創世記』の創造物語に関して、人間は「神の形にかたどって」造られたため、すべての被造物の中で人間が特権的な地位を占めていると理解されてきた歴史を述べています。
こうした欧米の神学的伝統における、人間は自然よりも上位にあり、自然を従わせ、支配するよう神に命じられているという考え方が、今日の環境危機の根源にあるとホワイトは主張しました。
ホワイトは、環境危機を招いた根本原因であるキリスト教を排除し、科学的な手法のみで問題解決を図るべきだと主張しているわけではありません。
彼は、キリスト教の自然観が科学技術の進歩に与える影響を過小評価せず、原因が宗教に基づくのであれば、問題解決の方法も宗教的にならざるを得ないと論じています。

1942年に発表されたフォークナーの『熊』は、リン・ホワイトよりもはるかに早い時期に、自然に対する人間の侵略的行為を批判し、人間の罪深い歴史的な営みを深く考察しているのです。
読書会では、フォークナーの自然観が東洋思想に近いという意見が出されましたが、わたしはやはりキリスト教を基盤とする自然観であると考えます。
アイクの「ライオンの死もサムの死もないのだ」という表現は、「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(『コリントの信徒への手紙 一』15章55節、新共同訳)を真っ先に思い起こすからです。

リン・ホワイトによる問題提起はさまざまな議論の端緒となり、現代のキリスト教神学では、自然を考慮した新しい神学的模索が展開されています。
アメリカのハーバード大学神学部教授で組織神学を教えたゴードン・カウフマン(Gordon D. Kaufman,1925年-2011年)は、『核時代の神学』(Theology for a Nuclear Age, 1985)の中で、キリスト論とキリスト教の救済論を再構築しようと試みています。

わたしたちは最近になって、「生命」は個々の生物が持っている力や性質だけでなく、個々の生物をふくんだすべての存在の相互にかかわる広範囲な織物であると自覚し始めた。それからはなれると、なにものも生きてゆけない。ところが、地球上に広がっていった人間は、今世紀になってその織物をよごし、引き裂き、それを支えている自然環境を汚染してきた。つまり、わたしたちは「神にさからって」生活し行動してきたのである。しかも、神の継続的行為(すなわち生命と幸福をもたらす力)は人間が地球上の生命の織物のうえで犯してきた悪を克服するために働きかけているのであるが、それでも人間のもたらすダメージはひろがり、ついに人間とその他の生物を衰弱させ破壊するかもしれないのである。(ゴードン・カウフマン『核時代の神学』ヨルダン社、1989年、79頁)

カウフマンは、わたしたち人間を含むすべての「生命」は、非常に古い複雑な織物に織りこまれた一本の糸であり、それを生み出し、生かし続けるその織物から離れては存在できない糸であると主張しました。

この『核時代の神学』から影響を受け、女性解放の神学者であるサリー・マクフェイグ(Sallie McFague, 1933年–2019年)は、"Models of God: Theology for an Ecological, Nuclear Age"(1987)を著しました。
マクフェイグは、世界そのものを「神の体」として理解しようとします。
彼女は、伝統的な親子のメタファーでのみ理解される三位一体論を乗り越え、新しい三位一体論のモデルを提示しながら、被造世界全体を有機的な「神の体」であると考えました。
その上で、彼女は「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(『マタイによる福音書』25章40節)という言葉を根拠に、人間の倫理的問題だけに限定せず、環境倫理にまで拡張しなければならないと主張したのです。
マクフェイグの試みは、自然を考慮した神の像理解を徹底して推し進めたものと言えるでしょう。

『熊』の中で、アイクが「ライオンの死もサムの死もないのだ」と語り、大自然の中に神の超越性と内在性を確信するフォークナーの自然観は、後にカウフマンやマクフェイグが著した新しい神学の先駆けであったと、わたしは考えます。


2.『行け、モーセよ』における『熊』第4章について


発売元: 冨山房
発売日: 1973

『行け、モーセ』に収録された『熊』は、大熊とサムの死で終わる第三章の後に、新たな第四章が書き加えられて、全五章の構成となっています。
アイクは、大熊とサム・ファーザーズ、大犬ライオンが死んだ16歳の時に、それまでずっと気に留めていたマキャスリン農園の古い「土地台帳」(the ledger)をはじめて読んでみました。
そして、彼が21歳となった年に、この農園の直系の相続者であるにも関わらず、自ら土地を「放棄」(Relinquish)することを決意します。
アイクは、なぜ自分が土地の放棄を決意したかを、彼の保護者であったマキャスリン・エドモンズに説明し、その二人の会話を通して、読者に「台帳」の内容が明かされます。

その「台帳」によれば、アイクの祖父であるキャロザーズ・マキャスリンが、自分の所有する奴隷女ユーニスにトマシーナ(通称トーミー)ど呼ばれる子供を産ませ、トマシーナが成長すると、今度は彼女に子供テレル(トーミーのテレル)を産ませていたのです。
この近親相姦の悲劇によって、奴隷女ユーニスは1832年のクリスマスの日に入水自殺したことが記されていました。

大森林における精神的修行を終え、自然に対する道徳的責任の意識を身につけたアイクは、「台帳」をきっかけに現実の「土地」と「人種」の問題に直面して、次のような考えに至ります。

エデンを奪いとられていなすったんだ。カナンの土地を奪いとられていなすったんだ。だから、最初の人間から奪いとったものたちは、すでに奪いとられた人間から奪いとったのにほかならないんだよ、そしてローマの浴場にいる不在地主の時代が五百年続き、次に北方の森林地帯からやってきた野蛮な人間の時代が千年も続いたんだが、その人間たちはローマの不在地主たちから奪いとり、すでに奪いさられていた実質をむさぼってまたもや順ぐりに奪いさり、それから、あんたの言う古い世界の何の値うちもない黄昏のなかで、古い世界のしゃぶりつくされた骨を奪いあって歯をむきだしたんだ、彼らは、神さまの御名において神さまをけがしたので、とうとう神さまが、たった一つの卵を使って、一つの国家がお互い同士の謙譲と憐みと寛容と誇りのなかに建設されるような新しい世界を、その人間たちに見つけだしておやりになったんだよ。そして、それにもかかわらず、それでもやっぱり、じいさまはその土地を実際に所有していたんだが、それは神さまがお許しになったからで、神さまが無力だったからでも、大目に見られたかれでも、盲目だったからでもなかったんだよ、なぜと言って、神さまはそれを命じ、それを見まもっていなすったからだ、神さまはイッケモテュッペやイッケモテュッペの父のイッセティッペハじいさんや、それからまた、イッセティッペハじいさんの祖先までがそれを持っていたときから、もうその土地が呪われていることを-白人がだれもそれを所有しないうちから、もうその土地が、じいさまやじいさまの種族である先祖がこの新しい土地に持ちこんできたものによって汚されているのを、見ていなすったんだ-この土地というものは、神さまが、寛容の気持ちから、憐みと謙虚と寛容と忍耐をもつという条件つきでじいさまたちにお与えになったものなのだが、あの人たちは、古い世界の腐った何の値うちもない黄昏のなかから、そういうものをいっぱい持ちこんできたんだ、まるで、古い世界の汚れた風を帆いっぱいにはらんで、それで船が走ったみたいにして-(『行け、モーセ』より『熊』冨山房、1973年、289-290頁)

Dispossessed of Eden. Dispossessed of Canaan, and those who dispossessed him dispossessed him dispossessed, and the five hundred years of absentee landlords in the Roman bagnios, and the thousand years of wild men from the northern woods who dispossessed them and devoured their ravished substance ravished in turn again and then snarled in what you call the old world’s worthless twilight over the old world’s gnawed bones, blasphemous in His name until He used a simple egg to discover to them a new world where a nation of people could be founded in humility and pity and sufferance and pride of one to another. And Grandfather did own the land nevertheless and notwithstanding because He permitted it, not impotent and not condoning and not blind because He ordered and watched it. He saw the land already accursed even as Ikkemotubbe and Ikkemotubbe’s father old Issetibbeha and old Issetibbeha’s fathers too held it, already tainted even before any white man owned it by what Grandfather and his kind, his fathers, had brought into the new land which He had vouchsafed them out of pity and sufferance, on condition of pity and humility and sufferance and endurance, from that old world’s corrupt and worthless twilight as though in the sailfuls of the old world’s tainted wind which drove the ships— (William Faulkner, "The Bear", Chapter 4 (Go Down, Moses))

アイクは、神が大地を創造し、生き物をそこに住まわせ、神はこれを見て「良し」とされ、それらのものを祝福したと言う『創世記』の言葉に基づいて、神は「神の代わりに大地を監督する者」(His overseer)として人間を創造した、と主張します。
アイクの考えでは、「大地」というものは本来人間の所有物ではなく、「だれの名前も特別についていない共同の状態で、損なわれない、お互いのものとして保っていく」べきものであり、人間にはそれを売買する権利は無いのです。
アイクによれば、神が要求した報酬は、「ただ、憐みと謙譲と寛容と忍耐と、それから、パンを求めて流す人間の汗だけ」でした。
しかし、人間はその大地「エデン」ないし「カナン」を神から「奪いとった」(dispossessed)のであり、そのために神が創造した大地を「人間自身が呪いをかけて汚した」のだ、と主張します。

大地を「奪いとられた」にもかかわらず、神は「寛容の気持ち」からそれを許し、さらには「古い世界の腐った何の値うちもない黄昏」(that old world’s corrupt and worthless twilight)から人間を解放し、「お互い同士の謙譲と憐みと寛容と誇りのなかに建設されるような新しい世界」(the new land which He had vouchsafed them out of pity and sufferance)へと連れてきてくださり、「憐みと謙虚と寛容と忍耐をもつという条件つき」(on condition of pity and humility and sufferance and endurance)で自分の祖父たちにお与えになったと、アイクは論じます。
さらに、アイクの考えでは、この「新しい土地」においても、同じように先住民たちが「イッケモテュッペ」や「イッセティッペハ」などの名で所有していたのであり、白人が来る前から、すでにその土地は「呪われていた」(already tainted even before any white man owned it)のです。
白人たちは、「古い世界の腐った何の値うちもない黄昏」をこの「新しい土地」へ持ちこみ、さらに「呪い」を加え、「汚した」のだ、とアイクは主張します。
アイクの言う、「古い世界の腐った何の値うちもない黄昏」の中から、新世界アメリカへ持ちこまれた「呪い」の一つが、奴隷制度であったと言えるでしょう。

アイクは、「この土地全体が、南部全体が呪われていて、そのなかから出てきてかりにもその乳房を吸ったおれたちは、全部、白人も黒人も、その呪いを蒙っている」(313頁)と語ります。
このように考えて、アイクはマキャスリン農園の相続放棄を決意し、「自由」となることを求めたのです。

アイクにとって、大熊とサム・ファーザーズこそが「自由」を象徴する存在と言えます。
猛々しく無慈悲な一頭の年老いた熊、それもただ生きんがために無慈悲になっているのではなくて 解放と自由を誇る猛々しい誇りを持っているが故に無慈悲であり、解放と自由を惜しみ誇りにしているが故に その自由がおびやかされるのを 恐怖や驚愕をもってではなしに ほとんど歓喜の情をもって眺めていた熊、自由を味わわんがためにわざわざその自由を危険に瀕せしめ 自由を守り保持せんがために 年老いた屈強な骨と肉を柔軟に敏捷に保っているかに見えた一頭の熊。そして一人の老人。黒人奴隷とインディアンの王との息子であり、一方では 苦悩を通じて謙譲を学び 苦悩を生きのびる忍耐を通じて誇りを知った民族の連綿とした歴史を受けつぎ、他方では 第一の民族よりも長くこの土地に住みついている民族の連綿とした歴史を受けついでいた老人、しかも今では ただ 一人の年老いた子供もない黒人の疎外された血と 一頭の年老いた熊の野性的な無敵な精神との 孤独な兄弟愛のなかにのみ存在しているにすぎなかった一人の老人。(333頁)

an old bear, fierce and ruthless not just to stay alive but ruthless with the fierce pride of liberty and freedom, jealous and proud enough of liberty and freedom to see it threatened not with fear nor even alarm but almost with joy, seeming deliberately to put it into jeopardy in order to savor it and keep his old strong bones and flesh supple and quick to defend and preserve it; an old man, son of a Negro slave and an Indian king, inheritor on the one hand of the long chronicle of a people who had learned humility through suffering and learned pride through the endurance which survived the suffering, and on the other side the chronicle of a people even longer in the land than the first, yet who now existed there only in the solitary brotherhood of an old and childless Negro’s alien blood and the wild and invincible spirit of an old bear; ("The Bear", Chapter 4 (Go Down, Moses))

アイクが相続を放棄することに強く反対していたマキャスリン・エドモンズは、アイクから辛抱強く説得されて、ついに彼の決定に同意します。
マキャスリンは、「土地」に対するアイクの考えを聞いて、アイクは「神さまに選ばれたのだろう」(Chosen)と言い、さらに「神さまは 一頭の熊と一人の老人と四年間という年月を ただおまえのためにお使いになったんだ。そしておまえがそこまで達するのに十四年間かかり、オールド・ベンには同じ年月、いや おそらくそれ以上かかり、サム・ファーザーズには七十年以上かかったのだ」(338頁)(And it took Him a bear and an old man and four years just for you. And it took you fourteen years to reach that point and about that many, maybe more, for Old Ben, and more than seventy for Sam Fathers.)と語りました。
マキャスリンが言った通り、大森林における精神修行があったからこそ、21歳のアイクはこのような「土地倫理」に到達したと言えるでしょう。
アイク自身も、「サム・ファーザーズがおいらを自由にしてくれたんだ」(339頁)(Sam Fathers set me free)と語っています。

