2012/10/14

オルハン・パムク「雪」(2)

雪
  • 発売元: 藤原書店
  • 発売日: 2006/03/30

★オルハン・パムク「雪」(1)

スカーフを被る自由、被らない自由

『雪』では、「髪を覆う少女たち」と「自殺」の問題が、重要なテーマとなっています。
「髪を覆う少女たち」「トゥルバンの少女たち」は、教員養成所に通う女子学生で、学校内でスカーフ着用が禁止されているにもかかわらず、スカーフをとることを拒否していました。

「髪を覆う少女たち」の一人であるテスリメは、Kaがカルスを訪れる前に、自殺しています。
テスリメの自殺について、トゥルバンのレジスタンスをして学校を退学させられたため、と彼女を美化する人々と、単なる失恋のため、と彼女を貶める人々に分かれます。
わたしは、テスリメが自殺した本当の理由は、実は重要ではなく、彼女の自殺をめぐって、イスラム主義者と政教分離主義者が衝突することが、問題なのだと思います。

トゥルバンの学生を授業に入れなかった教員養成所の校長は、狂信的なイスラム原理主義者によって暗殺されます。
第5章において、殺された校長と犯人の会話から、テスリメの自殺に対する、政教分離主義とイスラム主義それぞれの考えが分かります。

<犯人の主張>
「アラーの言葉であるコラーンの『部族連合章』と『御光章』に極めてはっきり書いてあるのに、大学の門で残酷な扱いを受けている少女たちの苦悩に対して、先生の良心は痛まないのか?」
「俺は政教分離の物質主義者の国で、信仰のために戦い、不当な扱いを受けた無名の英雄たちの無名の庇護者だ。」
「宗教に従って、信心深い少女たちに、髪を出さないからといって、コラーンのことばから出ないといって、政教分離主義のトルコ共和国がモスレムを、西洋の奴隷として名誉を捨てて、信仰を捨てさせる秘密の計画の手足として、ひどいことをして、最後にはモスレムの少女は苦しみに耐えられず自殺した」

<校長の主張>
「いうまでもなく、本当の問題はスカーフを象徴にして政治的芝居に利用したことによって少女たちを不幸にしたことだ」
「トゥルバンの問題をこのような政治的問題にしているのは、トルコを分裂させ、弱体化させようとする外の力があることがわからないのか?」
「女がスカーフを外せば、社会の中でもっと楽になる。尊敬される」
「その少女は学校に入れてもらえないからとか、あるいは父親の圧力のせいではなく、MITがわしに知らせてきたように、遺憾ながら、失恋のために首を吊ったのだ」

ムスリム女性のスカーフ着用が、義務(ワージブ)であるかどうかは、諸説あるようです。
義務とみなす人々は、主にコーランの次の章句と、さまざまなハディースを根拠としています。

それから女の信仰者にも言っておやり、慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう。(第24章 御光章 31節)

ここで「蔽い」と訳されているものの原語は「フムル」。
「フムル」は「ヒマール」の複数形で、頭部を覆うスカーフのことです。
したがって、「フムルを着用する際には、きちんと胸を隠しなさい」と命じているのであり、頭部を隠すべきかどうかの判断はしていません。
また、「外部に出ている部分はしかたがない」とは、どの範囲を指すのか不明瞭です。
ここからだけでは、コーランは体を全て覆うヒジャーブの着用を義務づけている、とは言えないでしょう。
そのため、どんな材質のもので、どの程度体を覆うべきかは、この章句やさまざまな伝承をどう解釈するか、という問題になります。

トルコのシンクタンクKONDAが2007年に実施した調査によると、トルコ女性の約70%がスカーフ着用者であると言います。
2003年に実施した同様の調査では、着用者は約65%で、近年増加傾向にあることが分かります。
トルコ女性のスカーフには、チャルシャフ(ペチェ)、バシュオリュテュス(イェメニ)、テュルバンがあります。
チャルシャフ(ペチャ)は、顔以外を黒くて長いヴェールと長衣で覆うイスラム教団のユニフォームのことで、着用者は1%強だと言われています。
イェメニは、宗教的な意味合いは特になく、伝統や習慣から、地方や地方出身の女性が着用するスカーフです。
バシュオリュテュスは「頭を覆うもの」の意味で、イェメニと同じ場合と、信仰実践として着用する場合の両方があります。
スカーフ着用者の約6割が、イェメニとバシュオリュテュスの着用者です。
テュルバンは、耳も喉元もきっちりと覆うスカーフ着用で、信仰実践のために着用していて、スカーフ着用者の16%を占めています。

