2017/01/28

ハインリヒ・ハイネ「流刑の神々・精霊物語」

流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)
流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫 赤 418-6)
  • 発売元: 岩波書店
  • 発売日: 1980/02/18

2016年10月15日の読書会で、ハインリヒ・ハイネ『流刑の神々・精霊物語』(小沢俊夫訳、岩波文庫)を読みました。
ハイネは、『精霊物語』(1835~1836年)において、グリム兄弟の『ドイツ伝説集』(上巻:1816 年、下巻:1818 年)から引用して、古代ゲルマンの精霊たち(コーボルト、エクセ、エルフェなど)の伝説を紹介しています。

……よく言われることだが、ヴェストファーレンには、古い神々の聖像がかくされている場所をいまだに知っている老人たちがいるということだ。彼らは臨終の床で、孫のうちでいちばん幼いものにそれを言って聞かせる。そしてそれを聞いた孫は、口のかたいザクセン人の心のなかにその秘密をじっとだいている。むかしのザクセン領だったヴェストファーレンでは、埋葬されたものすべてが死んでしまうわけではない。そして古い樫の森を逍遥していると、いまでも古代の声が聞こえてくる。(『精霊物語』、7頁、岩波文庫)

「タンホイザーの歌」(ヴェヌスの山)―ハイネとワーグナーを比較


『精霊物語』では、騎士タンホイザーが女神ヴェヌスの山に入り、ヴェヌスの宮廷で過ごしたという「タンホイザー伝説」について、もっとも多くのページを割いて紹介している(92頁~最後121頁まで)ので、注目して読みたいと思います。
ハイネは、コルンマンの『ヴェヌスの山』(1614年)と、クレーメンス・ブレンターノ『魔法の角笛』(『少年の魔法の角笛』三巻、1806-1808年)からの引用という体裁をとっていますが、実際にはハイネ自身が改作した翻案詩となっています。

コルンマンの例にならって、わたしも精霊のことをのべたついでに、古代異教の神々の変容について語らざるをえなかった。彼らはけっして幽霊ではない。なぜならば、すでにたびたびのべたように、彼らは死んではいないからである。彼らは被造物ではなく、不死の存在であって、キリストの勝利ののちには地下の隠棲場所にひきこもり、ほかの精霊たちと同居して、悪魔的生活をおくらざるをえなかったのである。ドイツ民族のなかでもっとも独特で、ロマンティックで奇異なひびきをもっているのは女神ヴェヌスの伝説である。彼女はその寺院が破壊されたときに、秘密の山のなかへ逃げこんで、そこできわめて陽気な無頼の空気の精や、美しい森のニンフ、水のニンフ、そのほか突然に人の世から消え去った多くの有名な立役者たちとともに、奇怪きわまる歓楽の生活をおくっている。あなたがその山に近づくと、ずっと遠くからすでに満足げな笑い声や甘いツィターの音が聞こえてきて、まるで目にみえない鎖のようにあなたの心をしめつけ、あなたを山のなかへひきこむだろう。(91頁)

高貴にして善良な騎士タンホイザーは、
愛と快楽を得んものと
ヴェヌスの山へおもむき、七年間をすごした。

「ヴェヌスよ、わたしの美しい妻、
いとしい人よ、さらば、
今日をかぎりにそなたのもとを去ろうと思う。
いとまをもらいたい。」

「タンホイザーさま、わたしの高貴な騎士よ、
今日は接吻もしてくださらないのね、
はやく接吻してください。
いったい、わたしになんの不足がおありなの?
わたしは毎日あなたに
世にも甘美な酒をさしあげたでしょうに、
毎日あなたの頭を
ばらの冠で飾ってさしあげたでしょうに。」(103-104頁)

