2020/06/21

アルベール・カミュ『異邦人』

カミュ『異邦人』(新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1954


※ネタバレ注意※

ムルソーの死刑は「不条理」なのか?

主人公ムルソーは、アラブ人を殺したことで裁判にかけられますが、犯した罪によってではなく、事件とは何の関係も無い母の死に際しての彼の態度・行動によって、裁かれます。
本来であれば、犯罪について審理すべきであるのに、彼が母の遺体を見ようとせず、母の年齢を知らず、棺を前にしてカフェ・オレを飲み、煙草を吸い、眠り、涙を流さず、葬儀の翌日に恋人と一緒に泳ぎ、映画を見て、一夜をともにしたことが、裁判で問題とされるのです。

検事は、ムルソーは「精神的に母を殺害した」男であり、「人間社会から抹殺されるべき」として、死刑を求刑します。
死刑確定後、ムルソーは神による救済を拒否して無神論を貫き、亡母に思いをはせ、本来の自己を見出して、幸福を感じながら処刑を待ちます。

多くの読者がこの判決は理不尽であると反発を覚え、まるで主人公を体制の犠牲者であるかのように感じることでしょう。
本書は一人称小説であり、読者は語り手ムルソーの目を通して世界を見ており、主人公の行為を追体験し、主人公の感覚や意識を共有し、主人公の共犯者となっていきます。
裁判で彼の私生活を勝手に暴露し、あげつらう検事の言葉を聞きながら、読者はムルソーが加害者であることを忘れてしまうのです。
こうして読者に、主人公が加害者ではなく、体制の犠牲者だと思わせる仕掛けは、作者の巧妙なレトリックだと言えるでしょう。


この裁判は、作品全体の5分の1を占めているにもかかわらず、殺されたアラブ人の名前は一度も呼ばれません
事件の発端となった殺されたアラブ人の妹や、殺されたアラブ人と事件当日に行動を共にしていたアラブ人の仲間は証人として裁判に呼ばれておらず、発言の機会が与えられていません。
そもそも、殺人事件の前にムルソーの友人レエモンは、被害者の妹を血が出るまで殴る事件を起こしていますが、ムルソーが友人に有利な証言をしたこともあり、警察は警告しただけでレエモンを無罪として釈放します。
警察も検事もアラブ人が暴行や殺人の被害を受けても無関心であると言えます。
ムルソーは裁判において、アラブ人殺害の罪によってではなく、母の死を悲しまず、翌日も喪に服さず遊び惚けたという態度によって裁かれているのです。

死刑制度の是非についてはひとまず置いておいて、一人の命を奪った罪を自分の命でもって贖うというのは、「善因善果、悪因悪果」あるいは「目には目を歯には歯を」の論理で考えれば、理に適っていると言えます。
それを「不条理」、つまり不当に重い判決だ、天秤が釣り合ってないと感じるのは、両者の命の重さを平等に見ていないからであり、ムルソーの命を重く見て、アラブ人の命を軽んじでいるからです。
1942年の発表当時の読者にとっては、入植者であるフランス人の主人公が、植民地の先住民であるアラブ人を殺した程度の取るに足らない罪で理不尽に処刑されるなどというストーリーが、常識に反した不合理な事件であると感じられたのではないでしょうか。
このように、作中でアラブ人たちが人間として全く扱われていないことが、わたしが本書を読んでいて最も疑問に思ったことです。

パレスチナ出身の文学者であるエドワード・サイードは、『ペンと剣』の中で、植民地時代のアルジェリアで、アラブ人を殺したかどで裁判にかけられたフランス人など存在せず、完全に思想的フィクションであると論じています。
ムルソーはアラブ人がナイフをちらつかせた瞬間に発砲しました。これを正当防衛と言うには無理がありますし、警告の発砲に留めておくこともできたのに、彼は何度も撃ち込んで、問答無用で射殺しています。
現代でも、アメリカでは白人警官による黒人殺害事件が後を絶たたず、"Black Lives Matter"(黒人の命を軽んじるな)をスローガンとした運動の火が燃え上がったのは記憶に新しいです。
同様の事件は、現在のイスラエルでも頻繁に起こっています。

2020年5月13日にはイスラエルの病院に来たパレスチナ人男性を、病院の警備員が駐車場で何度も撃って殺害した事件が起こっています。イスラエルの公式発表では、彼がナイフを取り出そうとしたために殺した、とされていました。
ナイフを取り出した、または取り出そうとしたという理由は、イスラエルでパレスチナ人が射殺された時の警察の常套句なのです。
病院の警備員はパレスチナ人男性に対して、一度ならず、何度も撃っていることから、警告の発砲などではなく、殺意があったことは明らかです。警備員が男性を射殺した本当の理由は、彼がパレスチナ人だったからではないでしょうか。
それでも、アラブ・パレスチナの村では大きな病院はないため、専門的な治療が必要な患者は、ユダヤ人の町の病院まで行かなければならないのです。