その後、アイクは実際にマキャスリン農園を放棄して、マキャスリン・エドモンズに譲り、イエス・キリストに倣って大工となりました。
そして、アイクは一人の女性と結婚し、「新しい国が生まれたよう」な幸福を感じましたが、アイクがかつて相続放棄した農園に対して、妻は「あたしたちの農場よ。あんたの農場よ」(The farm. Our farm. Your farm)と言い、夫に農園を取り戻すよう懇願します。
この妻の要求を聞いて、アイクは「こいつも迷ってしまった。生まれながらにして迷っていたんだ。おれたちはみんな生まれながらにして踏み迷っているんだ」(356頁)(She is lost. She was born lost. We were all born lost)と考えます。
妻のこの言葉は、南部全体が呪われており、生まれながらにして自分たちは、白人も黒人も呪われていると言う考えを、アイクに改めて思い知らせたのです。

相続放棄によって自分は「呪われた土地」から「自由」になったと考えていたアイクが、一人でその考えを推し進め、妻を含む大勢の周りの人々の理解を得られないままでは、「呪われた土地」から決して逃れられないと気づかされたと言えます。
かつてマキャスリンが、「おまえはたった一人だけなんだよ。それなら まだこれからどれくらい長くかかるんだ? まだどれくらい長く?」(338頁)(And you are just one. How long then? How long?)と問いかけた言葉が示すように、「呪われた土地」から「自由」になると言うアイクの試みは挫折し、その理想が果たされるまでには長く険しい道程があることを、フォークナーは示唆していると言えるでしょう。



3. 結びに


『大森林』に収録された『熊』と、『行け、モーセよ』に収録された『熊』を比較すると、前者は人間と自然がテーマであり、エコロジーの神学の先駆けとも言える自然観が非常に印象に残ります。
後者は、人間の歴史的な営みにおける土地所有の問題に対して、神学的にアプローチし、自然と人種に考慮した土地倫理を提示しながら、その限界も描き出しています。

『大森林』における『熊』では、アイクが土地の相続を放棄する場面が存在しないため、こちらのアイクは順当に土地を相続し、大森林をこよなく愛し、先住民や黒人を人間として尊重する、善良な農園主となったのではないか、と想像します。
同じ『大森林』に収録されている『朝の追跡』(Race at Morning)には、ミスター・アーネストという農園主が登場します。
彼は、1年のうち11か月と二週間は、大麦や綿や豆や牧草を植えて手入れして取り入れ、「熱心に正直に」働き、残りの14日間は狩猟を楽しむ生活を送っています。
ミスター・アーネストには妻子がなく、孤児となった貧しい白人の子供を引き取って養い、学校に行かせてやります。
彼らの狩猟では、大鹿を追いつめ仕留める好機に、あえて殺さず逃がし、また次の年も狩りが楽しめるように配慮しています。
もしアイクが農園を相続していたら、ミスター・アーネストのような農園主になったのではないか、とわたしは思います。

一方、農園の相続を放棄したアイクのその後は、同じく『行け、モーセよ』に収録されている『デルタの秋』(Delta Autumn)に描かれています。
こちらのアイクは、80歳近い年になって、思いもかけない相手から、かつての相続放棄を責められます。
アイクが相続を放棄した農園は、マキャスリン・エドモンズが相続しましたが、マキャスリンの孫であるロス・エドモンズの子供を産んだ女性が、「あの人はまだ一人前の男にはなっていないわ。あんたが甘やかしすぎたのよ」と言い、「あんたがあの人のおじいさんにあの土地をあげてしまったからよ」と言って、老アイクを詰るのです。
アイクが晩年になっても、彼の試みの真意は誰にも理解されず孤独であり、「自由」を求めて自分が「呪われた土地」を放棄した結果、マキャスリン・エドモンズの子孫に新たな「呪い」を加えてしまったことに気づかされたアイクは、どれほど絶望したことでしょうか。

『大森林』収録の『熊』は『朝の追跡』とあわせて、非常に爽やかな読後感ですが、『行け、モーセよ』収録の『熊』は『デルタの秋』とあわせて、重苦しい読後感で、苦い失望がありありと伝わってきます。
本作は、大熊を狩るというシンプルな出来事だけを題材としながら、自然と人間の関係や、土地と人種が絡む歴史的な問題など、きわめて精神的、神学的な考察を描き出しています。
例えば、戦争や大虐殺など歴史的な大事件を題材とした作品は、その出来事自体が持つインパクトがあり、読者を引きつけます。
しかし、この『熊』は、そのような大きな出来事を題材とせず、大熊を狩るというシンプルな題材だけで、ここまで深く考えさせる作品に仕上がっているのです。
ノーベル文学賞作家であるフォークナーの圧倒的な筆力を実感させられる一冊であると、わたしは思いました。



英文引用:William Faulkner, Big Woods, Icaros Books.(Kindle版)
William Faulkner, Go Down,Moses, Icaros Books.(Kindle版)

参考:ジョゼフ・R.デ・ジャルダン『環境倫理学:環境哲学入門』(出版研、2005年)
ゴードン・D.カウフマン『核時代の神学』(ヨルダン社、1989年)
小原克博「「神の像」に関する一考察:フェミニズムとエコロジーへの応答」(『日本の神学』、1998年)
元田脩一「フォークナーの「熊」--アメリカ小説の一原型」(『文芸と思想』、1962年)
佐藤道夫「フォークナーとソローに関する研究--彼らの人間と自然に対する考え方について」(都留文科大学研究紀要、2000年)

2020/06/21

アルベール・カミュ『異邦人』

カミュ『異邦人』(新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1954


※ネタバレ注意※

ムルソーの死刑は「不条理」なのか?

主人公ムルソーは、アラブ人を殺したことで裁判にかけられますが、犯した罪によってではなく、事件とは何の関係も無い母の死に際しての彼の態度・行動によって、裁かれます。
本来であれば、犯罪について審理すべきであるのに、彼が母の遺体を見ようとせず、母の年齢を知らず、棺を前にしてカフェ・オレを飲み、煙草を吸い、眠り、涙を流さず、葬儀の翌日に恋人と一緒に泳ぎ、映画を見て、一夜をともにしたことが、裁判で問題とされるのです。

検事は、ムルソーは「精神的に母を殺害した」男であり、「人間社会から抹殺されるべき」として、死刑を求刑します。
死刑確定後、ムルソーは神による救済を拒否して無神論を貫き、亡母に思いをはせ、本来の自己を見出して、幸福を感じながら処刑を待ちます。

多くの読者がこの判決は理不尽であると反発を覚え、まるで主人公を体制の犠牲者であるかのように感じることでしょう。
本書は一人称小説であり、読者は語り手ムルソーの目を通して世界を見ており、主人公の行為を追体験し、主人公の感覚や意識を共有し、主人公の共犯者となっていきます。
裁判で彼の私生活を勝手に暴露し、あげつらう検事の言葉を聞きながら、読者はムルソーが加害者であることを忘れてしまうのです。
こうして読者に、主人公が加害者ではなく、体制の犠牲者だと思わせる仕掛けは、作者の巧妙なレトリックだと言えるでしょう。


この裁判は、作品全体の5分の1を占めているにもかかわらず、殺されたアラブ人の名前は一度も呼ばれません。
事件の発端となった殺されたアラブ人の妹や、殺されたアラブ人と事件当日に行動を共にしていたアラブ人の仲間は証人として裁判に呼ばれておらず、発言の機会が与えられていません。
そもそも、殺人事件の前にムルソーの友人レエモンは、被害者の妹を血が出るまで殴る事件を起こしていますが、ムルソーが友人に有利な証言をしたこともあり、警察は警告しただけでレエモンを無罪として釈放します。
警察も検事もアラブ人が暴行や殺人の被害を受けても無関心であると言えます。
ムルソーは裁判において、アラブ人殺害の罪によってではなく、母の死を悲しまず、翌日も喪に服さず遊び惚けたという態度によって裁かれているのです。

死刑制度の是非についてはひとまず置いておいて、一人の命を奪った罪を自分の命でもって贖うというのは、「善因善果、悪因悪果」あるいは「目には目を歯には歯を」の論理で考えれば、理に適っていると言えます。
それを「不条理」、つまり不当に重い判決だ、天秤が釣り合ってないと感じるのは、両者の命の重さを平等に見ていないからであり、ムルソーの命を重く見て、アラブ人の命を軽んじでいるからです。
1942年の発表当時の読者にとっては、入植者であるフランス人の主人公が、植民地の先住民であるアラブ人を殺した程度の取るに足らない罪で理不尽に処刑されるなどというストーリーが、常識に反した不合理な事件であると感じられたのではないでしょうか。
このように、作中でアラブ人たちが人間として全く扱われていないことが、わたしが本書を読んでいて最も疑問に思ったことです。

パレスチナ出身の文学者であるエドワード・サイードは、『ペンと剣』の中で、植民地時代のアルジェリアで、アラブ人を殺したかどで裁判にかけられたフランス人など存在せず、完全に思想的フィクションであると論じています。
ムルソーはアラブ人がナイフをちらつかせた瞬間に発砲しました。これを正当防衛と言うには無理がありますし、警告の発砲に留めておくこともできたのに、彼は何度も撃ち込んで、問答無用で射殺しています。
現代でも、アメリカでは白人警官による黒人殺害事件が後を絶たたず、"Black Lives Matter"(黒人の命を軽んじるな)をスローガンとした運動の火が燃え上がったのは記憶に新しいです。
同様の事件は、現在のイスラエルでも頻繁に起こっています。

2020年5月13日にはイスラエルの病院に来たパレスチナ人男性を、病院の警備員が駐車場で何度も撃って殺害した事件が起こっています。イスラエルの公式発表では、彼がナイフを取り出そうとしたために殺した、とされていました。
ナイフを取り出した、または取り出そうとしたという理由は、イスラエルでパレスチナ人が射殺された時の警察の常套句なのです。
病院の警備員はパレスチナ人男性に対して、一度ならず、何度も撃っていることから、警告の発砲などではなく、殺意があったことは明らかです。警備員が男性を射殺した本当の理由は、彼がパレスチナ人だったからではないでしょうか。
それでも、アラブ・パレスチナの村では大きな病院はないため、専門的な治療が必要な患者は、ユダヤ人の町の病院まで行かなければならないのです。

本来は等価であるはずの命が、人種や肌の色、思想・信条を理由に軽んじられてしまう現実は、歴史的経緯もあって、世界各地で今なお続いている問題です。
カミュは「植民地の証人」であるとサイードが指摘した通り、本書によって現代の読者は、逆説的に、植民地時代のアラブ人に対する差別と不正義を知ることができます。

カミュはアルジェリアで生まれ、大学卒業後までアルジェリアで暮らしたにもかかわらず、アラビア語を全く知りませんでした。彼はアルジェリア人ではなく、まさにアルジェリア生まれのフランス人だったと言えます。
サイードによれば、植民地時代はアラビア語は排斥され、モスクの中でしか、この言語を教えることが出来なかったそうです
。 カミュ自身は、アルジェリア独立に反対の立場をとり、1957年に「アルジェリア民族などというものは存在しない」と発言していました。

1962年の独立後、アルジェリアではアラビア語が復活したそうです。植民地時代のフランス語教育に対する反動として、アラビア語教育が強要され、アラブ化政策は行き過ぎた面もあるとサイードは語っています。
1970年にアルジェリアのイスラム教徒の家庭に生まれた作家カメル・ダウドが、ムルソーに殺された無名のアラブ人の弟の視点から『異邦人』を読み直す小説を2014年に発表しました。

Kamel Daoud "Meursault, Contre-Enquete" (Pocket Book)
  • 発売元: Actes Sud
  • 発売日: 2016

『ムルソー対抗調査』と題されたカメル・ダウドの小説はゴンクール処女小説賞を受賞し、日本では『もうひとつの『異邦人』― ムルソー再捜査』という邦題で2019年に刊行されています。


ムルソーはなぜアラブ人を殺したのか?

ムルソーの殺人の動機について考えてみたいと思います。

涙と塩のほとばりで、私の眼は見えなくなった。額に鳴る太陽のシンバルと、それから匕首からほとばしる光の刃の、相変わらず眼の前にちらつくほかは、何一つ感じられなかった。(アルベール・カミュ『異邦人』窪田啓作訳、新潮文庫、63頁)

作中ではこのように、ムルソーは暑さのために錯乱状態に陥って、アラブ人を射殺したかのように描写されています。
ここで作者は、「ピストルの上で手がひきつった。引き金はしなやかだった。」と、彼の手や銃を主語とし、ムルソー自身に殺人の意志は無かったにもかかわらず、手や銃が勝手に相手を殺したかのように書いているのです。
この記述を文字通りに解釈すれば、アラブ人が匕首を抜いた時、ムルソーの理性は撃つべきではないと考え、彼の肉体は撃つべきだと感じていたのかもしれません。

しかし、ムルソーは一度撃った後で、「私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ」と、今度は明らかに自分の意志で撃っています。ムルソーが続けざまに四発撃ち込んだ時、作家は「私は撃ち込んだ」とはっきり表現しています。
事件前にムルソーは、友人のレエモンに「相手が匕首を抜かなかったら、撃たなくてもいい」と言っており、彼が自分から進んで人殺しをするような人間ではないことが示されています。
その上で、この四発の銃弾は、ムルソーの殺人行為をより罪深いものにしていると言えるでしょう。

カミュは1951年に発表した長編エッセイ『反抗的人間』において、マルクスやニーチェ、ヘーゲル、ランボー、バクーニン、レーニンなどの革命的な思想の人物を取り上げ、反抗的な人間(反逆者)、つまり「カウンター・カルチャー」の人間像について論じています。
彼が影響を受けた思想家のうちの一人であるニーチェは、『ツァラトゥストラ』の中で「君のからだには、命令し指示する者が住んでいる。君のからだが、命令し、指示するのだ」と語っています。
ニーチェの考えでは、「からだは、大きな理性」であり、「精神」は「小さな理性」で「からだの道具」ないし「おもちゃ」にすぎないのです。
ムルソーが殺人を犯す場面で、彼の手や銃が主語となっているのは、まさにニーチェ流の「からだが命令し、指示したから」と言えるかもしれません。

