2007/10/13

ディケンズ「大いなる遺産」

大いなる遺産(上) (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1951/11/1

ディケンズ『大いなる遺産』(Great Expectations,1860-1) を読了しました。
ディケンズ後期の代表作である『大いなる遺産』 は、主人公ピップが語り手となり、生い立ちを回想する一種の「自伝」として構成されています。
そのため、「大遺産相続の見込み」をめぐって、ピップがどのように自己を形成していくかが主要なテーマだと思います。
ピップがどのように「野心」を持ち、なぜ「覚醒」するに至ったのかについて見ていきたいです。


1.ピップの「野心」


ピップの「野心」が芽生える最初のきっかけは、自分自身に対する失望です。
彼は、美しい貴族の娘エステラによって、貧乏人の鍛冶屋の家庭で育った自分の身の上を、恥だと知らされます。
すなわち、エステラによって知恵の実を与えられたために、初めて自らの境遇に対する幻滅と不満が生まれたのです。

自分はつまらない労働者の子供だということ、自分の手がざらざらしていること、自分の靴は厚いどた靴だということ、自分は兵隊をジャックだなんていういやしい癖がついているということ、自分はゆうべ考えたよりかはるかに無知だということ、そして、つまり自分は、下等な、いやらしい生活をしているのだということを、つくづく考えた。(山西英一訳、以下同)

自分自身に対して失望すると同時に、ピップは自分の家や職業に対しても不満を持ち始めます。
「この上もなく高雅な客間」や、「神厳な殿堂の神秘不可思議な正門」は消え失せ、「大人となり、独立独行するための輝かしい道だと信じていた」鍛冶場は、完全に一変して「粗野で下等なもの」にすぎなくなるのです。

この自分と自分の家に対する不満は、冷酷な美少女エステラへの恋心が根底にあると言えます。
ピップの言葉、服装、容姿のすべてを労働者のものと蔑むエステラは、二人の間の近づきがたい距離を強調します。エステラの影響から階級意識が芽生えたピップは、二人の距離を生み出しているのは、階級差であると認識します。
すなわち、ピップは報われない恋を階級差の問題に置き換えて、紳士に成り上がる「上昇の夢」に、魅せられていくのです。これこそが、ピップの「野心」の芽生えであると言えるでしょう。
彼の「野心」は、謎の恩人から莫大な遺産相続の見込みを得て、かねてから不満を抱いていた自分の家や友をあっさりと捨て、ロンドンにおもむかせます。

わが少年時代の単調な友よ、さらば! わが行く手は、ロンドンであり、偉大なるものの世界である! 鍛冶屋の仕事やおまえたちではないのだ!

こうして義兄で親友のジョー・ガージャリを見捨て、ロンドン紳士への道を歩み始めたピップは、「スノッブ」(snob)としての人間像を見出すことができます。
スノッブとは、社会的地位や富を大げさに持ち上げ、社会的に身分の低い親戚縁者を恥ずかしがり、上流階級にへりくだり、外見によって価値判断する気質を持つ人を意味しています。
バーナーズ・インで思いがけなくジョーの訪問を受けた際の、「もし金で彼を遠ざけておくことができたとしたら、わたしはきっと金をだしたことだろう。」というピップの態度は、スノッブとしての特徴を端的にあらわしているでしょう。

これはみんな自分のせいであって、もし自分がジョーに気楽にたいしたら、ジョーは自分にたいしてもっと気楽になれたろうと悟ることができるほど、わたしは分別もなければ、良い感情ももっていなかった。わたしは彼にたいしていらいらし、不きげんだった。こんな気分でいるところへ、彼はわたしの頭上に燃えさかる炭をつみあげたのだった。
「わたしたちはふたりきりですのでね、あんた!」と、ジョーがいいはじめた。
「ジョー」と、わたしは怒りっぽく口をはさんだ。「あんた、どうしてぼくをあんただなんていうんだい?」
ジョーはほんの一瞬間、かすかにとがめるような眼つきでわたしを見た。彼のえり飾りやえりがまったく途方もないものだったにもかかわらず、わたしはその眼つきに一種の威厳を感じた。

