2018/03/03

支倉凍砂「狼と香辛料」

狼と香辛料
  • 発売元: KADOKAWA
  • 発売日: 2013/4/25

支倉凍砂『狼と香辛料』(KADOKAWA、2006年)を読みました。
「狼と香辛料」は、中世ヨーロッパをモデルとした架空世界を舞台に、行商人である主人公クラフト・ロレンスと、豊作を司る狼神ホロが出会い、ホロの生まれ故郷を目指して共に旅をする物語です。
2018年現在、長編と短編集合わせて19巻まで刊行されており、アニメ化、漫画化も行われている人気作品です。

「狼と香辛料」シリーズのテーマは、整理すると次の2点となります。

1.中世ヨーロッパにおける商業活動
2.キリスト教と非キリスト教(異教)の対比

まず、<中世ヨーロッパにおける商業活動>については、主人公ロレンスが行商を生業とする青年であることから、新しい商人階級の台頭による貨幣経済の発展、同業組合、定期大市、都市内部の権力抗争などが描かれています。
トールキン『指輪物語』をはじめ、中世ヨーロッパをモデルとした物語は、剣や魔法を武器に戦争を繰り広げる大きな物語であることが多いです。
しかし「狼と香辛料」は、商人・職人・ブルジョワなどの都市に暮らす人々や、農民などの働く人々に光を当てており、その文化や生活を生き生きと魅力的に描き出しています。

次に、<キリスト教と非キリスト教(異教)の対比>については、キリスト教化以前の神々に対する信仰がしだいに失われていく様子を、ヒロインである狼神ホロの眼差しを通して、悲しく描いています。
「狼と香辛料」シリーズが進むにつれ、キリスト教伝道という表向きで、実際は経済的・政治的利害から、異教(非キリスト教)の住民たちを陥れ、時には軍事力を用いて征服しようとする貪欲な聖職者や、世俗的な教会権力についても、物語の中で描き出しています。
わたしは、ハインリヒ・ハイネ『流刑の神々・精霊物語』を読んで、古代ローマや古代ゲルマンの神々が、キリスト教化の過程で「悪魔」へと変化させられたり、聖人・聖遺物崇拝に習合して、民話や伝説の中でかろうじて保存された、という歴史に関心を持ちました。
この「狼と香辛料」シリーズは、娯楽小説でありながら、キリスト教世界が拡大し、非キリスト教世界の文化が侵略・征服されていくという難しいテーマを、物語の中に上手に織り込んでおり、大変興味深いです。



来る年も来る年も麦を育ててきたこの村の者達も、せいぜい長生きして七十年なのだ。
むしろ何百年も変わらないほうが悪いのかもしれない。
ただ、だからもう昔の約束を律義に守る必要はないのかもしれないとも思った。
何よりも、自分はもうここでは必要とされていないと思った。
東にそびえる山のせいで、村の空を流れる雲はたいてい北へと向かっていく。
その雲の流れる先、北の故郷のことを思い出してため息をつく。(支倉凍砂『狼と香辛料』、13頁)

行商人のロレンスは、ヨーレンツにある山奥の村に塩を売り、テンの毛皮を仕入れ、おまけに麦を譲り受けて山を下り、麦の大産地パスロエ村を訪れました。
パスロエ村の麦はかつて、重税を課されるせいで値段が高く、市場で不人気でしたが、ロレンスはパスロエ村の麦を買い、地道に薄利で売っていました。
ロレンスが長年取引してきたパスロエ村は、現在は新しい領主エーレンドット伯爵の管理のもとで、麦の収穫高が上がり、より豊かになりつつあります。

ロレンスがパスロエ村を訪れた時、村の伝統である収穫祭がちょうど行われていました。
パスロエ村では長い間、豊作を司る狼神ホロが祀られており、キリスト教化した現在でも、狼神の収穫祭を盛大に行い、昔の狼信仰の名残をとどめています。
パスロエ村の人々は、最後に刈り取られる麦の中に、豊作の神が宿っていると信じていました。