KONDAの2003年と2007年の調査結果を比較すると、バシュオリュテュス着用者は59.5%から51.9%に減少し、その中でも伝統や習慣を着用理由とする人は、31.2%から18.3%に減っています。
一方で、テュルバン着用者は3.5%から16.2%に急増し、そのうち9割が信仰のため着用していて、その中には自分の政治的立場を示すために着用している人が、約15%含まれています。
トルコのスカーフ論争では、この政治的意図が込められたテュルバンが問題となっているようです。


トルコは、1926年の建国以来、法律や制度を西欧に倣い、近代的な民主主義国家建設を目指しました。
もともと、トルコ女性にはスカーフを被る習慣がありましたが、近代化(=西欧化)と、世俗化(=脱宗教)の過程で、スカーフをはずすことが奨励されました。
しかし、脱スカーフ=都市部の高学歴・高収入層(近代化・世俗化)、スカーフ着用=地方の低学歴・低収入層(後進的)という従来の分類は、現在では通用しなくなっています。

トルコでは1980年代以降、宗教シンボルであるイスラム的スカーフの着用可能な領域をめぐって、いわゆる「スカーフ論争」が起こっています。
公共の場と教育の場では、スカーフが禁じられていたため、スカーフ解禁を求める女子学生が、禁止派の大学当局と衝突しました。
その後、1998年にスカーフ着用の女性議員が登場し、2002年以降の公正発展党政権では、大統領夫人や多くの閣僚夫人がスカーフ着用者です。
2007年から在位中であるアブドゥラー・ギュル大統領のハイリュンニサ夫人が、公的な場でスカーフを着用したため、大きな話題となりました。

女子学生のスカーフ着用は、大学によって対応が異なり、現在も議論が続いています。
しかし、2010年に高等教育評議会が、スカーフ着用を理由に登校を阻止してはならない、という通達を出し、事実上、大学でのスカーフ着用は解禁されたのです。


イスラム的スカーフは、女性抑圧のシンボルとして、理解(誤解)されてきました。
しかし、現在の近代化した若い女性が、主体的にスカーフを着用する現象について、復古主義やイスラム原理主義の勢力拡大とみなすのは、不適切です。
トルコでは、地方出身の新興富裕層は、イスラム的価値観を大切にしていて、西欧化とは異なる近代化の表れが、スカーフ着用であると言われています。
彼女らのスカーフ・ファッションは、復古的・前近代的な装いというよりも、西欧化への抵抗であり、アイデンティティ保持のために、イスラムを再評価していると言えます。


『雪』の第43章において、「髪を覆う少女たち」のリーダーであるカディフェは、「革命」のリーダーであるスナイ・ザーイムと、「髪を覆うこと」と「自殺」をめぐって、議論します。

「あなたが怖いのは、わたしが賢いことではありません。わたしが個性を持つことが怖いのです。」とカディフェ。「この町の男たちは、女が賢いことではなくて、彼女たちが独立して、自分でことを決める、それが怖いのです。」
「まさにその反対だ。」とスナイ。「あんたたち、女がヨーロッパ人のように、独立心を持って、自分で決めることが出来るようにとわしはこの革命をしたのだ。だからこそ、今スカーフを取って、髪を出してもらいたい。」
「髪は出します」とカディフェ。「このことをするのは、あなたが強制したためでも、ヨーロッパ人の真似をするためでもないことを証明するために、その後で首を吊ります。」(531頁)


「カディフェ、あんたは勇気があって、正直だ。しかし自殺は我々の宗教では禁じられておる。」
「コラーンの『女』の章で、『自らを殺す勿れ』と命じておられます。そうです。」とカディフェは言った。「しかし、そのことは自殺した少女たちを、万能なるアラーが彼女たちを許さず地獄に送るという意味にはなりません。」
「つまり、あんたはそう解釈するのだ。」
「さらには、全くその逆も正しいことになります」とカディフェ。「カルスの何人もの少女たちが髪を覆うことを望んだのに許されなかったために、自殺した者もいます。偉大なアラーは公正でおられます。彼女たちの苦悩をご覧になられます。心の中に神への愛があるのならば、このカルスの町にわたしの場がないために、わたしも彼女たちのように自らを殺します。」(532頁)

