2012/12/29

ドストエフスキー全作品を読みたい

ドストエフスキー全作品を読む、という計画を2011年にスタートしました。
ドストエフスキー全集は、戦後に出版されたものとして、河出書房新社版、新潮社版、筑摩書房版がありますが、わたしは新潮社版(全27巻・別巻1)で集めています。
10年くらいかけて、少しずつ読みたいですね。

2023年5月1日現在

    1848年
  • 『弱い心』
  • 『ポルズンコフ』
  • 『正直な泥棒』
  • 『クリスマス・ツリーと結婚式』
  • 『白夜』
  • 『他人の妻とベッドの下の夫』
    1849年
  • 『ネートチカ・ネズワーノワ』
    1857年
  • 『小英雄』
    1859年
  • 『伯父様の夢』
  • 『ステパンチコヴォ村とその住人』
    1860年
  • 『死の家の記録』
    1861年
  • 『虐げられた人びと』
    1862年
  • 『いまわしい話』
    1863年
  • 『冬に記す夏の印象』
    1864年
  • 『地下室の手記』
    1866年
  • 『罪と罰』
  • 『賭博者』
    1868年
  • 『白痴』
    1870年
  • 『永遠の夫』
    1871年
  • 『悪霊』
    1873年
  • 『ボボーク』(『作家の日記』に収録)
    1875年
  • 『未成年』
    1876年
  • 『キリストのヨルカに召されし少年』(『作家の日記』に収録)
  • 『百姓マレイ』(『作家の日記』に収録)
  • 『百歳の老婆』(『作家の日記』に収録)
  • 『やさしい女』(『作家の日記』に収録)
    1877年
  • 『おかしな人間の夢』(『作家の日記』に収録)
  • 『宣告』(『作家の日記』に収録)
  • 『現代生活から取った暴露小説のプラン』(『作家の日記』に収録)


2012/12/22

スタニスワフ・レム「ソラリス」

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
  • 発売元: 国書刊行会
  • 発売日: 2004/09

スタニスワフ・レム『ソラリス』(沼野充義訳、国書刊行会)を読みました。
「古今東西の名作を読もう」コミュニティの、2011年12月・2012年1月課題本でした。

スタニスワフ・レム(1921年-2006年)は、世界的な人気を誇る、ポーランドのSF作家です。
『ソラリス』(Solaris、1961年)は、『エデン』(1959年) や『砂漠の惑星』(1964年)と共に、人類と地球外生物との接触を描いたファースト・コンタクト三部作と言われています。
ロシアのアンドレイ・タルコフスキー監督が『惑星ソラリス』(1972年)、アメリカのスティーヴン・ソダバーグ監督が『ソラリス』(2002年)として、映画化しています。


物語は、主人公クリス・ケルヴィンが、地球から惑星「ソラリス」の観測ステーションに派遣されるところから始まります。
ソラリスは、赤色と青色の二つの太陽のまわりを回り、惑星全体がゼリー状の海で覆われています。
ソラリスのゼリー状の海は、「生きもの」であるかどうか。
「生きもの」であるならば、それは原始的な「準生物」「前生物」か、それとも理性を持ち、人類よりも高度に発達した「巨大な脳」なのか。
ソラリスの「生きている海」をめぐって、人類は約100年に及ぶ探検調査と研究を行ってきましたが、未だに成果は得られず、ソラリス研究は衰退し、観測ステーションは閉鎖の危機にありました。

ソラリス・ステーションで、現在も研究を続けているのは、ギバリャン博士、スナウト博士、サルトリウス博士という3人の科学者のみです。
しかし、クリスが到着した時には、ギバリャンは謎の自殺を遂げており、スナウトとサルトリウスも異常な振る舞いを見せます。
スナウトは、クリスを含む3人の人間ではない「別の誰か」が、ステーション内にいることを示唆します。
ギバリャンはなぜ自殺したのか、ステーションで何が起こっているのか、といった謎の解明に乗り出しますが、クリス自身も不可解な現象に見舞われます。