パスロエ村郊外で、ロレンスが野営していた夜、荷馬車の荷台に美しい女性が出現し、自分はホロであると名乗ります。
彼女の身体には狼の耳と尻尾があり、豊作の神ホロの化身だったのです。
豊作の神が麦の中に宿るという言い伝えは本当で、いつもは最後に刈り取られる麦の中に宿っていましたが、今回は最後に刈り取られる麦よりも多くの麦が、ロレンスの荷馬車に積んであったため、ロレンスの麦に宿り、村から逃げ出すことに成功したのです。

狼神ホロは数百年の間、パスロエ村の麦の実りのために心を尽くしてきましたが、近年は新しい領主が新しい農法を指導し、生産性をますます高めており、もはやこの村で豊作の神は必要とされていないことを感じていました。
そのため、ホロは豊作の神としての役目を捨て、村を立ち去ることを決意したのです。
ホロは、生まれ故郷である北の大地に帰りたいと願い、ロレンスの旅に同行することを決めます。
ロレンスは、ホロを旅の道連れとして受け入れ、再び行商の旅を続けます。

中世ヨーロッパの世界:森林・動物


前述の通り、『狼と香辛料』は中世ヨーロッパをモデルとしています。
中世の千年間の歴史で、やがて近代の主役となる商人とブルジョワが台頭してきた、中世末の世界を描き出していると言えます。
より時代を特定すれば、14世紀頃が舞台ではないかと思います。
その理由は、14世紀に為替手形システムが商人の間でしだいに広がり、『狼と香辛料』においても、ロレンスが為替手形の仕組みを説明する場面が描かれているからです。

中世ヨーロッパの世界を想像するとき、現代のわたしたちが思い描く自然の風景と、当時の実際の生物分布はかなり違っており、地域的特色もよりはっきりと分かれていました。
人間は、森林を全面的または部分的伐採を行って、開墾し、羊や家畜を放して、森林を破壊していきました。
地中海周辺やイベリア半島の森林は、中世を通じて羊によって食い尽くされ、現代に見られるような一面の草原に変わったと言われています。
残された森でも、プラタナスやポプラなど、人間が意識して植樹したため、森林を構成する樹種が変わってしまったのです。
人間によるさまざまな働きかけが、自然の森や動物たちに根本的な変化を与え、中世の西ヨーロッパにはありふれた生物種たちの多くが、現代では絶滅したか、数を非常に少なくしました。

当時、どこにでもいた動物たちと言えば、狐、穴熊、野兎、雉、ノロ鹿(小型の鹿)、野生の山羊などです。
ビーバーは、カロリング朝時代(751年~987年)ではすでに数を減らしており、ドイツ以外の地域では稀だったと言われています。
家畜牛の先祖である野生の牛オーロックは、1627年に絶滅したと言われています。
16世紀にポーランド大使を務めたオーストリア人のヘルベルシュタインは、ポーランドで生息していたオーロックについて見聞録を残していますが、当時ですらあまりにも少なく珍しい動物でした。
オーロックは、中世の狩猟手引き書や文学作品にも登場することが少なく、中世初期の頃にはすでにほとんど見られなくなっていたと考えられています。

熊が数を減らしたのは、農民たちや山岳民たち、とりわけ大領主たちの狩の獲物にされたためです。
領主たちは、熊狩り用に訓練したマスティフ犬を飼い、熟練した腕で槍を振りました。
猪は食用としても好まれたため、領主たちによる頻繁な攻撃にさらされ、聖ルイ王の弟アルフォンス・ド・ポワティエは、十字軍遠征に備えて二千頭の猪を殺させ、塩漬け肉にさせたと記録されています。

狼は、群れを作って集団で行動し、身軽で敏捷、数日間で何百キロも移動することができ、長く寒い冬も動き回ることから、中世には際立っており、肉食獣の中でも王者でした。
ブルターニュ半島、オーヴェルニュ、シチリア、カンタブリア(イベリア半島北部)、メセタ高地(イベリア半島中央部)、ハルツ山脈(ドイツ中央部)などは、狼がたくさん生息する地域として有名でした。
ブリテン島だけは、海に隔てられていたため、中世を通じて狼は生息していなかったと言われています。
狼がいかに人々の日常生活に溶け込んでいたかは、中世の文学や民間伝説が伝えています。
12世紀半ばに中世ラテン語で書かれた動物叙事詩『イセングリムス』(Ysengrimus)において、主人公のイセングリンは狼です。
『イセングリムス』では、猟師は狼を、力と知恵・勇気を備えた優れた獣として称えています。
民間伝説では、狼は子供や女性、老人を襲って食べる恐ろしい獣として語られ、人狼の伝説まで伝えられています。
狼の群れが人里近くまで移動して、家畜を襲ったりするのは、田園が荒廃した危機的状況のときで、15世紀にはパリの町なかに狼が迷い込んだり、パリ近郊に出没したことが記録されています。