裁判において、ムルソーは殺人の動機を「太陽のせい」(107頁)と供述しました。
この殺人の場面において、太陽は「焼けつくような剣」に喩えられ、「空は端から端まで裂けて、火を降らすかと思われた」と、ムルソーに対して極めて攻撃的に描かれています。
入植者であるヨーロッパ系住民にとって、アルジェリアの太陽は、征服すべき植民地の自然の象徴です。
匕首を持ったアラブ人は、燃える刀剣のような太陽と重ね合わされています。
ムルソーの認知の中では、植民地の敵対的な自然の一部として、野蛮な先住民であるアラブ人も溶け込んでいたと言えます。


ムルソーと母親

死刑確定後、ムルソーは恋人マリイから手紙が来なくなったことから、「マリイの思い出はどうでもよくなった」と言います。
彼は、「今や離れ離れの二人の肉体以外に、われわれを結びつける何ものもなく、またお互いを思い起こさせる何ものもない」と語っており、彼にとってマリーは、お互いの肉体(性的な欲望)によってのみ結びつけられていたと言えます。

一方、そんなマリイとは対照的に、ムルソーは母親について思い続け、処刑を待つ死刑囚の自分と、死を前にして養老院で残された日々を過ごした母親とが同じ立場にあったことに気づくのです。
彼は、なぜ母親が養老院で新しい婚約者を持ち、「生涯をやり直す振り」をしたのかを理解していきます。
ムルソーは「幾つもの生命が消えてゆく」場所として養老院と自分の独房を重ね合わせて、母親が死に近づいて「解放を感じ、全く生きかえるのを感じた」のだろうと推測します。
母親の心情を理解したことによって、ムルソー自身も「全く生きかえったような思い」になります。
ムルソーは自分の死を間近に控えて、初めて母親を心から理解し、母親と精神的な絆で結ばれたと言えるのです。

本書は主人公の手記という体裁をとっていますが、語り手の現在時点は、死刑確定後にマリイの思い出を捨て、司祭へ反抗し、心から母を理解し、全く生き直す気持になった、まさにこの時であると考えられます。
ムルソーは、母親のように全く生き直す気持になったからこそ、自分が裁かれた直接の原因である母の死から、自らの過去を振り返ったのだと言えます。
そうして、ムルソーは母親への愛によって、幸福感に満たされるのです。

驚くべきことに、原文ではmamanという言葉が50回も用いられています。
ムルソーが一貫して母親を「母」ではなく「ママン」と子供っぽく呼んでいるのは、幼児にとっての母親と同じように、彼にとって母親が唯一の絶対的な存在だったからではないでしょうか。
主人公のMeursaultという名前は家名(ファミリーネーム)であり、ファーストネームは実は一度も書かれていません。主人公は自分を「私」と言うのみです。
「私」にとって唯一の価値ある存在である母親と共有する名前である家名「ムルソー」こそが、ファーストネームよりも大切だったのかもしれません。
ちなみに「ムルソー」というのは一般的な名前で、フランス・ブルゴーニュ地方にはムルソー村という村が古くからあります。
作中では書かれていませんが、主人公の母親はムルソー村にルーツのある入植者または入植者の子孫だったのかもしれませんね。


ムルソーが母親と精神的な絆で結ばれ、全く生き直す気持ちになった場面は美しい夜景が描かれています。 「顔の上に星々のひかりを感じた」、「夜と大地と塩のにおいが、こめかみをさわやかにした」、「このしるしと星々とに満ちた夜」と語られ、殺人の場面の燃える刀剣のイメージの太陽とは対照的です。
本来、自然には人間のような意志は無いのであり、自然を敵対的・暴力的な存在とするのも、恵みあふれる慈悲深い存在とするのも、どちらも人間の感情の投影と言えます。
したがって、主人公にとって太陽が暴力的・攻撃的な刀剣のイメージだったのは、ムルソー自身の暴力性・攻撃性の投影と考えられます。
そして、夜の星々のひかりがさわやかであるのは、ムルソー自身が全く生き直す気持ちになったことによって、「世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じる」ことが出来たからだと言えるでしょう。

nuit chargée de signes et d’étoiles
「しるしと星々でいっぱいの夜」

このsigneという言葉は、「しるし、前兆、兆候」「特徴、合図、記号」という意味の言葉であり、旧約聖書や新約聖書においても繰り返し用いられている言葉です。
旧約聖書では神から顕される奇跡的な「しるし」が数多く語られ、新約聖書ではイエスの行う「業」それ自体が広い意味での「しるし」と解釈されます。「しるし」は神への信仰のためであり、同時に神の栄光を顕すものでもあります。

主人公は予審判事に「神を信じない」と断言し、教誨に訪れた司祭に反抗して「わが父」とは決して呼ぼうとしませんでした。
しかし、母親と精神的な絆で結ばれ、全く生き直す気持ちになって、夜空の星々が「しるし」で満たされているのを見るのです。
三位一体の父なる神を拒絶した主人公にとっては、母親こそが彼の罪を洗い清める贖い主、救い主であったと言えるかもしれません。
夜空に「しるし」を見て、自分の贖罪が果たされたと確信したムルソーは、初めて世界と和解して心を開き、自分がこれまでもこれからも幸福であることを感じたのです。


「異邦人」の意味とは?

原題のétrangèrという言葉は、「外国人、他人」「外国の、外部の、よその」「関係のない、無縁の、関心がない」「未知の、なじみのない」という意味を持つ、日常的に使われる言葉です。(クラウン仏和辞典参照)
しかし、原文の中でétrangèrが実際に用いられているのは、わずか2回しかないのです。

Il m’a dit qu’il devait aborder maintenant des questions apparemment étrangères à mon affaire, mais qui peut-être la touchaient de fort près.
「彼(裁判長)は今や私の事件にとって明らかに無関係であるが、それに非常に密接に関係あるかもしれない問題に対処するべきだと私に言った。」

Et ils concluront qu’un étranger pouvait proposer du café, mais qu’un fils devait le refuser devant le corps de celle qui lui avait donné le jour.
「そして、彼ら(陪審員)は、見知らぬ人にはコーヒーを提供してもよいが、息子は自分を出産した人の身体の前で、それを拒否しなければならなかった、と結論するでしょう。」

どちらも、「無関係な」「見知らぬ人、他人」という意味で用いられています。
本書では、逮捕後に新しく登場する人物たち、予審判事、弁護士、検事、司祭には全て名前が付けられていません。
すでに述べてきたように、ムルソーによって殺されたアラブ人と同様に、無名の存在なのです。
本書は、主人公ムルソーの目を通して見た世界であるため、ムルソー自身が自分の裁判を進める人物たちに対して、全く無関心であったことが分かります。

ムルソーにとっては、アラブ人が野生動物かのように自然の一部に溶け込んでいたように、予審判事たちは社会の一歯車に過ぎなく、どちらも人間性を喪失した存在として見えていたと言えます。

一方、予審判事・検事や司祭たちの目には、「反クリスト」、「精神的に母を殺害した男」として、ムルソーこそが人間性を喪失した存在に見えていたと言えます。
互いに互いを、étrangèr、共通の文化・常識・信仰などが全く通じない外部の人間、よそ者、言語が異なる外国人であるかのように感じていたのではないでしょうか。



「異邦人」という言葉は、現代の日常生活でほとんど耳にすることも、口にすることもありませんが、キリスト教の文脈においては頻出の言葉ですよね。
「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」は、アドベント(待降節)によく歌われる賛美歌です。
賛美歌のタイトルにもなっている「異邦人」とは、新約聖書の時代のユダヤ人から見た外国人、すなわち異教徒たちを指しています。

ペテロやアンデレなどのイエスの弟子たちや、直接の弟子ではありませんがイエスの教えを信じたパウロは、ギリシャやローマじゅうを旅して、イエスの教えを宣べ伝えました。ギリシャ、ローマの人々は異教徒であったため、パウロたちの行いは異邦人伝道と呼ばれます。
イエスを「異邦人の救い主」と呼んでいるのは、ユダヤ人のみならず、異教徒を含む全ての人々の救い主であるという信仰に基づいているのです。
ちなみに、フランス語訳の聖書の中で「異邦人」の意味で用いられている言葉は、gentilという男性名詞で、étrangèrではないのです。gentilはユダヤ人から見た非ユダヤ教徒、すなわち異教徒を指す言葉です。

フランス語のétrangèrには「ユダヤ人から見た非ユダヤ教徒、キリスト教徒から見た異教徒」という意味が含まれおらず、étrangèrの語源はラテン語のextraneusであり、「外から来た見知らぬ人」を指します。
フランス語では、migrant(移民)、sans-papier(不法滞在者)、demandeur d'asile(亡命希望者)、réfugié(難民)、débouté(「難民」申請が却下された者)などは、それぞれを指す言葉があるため、étrangèr(外国人)の概念には含まれておらず、区別されています。

繰り返しになりますが、日本語の「異邦人」は、「ユダヤ人から見た異教徒」という意味で、キリスト教の文脈でよく使われる言葉です。したがって、本書が邦題が「異邦人」だと、日本の読者に、作者カミュが意図していないニュアンスで受け取られる可能性があります。
そのため、「異邦人」ではなく、よりフラットな意味合いの「外国人」とか「よそ者」といった邦題の方が、日本の読者に誤解を与えないのではないか、と思います。



仏文引用:Albert Camus, L'Étranger (French Edition), Kindle版.


2020/04/08

芥川竜之介「奉教人の死」

奉教人の死・煙草と悪魔 他十一篇 (岩波文庫)
奉教人の死・煙草と悪魔 他十一篇 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 発売日: 1991/8/8

2018年3月17日の読書会で、芥川竜之介の『奉教人の死』と『きりしとほろ上人伝』を読みました。
芥川竜之介(1892年-1927年)は、国語の教科書に採用されている『羅生門』をはじめ、『地獄変』、『藪の中』、『蜘蛛の糸』など、誰もが一度は読んだことがある名作を数多く遺しています。
『羅生門』や『地獄変』のように、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』といった日本の古典を典拠とする作品は、世代を越えて幅広い人々に読まれています。
このような「王朝物」を得意とした一方で、芥川は『煙草と悪魔』、『神々の微笑』、『誘惑』などの、いわゆる「切支丹物」の作品を初期から死の年まで書き続けました。
『奉教人の死』と『きりしとほろ上人伝』は、一連の切支丹物の中でも、代表作に数えられています。
『羅生門』と比べれば、『奉教人の死』はあまり知られていませんが、芥川のキリスト教やキリスト教信仰に対する視点が描かれている、興味深い作品と言えます。
今回は『奉教人の死』を対象に、その典拠となった『黄金伝説』の「聖女マリナ」の物語と比較しながら、「聖女マリナ」と「ろおれんぞ」の違いを整理し、考察したいと思います。
また、「まるちり」の語源を繙きながら、「ろおれんぞ」の死は「まるちり」なのかについて、考えてみたいと思います。

※ネタバレ注意※

【目次】
1.『奉教人の死』:「ろおれんぞ」の物語
2.『奉教人の死』のルーツを探る
(1)『黄金伝説』より「聖女マリナ」の物語
(2)「聖女マリナ」と『奉教人の死』を比較する
......容姿と年齢
......伴天連、いるまん衆、奉教人衆
......傘張の娘:『十二夜』と比較して
......<無自覚なエゴイズム>:『奉教人の死』から『続西方の人』へ
3.「まるちり」とは何か?
......「ろおれんぞ」の死は「まるちり」なのか?
4. 結びに
おまけ:「聖女マリナ」と「ろおれんぞ」の男装についての考察


1.『奉教人の死』:「ろおれんぞ」の物語

去んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござった。これは或年御降誕の夜、その「えけれしや」の戸口に、飢え疲れてうち伏しておったを参詣の奉教人衆が介抱し、それより伴天連の憐みにて、寺中に養われる事となったげでござるが、何故かその身の素性を問えば、故郷は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)などと、何時も事もなげな笑に紛らいて、とんとまことは明した事もござない。(芥川竜之介『奉教人の死』、岩波文庫『奉教人の死・煙草と悪魔 他十一篇』より、37-38頁)

このような語り出しで始まる『奉教人の死』(1918年)は、キリシタン時代の長崎を舞台に、主人公「ろおれんぞ」の短い生涯を描いた物語です。
作品の構成における大きな特徴は、「天草本平家物語」を模した歴史的な文体と、文禄慶長期の口語で語る語り手です。
この古風な文体と語り口によって、私たち読者はキリシタン時代に記された本物の古文書史料を読んでいるかのような気持ちになります。

あるクリスマスの夜に、長崎の「さんた・るちや」と呼ばれるキリスト教会の戸口に、「ろおれんぞ」と呼ばれる孤児が行き倒れており、教会に保護されることになったのが、この物語の発端です。
「ろおれんぞ」自身は、自分の出自を明らかにしませんでしたが、手くびにかけていた青玉の「こんたつ」(念珠)を見て、伴天連や「いるまん」(法兄弟)衆は、彼の親はキリスト教徒であろうと考え、彼を手厚く養育しました。
幼い「ろおれんぞ」の信仰の堅固さに、「すぺりおれす」(長老衆)は驚き、彼をよりいつくしみました。

三年あまりの年月が経ち、「ろおれんぞ」が元服すべき時節となった頃、「怪しげな噂」が伝わり始めます。
奉教人衆の一人である「町方の傘張の娘」が「ろおれんぞ」と親しくしているという噂です。
伴天連は、この淫らな噂について「ろおれんぞ」に問いましたが、彼は「そのような事は一向に存じようはずもござらぬ」と涙ながらに否定しました。
一度は疑いが晴れましたが、その「傘張の娘」が妊娠し、彼女が「腹の子の父親は「ろおれんぞ」じゃ」と断言したことで、伴天連と「いるまん」衆一同は「ろおれんぞ」の破門を決定し、彼は教会を追放されました。