カディフェは、第13章の中で、「テスリメが自殺して死んだとしたら、そのことは彼女が罪を犯して死んだ意味になります」と語っていて、彼女の自殺をどう受け入れるべきか、迷っているようでした。
その後、第43章において、カディフェは「心の中に神への愛がある」のなら、神は、わたしたちの苦悩をご覧になり、罪を許してくださる、という気持ちに落ち着きます。

「心の中に神への愛がある」かどうかは、スカーフ論争においても、重要だと思います。
ムスリムの信仰実践とは、神と個人の契約に基づくものだから、スカーフ着用者が敬虔なムスリム女性、より良いムスリマであり、スカーフ非着用者が不信心、というわけではないのです。
カディフェが髪を出したとしても、彼女が心の中に「神への愛」を持ち続ける限り、より良い、敬虔なムスリマであると思います。


トルコにおけるスカーフ論争は、世俗主義とイスラム主義のイデオロギー対立の象徴です。
2008年に、スカーフ着用解禁を視野に入れた憲法改正案が国会を通過しましたが、トルコの憲法裁判所によって、世俗主義の原則に対する違憲判決が出され、憲法改正案は破棄されました。

トルコ女性にとって、「スカーフを被る自由」と「被らない自由」が、どちらも等しく保障されて、差別がなくなるのが、理想です。
しかし、宗教シンボルであるスカーフを、すべての場で解禁すれば、世俗主義の原則を崩す可能性があります。
トルコには、近隣の抑圧があるため、「被らない自由」が失われることが、世俗主義の人々から恐れられているようです。



参考:『トルコを知るための53章』(明石書店、2012年)
『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』(亜紀書房、1998年)

2012/10/13

オルハン・パムク「雪」(1)

雪
  • 発売元: 藤原書店
  • 発売日: 2006/03/30

オルハン・パムク『雪』(和久井路子訳、藤原書店)を読みました。
2012年7月の読書会課題本でした。

オルハン・パムクは、1952年にトルコのイスタンブルに生まれました。
22歳で初めて書いた小説『ジェヴデット氏と息子』(1982年)が、トルコで最も権威のあるオルハン・ケマル小説賞を受賞しました。
その後に発表した『静かな家』(1983年)、『黒い書』(1990年)、『わたしの名は紅』(1998年)は、ともにフランスの文学賞を得ていて、トルコ国内だけでなく、ヨーロッパやアメリカで高い評価を受けました。
『雪』(2002年)は、「911」事件後のイスラーム世界を予見した作品として、世界的ベストセラーとなり、フランスできわめて権威のあるメディシス賞を受賞。
2006年に、トルコ人として初となるノーベル文学賞を受賞しました。


『雪』は、1990年代初めの、トルコ北東部の国境近い小さな町、カルスが舞台です。
主人公のKa(本名ケリム・アラクシュオウル)は、政治亡命者としてドイツに暮らしていましたが、12年ぶりに祖国トルコへ帰ってきました。
彼は、学生時代に憧れていたイペッキという美しい女性が、夫と離婚してカルスに住んでいることを知り、結婚を申し込むつもりで、カルスを訪れました。
そして表向きは、「共和国新聞」に依頼されたジャーナリストとして、カルスの市長選挙と、若い女性たちの連続自殺事件について取材します。


※ネタバレ注意※

市長選挙を目前にしたカルスでは、世俗主義とイスラム主義の緊張が高まっていました。
イスラム穏健派の政党は、貧しい人々を手厚く支援する戦略で支持を集めていて、市長選挙に勝つ見込みです。
イスラム穏健派の市長候補が、Kaの学生時代の友人で、イペッキの元夫でもある、クルド人のムフタル。