熊や狼以外の肉食獣では、もともとヨーロッパに生息していた野生の猫、大山猫がいましたが、狼が王者であるかぎり、山猫の生息圏は限られていたと言われています。

狼の伝説


人狼についての最古の文献の一つは、古代ローマ時代にペトロニウスによって書かれた『サテュリコン』です。
『サテュリコン』では、一人の兵士が月夜に墓で狼に変身し、どこかの農園の家畜を襲おうとしたところを反撃に遭い、逃げ帰って人間の姿に戻ったという逸話が書かれています。
ギリシア神話のアルカディア王リュカオンは、ゼウス神を試してみようとして、わが子を殺して、調理して食べさせます。
ゼウスはただちにそれを見抜いて、リュカオンを罰し、リュカオンは狼となって荒野をさまようのです。
人狼伝説は、『サテュリコン』のように定期的に狼に変身する人間の物語と、リュカオンのように永遠に狼となり、二度と人間には戻らない物語があります。

定期的に狼に変身する物語には、狼の毛皮をまとって、自分の意志で変身する物語も多く伝えられています。
中世の『メリオンのレ』では、狼に変身して人間に戻れなくなった男が、狼軍団を率いて人間たちに立ち向かうという逸話が語られています。
その影響を受けてか、デュマの『狼のチボー』は、悪魔と契約して狼となった人間の物語で、狼となったチボーは乱暴な領主に対して復讐するため、狼の群れを率いて領内を荒らし回り、最後には狼の毛皮を脱いで人間に戻ります。

狼の毛皮をまとって、狼の知恵と獰猛さを手に入れるという伝説は、ゲルマン社会の男性が狼試練、熊試練によって、儀式的な変身を行った歴史がルーツだと言えます。
グリムの「熊の皮を着た男」では、熊の毛皮を着て、身体を洗わず、髪も爪も切らずに数年間過ごす試練に服する男の物語が語られていますが、このような動物試練が古代では行われていたかもしれません。
熊や狼の凶暴さを身につけて凶暴戦士となり、試練の期間が終われば普通の人間に戻りますが、戦争になれば凶暴戦士として勇猛に戦います。

人間が獣に変化する人獣伝承は、世界各地で伝えられており、その地域でもっとも恐れられる獣がモチーフとなっています。
アフリカでは人ライオンや豹男がいて、ヨーロッパでは人狼、熊男、中国では人虎、東南アジア沿海部では人鰐、東南アジア海洋部では人鮫となるのです。
日本では、狼が鍛冶屋の婆を食い殺して、婆になりすましていたという「鍛冶屋の婆」伝承があります。
「鍛冶屋の婆」の類話である「弥三郎婆」や「崎浜の婆」の異伝では、狼だと思って婆を殺したが、いつまでたっても死体が狼にならないので不安になるという話があり、狼が婆を食い殺したのではなく、女性が異類(鬼、獣)に変身する話として解釈することができます。
しかし、これらの人獣が神として崇拝されることはなかったと言われています。


ヨーロッパで非常に親しまれている「赤頭巾」や「狼と七匹の仔山羊」は、人狼ではなく、現実の獣として恐れられていた狼が語られています。
北欧では、フェンリル狼が神々にとっての最大の敵として描かれ、テュールが片腕を失って鎖につなぎますが、世界の終わりラグナレクのときに解き放たれて、オーディンを呑み込むのです。
また、双子の狼スコルとハティが、天空で太陽と月をそれぞれ追いかけており、ラグナレクのときには、スコルは太陽に追いついて食べてしまい、ハティは月に追いついて食べてしまいます。
このように、北欧では狼が太陽・月を食べるという日食・月食神話があり、世界の終わりをもたらす天災の象徴として狼が語られています。
現在、北欧神話として知られている物語は、キリスト教化以前のゲルマン神話であることから、古代ゲルマン社会において、どれほど狼の害が多く、人々から恐れられてきたか分かります。

