2012/12/22

スタニスワフ・レム「ソラリス」

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
  • 発売元: 国書刊行会
  • 発売日: 2004/09

スタニスワフ・レム『ソラリス』(沼野充義訳、国書刊行会)を読みました。
「古今東西の名作を読もう」コミュニティの、2011年12月・2012年1月課題本でした。

スタニスワフ・レム(1921年-2006年)は、世界的な人気を誇る、ポーランドのSF作家です。
『ソラリス』(Solaris、1961年)は、『エデン』(1959年) や『砂漠の惑星』(1964年)と共に、人類と地球外生物との接触を描いたファースト・コンタクト三部作と言われています。
ロシアのアンドレイ・タルコフスキー監督が『惑星ソラリス』(1972年)、アメリカのスティーヴン・ソダバーグ監督が『ソラリス』(2002年)として、映画化しています。


物語は、主人公クリス・ケルヴィンが、地球から惑星「ソラリス」の観測ステーションに派遣されるところから始まります。
ソラリスは、赤色と青色の二つの太陽のまわりを回り、惑星全体がゼリー状の海で覆われています。
ソラリスのゼリー状の海は、「生きもの」であるかどうか。
「生きもの」であるならば、それは原始的な「準生物」「前生物」か、それとも理性を持ち、人類よりも高度に発達した「巨大な脳」なのか。
ソラリスの「生きている海」をめぐって、人類は約100年に及ぶ探検調査と研究を行ってきましたが、未だに成果は得られず、ソラリス研究は衰退し、観測ステーションは閉鎖の危機にありました。

ソラリス・ステーションで、現在も研究を続けているのは、ギバリャン博士、スナウト博士、サルトリウス博士という3人の科学者のみです。
しかし、クリスが到着した時には、ギバリャンは謎の自殺を遂げており、スナウトとサルトリウスも異常な振る舞いを見せます。
スナウトは、クリスを含む3人の人間ではない「別の誰か」が、ステーション内にいることを示唆します。
ギバリャンはなぜ自殺したのか、ステーションで何が起こっているのか、といった謎の解明に乗り出しますが、クリス自身も不可解な現象に見舞われます。

※ネタバレ注意※

クリスのところに、10年前に亡くなった妻ハリーが、生前とまったく変わらない姿で現れます。
クリスは自分の狂気を疑いますが、ハリーの姿をした謎の女性は、決して幻覚ではなく、手で触れることの出来るリアルな実体です。
スナウトとサルトリウス、自殺したギバリャンにも、それぞれ同様の「お客さん」が訪れていたのです。
クリスたちは、ソラリスの「生きている海」が人間の記憶を探り、もっとも深い思い出を実体化したのかもしれない、と考えます。
恐怖したクリスは、ハリーのコピーをロケットに閉じ込め、宇宙空間に放り出しました。
しかし、最初に訪れた時と同じ服を着て、第2のハリー・コピーが現れます。
第2のハリー・コピーは、ハリー・オリジナルと同じようにクリスを愛していますが、しだいに自分がオリジナルではなく、コピーであると気づきます。
コピーである自分は、クリスから愛されないという悲しみから、彼女は自殺を図りますが、人知を超えた再生能力を見せて、回復します。
クリスは、彼女が不死身の怪物であることをしっかり認識しながらも、彼女を受け入れ、本当に愛するようになります。

サルトリウスは、不死身の「お客さん」を壊滅させるため、特別な装置を開発します。
その装置によって、第2のハリー・コピーは「閃光と風の一吹き」となって、永久に消えました。
彼女はクリスのためを思って、自死を決意し、クリスが眠っている間に、スナウトに頼んだのです。
クリスは、彼女を永久に失って深く悲しみ、涙します。
もはや彼女がもどって来ることは望めませんが、クリスは地球に帰還せず、ソラリスに残ることを決意して、物語は終わります。

◆◆◆

SFでもファンタジーでも、架空の世界が舞台となる作品は、背景となる世界観をいかに説明するかが、面白さの鍵ですよね。
『ソラリス』では、ソラリス研究の歴史を説明する部分が、非常に生き生きとしていて、なかなか面白く読めました。
引用されている文献や、研究事例が、すべて架空だとは思えないほど、リアリティがあります。
物語は、ほとんどソラリス・ステーションの中だけで展開しますが、現在の物語の背景に、100年に及ぶ時間の流れと、多くの研究者・探検家、ソラリス学ブームに沸く人々の息づかいが感じられます。


物語は、主人公クリス・ケルヴィンの一人称の語りによって進められています。
第2のハリー・コピーは、自分がハリー・オリジナルではないと気づき、クリスを思いやって自死を選ぶなど、とても人間らしい内面を持っています。
彼女の自律的な人格も、ソラリスの「生きている海」による模倣でしょうか、それともクリスと一緒に暮らす間に、しだいに人間性が芽生えていったのでしょうか。
コピーの人格が、成長によって獲得したものではなく、生まれながらに備わっているものだとすると、第1のハリー・コピーがクリスによって排除された場面は、すごく残酷ですよね。
物語はクリスの視点から描かれているため、ロケットに閉じ込められた彼女が、ロケットを変形させるほどの力で暴れる異常性や、クリスの恐怖心が強調されています。
しかし、彼女の視点に立てば、クリスの名前を呼び続け、脱出しようと暴れる描写から、愛するクリスに騙された恐怖と怒り、絶望を強く感じました。