約1カ月前に、カルスで自殺したテスリメという女学生は、イスラム的スカーフを着用する「髪を覆う少女たち」の一人で、スカーフ禁止派の学校当局から、登校を阻止され、退学させられる寸前に、自殺したという噂でした。
「髪を覆う少女たち」と呼ばれるグループのリーダーが、イペッキの妹カディフェです。
カディフェは、カルスに潜伏しているイスラム過激派のカリスマ「紺青」の恋人でもあります。
宗教高校の学生であるネジプやファズルは、「紺青」を尊敬していて、「髪を覆う少女たち」に憧れていました。
Kaがカルスに到着した日、イスラム過激派の狂信者によって、「髪を覆う少女たち」を迫害したとの理由で、教員養成所の校長が暗殺されます。

校長暗殺事件が誘因となって、イスラム原理主義の脅威を恐れる世俗主義者の一部が、軍事クーデターを起こすのです。
クーデターを指揮していたのは、Kaと同じバスでカルスに到着した、スナイ・ザーイムという俳優と、スナイの友人であるオスマン・ヌーリ・チョラク大佐でした。
軍クーデター発生の直後から、警察や情報局によって、カルス中のイスラム主義者や宗教高校生、クルド人民族主義者が襲われて、暗殺されたり、逮捕・拷問されました。
教員養成所の校長を暗殺した犯人を見つけ出して、カルス市民にクーデターの成果を証明し、直ちに犯人を処刑することを目指していました。

一方で、「紺青」とKaの提案により、ドイツの新聞社に、クーデターを非難する共同声明を発表することになります。
「紺青」を中心に、イスラム過激派、社会主義者、無神論者のクルド人民族主義者、息子が行方不明の母親など、カルスで迫害されている人たちが集まり、侃侃諤諤の議論を交わすのです。
イペッキとカディフェの父トゥルグットは民主主義者として、カディフェはイスラム主義のフェミニストとして、この集会に参加しました。

秘密集会の後、「紺青」はついに逮捕されます。
スナイ・ザーイムは、カディフェに対して、国民劇場の舞台で、スカーフをとり、髪を出すことを要求しました。
カディフェは、恋人である「紺青」の釈放と引き換えに、髪を出すことを決心します。
Kaはイペッキに結婚を申し込み、イペッキもKaの愛情に応えたため、二人は一緒にドイツへ行く約束をしていました。
「紺青」が釈放された後、Kaは情報局員のデミルコルらに拉致され、暴行されます。
デミルコルは、「紺青」の潜伏先を隠しているKaに、イペッキがもともと「紺青」の愛人だったことを教えるのです。
Kaは混乱し、嫉妬に苦しみますが、イペッキはKaを慰め、「紺青」を忘れるために、Kaと共にドイツへ行くことを約束します。
しかしその後、ドイツ行きの旅支度を急ぐイペッキのもとに、「紺青」が襲撃で殺されたという知らせが届きます。
イペッキは、Kaが密告者であると確信し、ドイツ行きを取り止めました。
カディフェは、国民劇場での芝居中に、「紺青」の死を知らされますが、芝居を続行し、カルスの人々の前で、ついに髪を出すのです。
スナイ・ザーイムは、芝居中にカディフェに銃撃され、死亡しました。
スナイが芝居のために用意した銃には、実弾が装填されていたのでした。

カルスでのクーデターから4年後、ドイツで暮らしていたKaは、何者かによって暗殺されます。
Kaの友人である小説家オルハンが、ドイツを訪れ、Kaの遺品を引き取ります。
暗殺される直前、Kaはカルス滞在中に書いた詩をまとめて、出版を目前にしていました。
オルハンは、Kaの遺稿を探しますが、どうしても見つかりません。
Kaが創作した詩の手がかりを求めて、オルハンはカルスを訪れ、Kaの足跡を辿ります。
イペッキは、4年前と変わらず美しく、独身のままでした。
カディフェは、スナイ殺害の罪で刑に服し、服役を終えた現在は、ファズルと結婚し、子育てに励んでいます。
オルハンは、Kaが「紺青」を密告したかどうか、疑問を持っていましたが、宗教高校の学生寮を訪れた時、Kaが密告者であると確信します。
「紺青」を尊敬する若者たちは、ドイツに亡命して、イスラム過激派の新しいグループを組織していると、噂されていました。
彼らがKaの暗殺者であり、Kaの遺稿を奪い去ったことを示唆して、物語は終わります。