行き倒れの孤児であった「ろおれんぞ」にとって、教会からの破門と追放は、その日から生活の手段が絶たれ、衣食住全てにおいて窮することを意味します。
追放後、「ろおれんぞ」は「町はずれの非人小屋に起き伏しする、世にも哀れな乞食」となります。
町を歩けば、「ろおれんぞ」は、「ぜんちょ」(異教徒)の町人たちにさげすまれ、子供たちにあざけられ、石を投げられるようになります。
長崎の町に「恐ろしい熱病」がはびこった時には、「ろおれんぞ」は七日七夜の間、道ばたに伏して、苦しみ悶えました。
このような極貧の乞食生活の中でも、「ろおれんぞ」は朝夕の祈りを忘れず、夜毎ひそかに教会に参詣し、「御主「ぜす・きりしと」の御加護」を祈り続けました。
一方、「傘張の娘」は、娘を出産しましたが、「ろおれんぞ」が姿を見せないのを、怨めしく歎いていました。

追放から一年あまりの後、長崎の町を大火事が襲います。
「傘張の娘」の赤ん坊が火の中に取り残されましたが、あまりの火勢に誰も助けに入らないでいたところ、「ろおれんぞ」が火の中に飛び入って、赤ん坊を助け出したのです。
集まった奉教人衆は、「ろおれんぞ」の行いを「さすが親子の情あい」と罵り、批判しますが、「傘張の娘」だけが狂おしく大地に跪いて、一心不乱に祈りました。
救い出された赤子を抱きしめ、「傘張の娘」は伴天連の足もとに跪いて、ついに真実を告白します。

『この女子は「ろおれんぞ」様の種ではおじゃらぬ。まことは妾が家隣の「ぜんちょ」の子と密通して、もうけた娘でおじゃるわいの』と、思いもよらぬ「こひさん」(懺悔)を仕った。その思いつめた声ざまの震えと申し、その泣きぬれた双の眼のかがやきと申し、この「こひさん」には、露ばかりの偽さえ、あろうとは思われ申さぬ。道理かな、肩を並べた奉教人衆は、天を焦がす猛火も忘れて、息さえつかぬように声を呑んだ。
娘が涙をおさめて申し次いだは、『妾は日頃「ろおれんぞ」様を恋い慕うておったなれど、御信心の堅固さからあまりにつれなくもてなされる故、つい怨む心も出て、腹の子を「ろおれんぞ」様の種と申し偽り、妾につらかった口惜しさを思い知らそうと致いたのでおじゃる。なれど「ろおれんぞ」様の御心の気高さは、妾が大罪をも憎ませ給わいで、今宵は御身の危さをもうち忘れ、「いんへるの」(地獄)にもまがう火焔の中から、妾娘の一命を辱くも救わせ給うた。その御憐み、御計らい、まことに御主「ぜす・きりしと」の再来かともおがまれ申す。さるにても妾が重々の極悪を思えば、この五体は忽「じゃぼ」(悪魔)の爪にかかって、寸々に裂かれようとも、なかなか怨む所はおじゃるまい。』娘は「こひさん」を致いも果てず、大地に身を投げて泣き伏した。(47-46頁)

「傘張の娘」は、「ろおれんぞ」を恋い慕っていましたが、彼が自分の思い通りにならないため、恋心がしだいに怨む心に変わり、「ろおれんぞ」を陥れるために、彼に妊娠させられたと嘘をついていたのです。
伴天連や「いるまん」衆たちは、「傘張の娘」の嘘を信じ込み、「ろおれんぞ」を破門し、教会から追放しました。
「傘張の娘」の「こひさん」(懺悔)によって、「ろおれんぞ」が冤罪であると明らかになり、奉教人衆は「まるちり」(殉教)じゃ、「まるちり」じゃと口々に叫び始めます。

二重三重に群がった奉教人衆の間から、「まるちり」(殉教)じゃ、「まるちり」じゃという声が、波のように起こったのは、丁度この時の事でござる。殊勝にも「ろおれんぞ」は,罪人を憐れむ心から、御主「ぜす・きりしと」の御行跡を踏んで、乞食にまで身を落いた。して父と仰ぐ伴天連も、兄とたのむ「しめおん」も、皆その心を知らなんだ。これが「まるちり」でのうて、何でござろう。(48頁)

はじめ奉教人衆は、「ろおれんぞ」が「傘張の娘」の赤ん坊を助け出したのは、彼らが実の「親子」である証として考え、彼を罵り、批判していました。
しかし、「ろおれんぞ」が冤罪であったと聞いて、彼が火の中から救い出した赤ん坊は、彼の実子でないばかりか、自分を乞食の境涯に陥れた女性の子供であったのだと、奉教人衆はようやく理解します。
「傘張の娘」の罪を憎まず、自分の身の危険を顧みずに、彼女の子供を救い出した「ろおれんぞ」の心の気高さ、憐み深さに感動して、奉教人衆はにわかに「まるちり」であると叫び始めたのです。
そして、重い火傷を負った「ろおれんぞ」の死の間際で、彼の正体が明かされます。

見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一身に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横わった、いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れた衣のひまから、清らかな二つの乳房が、玉のように露れておるではないか。今は焼けただれた面輪にも、自らなやさしさは、隠れようすべもあるまじい。おう、「ろおれんぞ」は女じゃ。「ろおれんぞ」は女じゃ。見られい。猛火を後にして、垣のように佇んでいる奉教人衆。邪淫の戒を破ったに由って「さんた・るちや」を逐われた「ろおれんぞ」は、傘張の娘と同じ、眼なざしのあでやかなこの国の女じゃ。(49頁)

奉教人衆は、「ろおれんぞ」の焦げ破れた衣服の隙間から、清らかな乳房を目撃し、「ろおれんぞ」が女性であることを発見したのです。
「ろおれんぞ」が男装の少女であると明らかになったことで、「傘張の娘」が語った「こひさん」(懺悔)が真実であり、「ろおれんぞ」の潔白が完全に証明されます。
「ろおれんぞ」は、「安らかなほほ笑み」を浮かべて、静かに息を引き取ります。
しかし、無実の罪で「ろおれんぞ」を追放し、乞食に追いやった伴天連や「いるまん」衆、奉教人衆が、自分たちの罪を悔い改め、「ろおれんぞ」に謝罪する場面が一切ないまま、物語は終わるのです。


2.『奉教人の死』のルーツを探る

(1)『黄金伝説』より「聖女マリナ」の物語


発売元: 平凡社
発売日: 2006/6/8

芥川竜之介の『奉教人の死』を論じるにあたって、その典拠とされる「聖女マリナ」の物語について見ていきましょう。
「聖女マリナ」の物語は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃–98)による『黄金伝説』Legenda aurea(1267年頃)の第79章に採録されています。
『黄金伝説』はラテン語で書かれた聖人伝集で、中世ヨーロッパにおいて広く読まれました。
イエス、マリアの生涯をはじめ、ペトロ、パウロ、アンデレなどの使徒行伝や、ミカエルなどの天使物語、迫害時代に処刑された殉教者たちや、死後に聖人とみなされた各地の修道士・修道女たちの生涯が採録されています。
「聖女マリナ」の物語は、次のような筋書きです。

童貞女マリナは、父親のひとり娘であった。しかし、父親は、修道院に入ることになったので、娘を男装させ、男の子に見えるようにした。そして、修院長と修道士たちにたのんで、ひとり息子をつれて修道院に入ることを許してくださいと言った。院長たちは、この願いをみとめた。こうしてマリナは、修道院の一員にくわえられ、修道士マリノスとよばれることになった。以後、彼女は、霊的修道の生活に入り、院長をはじめすべての修道士たちに従順であった。マリナが二十七歳になったとき、父親は、死期の近いことをさとって、娘を呼びよせ、その修道の志を支持し、女であることをだれにも明かしてはならないと厳命した。(ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説 2』、平凡社、「七九 聖女マリナ」328頁)

父とともに男装して修道院に入った一人娘マリナは、マリノスと名乗り、修道士として成長しました。
修道士マリノスは、修道院へ薪を運ぶ仕事を任されることが多くあり、出かけた先の家に泊めてもらうことにしていましたが、その家の娘がある騎士の子を宿してしまいます。
この娘は、修道士マリノスによって妊娠させられたと嘘を言ったのです。
どうしてそんな大罪を犯したのかと尋ねられると、マリノスは罪をみとめて、「わたしは、極悪非道な罪人です」と言い、慈悲を乞いました。

こうして、マリノスは修道院を追放され、修道院の門の近くに住みつき、貰いもののパンくずで飢えをしのぎました。
娘の産んだ赤ん坊は、乳ばなれするとマリノスに引き渡され、彼の手で育てられることになります。
マリノスは、幼児を育てながらさらに二年間を修道院の門前ですごしましたが、「どんな苦労や難儀も辛抱づよく耐えしのび、つねに神に感謝する」ことを忘れませんでした。
ついに修道士たちも、マリノスの「忍耐とへりくだり」を見て、気の毒だと思い、再び修道院に引きとって、いちばん下働きの仕事をやらせることにしました。
マリノスは、いやな顔ひとつしないでその仕事を引き受け、黙々と辛抱づよく言いつけられた任務をはたしました。

こうして長年のあいだ善行をつんだのち、われらの主に召されて世を去った。ところが、修道士たちが修院内の粗末な片隅に葬るために遺体を洗おうとしたところが、マリノスが女であったことがわかったのである。修道士たちは、神に生涯をささげたこの女性にとんでもない侮辱をくわえたことを知って、びっくり仰天した。この大きな奇跡を聞いたすべての修道士たちは、われがちに遺体のそばに集まり、自分たちの不明と犯した罪の赦しを乞うた。それから、聖女の遺体をねんごろに葬った。一方、むかし嘘をついてこの神のはしために自分の罪をなすりつけたあの娘は、その後悪霊にとりつかれて、みなのまえで罪を白状しなくてはならない羽目になった。しかし、彼女が聖女の墓前に近づくと、たちまち悪霊は、彼女からはなれた。このことがあってからは、たくさんの善男善女が墓を詣でるようになり、多くの奇跡が起こった。(329頁)

修道士たちの同情により、再び修道院に下働きとして迎え入れられたマリノスは、その死後にやっと女性であることを発見されるのです。
たとえマリノスが自ら無実の「罪をみとめた」としても、娘の嘘を見破れず、マリノスに長年の労苦を強いた修道士たちの罪は重いでしょう。
修道士たちが自らの罪を悔い改め、死後のマリノスを「聖女マリナ」として崇敬したところに、この説話の宗教的メッセージがあると言えます。

ペトロやアンデレ、パウロの物語のように、異教徒から迫害を受けて拷問の末に処刑される<殉教譚>と、「聖女マリナ」の物語は全く異なります。
マリナ(=マリノス)を苦しめた加害者は、異教徒ではなく、信仰を同じくする修道士たちなのです。
マリナが、娘の嘘を否認せず、無実の罪を認めたのは、騎士の子であることを明かしたくない、娘の心情を思いやったからかもしれません。
嘘をついた娘は、無実の罪を認めたマリナの思いやりに悔い改めることなく、自分の子の養育を押しつける厚顔無恥なふるまいで、罪の上塗りをしています。
娘から押しつけられた他人の子を、自分の子として大切に育て上げたマリナは、篤い信仰心を持ち、忍耐強く、愛情深い女性であると言えるでしょう。

被害者マリナの死を介して、加害者の修道士たちが回心するという構図は、イエスを信じ切れず、「知らない」と否認し(マタイ26:69-75)、十字架の死に追いやってしまった弟子たちが、イエスの死と復活によって、信仰を確かなものにしていく過程とアナロジーがあると言えます。


乙女が男装して修道士となり、死後に女性であったことが発覚するという<修道士処女(モナコパルティノス)>の物語は、もともと東方起源の伝承で、古代教会時代や中世の聖人譚によく登場します。
この「聖女マリナ」伝は、ギリシア語、ラテン語、シリア語、アラブ語、コプト語その他による伝説的な伝記が伝わっています。
実在の「聖女マリナ」は、おそらく5世紀頃、ビテュニア(黒海沿岸部のローマ属州)の生まれで、父に連れられてアンティオキア近在のケノビン、あるいはレバノン北西部のトリポリにある修道院に入ったと伝えられています。

『黄金伝説』に採録されている<修道士処女>の類話としては、聖女テオドラ(87章)、聖女エウゲニア(128章)、聖女ペラギア(144章)、聖女マルガリア(145章)があり、いずれも「聖女マリナ」と同じ系列の聖人伝です。


(2)「聖女マリナ」と「奉教人の死」を比較する



『黄金伝説』の「聖女マリナ」と、芥川竜之介の『奉教人の死』を整理した図表を作成しましたので、比較してみましょう。(上表参照)
上図で示したとおり、「マリナ」と「ろおれんぞ」の共通点と相違点は、次の通りです。

    【共通点】
  • 男装の女性であり、死後に女性であることが発見される
  • 女性を妊娠させたという冤罪で、信仰共同体から追放される

    【相違点】
  1. 家庭環境...マリナ:父子家庭 / ろおれんぞ:孤児
    男装の理由...マリナ:父に命じられて男装 / ろおれんぞ:理由記載なし
  2. 追放された年齢...マリナ:27歳以降 / ろおれんぞ:元服すべき時(14~16歳頃)
    容姿...マリナ:容姿記載なし / ろおれんぞ:美しい顔
  3. 信仰共同体への復帰...マリナ:数年間の乞食生活を経て修道院へ戻る / ろおれんぞ:「さんた・るちや」へ戻れないまま
  4. 死因...マリナ:長年の善行を積み修道院で死ぬ / ろおれんぞ:火事の中から赤ん坊を救出して死ぬ
  5. 死後...マリナ:修道士たちは自分の罪を悔い改め、マリナを聖女として崇敬 /
    ろおれんぞ:伴天連、いるまん衆、奉教人衆は自分たちの罪を悔い改めない。奉教人衆のみが「まるちり」と叫び、伴天連はろおれんぞを聖女として認定しない。