ボルヒマイヤーによれば、ハイネの『精霊物語』から直接インスピレーションを受けて、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)は有名な歌劇「タンホイザー」(原題「タンホイザーとヴァルトブルクにおける歌合戦」)を執筆しました。
ワーグナーの「タンホイザー」は、1842年に当初は「ヴェーヌスヴェルグ Venusberg」(ヴェヌス山)という題名で作曲され始めます。そして、ワーグナーは完成した歌劇「タンホイザー」の劇詩の序文に、ワーグナー自身による「解説」を付しています。

古代ゲルマンの女神ホルダ、親しみのある、穏やかで慈悲深い女神、このホルダが毎年国じゅうを巡り歩くと、耕牧地は豊かに実ったものだが、キリスト教が導入されたことにより、ホルダは(ゲルマン神話の主神の)ヴォーダンや他の神々と運命を分かちあわねばならなかった。すなわち、神々に対する信仰は民衆の間に非常に深く浸透していたので、神々の存在や神々の持つ数々の不思議な力にまったき疑いを持たれることはなかったのだが、しかし、それ以前の女神の幸多き働きは怪しまれ、悪しき働きへと変えられてしまったのであった。ホルダは地下の洞窟、奥深い山々の中に追放されたのである。ホルダがそこから出てくると、それは災いをもたらすものとなった。(中略)ホルダという名称は、後にヴェーヌスに変わってしまった。この名称には、人を悪しき感覚的欲望へと誘惑する不吉な魔法の、ありとあらゆる観念がたやすく結び付いた。この女神の本拠地の一つは、テューリンゲンのアイゼナハ近郊にあるヘルゼルベルクの奥地である。ここがヴェーヌスにとっては淫蕩と快楽の宮廷であった。この宮廷の外にいてさえ、歓喜に満ちた音楽をしばしば聴くことができた。しかし、魅惑的なこの響きは、その心にすでに感覚的欲望を芽生えさせている者たちだけを誘き寄せた。つまり、彼らは楽しげに誘惑する響きに魅せられ導かれて、知らぬ間に山の中へ入り込んだのだ。―こうして騎士歌人タンホイザーの伝説は広まってゆく。(中略)この伝説によると、タンホイザーはヴェーヌスベルクに入って、ヴェーヌスの宮廷で丸々一年を過ごしたという。(山地良造「ワーグナーの歌劇『タンホイザー』とヤーコプ・グリムの『ドイツ神話学』」より)

ワーグナーは、ヤーコプ・グリム(1785-1863、 グリム兄弟の兄の方) が出版した『ドイツ神話学』(1835年)の影響を受けて、「タンホイザー伝説」に対するより深い考察を行っています。
『ドイツ神話学』の中で、「タンホイザーは長年山の中のホルダのもとで過ごしている」と引用されていることから、ワーグナーは、タンホイザー伝説に登場するローマ神話の女神ヴェヌスが、ゲルマン神話の女神ホルダと同化したものであると解説しました。
タンホイザー伝説のもともとの原話は、タンホイザーと女神ホルダの物語であったが、ホルダはヴェヌスと同化していったため、15~16世紀頃にホルダの名称はヴェヌスへと変わり、現在に伝わる物語となったと言えます。

※ネタバレ注意※

『精霊物語』に収録されている、タンホイザー伝説を改作したハイネの詩は、教皇から救済を拒絶されたタンホイザーが、ヴェヌスの山へ戻る結末です。

「わたしは彼女を全身全霊で愛しています、
激しく奔放な炎で愛しています。
これがもう地獄の火なのでしょうか?
わたしは神に永劫に罰せられるのでしょうか?