ロシアの『原初年代記』や『イーゴリ戦記』では、古代ロシアの王たちは夜ごと狼となって、ツンドラを走ったと伝えられています。
蒼き狼からモンゴル族が生まれたとする伝承は、トルコ=モンゴル族に広く伝えられる伝承の一つで、『元朝秘史』が有名です。
匈奴や突厥など、モンゴル系の諸族には狼を祖とする伝承がいくつも伝わっています。
ローマ建国神話のロムルスとレムスが、牝狼に育てられたという伝承も同じ系譜であり、これらは始祖信仰すなわちトーテム的な信仰です。
恐ろしい猛獣を「祖先」として考えることによって、猛獣はその部族を守る神となり、その猛獣を祖とし、祖先である神に守られる自分たちは、特別に勇猛な戦士集団であると考えるようになります。
このように、人々を襲う神が部族の守り神とすることは、野生の動物たちを理解し、共生するための認識方法だったと言えます。
世界には、白鳥始祖、狼始祖、蛇始祖の伝承など、さまざまな動物始祖信仰があります。

ロシアのフセスラス公が夜ごと狼になって凍土を走ったのは、戦士たちの長である勇猛さを表す神話です。
猛獣の残虐さ、凶暴さを身につけた、選ばれた勇猛な戦士であることは、戦を勝ち抜くためには必要なことだったのかもしれません。
しかし、戦争が終わり、平和な社会を統治することが求められるようになると、凶暴な武将のままでは、人々から恐れられ、遠ざけられる存在となってしまいます。
そのため、狼や熊、虎、鰐、鮫などのトーテム獣(祖先獣)が、すべてを取り仕切る神、その地域の最高の神として祀られることはなかったと考えられています。
したがって、狼を自分たちの「祖先」として祀り、守り神として敬した人々は、農業生産の拡大やさまざまな勢力争いの結果、トーテム的な信仰をしだいに失っていったのでしょう。
国の建国神話や部族の語り部が伝えた英雄たちの神話は、トーテム的な信仰の喪失とともに、庶民の間で恐ろしげに語り伝えられる人狼物語へと変容していったのではないでしょうか。



『狼と香辛料』では、巨狼ホロは豊作を司る神として祀られていました。
ロレンスと旅する時は、若く美しい女性に変身しますが、ホロの本性は巨大な牝狼であり、非常に長命で、優れた知性を持ち、人語を話します。
前述した狼伝説と比較して考えると、ホロの豊かな知恵は過去の多くの伝承・伝説と共通していますが、豊穣の神という役割は独特で、過去の類例がほとんど無い、珍しい設定だと思います。
豊穣の動物神としては「牛」の方が代表的であり、インドでは聖牛として大切にされ、エジプトでは牛は豊穣の女神ハトホルやイシスの化身とされていました。

国の祖となる英雄が捨てられて、牝狼に育てられるという物語は、ローマの建国神話やモンゴルの「蒼き狼」の伝承など、数多く語り伝えられています。
人間の乳飲み子を育てた牝狼は、知恵と獰猛さの象徴としてだけでなく、母性の象徴でもあると言えます。
『狼と香辛料』のホロは、知性のある牝狼であることから、獰猛で凶暴な獣としてではなく、母性の象徴として見なされたのかもしれません。
母性を表す存在として考えると、母性と豊穣力は密接に結びついているため、牛女神ハトホルやイシスと同じく、牝狼ホロも豊穣を司る女神として祀られたと解釈することができます。



中世ヨーロッパの世界:貨幣経済の発展


※ネタバレ注意※

『狼と香辛料』では、銀貨の改鋳に関わる大きな取引が描かれています。
ロレンスは、若い行商人ゼーレンから、トレニ―銀貨が近々改鋳され、銀の純度が高くなるため、銀貨を買い集める取引を持ちかけられます。
純度の下がった古い銀貨を大量に集めて、純度の上がった新しい銀貨と交換すれば、差額分が儲かるという仕組みです。
ロレンスはゼーレンの儲け話に乗ったふりをして、商業の発展した港町パッツィオで、銀貨の純度を上げて改鋳されるという情報の真偽を確かめます。
そして、銀貨の純度を上げて改鋳されるという情報は嘘であり、実際は銀貨の純度を下げて改鋳される予定であることを突き止めるのです。
銀貨が悪鋳されると、その銀貨の信用が低下し、価値が下がります。
それでは、なぜゼーレンは嘘情報を広めて、銀貨を買い集めさせようとしたのでしょうか?