ピップにとってジョーは、もはや愛情あふれる父親代わりの鍛冶屋の親方ではなく、話しかけられることも嫌悪する貧しい労働者にすぎなかったのです。


2.ピップの「覚醒」


ピップの人生が生産よりも浪費に向かうことは、前述の通りスノッブであることから予測されます。
ピップが紳士として労働のない生活の中で、意志力の麻痺とともに倦怠感に取り付かれ始め、退廃ムードに深入りしていくのも、当然の成り行きと言えます。

かつて誇りと憧れに胸をふくらませながらはじめてロンドンへとやってきたピップの眼前に、「醜い、いびつな、狭っくるしい、うす汚い」街並みが現れたのは、非常に暗示的です。
また、ピップが幼少期の原体験として持っている罪の意識も、ロンドンに赴くことによってますます意識されています。
ロンドン生活において、何ともいえない苛立ちと歯がゆさに悩まされる日々が続くのも、そのためです。

ピップの大いなる期待は、ことごとく期待はずれに転じ、徐々に失望を味わっていくのです。
そして、10年間も続いた大いなる期待は、マグウィッチ出現によって大いなる幻滅に転じます。
それによって、ミス・ハヴィシャムがピップの恩人でなかったばかりか、「機械の心臓をもった人間の模型」として「都合のいい道具」になっていただけだという真実に気づくのです。

考える力がやっとよみがえったとき、はじめて自分がどんなにみじめであるか、いままで自分がのっていた船が、どんなに粉みじんにくだけさったかということが、はっきりとわかりはじめた。

このようにして、ピップの成功の神話はその虚構性を暴露され、完全に消滅するのです。
この大いなる失望が、彼の精神的「覚醒」への第一歩であると言えます。
当初、ピップはマグウィッチに対して、反感と嫌悪をあらわにします。
しかしこれが、犯罪者に対して誰もが持つ、道徳的嫌悪感の表れでないことは、のちにマグウィッチに対する嫌悪感を克服し、深い愛情と憐憫の気持ちを抱くようになるピップが肯定的に描かれていることから、明らかです。

命がけで自分の信じる善を尽くしたマグウィッチの前で、ピップがその身分を失いながらも、マグウィッチ救済のために献身的な働きに乗り出す瞬間こそ、彼の「覚醒」であると言えるでしょう。
紳士の体面に固執するのではなく、それを乗り越えることによって、彼の受動的な幻想が能動的な現実認識に変わったからです。
マグウィッチの国外逃亡計画の挫折、国による財産の没収、そしてマグウィッチの死。
この間にあらわれてくるピップと、マグウィッチすなわちピップの「第二の父」との間の完全な溶け合いの中に、新たな紳士像の誕生を見出すことができます。


3.おわりに


『大いなる遺産』において最も重要なのは、紳士階級をめぐる大きい社会的な物語でしょう。
サチス荘を中心としたロマンスは、ヴィクトリア朝の人々が共有した階層意識の枠組みと、紳士への夢の上に描かれています。
ピップがつかんだ「大遺産相続の見込み」が、19世紀イギリス社会の夢を象徴していることは、エドガー・ジョンソンが指摘している通りです。

ピップは、エステラが提示した階層の枠組みによって、労働者としての自分の立場を発見し、彼女への恋心を社会的上昇の夢に読みかえて紳士に成り上がっていきます。
しかし、階級的にはロンドン紳士となったピップを、ディケンズはあえてスノッブとして表現し、従来の成功のロマンティシズムに対して、反対の立場をとっています。
そして、マグウィッチによって恩人の正体が明かされ、ピップのロマンスが崩壊することで見えてくるのは、彼のロマンスを支えていた紳士階級をめぐる虚構と、その実体です。

ピップは、この虚構の物語を乗り越えて「覚醒」し、マグウィッチと自分との関係をとらえなおしていく物語の終盤は、ディケンズによる新しい紳士像の提案であると言えます。
すなわち、遺産相続の見込みの上につくられた、虚構と欺瞞に満ちたロンドン紳士ではなく、階級性を超越した精神的な意味での紳士像です。
まとめとして言い換えれば、『大いなる遺産』は、ピップの遍歴によって、ディケンズが価値の再編成を提示した物語であると言えるのです。




読了日:2007年1月11日