おお、聖なる父、法王ウルバンさま、
あなたは呪縛も救済も意のまま。
わたしを地獄の責め苦から、悪の力からお救いください。」

法王は両手を天に向けて高くあげ、
嘆きつつ言われた。
「タンホイザー、不幸な男よ、
魔法をうち消すことはできない。

ヴェヌスという悪魔は
あらゆる悪魔のうちでもっとも悪い。
その美しい悪魔の手から
そなたを救い出すことはできない。

そなたは今、みずからの魂で
肉の快楽の償いをしなければならない、
そなたは永遠の地獄の苦しみに突き落とされ、罰せられるのだ。」

騎士タンホイザーは旅を急いだ、足は傷だらけになった、
真夜中に
ヴェヌスの山に着いた。(『精霊物語』、113-115頁)

一方で、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」は、全く異なる結末を与えています。
ヴェヌス風の官能的な愛を讃美して罪人とされたタンホイザーの帰りを、故郷のエリーザベトは待ち続けます。
エリーザベトは、タンホイザーが教皇の赦しを得て戻ってくるようにと毎日マリア像に祈り続けますが、タンホイザーは帰らず、ついに自らの死をもってタンホイザーの赦しを得ようと決意します。
教皇に拒絶され、絶望して故郷に帰ったタンホイザーを、ヴェヌスが再び誘惑し、タンホイザーはヴェヌスへ引き寄せられていくところへ、エリーザベトの葬列が現れます。タンホイザーは我に帰り、異界は消滅しました。
エリーザベトが、自分の命と引き換えにタンホイザーの赦しを神に乞うたことを友人から聞き、タンホイザーはエリーザベトの亡骸に寄り添う形で息を引き取ります。ちょうどそこへローマからの行列が、緑に芽吹く教皇の杖を掲げて到着し、特赦が下りたことを知らせて幕が下ります。
教皇の手にある、枯れ枝でできた杖に瑞々しい緑が芽吹いたのは、タンホイザーの罪が許されたことの象徴です。
ワーグナーは、エリーザベトの自己犠牲によるタンホイザーの救済の成就を表現しているのです。

同じタンホイザー伝説を題材にしながら、ハイネの詩とワーグナーの歌劇が、全く異なる結末を与えているのは、その詩・歌劇を通じて読者・観客に伝えたいメッセージが、ハイネとワーグナーとは、それぞれ全く異なっていたためでしょう。


ハイネ「タンホイザーの歌」における風刺、皮肉、遊び心


ハイネの「タンホイザーの歌」には、タンホイザーが、イタリアからヴェヌス住む山へ帰る旅の道中、ヴァイマールやハンブルクなど、ドイツのさまざまな都市を見聞した内容が歌われています。

「タンホイザーさま、わたしの高貴な騎士よ、
ずいぶん長いお留守でした、
こんなに長いこと、どこを歩き廻っていらしたのか
どうぞおはなしください。」

「ヴェヌス、わたしの美しい妻よ、
わたしはイタリアに行ってきたのだ、
ローマで用事をすませて
急いでここへ帰ってきたのだ。(『精霊物語』、117頁)

聖ゴットハルトの峠に立つと、
ドイツがいびきをかいて寝ているのが聞こえた。
三十六人の独裁君主の保護のもとで
安らかに眠っていた。(118頁)

フランクフルトには安息日に着いた。
そしてシャレットとだんごを食べ、こう言ってやったのだ、
あなた方はいい宗教をおもちだ、
わたしも鵞鳥の臓物が好きですよ、と。(119頁)

詩人ミューズの未亡人の町ヴァイマールでは
しきりに悲嘆の声を聞いた。
悲しそうに泣き叫ぶのだ、ゲーテは死んだ、
だのにエッカーマンはまだ生きている、と。
ボツダムでは大きな叫び声を聞こえたので
どうかしたのですが、とわたしは驚いて尋ねた
「あれはベルリンのガンス教授ですよ、
前世紀について講義しているのです。」(119-120頁)

ツェレの刑務所ではハノーファー人しか見かけなかった―
おお、ドイツ人は!
我々には国家の刑務所が必要だ、
それにドイツ人全体に鞭が必要だ。(120頁)

善良な町ハンブルクには、
悪い連中がかなり住んでいる。
そして取引所へ行ったときには
まだツェレにいるのかと思った。

善良な町ハンブルクには、二度とふたたび足を踏み入れまい、
わたしはもうこれから、ヴェヌスの山の美しい妻のもとから離れまい。」(121頁)