ゼーレンに詐欺を指示していたのは、パッツィオで麦を中心とした農産物取引を行うメディオ商会でした。
メディオ商会が、ゼーレンら手下たちを使って大量にトレニー銀貨を集める目的は、トレニ―国王に取引を持ち掛けることです。
財政が逼迫しているトレニー国王は、現在流通しているトレニー銀貨を鋳潰し、地金として使用し、銀の純度を下げて新しい銀貨を発行する計画です。
銀の純度を下げれば、同じ銀の量からより多くの銀貨を発行することができます。
しかしメディオ商会が、王政府よりも早く、市場に流通している全てのトレニー銀貨を回収すれば、新しい銀貨の地金が不足します。
メディオ商会は、集めた銀貨と引き換えに、国王から関税設定権などの有益な特権を引き出そうと考えていたのです。
さらに、メディオ商会を操っていたのは、エーレンドット伯爵であり、麦の大産地を領地に持つ伯爵は、麦の取引相手である商会と協力して、麦に関する様々な関税の撤廃を目論んでいました。
トレニ―銀貨を悪鋳するという王政府の極秘情報を、メディオ商会に流したのは、エーレンドット伯爵であることは明らかで、現代で言えばインサイダー取引に当たると言えます。
このような、トレニ―銀貨の改鋳をめぐるマネーゲームに関わり、行商人ロレンスはどのような役割を演じたのでしょうか?
詳しくは、ぜひ小説を手に取って、読んでみてください。



中世ヨーロッパにおいて、11世紀より以前は、大多数の人々にとって通貨はほとんど無縁の存在でした。
当時、取引には「銀」が使用されていましたが、それは「貨幣」という形ではなく、銀そのものとして、農産物などと同じように、重さを量って取引されていました。
したがって、すでに貨幣の形になっているものは、切り刻んだり、鋳潰して使用されたのです。

古くからローマ帝国の植民地であった地域の貴族や、彼らと取引していた商人たちは、「ソリドゥス金貨」を使用していました。
『狼と香辛料』の中に登場するトレニ―銀貨は架空の銀貨ですが、この物語と同じく、ソリドゥス金貨もしだいに悪鋳されていった歴史があります。
ソリドゥス金貨は、大帝と呼ばれたコンスタンティヌス1世によって、4世紀前半に鋳造された金貨であり、もともとは純度95.8パーセントの金貨でした。
この金貨の重量と純度は、西ローマ帝国滅亡後も、東ローマ帝国の皇帝によって守られたため、貨幣の信用度が非常に高く、数世紀にわたって各地で使用されました。
しかし、東ローマ帝国の財政が悪化したため、このソリドゥス金貨もしだいに小さくなり、金の純度も悪化して、信用を低下させていきます。
11世紀のマンツィケルトの戦いで、セルジュール朝トルコに敗北した後は、金の純度がさらに減って、銀の含有量が50パーセントを超えるまでになり、ソリドゥス金貨は姿を消していったのです。


中世ヨーロッパの銀貨は、ローマ時代のデナリウス銀貨が引き続き使用され、カール大帝と呼ばれるシャルルマーニュ(在位768年-814年)によって重さ・刻印が改良されて、ドゥニエ銀貨と呼ばれるようになります。
1ドゥニエ銀貨は、オート麦50リットルまたはパン12個に相当する値打ちがあったと言われており、農民など庶民の日常生活にはほとんど使われませんでした。
当時の農村では、基本的に自給自足であり、物々交換か、交易自体が行われなかったため、領主が貨幣を鋳造しても、ごく狭い範囲でしか通用しなかったのです。