※ネタバレ注意※

クリスのところに、10年前に亡くなった妻ハリーが、生前とまったく変わらない姿で現れます。
クリスは自分の狂気を疑いますが、ハリーの姿をした謎の女性は、決して幻覚ではなく、手で触れることの出来るリアルな実体です。
スナウトとサルトリウス、自殺したギバリャンにも、それぞれ同様の「お客さん」が訪れていたのです。
クリスたちは、ソラリスの「生きている海」が人間の記憶を探り、もっとも深い思い出を実体化したのかもしれない、と考えます。
恐怖したクリスは、ハリーのコピーをロケットに閉じ込め、宇宙空間に放り出しました。
しかし、最初に訪れた時と同じ服を着て、第2のハリー・コピーが現れます。
第2のハリー・コピーは、ハリー・オリジナルと同じようにクリスを愛していますが、しだいに自分がオリジナルではなく、コピーであると気づきます。
コピーである自分は、クリスから愛されないという悲しみから、彼女は自殺を図りますが、人知を超えた再生能力を見せて、回復します。
クリスは、彼女が不死身の怪物であることをしっかり認識しながらも、彼女を受け入れ、本当に愛するようになります。

サルトリウスは、不死身の「お客さん」を壊滅させるため、特別な装置を開発します。
その装置によって、第2のハリー・コピーは「閃光と風の一吹き」となって、永久に消えました。
彼女はクリスのためを思って、自死を決意し、クリスが眠っている間に、スナウトに頼んだのです。
クリスは、彼女を永久に失って深く悲しみ、涙します。
もはや彼女がもどって来ることは望めませんが、クリスは地球に帰還せず、ソラリスに残ることを決意して、物語は終わります。

◆◆◆

SFでもファンタジーでも、架空の世界が舞台となる作品は、背景となる世界観をいかに説明するかが、面白さの鍵ですよね。
『ソラリス』では、ソラリス研究の歴史を説明する部分が、非常に生き生きとしていて、なかなか面白く読めました。
引用されている文献や、研究事例が、すべて架空だとは思えないほど、リアリティがあります。
物語は、ほとんどソラリス・ステーションの中だけで展開しますが、現在の物語の背景に、100年に及ぶ時間の流れと、多くの研究者・探検家、ソラリス学ブームに沸く人々の息づかいが感じられます。


物語は、主人公クリス・ケルヴィンの一人称の語りによって進められています。
第2のハリー・コピーは、自分がハリー・オリジナルではないと気づき、クリスを思いやって自死を選ぶなど、とても人間らしい内面を持っています。
彼女の自律的な人格も、ソラリスの「生きている海」による模倣でしょうか、それともクリスと一緒に暮らす間に、しだいに人間性が芽生えていったのでしょうか。
コピーの人格が、成長によって獲得したものではなく、生まれながらに備わっているものだとすると、第1のハリー・コピーがクリスによって排除された場面は、すごく残酷ですよね。
物語はクリスの視点から描かれているため、ロケットに閉じ込められた彼女が、ロケットを変形させるほどの力で暴れる異常性や、クリスの恐怖心が強調されています。
しかし、彼女の視点に立てば、クリスの名前を呼び続け、脱出しようと暴れる描写から、愛するクリスに騙された恐怖と怒り、絶望を強く感じました。


第2のハリー・コピーは、生まれながらに備わったハリー・オリジナルの記憶と、自分はコピーであるという気づきの狭間で、悩みます。
コピーとして生み出された彼女が、彼女<オリジナル>の人格を持つという矛盾が、彼女の悲しさ・人間らしさをより際立たていると思います。

「あなたは本当のことを言えないのよ。だってわたしはハリーじゃないんだもの」
「じゃあきみは誰なんだい?」
彼女は長いこと黙っていた。そして何度か顎を小刻みに震わせ、とうとう目を伏せて、こう囁いた。
「ハリーよ...でも...わかっているわ、本当はそうじゃないってこと。あなたがむこうで、以前愛していたのは...わたしじゃない...」
「そう」と、私は言った。「過去にあったことは、いまはもうない。それはもう死んでしまった。でもね、ここではきみを愛しているんだ。わかるだろう?」(238-239頁)