中世の騎士であるタンホイザーが、ゲーテの死を嘆くヴァイマールを訪れるなど、とてもおかしく、ハイネの風刺と遊び心を感じますね。
このように、ハイネは「タンホイザーの歌」の中で、出版当時のドイツ諸都市(ゴットハルト、シュヴァーベン、フランクフルト、ドレースデン、ヴァイマール、ポツダム、ゲッティンゲン、ツェレ、ハンブルク)の政治や社会制度、民衆に対する風刺や皮肉を歌っているのです。

グリム兄弟は、ドイツの人々が語り伝えてきた民話を収集し、原話を忠実に採録した『ドイツ伝説集』や、キリスト教化以前の古代ゲルマンの神々を研究する『ドイツ神話学』を出版しました。
ハイネとグリム兄弟では、この原話に対して取り組む姿勢が、明らかに違うと思います。
ハイネは『精霊物語』において、「タンホイザーの歌」を中世の原話をそのまま採録したという体裁で、実際はハイネ自身が大幅に改作して、「タンホイザーの歌」を題材とした政治風刺詩に仕立て直しています。

ハイネの「タンホイザーの歌」には、ワーグナーが歌劇「タンホイザー」に付した解説のような、ローマの神々と同化させられた、古代ゲルマンの神々について深く考察する姿勢が欠けています。
おそらく、ハイネには、グリム兄弟のように、古代ゲルマンの神話・民話を本気で収集・研究する意図は、はじめからなかったのだと思います。

キリスト教批判として書かれた『精霊物語』・『流刑の神々』


『精霊物語』(1835-36年)の後に執筆した『流刑の神々』(1853年)では、ハイネは、ドイツ各地に伝わる幽霊や悪魔の伝説を紹介し、ローマの神々がキリスト教化以後に「悪魔化」させられたと論じています。
『精霊物語』で強烈だった、ドイツの社会・政治に対する風刺や皮肉は、『流刑の神々』ではあまり主張していませんが、キリスト教批判とローマ神話賛美というテーマは、『精霊物語』から『流刑の神々』へと引き継がれています。

『精霊物語』とテーマを同じくする『流刑の神々』においても、ローマの神々と同化させられた、古代ゲルマンの神々については、ハイネはほとんど論じていません。
ローマ帝国に支配される以前の古代ゲルマンの人々は、古代ゲルマンの神々を信仰していたはずです。
キリスト教公認以前のローマ帝国時代において、支配地域の広がりとともに、起源の異なる神々が同化し、人々の間で同時に信仰されていました。
ローマ帝国時代の諸宗教は混合主義であり、より勢力を持った宗教が、他の宗教を吸収し、同化する傾向にあり、この同化の過程は闘争や反発が少なく、互いに自由に伝説や教義上の慣例が交換されたと言われています。
そのため、ローマ帝国の文化・信仰の影響を受けて、古代ゲルマンの神々も、しだいにローマの神々と同化していったのだと思います。

そしてキリスト教化以後は、ローマの神々に対する信仰が失われ、キリスト教によってローマの神々は人々を誘惑する「悪魔」と変化させられ、民話や伝説の中に保存されたと、ハイネは『精霊物語』と『流刑の神々』で主張しています。

キリスト教が古代ゲルマンの宗教をどうやって抹殺しようとしたか、あるいは自分のなかにとりいれようとしたかというそのやりかた、また古代ゲルマンの宗教の痕跡が民間信仰のなかにどのように保存されているかということである。あの抹殺戦争がどのようにおこなわれたかは周知のとおりである。(『精霊物語』、60-61頁)

わたしはここでふたたび、キリスト教が世界を支配したときにギリシア・ローマの神々が強いられた魔神への変身のことをのべてみようと思っているのである。民間信仰は今ではギリシア・ローマの神々を、たしかに実在するが呪われた存在にしてしまっている。(『流刑の神々』、125頁)