本来は等価であるはずの命が、人種や肌の色、思想・信条を理由に軽んじられてしまう現実は、歴史的経緯もあって、世界各地で今なお続いている問題です。
カミュは「植民地の証人」であるとサイードが指摘した通り、本書によって現代の読者は、逆説的に、植民地時代のアラブ人に対する差別と不正義を知ることができます。

カミュはアルジェリアで生まれ、大学卒業後までアルジェリアで暮らしたにもかかわらず、アラビア語を全く知りませんでした。彼はアルジェリア人ではなく、まさにアルジェリア生まれのフランス人だったと言えます。
サイードによれば、植民地時代はアラビア語は排斥され、モスクの中でしか、この言語を教えることが出来なかったそうです
。 カミュ自身は、アルジェリア独立に反対の立場をとり、1957年に「アルジェリア民族などというものは存在しない」と発言していました。

1962年の独立後、アルジェリアではアラビア語が復活したそうです。植民地時代のフランス語教育に対する反動として、アラビア語教育が強要され、アラブ化政策は行き過ぎた面もあるとサイードは語っています。
1970年にアルジェリアのイスラム教徒の家庭に生まれた作家カメル・ダウドが、ムルソーに殺された無名のアラブ人の弟の視点から『異邦人』を読み直す小説を2014年に発表しました。

Kamel Daoud "Meursault, Contre-Enquete" (Pocket Book)
  • 発売元: Actes Sud
  • 発売日: 2016

『ムルソー対抗調査』と題されたカメル・ダウドの小説はゴンクール処女小説賞を受賞し、日本では『もうひとつの『異邦人』― ムルソー再捜査』という邦題で2019年に刊行されています。


ムルソーはなぜアラブ人を殺したのか?

ムルソーの殺人の動機について考えてみたいと思います。

涙と塩のほとばりで、私の眼は見えなくなった。額に鳴る太陽のシンバルと、それから匕首からほとばしる光の刃の、相変わらず眼の前にちらつくほかは、何一つ感じられなかった。(アルベール・カミュ『異邦人』窪田啓作訳、新潮文庫、63頁)

作中ではこのように、ムルソーは暑さのために錯乱状態に陥って、アラブ人を射殺したかのように描写されています。
ここで作者は、「ピストルの上で手がひきつった。引き金はしなやかだった。」と、彼の手や銃を主語とし、ムルソー自身に殺人の意志は無かったにもかかわらず、手や銃が勝手に相手を殺したかのように書いているのです。
この記述を文字通りに解釈すれば、アラブ人が匕首を抜いた時、ムルソーの理性は撃つべきではないと考え、彼の肉体は撃つべきだと感じていたのかもしれません。

しかし、ムルソーは一度撃った後で、「私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ」と、今度は明らかに自分の意志で撃っています。ムルソーが続けざまに四発撃ち込んだ時、作家は「私は撃ち込んだ」とはっきり表現しています。
事件前にムルソーは、友人のレエモンに「相手が匕首を抜かなかったら、撃たなくてもいい」と言っており、彼が自分から進んで人殺しをするような人間ではないことが示されています。
その上で、この四発の銃弾は、ムルソーの殺人行為をより罪深いものにしていると言えるでしょう。

カミュは1951年に発表した長編エッセイ『反抗的人間』において、マルクスやニーチェ、ヘーゲル、ランボー、バクーニン、レーニンなどの革命的な思想の人物を取り上げ、反抗的な人間(反逆者)、つまり「カウンター・カルチャー」の人間像について論じています。
彼が影響を受けた思想家のうちの一人であるニーチェは、『ツァラトゥストラ』の中で「君のからだには、命令し指示する者が住んでいる。君のからだが、命令し、指示するのだ」と語っています。
ニーチェの考えでは、「からだは、大きな理性」であり、「精神」は「小さな理性」で「からだの道具」ないし「おもちゃ」にすぎないのです。
ムルソーが殺人を犯す場面で、彼の手や銃が主語となっているのは、まさにニーチェ流の「からだが命令し、指示したから」と言えるかもしれません。