サルトリウスの装置によって、彼女が永久に姿を消した時、クリス宛に手紙を残していました。
「愛するあなた」と書かかれた手紙には、彼女の署名が書かれていませんでした。

その下には、抹消されている単語が一つあったが、私はそれを判読することができた。「ハリー」と書いてあったのだ。しかし、後で彼女が塗りつぶしたのだろう。(320頁)

彼女は、最後まで自分が「誰」であるか、悩んでいたのでしょう。
永久のお別れに、自分の名前すら書くことができない彼女の辛さを思うと、本当に悲しくなります。
ハリー・オリジナルの代理としてではなく、彼女自身を愛していると言うなら、クリスは彼女に名前を与えるべきだったと思います。
彼女が<オリジナル>の名前を持つことで、これから<オリジナル>の人生を歩むことだって、出来たかもしれません。

スナウトは、彼女はクリスの「脳の一部を映し出す鏡」にすぎないと警告します。
しかしわたしは、彼女がクリスの潜在意識を投影した鏡、クリスの分身だとは思えないのです。
もし彼女が、クリスの記憶の再現・再構成にすぎないのならば、自分がコピーであると自覚することも、葛藤する自我を持つことも無いでしょう。

◆◆◆

『ソラリス』における人類と地球外生物とのコンタクトというテーマは、「生きている海」と人間、「生きている海」が生み出した怪物(「お客さん」)と人間、という二重のコンタクトが描かれています。
ハリー・コピーとクリスは、互いに分かり合うことが出来ましたが、「生きている海」とクリスは分かり合うどころか、互いの意思疎通さえ不可能です。

クリスにとって、「生きている海」がなぜ自分の記憶を探り、ハリー・コピーを生み出し、自分のもとへ送り込んだのか、謎のままでしょう。
「生きている海」に、どんな意図や計画があったのかは分かりませんが、少なくとも人間に関心を持ち、人間にコンタクトを試みたことは明らかです。
約100年に及ぶソラリス研究において、人間から「生きている海」へのコンタクトが全て失敗したように、「生きている海」から人間へのコンタクトも、おそらく失敗だったと言えます。
人間側・「生きている海」側それぞれコンタクトを試みても、互いに一方的な話しかけで終わるため、意思疎通やコミュニケーションには至らないのだと思います。

クリスが、第2のハリー・コピーとコミュニケーションをとり、互いに愛し合うことさえ出来たのは、彼女に人間らしい自我があったからだと思います。
人間は、相手に人間的な理性や感情を見出せれば、人間であるかどうかは関係なく、コミュニケーションをとることが可能なのでしょう。
相手に人間らしい自我が見出せなかった場合、人間よりも原始的な「準生物」「前生物」として見下すか、人間よりも高度な「神」として畏れるかしか、相手を受け入れる方法が無いのかもしれません。

「ひょっとしたら、まさにこのソラリスは、きみの言う神の赤ん坊のゆりかごなのかもしれないな」と、スナウトが言葉をはさんだ。微笑みが次第にはっきりと形をとり、そのせいで目の周りにうっすらとしわが寄った。「この海はきみの説に従えば、絶望する神の萌芽、発端なのかもしれない。そして、元気のいい子供らしさのほうが、まだ理性を凌駕しているのかもしれない。そうだとすると、おれたちのソラリス研究書を集めた図書館は、この赤ん坊のいろいろな反応を記録した巨大なカタログにすぎないんじゃないだろうか...」(335頁)