商人たちは、遠隔地からの品物の仕入れには、7世紀から鋳造されたイスラム世界のディナール金貨や、ソリドゥス金貨の後継である東ローマ帝国のベザント金貨を使用していました。
イスラム製のディナール金貨は、金の純度が高く、当時の国際通貨でした。
商人たちは、ある領主領だけでしか通用しない貨幣ではなく、西欧のどこでも使える、より強く、より安定した銀貨を必要としていました。
そこで、12世紀末のヴェネツィアで「グロス銀貨」が造られ、続いてイングランドの「エステルラン(スターリング)銀貨」、フランスの聖ルイ王による「グロ銀貨」などが造られたのです。

ヨーロッパでは、金の産地はハンガリーのみだったため、独自の金貨を鋳造しはじめるのは11世紀から12世紀以後になります。
イタリアのフィレンツェ、ジェノヴァ、ヴェネツィアといった諸都市や、イベリア半島のカタルーニャ、カスティーリャ、ポルトガルなどで、イスラム世界やオリエントとの交易で金の備蓄量が増えると、金貨が鋳造され始めます。
フィレンツェの「フローリン金貨」、ヴェネツィアの「ドゥカート金貨」は特に有名で、金の純度が非常に高く、信用度が高いため、西欧で急速に普及しました。
13世紀から14世紀になって、イングランドやフランスなどの王制諸国家も自前の金貨を鋳造し始めますが、フローリン金貨を模した金貨が造られました。

『狼と香辛料』では、ピレオン金貨とヌマイ金貨が二大金貨として登場しますが、これはフローリン金貨とドゥカート金貨をモデルとしていると思います。
作品中で、金の純度が高く「最強の金貨」と呼ばれるリュミオーネ金貨は、イスラム製のディナール金貨をイメージしているのではないでしょうか。


このように、貨幣が普及することによって、商人たちは新しい問題に直面します。
最も大きな問題は、大金を持っての旅の危険、そして通過する地域ごとに異なる貨幣を使い分ける不便などです。
この問題は、14世紀にしだいに広がった為替手形システムによって解決されました。
『狼と香辛料』においても、ロレンスが為替手形システムについて簡単に説明する場面があります。

「しかし、ここからまたヨーレンツに帰るのは骨じゃありませんか」
「そこは商人の知恵です」
「ほほう、興味深い」
「私がヨーレンツで塩を買った際、そこでお金は払いません。私は別の町にあるその塩を買った先の商会の支店にほぼ同額の麦を売っていたからです。私はその支店から麦の代金を受け取らない代わりに、塩の代金を払いません。お金のやり取りをせず、二つの契約が完遂されるのです」
百年以上前に南の商業国で発明された為替のシステムだ。ロレンスも師匠になる親戚の行商人からこれを聞いた時ひどく感動した。ただ、それは二週間ほど散々悩んでようやく理解してからのことだ。目の前の初老の男性も、一回聞いただけでは理解できないようだった。(80頁)

さらに、商人たちの間で、事業の拡大のために、資金を持っている人々に呼びかけて、投資を募る「コンメンダ方式」という手法が広がります。
ヴェネツィアでは、10世紀頃から航海の資金集めにこの手法が行われていました。
商人が出資を呼びかけると、出資者は航海に同行せず、資金をこの商人に託し、帰港を待ちます。
航海から帰ってくると、持ち帰った商品を売り、それによって出資額が返済されるとともに、利益の四分の三が出資者に、四分の一が商人および船員のものになるのです。

陸路による通商は、航海よりも危険が少なかったですが、その場合も「組合」が形成されました。
「組合」の多くは、同じ家族で構成され、同じパンを分け合う人々が資本金を互いに分割し合い、利益の分配は貢献度に応じ、組合員は連帯責任を負います。
組合員のうち何人かに商品の輸送を担当させたり、商取引の人員を都市に配置し、常駐させることもできます。
このような「組合」が発展して、「商会」が出来ていきます。
イタリアの大きな商会は、13世紀末には連帯責任制の支店を各地に作り始めました。
14世紀初め、フィレンツェのバルディ家によるバルディ商会は、25の子会社を持ち、資本金は15万フローリン、年間取引額は90万フローリンに達したと言われています。
フローリンとう通貨単位は、前述のフローリン金貨に由来しており、フローリン金貨は3.5368グラムの純金で、現代の140USドルに相当すると言われています。