第2のハリー・コピーは、生まれながらに備わったハリー・オリジナルの記憶と、自分はコピーであるという気づきの狭間で、悩みます。
コピーとして生み出された彼女が、彼女<オリジナル>の人格を持つという矛盾が、彼女の悲しさ・人間らしさをより際立たていると思います。

「あなたは本当のことを言えないのよ。だってわたしはハリーじゃないんだもの」
「じゃあきみは誰なんだい?」
彼女は長いこと黙っていた。そして何度か顎を小刻みに震わせ、とうとう目を伏せて、こう囁いた。
「ハリーよ...でも...わかっているわ、本当はそうじゃないってこと。あなたがむこうで、以前愛していたのは...わたしじゃない...」
「そう」と、私は言った。「過去にあったことは、いまはもうない。それはもう死んでしまった。でもね、ここではきみを愛しているんだ。わかるだろう?」(238-239頁)

サルトリウスの装置によって、彼女が永久に姿を消した時、クリス宛に手紙を残していました。
「愛するあなた」と書かかれた手紙には、彼女の署名が書かれていませんでした。

その下には、抹消されている単語が一つあったが、私はそれを判読することができた。「ハリー」と書いてあったのだ。しかし、後で彼女が塗りつぶしたのだろう。(320頁)

彼女は、最後まで自分が「誰」であるか、悩んでいたのでしょう。
永久のお別れに、自分の名前すら書くことができない彼女の辛さを思うと、本当に悲しくなります。
ハリー・オリジナルの代理としてではなく、彼女自身を愛していると言うなら、クリスは彼女に名前を与えるべきだったと思います。
彼女が<オリジナル>の名前を持つことで、これから<オリジナル>の人生を歩むことだって、出来たかもしれません。

スナウトは、彼女はクリスの「脳の一部を映し出す鏡」にすぎないと警告します。
しかしわたしは、彼女がクリスの潜在意識を投影した鏡、クリスの分身だとは思えないのです。
もし彼女が、クリスの記憶の再現・再構成にすぎないのならば、自分がコピーであると自覚することも、葛藤する自我を持つことも無いでしょう。

◆◆◆

『ソラリス』における人類と地球外生物とのコンタクトというテーマは、「生きている海」と人間、「生きている海」が生み出した怪物(「お客さん」)と人間、という二重のコンタクトが描かれています。
ハリー・コピーとクリスは、互いに分かり合うことが出来ましたが、「生きている海」とクリスは分かり合うどころか、互いの意思疎通さえ不可能です。

クリスにとって、「生きている海」がなぜ自分の記憶を探り、ハリー・コピーを生み出し、自分のもとへ送り込んだのか、謎のままでしょう。
「生きている海」に、どんな意図や計画があったのかは分かりませんが、少なくとも人間に関心を持ち、人間にコンタクトを試みたことは明らかです。
約100年に及ぶソラリス研究において、人間から「生きている海」へのコンタクトが全て失敗したように、「生きている海」から人間へのコンタクトも、おそらく失敗だったと言えます。
人間側・「生きている海」側それぞれコンタクトを試みても、互いに一方的な話しかけで終わるため、意思疎通やコミュニケーションには至らないのだと思います。

クリスが、第2のハリー・コピーとコミュニケーションをとり、互いに愛し合うことさえ出来たのは、彼女に人間らしい自我があったからだと思います。
人間は、相手に人間的な理性や感情を見出せれば、人間であるかどうかは関係なく、コミュニケーションをとることが可能なのでしょう。
相手に人間らしい自我が見出せなかった場合、人間よりも原始的な「準生物」「前生物」として見下すか、人間よりも高度な「神」として畏れるかしか、相手を受け入れる方法が無いのかもしれません。

「ひょっとしたら、まさにこのソラリスは、きみの言う神の赤ん坊のゆりかごなのかもしれないな」と、スナウトが言葉をはさんだ。微笑みが次第にはっきりと形をとり、そのせいで目の周りにうっすらとしわが寄った。「この海はきみの説に従えば、絶望する神の萌芽、発端なのかもしれない。そして、元気のいい子供らしさのほうが、まだ理性を凌駕しているのかもしれない。そうだとすると、おれたちのソラリス研究書を集めた図書館は、この赤ん坊のいろいろな反応を記録した巨大なカタログにすぎないんじゃないだろうか...」(335頁)

ソラリス研究の歴史を紐解く場面では、人間中心主義的・地球中心主義的なアプローチが、何度も批判されていました。
クリスは、ソラリスでの体験を通して、罪の贖いも、救済もしない「欠陥を持った神」というコンセプトを思いつきます。
人間は古来、自然現象を含め、人知を超える現象はすべて<神話>によって説明してきました。
科学の発達とともに、<神話>はしだいに消えていき、現代は人間の歴史上、もっとも<神話>が消えた時代と言えるかもしれません。
現代よりも、はるかに科学が発達した時代に生きるクリスやスナウトが、「生きている海」という人知を超えた存在とコンタクトした時、再び<神話>によって現象を説明しようとする=<神>に回帰することが、とても皮肉に感じました。



読了日:2012年3月15日