こうして比較すると、「マリナ」と「ろおれんぞ」は、共通点よりも相違点の方が多いことに気づきます。


容姿と年齢


マリナは、父とともに男装して修道院に入りましたが、27歳で父を亡くした後も、自分の意志で男装の修道生活を続けました。
実在したマリナは、5世紀頃に生きていたと伝承されていますが、ローマ帝国時代において、男性の平均寿命は41歳、女性は29歳と言われています。(アルベルト・アンジェラ『古代ローマ帝国 1万5000キロの旅』河出書房新社)
当時、女性の初産の年齢が非常に若かった(14歳以下)ことを考えると、マリナは年齢を重ねた、分別のある熟年女性と言えます。
現代で言えば、40代から50代頃の女性に相当するでしょうか。
乞食生活を耐えしのび、他人の子を養育したマリナは、年齢を重ねた女性にふさわしい落ち着きと忍耐強さ、愛情深さが感じられます。
『黄金伝説』の語り手は、マリナの人格の高潔さにのみ関心があり、彼女の容姿の美醜については全く語っていません。

一方、「ろおれんぞ」が無実の罪で追放されたのは、元服すべき時(14歳から16歳前後)であり、追放から1年あまり後に火事で命を落とします。
また『奉教人の死』の語り手は、「ろおれんぞ」の容姿について、「顔かたちが玉のように清らか」、「美しい顔を赤らめて」、「したたかその美しい顔を打った」、「哀れにも美しい眉目のかたち」と何度も繰り返して、彼女の美しさを語っています。
マリナと比較すると、「ろおれんぞ」は極めて若く、美しい少女と言えます。
「ろおれんぞ」が美少女だったからこそ、男装した際には「傘張の娘」が恋い慕うほどの美少年に見えたのでしょう。
「傘張の娘」との噂が流れた時、「ろおれんぞ」は「涙声」で噂を否定し、問い詰った「しめおん」を逆に咎めた直後、「涙に濡れた顔」で「しめおん」のもとに駆け込んで謝罪します。
分別があり、落ち着いたマリナと違って、「ろおれんぞ」は思春期らしい感情の揺れ動きが見られます。

「さんた・るちや」の中で、「ろおれんぞ」は、「いるまん」の「しめおん」と特に仲睦まじかったことが語られています。
二人の仲睦まじさは、「鳩になずむ荒鷲のよう」とか、「「ればのん」山の檜に、葡萄かずらが纏いついて、花咲いたよう」という、まるで恋人や夫婦を思わせる比喩を用いて語っています。
この「しめおん」に相当する登場人物は、「聖女マリナ」の物語では全く存在しないため、芥川が独自に創作したキャラクターです。
「しめおん」が「ろおれんぞ」に向ける強い愛情は、ホモソーシャル(同性間の社会的絆)ではなく、ホモセクシュアル(性的なもの)に近いように感じます。
「ろおれんぞ」の方も、「しめおん」に対し、信仰共同体における兄弟愛を超えた、異性愛に近い感情を向けています。

このように「聖女マリナ」の物語と比較すると、『奉教人の死』は「ろおれんぞ」の美しい容姿や豊かな表情について、過剰とも感じられるほど多く語っています。
作者である芥川は、「ろおれんぞ」の人間性よりも、女性としての<身体>に、読者の関心を向けさせようとしてるのではないでしょうか。
芥川は、「ろおれんぞ」の若さと美しさを強調し、読者の好奇心をそそった上で、最後に「ろおれんぞ」の「清らかな二つの乳房」を大勢の人目にさらして、なまなましく秘密の暴露を演出したのです。

「聖女マリナ」を下敷きとしたのならば、「ろおれんぞ」が数年間の乞食生活の後に、「さんた・るちや」へ再び戻り、長年の善行を積んで年を重ね、穏やかで静かな死を迎えるという筋書きでも良いはずです。
しかし芥川は、「ろおれんぞ」が追放後からわずか1年あまりで、火事の中から赤ん坊を救出して命を落とすという、ドラマティックな死に方を創作しています。
年を重ねてから女性であったと分かるよりも、若く美しいまま急死した方が、より強烈なエロス的感動を読者に与えるからでしょう。



伴天連、いるまん衆、奉教人衆


「聖女マリナ」を含め、<修道士処女>の系譜の物語において、女性であると発見されることは、彼女たちの名誉回復と聖女への叙列を意味しています。
しかし『奉教人の死』では、伴天連やいるまん衆は「ろおれんぞ」に謝罪していないため、「ろおれんぞ」は名誉回復も聖女への叙列も受けられず、ただの「奉教人の死」とされ、大勢の人々に「刹那の感動」を消費されただけなのです。
本作品が、『聖ろおれんぞ伝』ではなく、『奉教人の死』と題されていることに、「聖女マリナ」と「ろおれんぞ」の最も大きな違いがあり、芥川の意図が表現されていると言えます。
「傘張の娘」の「こひさん」を聞いた直後、伴天連は次のように奉教人衆へ語りかけます。

『悔い改むるものは、幸じゃ。何しにその幸なものを、人間の手で罰しようぞ。これより益、「でうす」の御戒を身にしめて、心静に末期の御裁判を待ったがよい。また「ろおれんぞ」がわが身の行儀を、御主「ぜす・きりしと」とひとしく奉ろうず志はこの国の奉教人衆の中にあっても、類稀なる徳行でござる。別して少年の身とはいい--』(49頁)

「ろおれんぞ」を陥れた罪を告白し悔い改めた「傘張の娘」に対して、人間が罰するものではなく、最後の審判に際して、神が裁くものであると、伴天連は教会の権威を持っておごそかに説教します。
続けて、「ろおれんぞ」の行いを「類稀なる徳行」と誉めますが、伴天連は「ろおれんぞ」を破門した自らの愚かさには全く目を向けていないのです。
「ろおれんぞ」が女性であると発見した伴天連は「ろおれんぞ」に対する説教を最後まで言い終えることなく、「かれびた頬の上には、とめどなく涙が溢れ流れる」ばかりとなります。

伴天連が涙したにもかかわらず、その後に「ろおれんぞ」が聖女としてねんごろに葬られたという記述はありません。
伴天連は、「いるまん」衆や奉教人衆を導く宗教的指導者であるため、自らの罪を認めて悔い改め、「ろおれんぞ」の名誉を回復し、死後の「ろおれんぞ」を聖女としてねんごろに葬る責任があります。
「聖女マリナ」の物語で、修道士が果たしていたこの役割を、伴天連は全く果たしていないのです。
伴天連が立場にふさわしい責任を果たしていないせいで、伴天連が涙した場面は、<加害者の回心>という聖人伝本来の宗教的感動による涙ではなく、「清らかな二つの乳房」の「エロス的感動」によって涙したかのように解釈できます。
芥川は、「ろおれんぞ」の若さと美しさを強調して<女性の身体の発見>を描き出した上で、<加害者の回心>はあえて描かないことによって、読者に伴天連への疑いをいっそう深めさせる効果を生み出しているのです。


「傘張の娘」の「こひさん」を聞いて、「傘張の翁」と「しめおん」は「胸を破った」(48頁)と語られています。
「ろおれんぞ」が本当は無実であったことに、「胸を破った」ほど驚いたにもかかわらず、二人とも「ろおれんぞ」を苦しめたことに対する謝罪の言葉を何も言わないまま、介抱している様子に、読者としては違和感を感じます。
<加害者の回心>が描かれていない点においては、「しめおん」を含む「いるまん」衆も、「傘張の翁」を含む奉教人衆も同じと言えるでしょう。
奉教人衆は、自分たちの罪を悔い改めない上に、「ろおれんぞ」の行いを「まるちり」(殉教)と勝手に名付けて、伴天連に代わって「ろおれんぞ」を聖化しようとしています。
伴天連が「ろおれんぞ」の名誉を回復し、聖女として認める前に、勝手に「ろおれんぞ」を聖化しようとする奉教人衆の言動は、逆説的に伴天連を批判することとなり、教会の権威を内側から傷つけていると言えます。

伴天連や教会の公認を通り越して、「まるちり」と叫ぶ奉教人衆の内心には、非業の死を遂げた人の魂を鎮め、神として祀る御霊信仰と近い意識が、根強くあると解釈できます。
本来の「聖女マリナ」の物語では、<加害者の回心>が最も重要な宗教的メッセージです。
奉教人衆が回心しないまま「ろおれんぞ」を聖化しようとする行為は、今後も全く反省なく、第二・第三の「ろおれんぞ」を生み出す<加害者>であり続ける危険性を示唆しています。
したがって、「ろおれんぞ」の物語において、芥川は宗教的に最も重要な<加害者の回心>を削除し、「ろおれんぞ」を聖化せず、一人の「奉教人の死」としたことで、全く異なるメッセージの物語へと書き換えたと言えるのです。


傘張の娘:『十二夜』と比較して


発売元: 光文社
発売日: 2007/11/20

また、「聖女マリナ」の物語では、マリナが女性であると発見され、修道士が自分たちの罪を悔い改め、彼女を聖女としてねんごろに葬った後に、マリナを陥れた女性が「みなの前で罪を白状しなくてはならない羽目になった」と語られています。
一方、「ろおれんぞ」の物語では、「傘張の娘」が自分の罪を告白した場面の後に、「ろおれんぞ」の女性の身体の発見が配置されています。
嘘つきの女性の懺悔が、<女性の身体の発見>の前なのか、後なのかでは、その懺悔の解釈が大きく変わってきます。

自分の嘘が発覚した後で、嫌々ながら罪を白状した女性と比較して、「傘張の娘」は自分の嘘が発覚する前に、「ろおれんぞ」の自己犠牲に心動かされ、自分の意志で罪を告白しています。
「ろおれんぞ」の物語の中で、この「傘張の娘」だけが<加害者の回心>をしていると言えます。
「傘張の娘」は、大勢の人々の前で自分の罪を認めて悔い改め、「ろおれんぞ」の無実を明らかにしたことで、贖罪を果たしたと解釈できます。
前述したように、伴天連や「いるまん」衆、奉教人衆に対して、芥川はかなり批判的に、いっそ悪意を感じさせるほど皮肉に描き出しています。
彼らとは対照的に、芥川は「傘張の娘」には懺悔と贖罪の機会を与え、「聖女マリナ」の嘘をついた女よりも同情的な筋書きへと変えているのです。

「ろおれんぞ」の美しさを過剰に強調する演出によって、「傘張の娘」が「ろおれんぞ」に魅了され、強く恋い焦がれる心情が、読者に分かりやすく伝わります。
ウィリアム・シェイクスピアの『十二夜』(1601年-1602年頃)では、「ろおれんぞ」と「傘張の娘」の関係と同じように、男装した女主人公をめぐる恋のすれ違いが描かれています。
女主人公ヴァイオラは、シザーリオという名前で男装し、オーシーノ公爵に仕える小姓として生活していましたが、伯爵令嬢オリヴィアに一目惚れされてしまいます。
ヴァイオラは、主であるオーシーノ公爵をひそかに愛しており、自分の恋がかなわない気持ちと、オリヴィアの恋が決してかなわないことを重ねて、悲しむ場面がとても印象的です。

お目当ての男とは、この私なのね! もしそうなら―いえ、そうとしか思えないけど、かわいそうに、あの方、いっそ、夢にでも恋するほうがましというもの! 表を偽るこの変装というやつ、なんて悪いやつなの、お前は。この手を使って、ずるい悪魔も美しい上面を飾り、ひどい悪事を働くんだわ。外見だけは立派でも、腹の黒い男どもが、ロウのように柔らかい女の心に、その姿形を刻印するのは、いかにたやすいことだろう。でも、その原因は、女心の力なさ、私たちが悪いんじゃない。だって、悲しいことに、私たち、そう生まれついているんだもの。でも、いったい、どうなるの? これ。オーシーノ様は、あんなにあの方を恋してらっしゃる。そして私は―女で、男の、この化物みたいな私は、こんなにもオーシーノ様を愛している。おまけにあのお嬢様は、私を男と思い違えて、私に夢中になっているらしい。どうなるというんだろう、これは。私は男。オーシーノ様の愛を得られる望みはない。私は女。かわいそうに、オリヴィア様がどれほど嘆きを募らせようと、甲斐はない! ああ、ここまで絡んでしまった糸の縺れ、私の手では、もう、どうにも解きようはない。「時」の手にゆだねるほかに、手はないのね。(ウィリアム・シェイクスピア『十二夜』、二幕二場より、光文社)

『十二夜』のヴァイオラと同じく、男装の女性である「ろおれんぞ」が、「傘張の娘」の恋心をかなえることは絶対に出来ません。
ヴァイオラと比較すると、「ろおれんぞ」が「傘張の娘」に対して、彼女を騙している後ろめたさを感じたり、決して成就することのない彼女の想いに同情する様子は描かれていません。
一方で、「傘張の娘」との噂を問い詰めた「しめおん」には、「ろおれんぞ」は彼を咎めた後に、わざわざ戻って来て「私が悪かった。許して下されい」(40頁)と謝罪します。
この台詞から、「ろおれんぞ」が「しめおん」に対して、自分の性別を偽っていることへの罪悪感を抱えていたことが分かります。
「ろおれんぞ」は、自分が性別を偽り、「しめおん」を騙しているせいで、彼が自分と「傘張の娘」との噂を信じ、自分を問いただしたことを、きちんと理解していたと言えます。
このように「ろおれんぞ」は、「しめおん」の心情に対しては理解し、配慮していますが、「傘張の娘」に対しては配慮する場面が全く無いため、「傘張の娘」の心情を理解していないか、理解しながら無視していたことになります。

「傘張の娘」との噂が立つほど、彼女の積極的なアプローチを受けて、「ろおれんぞ」が「傘張の娘」の恋心に気づいかないはずがありません。
「ろおれんぞ」は、「傘張の娘」の恋心に気づいていながら、彼女の恋心の真剣さを侮っていたと言えるでしょう。
「ろおれんぞ」が「傘張の娘」の心情を無視し続け、「あまりにつれなく」(47頁)接したせいで、彼女の内心に「怨む心」が生じる結果となります。
「傘張の娘」の気持ちが本気だったからこそ、「ろおれんぞ」に「あまりにつれなく」され、「つらかった口惜しさを思い知らそう」(47頁)として、彼女は「ろおれんぞ」を貶める嘘をついたのです。