14世紀末には、支店相互が連帯責任を持つ「商会」が廃れ、支店の大部分を互いに連携しない自律的組織として、最大の株主は全般的方向性を立てるだけ、という「新しい商会」が隆盛します。
ダティーニ家やメディチ家による「新しい商会」は、14世紀末から15世紀にかけて、プラート、フィレンツェ、ジェノヴァ、ピサ、アヴィニョン、バルセロナ、バレンシア、マヨルカに設立された複合体で、ブルッヘ、ロンドン、パリ、ヴェネツィア、ミラノなどにも代理人を置き、年に20パーセント以上の利益を生み出しました。
ドイツでは、ハンザ商人や北方の大商人たちの多くは、小規模の商社を利用していました。
しかし、ライン地方や南ドイツでは、巨大な複合商社が活躍し、有名なフッガー家のヤーコプ・フッガーは、当時の世界で一番の富豪となりました。
ヤーコプ・フッガーの個人資産は、約200万~300万フローリンだったと言われています。

まず、商人たちは、農民たちが税として納入した物資(小麦、羊毛、ワインなど)の余剰分を貴族たちから買い取って、商いました。
さらに、貴族たちに金を貸し付けてまで、奢侈品を買わせ、その貸付金の担保として、貴族から開拓地の独占権や領地の年貢徴収権、ときには土地そのものまで手に入れたのです。
商人たちは、このようにして手に入れた土地や権利を、より安定性を持った資本として事業を拡大するとともに、社会的地位を増していきます。
貴族たちが失った権力の一部が、新興の市民のものになっていったのです。
伝統的な中世社会は、商人階級の台頭によって、大きく変化していったと言えます。

『狼と香辛料』においても、麦に関する税の特権を手に入れるために画策する大商会が描かれています。
実際に、成功した商人たちは、ときに詐欺まがいの悪どい手法まで使って、さまざまな特権を手に入れ、資本を増やしていったのかもしれません。




アニメとの比較


「狼と香辛料」シリーズは、2008年から2009年にかけてアニメ化されています。
アニメ第1期(2008年)の第1話~第6話が、今回の『狼と香辛料』にあたります。
アニメは、原作小説に基本的に忠実で、丁寧に制作されており、原作を未読でも楽しめますし、原作を読んでいれば、よりいっそう楽しめる良作となっています。

アニメと原作を比較すると、パスロエ村の村人で、狼神ホロを教会に引き渡そうとする人物の描き方に大きな違いがあります。

原作では、パスロエ村の麦を取引する際に、村側の値段交渉人を務めるヤレイという男性が登場します。
値段交渉人のヤレイは、麦の大口取引相手であるメディオ商会に協力し、トレニ―銀貨改鋳をめぐる取引に加担していました。
港町パッツィオで、ロレンスがヤレイと再会した時、ヤレイは農夫とは思えない上等な衣服を着ていました。
パスロエ村の麦畑で、「土と汗に汚れた真っ黒な顔」をしていた農夫ヤレイが、パッツィオでは「つつましい農村生活をしていてはとても手に入らないようなもの」を身にまとっているのです。
このことから、ヤレイが村側の値段交渉人という立場を悪用し、ひそかに私腹を肥やしていたことが伺えます。
身分不相応に上等な衣服は、メディオ商会から賄賂として受け取ったものかもしれません。

ヤレイはロレンスの肩越しに後ろのホロに視線を向けて、後を続ける。
「俺もまさかとは思ったが、昔話の中に出てくるそれとあまりにそっくりだ。村の麦畑に住みつき、その豊作凶作を自在に操れる狼の化身に」
ホロがぴくりと動いたのが分かったが、ロレンスは後ろを振り向かなかった。
「そいつをこっちに渡せ。俺達は、そいつを教会に差し出して古い時代と決別する」(294頁)