裁判において、ムルソーは殺人の動機を「太陽のせい」(107頁)と供述しました。
この殺人の場面において、太陽は「焼けつくような剣」に喩えられ、「空は端から端まで裂けて、火を降らすかと思われた」と、ムルソーに対して極めて攻撃的に描かれています。
入植者であるヨーロッパ系住民にとって、アルジェリアの太陽は、征服すべき植民地の自然の象徴です。
匕首を持ったアラブ人は、燃える刀剣のような太陽と重ね合わされています。
ムルソーの認知の中では、植民地の敵対的な自然の一部として、野蛮な先住民であるアラブ人も溶け込んでいたと言えます。


ムルソーと母親

死刑確定後、ムルソーは恋人マリイから手紙が来なくなったことから、「マリイの思い出はどうでもよくなった」と言います。
彼は、「今や離れ離れの二人の肉体以外に、われわれを結びつける何ものもなく、またお互いを思い起こさせる何ものもない」と語っており、彼にとってマリーは、お互いの肉体(性的な欲望)によってのみ結びつけられていたと言えます。

一方、そんなマリイとは対照的に、ムルソーは母親について思い続け、処刑を待つ死刑囚の自分と、死を前にして養老院で残された日々を過ごした母親とが同じ立場にあったことに気づくのです。
彼は、なぜ母親が養老院で新しい婚約者を持ち、「生涯をやり直す振り」をしたのかを理解していきます。
ムルソーは「幾つもの生命が消えてゆく」場所として養老院と自分の独房を重ね合わせて、母親が死に近づいて「解放を感じ、全く生きかえるのを感じた」のだろうと推測します。
母親の心情を理解したことによって、ムルソー自身も「全く生きかえったような思い」になります。
ムルソーは自分の死を間近に控えて、初めて母親を心から理解し、母親と精神的な絆で結ばれたと言えるのです。

本書は主人公の手記という体裁をとっていますが、語り手の現在時点は、死刑確定後にマリイの思い出を捨て、司祭へ反抗し、心から母を理解し、全く生き直す気持になった、まさにこの時であると考えられます。
ムルソーは、母親のように全く生き直す気持になったからこそ、自分が裁かれた直接の原因である母の死から、自らの過去を振り返ったのだと言えます。
そうして、ムルソーは母親への愛によって、幸福感に満たされるのです。

驚くべきことに、原文ではmamanという言葉が50回も用いられています。
ムルソーが一貫して母親を「母」ではなく「ママン」と子供っぽく呼んでいるのは、幼児にとっての母親と同じように、彼にとって母親が唯一の絶対的な存在だったからではないでしょうか。
主人公のMeursaultという名前は家名(ファミリーネーム)であり、ファーストネームは実は一度も書かれていません。主人公は自分を「私」と言うのみです。
「私」にとって唯一の価値ある存在である母親と共有する名前である家名「ムルソー」こそが、ファーストネームよりも大切だったのかもしれません。
ちなみに「ムルソー」というのは一般的な名前で、フランス・ブルゴーニュ地方にはムルソー村という村が古くからあります。
作中では書かれていませんが、主人公の母親はムルソー村にルーツのある入植者または入植者の子孫だったのかもしれませんね。


ムルソーが母親と精神的な絆で結ばれ、全く生き直す気持ちになった場面は美しい夜景が描かれています。 「顔の上に星々のひかりを感じた」、「夜と大地と塩のにおいが、こめかみをさわやかにした」、「このしるしと星々とに満ちた夜」と語られ、殺人の場面の燃える刀剣のイメージの太陽とは対照的です。
本来、自然には人間のような意志は無いのであり、自然を敵対的・暴力的な存在とするのも、恵みあふれる慈悲深い存在とするのも、どちらも人間の感情の投影と言えます。
したがって、主人公にとって太陽が暴力的・攻撃的な刀剣のイメージだったのは、ムルソー自身の暴力性・攻撃性の投影と考えられます。
そして、夜の星々のひかりがさわやかであるのは、ムルソー自身が全く生き直す気持ちになったことによって、「世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じる」ことが出来たからだと言えるでしょう。

nuit chargée de signes et d’étoiles
「しるしと星々でいっぱいの夜」

このsigneという言葉は、「しるし、前兆、兆候」「特徴、合図、記号」という意味の言葉であり、旧約聖書や新約聖書においても繰り返し用いられている言葉です。
旧約聖書では神から顕される奇跡的な「しるし」が数多く語られ、新約聖書ではイエスの行う「業」それ自体が広い意味での「しるし」と解釈されます。「しるし」は神への信仰のためであり、同時に神の栄光を顕すものでもあります。

主人公は予審判事に「神を信じない」と断言し、教誨に訪れた司祭に反抗して「わが父」とは決して呼ぼうとしませんでした。
しかし、母親と精神的な絆で結ばれ、全く生き直す気持ちになって、夜空の星々が「しるし」で満たされているのを見るのです。
三位一体の父なる神を拒絶した主人公にとっては、母親こそが彼の罪を洗い清める贖い主、救い主であったと言えるかもしれません。
夜空に「しるし」を見て、自分の贖罪が果たされたと確信したムルソーは、初めて世界と和解して心を開き、自分がこれまでもこれからも幸福であることを感じたのです。


「異邦人」の意味とは?