『十二夜』では、ヴァイオラが生き別れとなった双子の兄セバスチャンと再会し、彼女の正体が明らかになります。
オリヴィアは、男装したヴァイオラと見分けがつかないほど似ているセバスチャンと婚約し、ヴァイオラもオーシーノ公爵への想いがかなって、二組は同じ日、同じ時に結婚式を行う運びとなり、幸福な結末を迎えます。

オリヴィア   オーシーノ様、今ここで起こったさまざまな出来事を考え合わせて、今までは妻にとお望みになっていたこの私のことを、もしむしろ妹と呼んでもよいとお考えくださるのでしたら、いかがでございましょう、同じ日、同じ時に、私たち二組 の結婚の儀式を、晴れやかに挙げることにしてはと存じますが。それも、よろしければ、この私の邸で、私に準備させていただけますなら。
オーシーノ   そのお申し出、心から喜んでお受けしよう。(ヴァイオラに)召使いとしてのお前の務めは、主人たる私が、今、ここに解く。これまでの仕事、女としてはつらかったろう、やさしく、しとやかな生まれ育ちからすれば、卑しいこととも思えたろうに、よく、 尽くしてくれたな。私のことを、これほど長く、主人と呼んでくれたお前、さ、この手を取ってくれ。今より後は、お前は、お前の主人の、女主人だ。
オリヴィア  (ヴァイオラに)そう、そして、私のお姉様。(『十二夜』五幕一場)

シェイクスピアは、オーシーノに対するヴァイオラの恋心と、男装したヴァイオラに対するオリヴィアの恋心、この両方を成就させて、ヒロインを二人ともハッピーエンドにするために、ヴァイオラの双子の兄という都合の良いキャラクターを登場させています。
シェイクスピアと違って、芥川は「傘張の娘」の恋心をかなえるための、都合の良い「ろおれんぞ」の双子の兄など決して登場させません。
そのため、「ろおれんぞ」はせめて「傘張の娘」にだけは、自分の本当の性別を明かすべきであったと感じます。
「ろおれんぞ」が「傘張の娘」の恋心に誠実に向き合い、彼女を騙していたことを謝罪していれば、「ろおれんぞ」を陥れるほどに「傘張の娘」が思いつめることはなかったはずです。
「傘張の娘」が嘘をついて陥れなければ、「ろおれんぞ」は無実の罪で「さんた・るちや」を追放され、乞食となることもなかったでしょう。

芥川は、「聖女マリナ」の物語から「ろおれんぞ」の物語に書き換えるに当たって、原典には全く含まれていなかった、恋愛の要素を大きく盛り込んでいます。
このように恋愛の要素を取り入れることで、「ろおれんぞ」を陥れる役どころの「傘張の娘」の人物像をより掘り下げて、彼女がなぜ嘘をついたか、非常に分かりやすく表現しています。
『十二夜』において、シェイクスピアはヴァイオラとオリヴィアの両方を幸せにしようと苦心していますが、芥川は「ろおれんぞ」と「傘張の娘」の両方に不幸な結末を与えています。
芥川は、「傘張の娘」の恋心を強調し、彼女の犯した罪を同情的に演出することによって、彼女の心情を無視して、誤解を解こうともせず、男装を続ける「ろおれんぞ」の無自覚なエゴイズムを描き出しているのです。


<無自覚なエゴイズム>:『奉教人の死』から『続西方の人』へ


発売元: 新潮社; 改版
発売日: 1968/11/19

この<無自覚なエゴイズム>というテーマは、「ろおれんぞ」のみならず、恋心を暴走させた「傘張の娘」や、嘘を信じ込んで「ろおれんぞ」を殴った「しめおん」、冤罪が明らかになった後も、自分たちの非を認めない伴天連や奉教人衆など、物語全体に共通する問題であるとわたしは考えます。
「ろおれんぞ」と「傘張の娘」、「しめおん」のすれ違いは、個人個人それぞれが持っている<無自覚なエゴイズム>を描き出しています。
そして、「ろおれんぞ」を迫害していながら、「まるちり」とほめたたえる奉教人衆の姿は、集団における<無自覚なエゴイズム>を描き出していると言えます。
伴天連や奉教人衆の姿を通して表現された集団的エゴイズムは、ありきたりの単純なキリスト教批判ではなく、あらゆる人間社会が常に内包している問題です。
したがって、芥川は、「聖女マリナ」の物語を下敷きにしながら、本来の宗教的メッセージを完全に消し去り、人間の内面に対するより深い洞察と疑義を描き出していると言えます。

芥川は、登場人物たちの中でも、奉教人衆の愚かさを特に際立たせて描いているように感じます。
彼が晩年に執筆し、遺稿となった『西方の人』と『続西方の人』(1927年)では、イエス・キリストと、イエスを「知らない」と否認した弟子、イエスを死に追いやった多くの人々に対して、次のように考察しています。

クリストの一生の最大の矛盾は彼の我々人間を理解してゐたにも関らず彼自身を理解出来なかつたことである。彼は 庭鳥の啼く前にペテロさへ三度クリストを知らないと云ふことを承知してゐた。彼の言葉はその外にも如何に我々人間の弱いかと 云ふことを教へてゐる。しかも彼は彼自身もやはり弱いことを忘れてゐた。(芥川竜之介『続西方の人』、「12 最大の矛盾」より)

クリストは比喩を話した後、「どうしてお前たちはわからないか?」と言つた。この歎声も亦度たび繰り返されてゐる。それは彼 ほど我々人間を知り、彼ほどボヘミア的生活をつづけたものには或は滑稽に見えるであらう。しかし彼はヒステリツクに時々かう 叫ばずにはゐられなかつた。阿呆たちは彼を殺した後、世界中に大きい寺院を建ててゐる。が、我々はそれ等の寺院にやはり彼の 歎声を感ずるであらう。「どうしてお前たちはわからないか?」―― それはクリストひとりの歎声ではない。後代にも見じめに 死んで行つた、あらゆるクリストたちの歎声である。(『続西方の人』、「15 クリストの歎声」)

「阿呆たちは彼を殺した後、世界中に大きい寺院を建ててゐる」という痛烈な批判は、「ろおれんぞ」を苦しめた自分たちの愚かさに気づかず、「まるちり」と叫ぶ奉教人衆の姿と重なります。
したがって芥川は、後年に『西方の人』と『続西方の人』で示した、キリスト教に対する理解とキリスト教信者たちへの深い洞察を、1918年に発表した『奉教人の死』の中で、すでに描き込んでいたと言えるでしょう。



3.「まるちり」とは何か?


二重三重に群った奉教人衆の間から、「まるちり」(殉教)じゃ、「まるちり」じゃという声が、波のように起こったのは、丁度この時の事でござる。殊勝にも「ろおれんぞ」は、罪人を憐む心から、御主「ぜす・きりしと」の御行跡を踏んで、乞食にまで身を落いた。して父と仰ぐ伴天連も、兄とたのむ「しめおん」も、皆その心を知らなんだ。これが「まるちり」でのうて、何でござろう。(芥川竜之介『奉教人の死』、岩波文庫、48頁)

『奉教人の死』の中では、火事の中から赤ん坊を救出した「ろおれんぞ」に対して、奉教人衆が「まるちり」じゃと叫び出す様子が描かれています。
この「まるちり」という独特の言い回しは、「殉教」を意味するポルトガル語の「マルチリヨ」(Martirio)に由来します。
キリシタン時代において、宣教師たちは「殉教」を「マルチリヨ」(Martirio)、「殉教者」を「マルチル」(Martir)として、ポルトガル語の原語をそのまま音訳して教えていました。
当時のラテン語・ポルトガル語・日本語の対訳辞書である『羅葡日辞書』(1595年、天草コレジョ刊)では、「マルチル」という言葉は、「証拠人、デウスのご奉公に対して呵責を受け、命を捧げられたる善人」と説明されています。

「マルチル」の第1語義が「証拠人」と記されていたように、もともとキリスト教における「殉教者」とは、ギリシア語の「証人」を意味する「μάρτυς」という言葉に由来します。

あなたがたはこれらのことの証人となる。(『ルカによる福音書』24章48節)

ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」(『ヨハネによる福音書』1章15節)

そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて、天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。(『使徒言行録』1章21-22節)

ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。(『ヨハネの黙示録』1章2節)

このように、新約聖書の中では、「証人」を意味するギリシャ語「μάρτυς」が、<イエスの生涯とその復活の証人>を指す言葉として、何度も繰り返し用いられています。
しかし、初期キリスト教徒たちが激しい迫害を受けた時代に、信仰のために血を流し、自ら死を選んだ信徒が「殉教者」と位置づけられるようになっていきます。

『使徒言行録』の中で、ユダヤ人たち(その中にはサウロ、すなわち回心前のパウロもいた)によって石打ちにされ、殺されたステファノは、キリスト教最初の殉教者として位置づけられました。
死して自らの信仰を証しする「証人」こそが「殉教者」である、と解釈されるようになると、死を伴わない「証人」は「証聖者」という新たな言葉を用いて、区別されるようになります。
『黄金伝説』(1267年頃)では、「白いというのは、貴重な証聖者であり、福音史家である聖ヨハネのことであり、赤いというのは、最初の殉教者となった聖ステパノのことである」(『黄金伝説』、「8章 聖ステパノ」)と記されています。

キリスト教が公認された4世紀以降、初期キリスト教における迫害時代の記憶が「殉教者伝」として記録され、「殉教者=聖人」として尊ばれ、殉教者の遺骨や遺物がもてはやされるようになります。
聖人崇拝が高まった時代については、藤木稟「バチカン奇跡調査官 ジェヴォーダンの鐘」の記事中でも詳しく書いておりますので、ご参照ください。
『黄金伝説』は、ステファノのような殉教死者をはじめ、「聖女マリナ」のような刑死を伴わない殉教者=本来の「証人」としての殉教者を含む、数多くの聖人伝を収録しています。
13世紀半ば以降、『黄金伝説』は中世ヨーロッパで広く読まれ、修道士たちが修道生活を行う中で、聖人たちの生涯を模範としたのです。

宗教改革に先立ち、共同生活兄弟団(1370年代に創設)が提唱した「近代的敬虔」(Devotio moderna)と呼ばれる敬虔な生活の復興が、ネーデルラントからドイツ、北フランスにかけて広まります。
この「近代的敬虔」運動が隆盛する中で、トマス・ア・ケンピスが書いたとされる信心書『イミタティオ・クリスティ』(Imitatio Christi)が出版され、中世の末からヨーロッパ各地で聖書に次いで広く読まれたと言われています。
『イミタティオ・クリスティ』とは、「キリストに倣いて」を意味しており、イエス・キリストの受難を黙想し、キリストに倣うことが推奨され、「近代的敬虔」の精神を説いています。


16世紀半ばの日本にキリスト教を伝えたイエズス会は、このような「近代的敬虔」運動やカトリック改革の精神を背景に、対抗宗教改革の旗手として設立されました。
巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノの主導によって、1590年に西洋式活版印刷機が日本に導入され、イエズス会は伝道に必要な教理書や聖人伝、信心書、ラテン語・ポルトガル語の辞典類など、現代では「キリシタン版」と呼ばれる書物を出版しています。

『サントスの御作業のうち抜書』(1591年、加津佐刊)は、現存する最古のキリシタン版の刊行物であり、『黄金伝説』に収録されているステファノ、ペテロ、パウロなどの殉教者の物語を中心とした聖人伝です。
日本人信徒のために、仏教用語や仏教教説を転用し、中国の始皇帝や醍醐天皇までも出しながら、分かりやすい意訳をしています。
このことから、イエズス会士たちが宣教開始の早い時期から、殉教者伝や聖人伝を教材として、日本の信徒たちにイエス・キリストの受難と復活を説いていたことが分かります。

『サントスの御作業のうち抜書』が出版されたのは、伴天連追放令(1587年)の後ですが、聖人伝の翻訳作業自体は、すでに宣教初期(1556年頃)から行われていました。
宣教師たちが、来るべき弾圧を予見して殉教教育を行っていたと考えるよりも、当時の日本人に共感を呼び起こし、尊敬や信頼を抱かせるための教材として、殉教者伝や聖人伝を用いたと考える方が自然です。

「近代的敬虔」運動を代表する信心書『イミタティオ・クリスティ』も、キリシタン版のローマ字本『コンテンツム・ムンヂ』(1596年、天草刊)や、国字本『こんてむつすむん地-世をいとひゼス・キリシトをまなび奉るの経』(1610年、京都刊)が刊行されています。
同様に、「罪人の導き」を意味する信心書『Guia do pecador』の日本語抄訳である『ぎやどぺかどる』(1599年、長崎刊)までも刊行されています。
このように、イエズス会は宗教改革前の西欧で広く読まれていた信心書を教材とし、日本の信徒たちの信仰生活の指南書としたのです。

ちなみに、芥川は『奉教人の死』のエピグラフに、この『Imitatio Christi』と『Guia do pecador』の一節をそれぞれ引用しています。

たとひ三百歳の齢を保ち、楽しみに身を余るといふとも、未来永々の果しなき楽しみに比ぶれば、夢幻の如し。-(慶長訳Guia do pecador)-

善の道に立ち入りたらん人は、御教にこもる不可思議の甘味を覚ゆるべし。-(慶長訳Imitatio Christi)-(『奉教人の死』、岩波文庫、37頁)

この『イミタティオ・クリスティ』の言葉は、現代の日本語では次のように訳されています。

キリストの教えは、聖人たちのあらゆる教えにも優っている。その精神を学びえた人は、その中にかくれている霊の食物(マナ)を見つけるだろう。(『イミタチオ・クリスティ キリストにならいて』「第1章 キリストにならい、世の空しいものをすべて軽んずべきこと」より)

「不可思議の甘味」という訳語が、現代では「霊の食物(マナ)」という表現へと変わっています。
「マナ」とは、イスラエルの民がエジプトを脱出して、荒れ野を旅していた時に、天から与えられた食物(『出エジプト記』16章14節-35節)のことです。
イエス・キリストは、マナに代わり「命のパン」(『ヨハネによる福音書』6章22節-58節)をお与えになったと言われています。
キリシタン時代の翻訳者は、天から与えられた食物である「マナ」について、中国古来の伝説における「甘露」(天から降る甘い露)をイメージして、「甘味」と訳したのかもしれません。


これらの聖人伝や信心書は、日本の信徒たちに、イエス・キリストの受難と復活の教義を理解させ、「殉教」の精神を育て、信心を高める手助けをしたことでしょう。
「日本二十六聖人の殉教」(1597年)や「元和の大殉教」(1622年)をはじめとして、日本で現実に殉教が起こったことから、「殉教」の精神が当時の信徒たちに受容されていたことは間違いないと言えます。


「ろおれんぞ」の死は「まるちり」なのか?