メディオ商会が、トレニー銀貨の取引で特権を手に入れることに成功すれば、ヤレイ自身もさらに財をなすことが出来ます。
農夫ヤレイは、大商会と付き合うことで、商人や都市の生活に憧れ、領主に隷従する農民の身分から抜け出したいと考えていたのだと思います。
ホロが教会に引き渡されれば、悪魔または悪魔憑きとして異端審問され、命がないでしょう。
ヤレイは、自分たちの先祖が代々、大切に祀ってきた豊作を司る神を、「古い時代と決別する」ために殺そうとしているのです。
ホロは「豊作凶作を自在に操れる」神であり、ときに「気まぐれ」によって凶作をもたらし、村人を苦しめる「理不尽」な神であると、ヤレイは考えていました。
ヤレイは、ホロに対する信仰を失っているのではなく、むしろホロの豊穣力を信じているからこそ、自分たちの望む実りをもたらさない、自分たちを助けてくれないホロを憎んでいるのです。
初めから、ホロという神の実在を全く信じていなければ、ホロを名乗る女性を憎むこともなく、殺そうと思うこともなかったでしょう。

信仰を持つがゆえに、神を憎むという複雑な感情は、ヤレイだけでなく、過去から現在まで多くの人々に共通する思いです。
それは、現代のキリスト教徒にとっても、古代のイスラエルの民にとっても同じです。
旧約聖書の詩編には、神さまどうしてですか、なぜわたしをお見捨てになったのですか、という心の叫びが繰り返し綴られています。

わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。(「詩編:第22章2節」、新共同訳)

ホロは、パスロエ村の村人たちを数百年間見守り続けてきて、村人たちの祈りの言葉や祭礼に変化があらわれ、ヤレイが言葉にしたような感情を抱いている者が増えてきたことを敏感に感じていたのでしょう。
だからこそ、前述したように、作品冒頭で「自分はもうここでは必要とされていない」と考え、豊作を司る神の役目を捨て、ロレンスと共に旅に出ることを選んだのだと思います。


アニメ版では、このヤレイという人物は登場しません。
代わりに、クロエという若い女性がパスロエ村の値段交渉人として登場します。
クロエは、麦の取引で毎年訪れるロレンスに、思いを寄せていました。
ロレンスは、クロエを商取引ではまだ未熟な後輩として接しており、クロエの誘いをさりげなく断っていました。
そしてヤレイに代わって、ホロを教会に引き渡そうと追い詰める役割を、クロエが演じています。

前述のように、ヤレイがホロを殺そうとする場面は、神と人との間の問題、人生の不条理と信仰の揺らぎの問題を表していると言えます。
アニメにおいて、クロエがホロを殺そうとする場面は、ロレンスに対する愛情ゆえの憎悪と嫉妬が描かれています。
「二人で成功してこの町にお店を構えましょう」と手を差し伸べるクロエを断り、ロレンスはホロと旅することを選び取ります。
クロエの言葉は、明らかに求婚を意味しており、それを断って、ホロと旅すると宣言することは、ロレンスがホロを伴侶とするという意味で受け取られるでしょう。
クロエは、ロレンスの言葉を聞き、差し出した手を握りしめ、ため息をつき、ロレンスを殺すよう命じます。
アニメ第1話では、パスロエ村において、クロエとロレンスが会話中に、上の空であるロレンスに対して、誰かほかの女性のせいでは、とクロエが問い詰める場面が描かれています。
このように、以前からロレンスに思いを寄せていたクロエにとって、その思い強ければ強いほど、自分の気持ちを裏切られた怒りや憎しみが強まり、ロレンスを殺そうとしたのだと思います。
クロエには、第1話で「どうせ本物のホロなんかいない」と語っており、もともとホロという神の実在を全く信じていないことが分かります。
クロエにとって、ホロは神というよりも、自分からロレンスを奪った女性という感情しかないでしょう。
狼神ホロが、若く美しい女性の姿に変身していたことによって、クロエの嫉妬心がより燃え上がったと言えます。

農夫ヤレイの役割を、クロエという女性に置き換えることによって、原作とアニメでは、ホロの立場に対する印象が大きく異なると思います。
アニメでは、女性の嫉妬や憎悪の感情が強調されることで、信仰のゆらぎの問題は描かれておりません。
原作では、神への不信、信仰のゆらぎの問題を描くことで、神自身が信者たちから離れていく、という人と神の関係の脆さ、悲しさが感じられます。




参考:ロベール・ドロール『中世ヨーロッパ生活誌』(論創社、2014年)
篠田知和基『世界動物神話』(八坂書房、2008年)