原題のétrangèrという言葉は、「外国人、他人」「外国の、外部の、よその」「関係のない、無縁の、関心がない」「未知の、なじみのない」という意味を持つ、日常的に使われる言葉です。(クラウン仏和辞典参照)
しかし、原文の中でétrangèrが実際に用いられているのは、わずか2回しかないのです。

Il m’a dit qu’il devait aborder maintenant des questions apparemment étrangères à mon affaire, mais qui peut-être la touchaient de fort près.
「彼(裁判長)は今や私の事件にとって明らかに無関係であるが、それに非常に密接に関係あるかもしれない問題に対処するべきだと私に言った。」

Et ils concluront qu’un étranger pouvait proposer du café, mais qu’un fils devait le refuser devant le corps de celle qui lui avait donné le jour.
「そして、彼ら(陪審員)は、見知らぬ人にはコーヒーを提供してもよいが、息子は自分を出産した人の身体の前で、それを拒否しなければならなかった、と結論するでしょう。」

どちらも、「無関係な」「見知らぬ人、他人」という意味で用いられています。
本書では、逮捕後に新しく登場する人物たち、予審判事、弁護士、検事、司祭には全て名前が付けられていません。
すでに述べてきたように、ムルソーによって殺されたアラブ人と同様に、無名の存在なのです。
本書は、主人公ムルソーの目を通して見た世界であるため、ムルソー自身が自分の裁判を進める人物たちに対して、全く無関心であったことが分かります。

ムルソーにとっては、アラブ人が野生動物かのように自然の一部に溶け込んでいたように、予審判事たちは社会の一歯車に過ぎなく、どちらも人間性を喪失した存在として見えていたと言えます。

一方、予審判事・検事や司祭たちの目には、「反クリスト」、「精神的に母を殺害した男」として、ムルソーこそが人間性を喪失した存在に見えていたと言えます。
互いに互いを、étrangèr、共通の文化・常識・信仰などが全く通じない外部の人間、よそ者、言語が異なる外国人であるかのように感じていたのではないでしょうか。



「異邦人」という言葉は、現代の日常生活でほとんど耳にすることも、口にすることもありませんが、キリスト教の文脈においては頻出の言葉ですよね。
「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」は、アドベント(待降節)によく歌われる賛美歌です。
賛美歌のタイトルにもなっている「異邦人」とは、新約聖書の時代のユダヤ人から見た外国人、すなわち異教徒たちを指しています。

ペテロやアンデレなどのイエスの弟子たちや、直接の弟子ではありませんがイエスの教えを信じたパウロは、ギリシャやローマじゅうを旅して、イエスの教えを宣べ伝えました。ギリシャ、ローマの人々は異教徒であったため、パウロたちの行いは異邦人伝道と呼ばれます。
イエスを「異邦人の救い主」と呼んでいるのは、ユダヤ人のみならず、異教徒を含む全ての人々の救い主であるという信仰に基づいているのです。
ちなみに、フランス語訳の聖書の中で「異邦人」の意味で用いられている言葉は、gentilという男性名詞で、étrangèrではないのです。gentilはユダヤ人から見た非ユダヤ教徒、すなわち異教徒を指す言葉です。

フランス語のétrangèrには「ユダヤ人から見た非ユダヤ教徒、キリスト教徒から見た異教徒」という意味が含まれおらず、étrangèrの語源はラテン語のextraneusであり、「外から来た見知らぬ人」を指します。
フランス語では、migrant(移民)、sans-papier(不法滞在者)、demandeur d'asile(亡命希望者)、réfugié(難民)、débouté(「難民」申請が却下された者)などは、それぞれを指す言葉があるため、étrangèr(外国人)の概念には含まれておらず、区別されています。

繰り返しになりますが、日本語の「異邦人」は、「ユダヤ人から見た異教徒」という意味で、キリスト教の文脈でよく使われる言葉です。したがって、本書が邦題が「異邦人」だと、日本の読者に、作者カミュが意図していないニュアンスで受け取られる可能性があります。
そのため、「異邦人」ではなく、よりフラットな意味合いの「外国人」とか「よそ者」といった邦題の方が、日本の読者に誤解を与えないのではないか、と思います。



仏文引用:Albert Camus, L'Étranger (French Edition), Kindle版.