『奉教人の死』における「ろおれんぞ」の死は、「元和の大殉教」のようなキリシタン迫害による死とは、全く異なります。
「ろおれんぞ」を迫害したのは、キリスト教を弾圧する異教徒たちではなく、「ろおれんぞ」と信仰を同じくするキリスト教徒たち、すなわち伴天連や「すぺりおれす」(長老衆)、「いるまん」(法兄弟衆)、奉教人衆です。
「ろおれんぞ」は「傘張の娘」に陥れられ、伴天連や「いるまん」は姦計に気づかず、「ろおれんぞ」を教会から追放し、乞食の生活に追いやりました。

「ろおれんぞ」は、「町はずれの非人小屋に起き伏しする、世にも哀れな乞食」となりましたが、決して信仰を棄てませんでした。
禁教期に、表向きは棄教のふりををして処刑を免れ、密かに信仰を持ち続けた潜伏キリシタンたちのように、伴天連がいくら「ろおれんぞ」を破門し、教会から追放したとしても、「ろおれんぞ」の信仰心を奪うことは出来なかったのです。

長崎の町にはびこった、恐ろしい熱病にとりつかれて、七日七夜の間、道ばたに伏しまろんでは、苦み悶えたとも申す事でござる。したが、「でうす」無量無辺の御愛憐は、その都度「ろおれんぞ」が一命を救わせ給うのみか、施物の米銭のない折々には、山の木の実、海の魚貝など、その日の糧を恵ませ給うのが常であった。由って「ろおれんぞ」も、朝夕の祈は「さんた・るちや」にあった昔を忘れず、手くびにかけた「こんたつ」も、青玉の色を変えなかったと申す事じゃ。なんのそれのみか、夜ごとに更闌けて人音も静まる頃となれば、この少年はひそかに町はずれの非人小屋を脱け出いて、月を踏んで住み馴れた「さんた・るちや」へ、御主「ぜす・きりしと」の御加護を祈りまいらせに詣でておった。
なれど同じ「えけれしや」に詣ずる奉教人衆も、その頃にはとんと、「ろおれんぞ」を疎んじはてて、伴天連はじめ、誰一人憐みをかくるものもござらなんだ。ことわりかな、破門の折から所行無慚の少年と思いこんでおったに由って、何として夜ごとに、独り「えけれしや」へ参るほどの、信心ものじゃとは知らりょうぞ。これも「でうす」千万無量の御計らいの一つ故、よしない儀とは申しながら、「ろおれんぞ」が身にとっては、いみじくもまた哀れな事でござった。(『奉教人の死』、岩波文庫、42-43頁)

「ろおれんぞ」は、クリスマスの夜に教会に保護されて以来、伴天連や「すぺりおれす」、「いるまん」、奉教人衆から「天童の生まれがわり」などと、ちやほやされて育ちました。
しかし、伴天連によって破門され、教会を追放されたことで、「ろおれんぞ」に憐みをかけるものは誰一人いなくなりましたが、主なる神だけは「ろおれんぞ」を変わらず愛し、憐み続けたことが記されています。
「施物の米銭」が無い時には、「ろおれんぞ」のために「山の木の実、海の魚貝など、その日の糧を恵ませ給うのが常」であったという記述は、アハブ王から命を狙われた預言者エリヤが、主なる神によって養われた物語(列王記上17章1-15節)を思い起こさせます。
主の言葉がエリヤに臨んだ。「ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むが良い。わたしは烏に命じて、そこであなたを養わせる。」エリヤは主に言われたように直ちに行動し、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに行き、そこにとどまった。数羽の烏が彼に、朝、パンと肉を、また夕べにも、パンと肉を運んできた。水はその川から飲んだ。しばらくたって、その川も涸れてしまった。雨がこの地方に降らなかったからである。(『列王記上』17章2-7節)

また主の言葉がエリヤに臨んだ。「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」彼は立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った。彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った。彼女は答えた「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」と言った。エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。
主が地の面に雨を降らせる日まで
壺の粉は尽きることなく
瓶の油はなくならない。」
やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならなかった。(『列王記上』17章8-15節)

エリヤを生かすために、烏にパンと肉を運ばせたり、餓死寸前だった母子家庭に必要なだけの小麦と油を備えたように、主なる神は「ろおれんぞ」が恐ろしい熱病に罹った時は命を救い、「施物の米銭」が無い時には「山の木の実、海の魚貝など、その日の糧を恵ませ給う」たのです。
主なる神が一体どのような方法で「山の木の実、海の魚貝など」を「ろおれんぞ」に恵ませたか、芥川は具体的に書いていませんが、「ろおれんぞ」が神の御計らいによって生かされていると感じていたことは明らかです。
そのため、「ろおれんぞ」は、教会で何不自由なく暮らしていた頃よりも、いっそう主なる神に立ち返り、主イエス・キリストにのみ依り頼むようになったと言えるでしょう。
誰にも頼れない孤独な乞食生活だったからこそ、「ろおれんぞ」は主なる神の「無量無辺の御愛憐」に感謝し、朝夕の祈りを欠かさず、毎夜密かに町はずれの非人小屋から教会に参詣し続けたのかもしれません。

『奉教人の死』の語り手は、「ろおれんぞ」が教会を追放され、乞食生活の中で、信仰をより確かにしていく過程を、「「でうす」千万無量の御計らいの一つ」と語っています。
すなわち、「ろおれんぞ」が無実の罪で追放され、孤独な乞食生活に苦しむことはすべて、主なる神の御計画のうちにあり、試練の一つであると、語り手は解釈していると言えます。


教会を追放されてから一年あまり、「ろおれんぞ」は試練にさらされましたが、主なる神を恨んだり、棄教することなく、信仰をよりつよく篤くしました。
そして長崎の町の大火事が起こった時、燃えさかる「傘張の娘」の家に取り残された赤ん坊の命を救うため、「ろおれんぞ」はまっしぐらに火中に飛び込んだのです。

多くの人を押しわけて、駆けつけて参ったは、あの「いるまん」の「しめおん」でござる。これは矢玉の下もくぐったげな、逞しい大丈夫でござれば、ありようを見るより早く、勇んで焔の中へ向うたが、あまりの火勢に辟易致いたのでござろう。二、三度煙をくぐったと見る間に、背をめぐらして、一散に逃げ出いた。して翁と娘とが佇んだ前へ来て、『これも「でうす」万事にかなわせたまう御計らいの一つじゃ。詮ない事とあきらめられい』と申す。その時翁の傍から、誰とも知らず、高らかに「御主、助け給え」と叫ぶものがござった。声ざまに聞き覚えもござれば、「しめおん」が頭をめぐらして、その声をの主をきっと見れば、いかな事、これは紛れもない「ろおれんぞ」じゃ。清らかに痩せ細った顔は、火の光に赤うかがやいて、風に乱れる黒髪も、肩に余るげに思われたが、哀れにも美しい眉目のかたちは、一目見てそれと知られた。その「ろおれんぞ」が、乞食の姿のまま、群る人々の前に立って、目もはなたず燃えさかる家を眺めておる。と思うたのは、まことに瞬く間もないほどじゃ。一しきり焔を煽って、恐ろしい風が吹き渡ったと見れば、「ろおれんぞ」の姿はまっしぐらに、早くも火の柱、火の壁、火の梁の中にはいっておった。「しめおん」は思わず遍身に汗を流いて、空高く「くるす」(十字)を描きながら、己も「御主、助け給え」と叫んだが、何故かその時心の眼には、凩に揺るる日輪の光を浴びて、「さんた・るちや」の門に立ちきわまった、美しく悲しげな、「ろおれんぞ」の姿が浮かんだと申す。(『奉教人の死』、岩波文庫、44-45頁)

「しめおん」は、火中に飛び入ることをためらい、「傘張の娘」と「傘張の翁」に「これも「でうす」万事にかなわせたまう御計らいの一つ」と、まるで赤ん坊の死が主なる神の御計画のうちかのように言い聞かせます。
しかし、主なる神の御計画かどうかは、神ならぬ身である「しめおん」に分かるはずもないため、本当は自分が赤ん坊を助けられない後ろめたさを、主なる神のせいにしていると言えます。

一方で、「ろおれんぞ」は「御主、助け給え」とだけ言って、まっしぐらに火焔の中に飛び入り、赤ん坊を助け出そうとしました。
燃えさかる家を眺めていたまさに一瞬の間、「ろおれんぞ」は赤ん坊の死が主なる神の御計画かどうかなどは考えず、ただひたすら主イエス・キリストに依り頼み、赤ん坊の命を助けることだけを考えていたことでしょう。
火中に飛び込んだ「ろおれんぞ」を見て、「しめおん」は「ろおれんぞ」が教会から追放された日の光景を思い出します。
その時居合わせた奉教人衆の話を伝え聞けば、時しも凩にゆらぐ日輪が、うなだれて歩む「ろおれんぞ」の頭のかなた、長崎の西の空に沈もうず景色であったに由って、あの少年のやさしい姿は、とんと一天の火焔の中に、立ちきわまったように見えたと申す。(『奉教人の死』、岩波文庫、41-42頁)

「しめおん」の拳でしたたかに打たれて、教会を追い出される「ろおれんぞ」の姿は、「天の火焔の中に、立ちきわまったように見えた」と語られています。
芥川は、このような極めて美しく印象的な「ろおれんぞ」の追放を描くことで、その後の「ろおれんぞ」の苦難の日々と受難を暗示していると言えます。
また、「凩にゆらぐ日輪」、「凩に揺るる日輪の光」と繰り返し語っていることから、太陽の円光を背景にして立つ「ろおれんぞ」の姿は、イエス・キリスト像や聖母子像、聖人像で必ず描かれる光背(後光)のイメージと重なるのです。
「傘張の娘」は「こひさん」(懺悔)の中で、「「ろおれんぞ」様の御心の気高さは、妾が大罪をも憎ませ給わいで、今宵は御身の危さをもうち忘れ、「いんへるの」(地獄)にもまがう火焔の中から、妾娘の一命を辱くも救わせ給うた。その御憐み、御計らい、まことに御主「ぜす・きりしと」の再来かともおがまれ申す」と語っています。
芥川が、頭の後方から眩しく光が差す「ろおれんぞ」の姿を描いたのは、イエス・キリストの受難と重ね合わせていたからでしょう。

「ろおれんぞ」が火中に飛び込み、赤ん坊の命を救った行為が「まるちり」なのかどうか考えるにあたって、再び思い起こすのは、本来、キリスト教における「殉教者」は「証人」を意味するという点です。
「殉教」が「信仰の証し」をすることであると定義すれば、「ろおれんぞ」の行為は「イエス・キリストに倣う」という信仰の実践にほかならず、まさに「まるちり」(殉教)であると考えられます。
この「ろおれんぞ」の「まるちり」は、『イミタティオ・クリスティ』(「キリストに倣いて」)で説かれた「近代的敬虔」の精神と同じものであると言えます。

しかし、愛のためになされることは、どんなに小さくつまらないことでも、すべて実りの多いものとなる。神は、人がどんなことをするか、というよりも、どれほど大きな愛から行動するかを、よけいに考量されるのである。(トマス・ア・ケンピス『イミタチオ・クリスティ キリストにならいて』「第15章 愛のためになされる業について」より、講談社)

「ろおれんぞ」が「御主、助け給え」と、主イエス・キリストに依り頼み、まっしぐらに火焔の中に飛び入ることが出来たのは、教会から追放されて以来、常に主なる神に支えられ、主の恵みに生かされていたからこそだと思います。
もし、「ろおれんぞ」が教会から追放されず、今まで通りに伴天連や「すぺりおれす」、奉教人衆からちやほやされ、「しめおん」と仲睦まじく過ごしていたら、燃えさかる家を前にした時、「しめおん」と同じように赤ん坊の命をあきらめたことでしょう。

「ろおれんぞ」は、赤ん坊の命を救うことに成功しましたが、結果的に火傷によって自らの命を落としました。
しかし、「ろおれんぞ」の死が最も重要なのではなく、たとえ「ろおれんぞ」が命を落とさなかったとしても、赤ん坊を救い出した行為は「イエス・キリストの愛」の実践であり、「まるちり」=「信仰の証し」であると言えるでしょう。



一方、「ろおれんぞ」とは対照的に、「しめおん」は火焔の中へ入るのをためらい、「詮ない事とあきらめられい」と言って、赤ん坊の命を見捨てようとしました。
その「しめおん」が、「ろおれんぞ」を救い出すために、火の嵐の中へ真一文字に躍りこんだのです。