◆◆◆

最後まで筋書きが読めず、すごく面白かったです!
恋愛・ミステリ・政治・宗教と、いろいろな要素が詰まった作品です。
Kaの、イペッキに対する強い恋心と極端な臆病さ、「紺青」への嫉妬心に注目すれば、素晴らしい恋愛物語として読むことが出来ます。
どこにでもありそうな恋愛ではなく、トルコのカルスという場所性にこだわった、カルスでしか成立しない恋愛物語ですね。

物語のキャラクターが、政教分離主義、社会主義、軍人、宗教的イスラム、政治的イスラム、戦闘的イスラム、クルド人民族主義と、厳密に描き分けられているのは、カルスという場所を表現するために、必要不可欠なのでしょう。
キャラクターを通して、世俗主義者も、イスラム主義者も、イスラム原理主義者も、等しく発言の機会が与えられていて、偏りが無く、作者の絶妙なバランスを感じました。


作品の原題は、トルコ語で「雪」を意味する"Kar"です。
主人公の名前が、Ka。
Kaが訪れる都市は、Kars(カルス)。
主人公Kaと、Karsという土地と、雪の情景(Kar)に、強い結びつきを感じますね。


わたしは特に、物語の構成が面白いと思いました。
以下に、作品の構成を整理してみます。

<第1章~第4章> 主人公Kaがカルスに訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第5章> 暗殺された校長と犯人の会話の録音記録。4年後にオルハンが取材し、遺族から渡された。
<第6章~第28章> Kaがカルスを訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第29章> Kaのカルス訪問から4年後、Kaの死から42日後に、オルハンがドイツでKaの足跡を辿る物語
<第30章> Kaがカルスを訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第31章> Kaがカルスを訪れた3日間。共同声明のための秘密集会。(Ka不在、ポリフォニー)
<第32章~第40章> Kaがカルスを訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第41章> 4年後、オルハンがドイツでKaの足跡を辿り、トルコ帰国後にカルスを訪れる
<第42章> Kaがカルスを訪れた3日間(Ka不在、イペッキ視点)
<第43章> Kaがカルスを訪れた3日間(Ka不在、カディフェを中心に)
<第44章> 4年後、オルハンがカルスを訪れた物語。4年後の登場人物の状況。

→物語全体の語り手「わたし」=Kaの友人で小説家のオルハン

Kaが主人公の物語が、途中からKa不在の物語になり、イペッキやカディフェに軸足が移って、最後は語り手オルハンが、主人公代理となって、Kaの物語を進行するという構成が、斬新でした。
Kaの不在によって、Kaが「紺青」を密告したかどうかが謎になり、ミステリ性が際立ちますね。

Kaがカルスを訪れた3日間の物語と、それから4年後に、オルハンがKaの足跡を辿る物語が、交錯しているところも、面白かったです。
複数の視点と、複数の時系列を並べることで、Kaの物語がより立体的に感じられました。

◆◆◆

『雪』は、倒置法と主語の省略が多い文章で、なかなか読み難かったです。
気になったので、『雪』の冒頭部分を、原文・日本語訳・英訳で比較してみました。

Karın sessızlığı,diye düşünüyordu otobüste şoförün hemen arkasında oturan adam.

雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろに座っていたその男は。

The silence of snow, thought the man sitting just behind the bus driver.

karın  kar「雪」の属格=「雪の」
sessızlığı 沈黙
diye düşünüyordu  そう考えてた
otobüste şoförün バス運転手
hemen arkasında oturan  すぐ後ろに座って
adam 「男/人」の主格=「男は」

原文を見ると、倒置法はオルハン・パムクの文体的特徴だと分かります。
おそらく、トルコ語には動詞の人称語尾変化と、名詞の格変化があるので、主語を省略したり、語順を入れ替えても、変化語尾を見れば、トルコ語話者なら主語がすぐ分かるのでしょう。

誤訳が多くて読み難いという感想をよく見かけますが、誤訳ではなく、むしろ原文に忠実に訳した結果、こなれてない日本語になってしまったのでは、と思いました。

ちなみに、原文を見ると、「紺青」の名前は"Lacivert"(ラージベルト)でした。
この色は、ネイビーやウルトラマリンを指すようです。
『雪』の英語訳では、「紺青」は"Blue"という名前でしたよ。


★オルハン・パムク「雪」(2)


読了日:2012年7月10日