ソラリス研究の歴史を紐解く場面では、人間中心主義的・地球中心主義的なアプローチが、何度も批判されていました。
クリスは、ソラリスでの体験を通して、罪の贖いも、救済もしない「欠陥を持った神」というコンセプトを思いつきます。
人間は古来、自然現象を含め、人知を超える現象はすべて<神話>によって説明してきました。
科学の発達とともに、<神話>はしだいに消えていき、現代は人間の歴史上、もっとも<神話>が消えた時代と言えるかもしれません。
現代よりも、はるかに科学が発達した時代に生きるクリスやスナウトが、「生きている海」という人知を超えた存在とコンタクトした時、再び<神話>によって現象を説明しようとする=<神>に回帰することが、とても皮肉に感じました。



読了日:2012年3月15日

2012/12/18

アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(2)

Half of a Yellow Sun
  • 発売元: Fourth Estate
  • 発売日: 2007/1/1

★アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(1)

カノにおけるイボ人の虐殺

ナイジェリアは、使用言語・祖先の歴史・宗教観・共同体の組織原理などを異にする人々の集団が、多数存在します。
1963年の人口調査によると、ハウサ人が1165万人(総人口の21%)、ヨルバ人が1132万人(20%)、イボ人が925万人(17%)、フラニ人が478万人(9%)、カヌリ人が226万人(4%)、イビビオ人が201万人(4%)となっています。
ハウサ人、ヨルバ人、イボ人が総人口の58%を占めており、この三大民族間の権力均衡が、ナイジェリアの政治的安定をもたらします。
ビアフラ戦争は、三大民族間の均衡が崩壊したために勃発した、と言われています。

「話す」という動詞は、ハウサ語で「イ-マガナ yi-magana」、ヨルバ語で「ソロ soro」、イボ語で「クゥ kwu」と発音します。
旧宗主国の言語である英語の「スピーク speak」を介してはじめて、お互いの意思疎通が可能になるほど、おのおの独自の言語を持っています。
ハウサ人は、ナイジェリア北部に居住し、イスラームの伝統を維持しています。
ヨルバ人は、ナイジェリア西部の各地に王国と都市を形成しましたが、19世紀に入ると伝統的社会構造が変化し、キリスト教の普及が始まります。
イボ人は、ナイジェリア南部に居住し、単系血縁集団が集まった村落共同体による、民主主義的な「国家なき社会」を形成していました。
イボ人は、民主主義的かつ進歩主義的な性格を持っていて、奴隷貿易やパーム油貿易を通じて、ヨーロッパ商人と早い時代から接触し、キリスト教を受容しています。

『半分のぼった黄色い太陽』では、ハウサ人のムハンマド、ヨルバ人のミス・アデバヨ、そしてオランナ、ウグウ、オデニボといった多くのイボ人が登場します。


イギリス植民地政府は、伝統的権威とその政治機構を温存させ、地方行政府として利用する「間接統治」方式で、ナイジェリアを統治しました。
北部ハウサ人社会は北部州、西部ヨルバ人社会と東部イボ人社会は南部州として、切り離して発展させられます。
イスラーム圏の北部では、「間接統治」方式が成功し、北部における伝統権威が存続します。
西部ヨルバ人国家のオバ(王)やチーフ(首長)は、北部のスルタンやエミールのような絶対的権威ではなく、東部イボ人社会では、権威者そのものが存在していませんでした。
そのため東部では、植民地政府が勝手に首長を創り出し、「任命首長制」が導入され、イボ人が強く反発して、1929年に暴動を起こしています。
南北分離発展のため、公用語についても、北部はハウサ語、南部は英語でした。


ビアフラ戦争勃発前は、多くのイボ人が、事務職員、行政官、技師、商工人、教師などとして、ナイジェリア各地の都市部に移住していました。
北部に130万人、西部に50万人のイボ人が居住していたと推定されています。
北部の都市カノにおいて、イボ人やヨルバ人などの「よそ者」は、「サボン-ガリ」(ハウサ語で「新しい町」の意味)と呼ばれる居住区に住んでいました。
「サボン-ガリ」は、1911年頃に植民地政府によって設置された居住区で、植民地政府はキリスト教徒や、高度に西欧化した移住者が、ムスリムと接触しないような、隔離した居住パターンを採用したのです。