それより先に「しめおん」は、さかまく火の嵐の中へ、「ろおれんぞ」を救おうず一念から、真一文字に躍りこんだに由って、翁の声は再び気づかわしげな、いたましい祈りの詞となって、夜空に高くあがったのでござる。これは元より翁のみではござない。親子を囲んだ奉教人衆は、皆一同に声を揃えて、「御主、助け給え」と、泣く泣く祈りを捧げたのじゃ。して「びるぜん・まりや」の御子、なべて人の苦しみと悲しみとを己がものの如くに見そなわす、われらが御主「ぜす・きりしと」は、遂にこの祈りを聞き入れ給うた。見られい。むごたらしゅう焼けただれた「ろおれんぞ」は、「しめおん」が腕に抱かれて、早くも火と煙とのただ中から、救い出されて参ったではないか。(『奉教人の死』、岩波文庫、46-47頁)

「ろおれんぞ」にとって、この赤ん坊は全くの他人であるだけでなく、自分を陥れた「傘張の娘」が生んだ子供です。
敵の子供であっても、命をかけて救い出そうとした「ろおれんぞ」は、まさに「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(『マタイによる福音書』5章44節)と説いた「イエス・キリストの愛」を実践したと言えます。
一方、「しめおん」は、赤ん坊の命は見捨てようとしましたが、「ろおれんぞ」を救い出すためならば、命がけで火の嵐の中に飛び入りました。
このことから、「しめおん」が本当に心から「ろおれんぞ」を愛していたことが窺えます。
「しめおん」の愛は、「イエス・キリストの愛」とは異なり、「ろおれんぞ」だけに向けられていたと言えます。

赤ん坊の命を見捨て、「ろおれんぞ」だけを助けようとした「しめおん」は、決して冷酷非情な人間というわけではなく、誰もが「しめおん」と同じように、命の優劣をつけて生きているはずです。
従順、貞潔、清貧という三つの誓願を立て、修道生活を入った「いるまん」である「しめおん」であっても、このように「イエス・キリストの愛」を実践することは難しいのです。


『奉教人の死』の語り手は、「なべて人の苦しみと悲しみとを己がものの如くに見そなわす、われらが御主「ぜす・きりしと」」と語っています。
したがって芥川は、イエス・キリストは全ての人の苦しみと悲しみとを自分のことのように御覧になる御方である、と解釈していたと言えます。
そして、芥川が「如何に我々人間の弱いか」(『続西方の人』、「12 最大の矛盾」)と語った通り、わたしたちは他人に無量無辺の愛憐の気持ちを感じることなど出来ないし、他人の苦しみや悲しみを自分のこととして感じることも出来ないのです。
「ろおれんぞ」を陥れた「傘張の娘」も、「ろおれんぞ」の無実が明らかになっても自分たちの不明を認めず、罪を悔い改めようとしない伴天連や奉教人衆も、同じ弱い人間であると言えます。
「イエス・キリストに倣う」生き方を実践することが極めて困難だからこそ、「信仰の証し」を立てた「ろおれんぞ」の生き方は尊敬すべきものであり、まさに「まるちる」=「証人」であると言えるでしょう。


4. 結びに


『奉教人の死』は、次のような結びの言葉が語られています。

その女の一生は、この外に何一つ、知られなんだげに聞き及んだ。なれどそれが、何事でござろうぞ。なべて人の世の尊さは、何ものにも換えがたい、刹那の感動に極るものじゃ。暗夜の海にも譬えようず煩悩心の空に一波をあげて、いまだ出ぬ月の光を、水沫の中へ捕らえてこそ、生きて甲斐ある命とも申そうず。されば「ろおれんぞ」が最後を知るものは「ろおれんぞ」の一生を知るものではござるまいか。(『奉教人の死』、岩波文庫、50頁)

仏教の教えでは、「光明」は仏の智慧や慈悲を象徴しており、その光に照らされていない状態を「無明」と呼びます。
そして人間の心身を悩ませ苦しめる心のはたらきを「煩悩」と呼び、この「煩悩」が智慧の光を妨げ、迷いや苦しみを生みだす原因であると説かれています。
『奉教人の死』の語り手は、光明に照らされていない状態である「煩悩心」を「暗夜の海」に譬えて、「暗夜の海」のような悩み苦しむ心の空に、一つの波を起こし、未だ姿を現わさない月の光を水沫の中に見てこそ、「生きて甲斐ある命」と言うことが出来るだろう、と語っています。

わたしは当初、この結びの言葉の中で、唐突に「煩悩」といった仏教用語が用いられていることに、違和感を感じました。
しかし、キリシタン版の聖人伝や信心書において、多くの仏教語が訳語として採用され、教理の説明に仏教教説が援用されていたことを知って、この結びの言葉の奇妙さが、むしろ自然に思えてきました。
芥川は、キリシタン版の文体を模して『奉教人の死』を執筆していますが、仏教語を転用したキリシタン時代の不自然な言い回しまでも、巧みに再現しているのです。
芥川がキリシタン版の文体模倣として仏教語を用いていると考えれば、この結びの言葉は仏教ではなく、キリスト教の信仰に基づいて解釈すべきでしょう。

「暗夜の海」で水沫の中に未だ出ぬ月の光を見るという情景は、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(『ヨハネによる福音書』8章12節)という言葉を思い起こさせます。
『イミタティオ・クリスティ』の冒頭でも、この聖書箇所を引用して、わたしたちが「心の闇」から解放されるために、イエス・キリストに倣って生きることを勧めています。

私にしたがう人は闇の中を歩まない(ヨハネ八の一二)、と主はいわれる。これはキリストの言葉だが、もし私たちがほんとうに愚かさを捨て、心の闇をすっかり去って解放されるのを望むなら、あの方の生涯や行いにならえと、すすめるものである。(『イミタチオ・クリスティ キリストにならいて』「第1章 キリストにならい、世の空しいものをすべて軽んずべきこと」より)

「暗夜の海」で、未だに月の光が出ない状態にもかかわらず、どうして水沫の中に月の光を捕らえることが出来るでしょうか。
「ろおれんぞ」が、未だに月の出ない「暗夜の海」のような苦しみの中で、水沫の中に「光」を見たとすれば、その光は「ろおれんぞ」自身が内側に持っている「命の光」であると考えます。
「ろおれんぞ」が教会を追放されてからは、自分に憐みをかけるものは誰一人いない孤独な乞食生活であり、まさに月の出ない「暗夜の海」を漂流している状態と同じです。
しかし、「ろおれんぞ」はこのような絶望的な「暗夜の海」にあっても、「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(『ヨハネによる福音書』8章12節)と言われた通り、イエス・キリストという光を捕らえていたからこそ、決して自暴自棄になったりせず、「生きて甲斐ある命」を全うしたのだと思います。

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々に、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(『マタイによる福音書』5章14節-16節)

『奉教人の死』の結びの言葉では、「なべて人の世の尊さは、何ものにも換えがたい、刹那の感動に極るもの」であり、「ろおれんぞ」の最後を知るものは「ろおれんぞ」の一生を知るものであると語っています。
つまり、「ろおれんぞ」が火焔の中から赤ん坊を救い出したという「最後」にこそ、「ろおれんぞ」の人生の尊さがあらわれており、何ものにも換えがたい「刹那の感動」があると解釈できます。
「イエス・キリストの愛」を実践した「ろおれんぞ」の「最後」には、たしかに「ろおれんぞ」の人生の尊さが極まっていると言えるかもしれません。
「あなたがたは世の光である」とイエス・キリストが言われた通り、「ろおれんぞ」が「暗夜の海」のような「煩悩心の空」にあげた「一波」は、未だに月の出ない中で、人々の前に光輝いたのだと思います。




おまけ:「聖女マリナ」と「ろおれんぞ」の男装についての考察


女性が男装して修道士となり、死後に女性であったことが分かる修道士処女(モナコパルティノス)の物語は、古くから伝えられています。
『黄金伝説』には、聖女マリナをはじめ、聖女テオドラ、聖女エウゲニア、聖女ペラギア、聖女マルガリアの伝記が採録されています。
彼女たちは、なぜ男装していたのでしょうか?

「聖女マリナ」の物語では、マリナは父親に伴って修道院に入り、父親に命じられて男装し、父親の死後も修道生活を自分の意志で続けたと記されています。
しかし、なぜ父親はマリナに男装を命じたのでしょうか?
父親が修道の志を持ち、世俗を捨てて、修道院に入る際に、自分の娘は他家へ嫁がせるか、修道女見習いとする方が自然です。

マリナは、5世紀頃に実在した女性であることから、FtMトランスジェンダー(生まれつきの性別が女性で、性自認が男性)であった可能性も考えられます。

マリナが父に命じられて男装していた期間は、修道の請願を立てる前の修練期(志願期)=見習い期間に当たると言えます。
もしマリナの性自認が女性であったならば、父親の命令に従い、自分の意志に反して男装をしていたことになります。
マリナが不本意ながら男装をしていたとすれば、父親の死を契機に、還俗して、本来の性別へ回帰し、結婚して子育てする人生を選ぶことも出来たはずです。

しかし『黄金伝説』には、父親が死の際に、改めてマリナに修道の志を問うた時、マリナが自ら修道生活を選び取ったと記されています。
マリナは、見習い期間を終え、正式に「清貧・貞潔・服従」の三つ誓いを立てて、修道士となったのです。
マリナが父の死後も男装を続け、死ぬまで男性として生きたことから、マリナは自ら望んで男装していたと考えるべきでしょう。
マリナの父親は、結婚して子育てするという、当時の人々が考える<女の幸せ>を、自分の娘が望んでいないと理解していたのではないでしょうか。
自分の娘が、結婚も修道女も望んでいないと分かっていたからこそ、マリナを「息子」と偽って、一緒に修道院へ連れて行ったのではないか、と考えます。

修道者は、男性も女性も終身独身であるため、マリナの本当の性別が何であっても、生涯独身を貫くことには変わりがないと言えます。
修道士マリノスとして、祈りと奉仕を通じて、神への愛に生涯を奉げる修道生活を生きたマリナは、男/女というジェンダーに囚われない、神の前に一人の<人間>としてのアイデンティティを持っていたのかもしれません。

マリナが無実の罪で修道院を追放された時、自分が女性であることを明かせば、二年間乞食生活を送ることも、他人の子を押しつけられることもなかったでしょう。
しかし、マリナは本来の性別を明かさず、これまで通り男性として生きることを選んだのです。
マリナは、よほどの強い覚悟と、強い意志を持って、男装し続けていたと言えます。
死ぬまで男性として生き抜いたマリナにとって、死後に女性であることが発覚し、<聖女>とされたのは、本懐ではなかったのでは、と思います。

一方、『奉教人の死』の「ろおれんぞ」は、「聖女マリナ」を下敷きに、芥川が創作したキャラクターです。
「ろおれんぞ」の男装理由は、作中で特に語られていませんが、「ろおれんぞ」の美しさを強調する描写や、「しめおん」との関係描写から、「ろおれんぞ」の性自認は女性であると言えるでしょう。
芥川は、「聖女マリナ」がトランスジェンダーであった可能性など、全く想定していなかったのではないか、と思います。

芥川によって、<男装の美少女>として描き出された「ろおれんぞ」は、ウィリアム・シェイクスピアやピエール・ド・マリヴォーの喜劇に登場する男装ヒロインたちと同じ系譜と言えます。
『お気に召すまま』のロザリンドや、『十二夜』のヴァイオラと同じく、「ろおれんぞ」は自分の身を守るために男装していたと考えるのが自然です。

男装するヒロインというモチーフは、古代から現代まで、人々を魅了し続けています。
シェイクスピアは、『お気に召すまま』のロザリンド、『十二夜』のヴァイオラ、『ヴェニスの商人』のポーシャといった男装ヒロインを生み出しています。
シェイクスピアは、男装ヒロインたちに、本来の性別への回帰と、幸福な結婚=<女の幸せ>という結末を与えています。

日本の古典で男装ヒロインと言えば、『とりかへばや物語』(平安時代後期)と『有明の別れ』(平安時代末期)です。
『とりかへばや物語』と『有明の別れ』の主人公たちは、『お気に召すまま』や『十二夜』の主人公たちと違って、身を守るために男装をしていたわけではありません。
当時は男性の楽器とされていた笛の名手であり、優れた漢籍の教養を持つなど、男性官人社会において活躍する男装ヒロイン像が描かれています。
『とりかへばや物語』と『有明の別れ』では、本来の性別への復帰と、入内という結末が提示されますが、それは主人公たちが持つ本来の才能が隠され、内へ閉じ込められることを意味します。
入内し、帝から寵愛された彼女たちが幸せだったかどうかは、読者によって解釈が分かれるでしょう。

『奉教人の死』の「ろおれんぞ」は、シェイクスピア喜劇の男装ヒロイン像を踏襲しているように思えます。
もし、「ろおれんぞ」が教会を追放されなければ、いずれは還俗して女性の姿に戻り、「「ればのん」山の檜に、葡萄かずらが纏いついて、花咲いたよう」に仲睦まじかった「しめおん」と結婚する未来もあり得たかもしれません。
「ろおれんぞ」と「しめおん」の関係描写からも、教会で暮らしていた当時の「ろおれんぞ」は、シェイクスピア的な男装ヒロインだったと言えるでしょう。

しかし、教会から追放され、乞食生活という試練にさらされたことで、「ろおれんぞ」はシェイクスピア的な男装ヒロインではなく、「聖女マリナ」のような性別に囚われない自律した存在へと大きく変化したと考えられます。
つまり「ろおれんぞ」は、追放前と追放後とは、全く別な人間のようになったのではないでしょうか。
神の前に一人の<人間>となったからこそ、「ろおれんぞ」は「イエス・キリストの愛」を実践できたのだと思います。




参考:ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説 2』(平凡社、2006年)
トマス・ア・ケンピス『イミタチオ・クリスティ キリストにならいて』(講談社、2019年)
狭間芳樹「キリシタン時代における殉教の理解と記憶」『アジア・キリスト教・多元性』(2019年、京都大学)
狭間芳樹「キリシタンと武士道:殉教精神の涵養とキリスト教の倫理」『アジア・キリスト教・多元性』(2010年、京都大学)
篠崎美生子「奉教人の死」における〈内破〉と〈疎外〉: 『黄金伝説』を手がかりに」『国文学研究』(2012年、早稲田大学国文学会)