古代のあわれな神々は当時屈辱的な逃亡をし、あらゆる可能な限りの覆面をして人間の住むこの地上に身をかくしたものだった。(127頁)

ハイネの考えでは、ギリシャ・ローマの神々は、キリスト教の主なる神によって創造された「被造物ではない」、「不死の存在」であるため、決して死ぬことはないのです。
「抹殺」できない存在であるため、キリスト教会では、ギリシャ・ローマの神々を「悪魔」「魔神」「呪われた存在」と位置づけました。
このように、キリスト教によってギリシャ・ローマの神々が「悪魔化」させられた過程を、ハイネは「流刑」と表現しています。
表題である「流刑の神々」とは、地下の洞窟や奥深い山々、秘密の隠棲場所にかくれて、今もなお生きているギリシャ・ローマの神々のことを意味していると言えます。



ハインリヒ・ハイネは、1797年にデュッセルドルフの裕福なユダヤ人の家庭に生まれました。
フランス支配下のデュッセルドルフの町で、フランス革命後の自由・平等の喜びと、1815年以後の反動化の時代を体験し、「自由・解放」への強い思いを持って成長したのだと思います。
ハイネは、早くから「ユダヤ問題」を論じていて、ベルリン大学時代は「ユダヤ人文化学術協会」の活動にも参加しています。
しかし、1825年にハイネはプロテスタントに改宗します。
『精霊物語』や『流刑の神々』では、強烈にキリスト教を批判しているハイネ自身が、この時、なぜキリスト教に改宗したのでしょうか?

ハイネのプロテスタント改宗は、「ユダヤ教徒からもキリスト教徒からも憎まれる」結果となったと、ハイネは友人に手紙を送っています。
ハイネの改宗前、「ユダヤ人文化学術協会」の指導者ガンスの改宗に対して、ハイネは「裏切り者(背教者)」(Einem Abtrünnigen)と題した詩を歌っています。

君は十字架に向かって這っていった
君が軽蔑していた十字架に、
ほんの数週間前、君が、
芥の中にふみにじろうとしていた十字架に!(Einem Abtrünnigen、"Nachgelesene Gedichte"(1812-27)所収)

このように、ガンスの改宗を痛烈に皮肉し、批判していたハイネ自身が、今度は「十字架に向かって這っていった」のですから、友人たちの理解・賛同を得るのは、難しかったでしょう。

1824年頃からハイネはヨーロッパ各地を旅して、1831年にパリに移住しました。
ハイネが移住した前年の1830年に、フランスでは7月革命が起こっています。
パリ移住後のハイネは、空想的社会主義者サン・シモンの流れを汲むサン・シモン派の人々と交流し、「第三の福音」を提唱するサン・シモン派の新しい宗教論の影響を受けたと言われています。
プロテスタント改宗後の、「ユダヤ教徒からもキリスト教徒からも憎まれる」苦しい体験を経て、ハイネはユダヤ教でもキリスト教でもない、「新しい宗教」に希望を見出したのかもしれません。

『精霊物語』は、ハイネがパリ移住後の1835年から1836年にかけて、フランス人に向けてドイツの文化を紹介するために、フランス語で発表されました。
『流刑の神々』も1853年に、フランスの『両世界評論』誌に、フランス語で発表されました。

トイフェル(悪魔)は論理家である。彼は世俗的栄光や官能的喜びや肉体の代表者であるばかりでなく、物質のあらゆる権利の返還を要求しているのだから人間理性の代表者でもあるわけだ。かくてトイフェルはキリストに対立するものである。すなわちキリストは精神と禁欲的非官能性、天国の救済を代表するばかりでなく、信仰をも代表しているからである。トイフェルは信じない。彼はむしろ自己独自の思考を信頼しようとする。彼は理性をはたらかせるのである!(『精霊物語』、69頁)

むしろたいせつなことは、ヘレニズム自身を、つまりギリシア的感情と思考方法を守護し、ユダヤ教、つまりユダヤ的感情と思考方法の伸展をはばむことだったのである。問題は、ナザレ人の陰気な、やせ細った、反感覚的、超精神的なユダヤ教が世界を支配すべきか、それともヘレニズムの快活と美を愛する心と薫るがごとき生命の歓びが世界を支配すべきであるかということなのだ。(82頁)

『精霊物語』において、ハイネはユダヤ教とキリスト教を、「陰気な、やせ細った、反感覚的、超精神的な」禁欲主義の宗教であると批判しています。
ハイネの考えでは、ユダヤ教とキリスト教の禁欲主義と対照的な存在が、「ヘレニズム」「ギリシア的感情と思考方法」であり、キリスト教によって「悪魔化」させられたギリシャ・ローマの宗教です。
ハイネは、ギリシャ・ローマの神々を、「世俗的栄光や官能的喜びや肉体の代表者」であり、「人間理性の代表者」であると賛美しています。

ハイネはプロテスタントに改宗しましたが、改宗後の悲劇的状況を経て、『精霊物語』を執筆していた時には、もはやユダヤ・キリスト教の信仰から心が離れ、サン・シモン派の影響を受けた「新しい宗教」を精神的支柱としたのでしょう。
ハイネによれば、この「新しい宗教」は、「神々の民主主義国家を地上に建設」する宗教で、「地上の天国」を説いています。
ハイネの考える、現世主義の「新しい宗教」にもっとも近い宗教が、古代ギリシャ・ローマの神々であり、「ヘレニズム」「ギリシア的感情と思考方法」だったのだと思います。

このようなハイネの事情を考えると、『精霊物語』と『流刑の神々』における、ユダヤ・キリスト教批判とギリシャ・ローマ神話賛美も理解することが出来ます。
そして、『精霊物語』の「タンホイザーの歌」は、ハイネ自身の心情を歌った詩であると解釈出来るでしょう。
ハイネの「タンホイザーの歌」は、タンホイザーが教皇に救済を拒絶され、ヴェヌスの山へ帰るという結末です。
タンホイザーの「善良な町ハンブルクには、二度とふたたび足を踏み入れまい、わたしはもうこれから、ヴェヌスの山の美しい妻のもとから離れまい」という最後の台詞は、ハイネ自身の心情が重なっているように思います。
この台詞に、フランスに移住し、二度とドイツには戻らないというハイネの強い決意を感じます。
ユダヤ・キリスト教の支配から解放された、自由で「新しい宗教」を提案するハイネのメッセージは、タンホイザーが<ヴェヌスのもとへ帰る>という結末が、もっとも分かりやすく象徴していると思います。

「新しい宗教」において、ハイネのイメージする「地上の天国」「神々の民主主義国家」は、実現しようとすれば、社会主義的なものであることは明らかです。
しかし、新しい教会の建設、世界観の変革がどのような方法で確立されるかは、ハイネは語っていません。
ハイネは、サン・シモン派の宗教論に希望を見出していますが、経済理論の方には関心を寄せなかったと言われています。
ハイネにとっての革命は、社会的・政治的領域よりも、人々の世界観を変革することの方が重要だったのでしょう。
これは、ハイネがもともと素晴らしい詩人であったからこそ、「新しい宗教」による<世界観の革命>にこだわったのだと思います。

革命詩人ハイネは生涯、詩によって闘争を続け、ドイツの社会・政治、キリスト教、教会・僧侶階級、多くの論敵たちを攻撃しています。
もし、ハイネが経済理論や社会制度にもっと目を向けていたら、詩を武器とする革命詩人ではなく、武力革命を目指す革命家となっていたかもしれません。




参考:宮野悦義「ハインリヒ・ハイネ」(一橋論叢:61(4)、1969年)
山地良造「ワーグナーの歌劇『タンホイザー』とヤーコプ・グリムの『ドイツ神話学』」(帝京平成大学紀要:第26巻第2号、2015年)