カノに移住したヨルバ人の多くが、イスラームに改宗したのに対して、イボ人が改宗することはほとんどなかったと言われています。
各地に移住したイボ人を支援するためのイボ人同盟は、1960年代にカノにおいて活発な活動を行い、イスラームの学校に対抗して、独自のキリスト教系の小学校を設置・運営していました。

オランナのムバエズィ伯父さんとイフェカ伯母さん夫妻は、カノに移住したイボ人で、「サボン-ガリ」に暮らしています。
ムバエズィ伯父さんを中心に、イボ人移住者たちが「イボ人の子どもを入学させない北部の学校」に抗議し、「イボ連合小学校」が建てられるエピソードが描かれています。


こうした中で勃発した、1966年の二度のクーデターは、北部の都市におけるイボ人とハウサ人の対立を危機的状況にしました。
イボ人の中堅将校による「1月クーデター」と、その報復である「7月クーデター」の後、カノにおけるイボ人の大量虐殺が起こりました。

イボ人の大量虐殺はカドゥナ、ザリア、ジョスなどの各都市に波及し、同年10月半ば頃までには、北部の各都市には東部出身のイボ人はいなくなりました。
虐殺されたイボ人の人数は、連邦政府資料で4700人、臨時調査団の資料で6000~8000人であり、北部から脱出したイボ人難民は158万人に達したと言われています。
イボ人の大量虐殺が、イボ人による連邦からの独立と、それを阻止しようとした連邦軍との内戦にまで、発展したのです。

◆◆◆

"Half of a Yellow Sun" を読んで

『半分のぼった黄色い太陽』の原文“Half of a Yellow Sun”を手に取ってみて、「語り」に対する強いこだわりを感じました。

"Yes,sah. It will be part of a big book. It will take me many more years to finish it and I will call it 'Narrative of the Life of a Country.'"
"Very ambitious," Mr.Richard said.
"I wish I had that Frederick Douglass book."(Page 530)

ウグウは、"Narrative of the Life of Frederick Douglass,an American Slave"(「アメリカ人奴隷、フレデリック・ダグラスの生涯の物語」)に、軍事教練所で偶然出会います。
フレデリック・ダグラスは、アメリカの歴史において、重要なアフリカ系アメリカ人指導者の一人です。
1818年にメリーランド州に奴隷として生まれ、農場や造船所の奴隷として働いていましたが、当時禁じられていた読み書きを覚えて、1838年にニューヨークへ逃亡します。
その後は、奴隷制廃止論を訴えて、アメリカ合衆国中を旅し、新聞を発行するなど、奴隷解放運動に尽力しました。

ウグウは、このフレデリック・ダグラスの自伝を真似て、自分が書いている物語を 'Narrative of the Life of a Country.' (「ある国の生涯の物語」)と名付けます。

"narrative"(ナラティブ)とは、「物語」「物語を語ること」の意味で、storytelling(「語る」という行為)とstory(語られた内容「物語」)という、二重の意味が込められています。
"narrative"には、語り手が聞き手に向けた<人格的で相互作用的な語り>といったニュアンスがあり、医療・福祉の分野で特に注目されている言葉です。

For the prologue,he recounts the story of the woman with the calabash.

Olanna tells him this story and he notes the details.

After he writes this, he mentions the German women who fled Hamburg with the charred bodies of their children stuffed in suitcases, the Rwandan women who pocketed tiny parts of their mauled babies.
(1.The Book:The World Was Silent When We Died)

オランナは、カラバッシュを持った女性の物語を、ウグウに "tell"(「語る」「話す」)し、ウグウはオランナから聞き取った物語を "recount"(「物語る」「詳しく話す」)します。
オランナとウグウの間のミクロな(私的な)ナラティブを、ドイツやルワンダの例を引いて、マクロな(社会的な)ナラティブまで引き上げる時に、"write"(「書く」)という行為になっています。

"Are you still writing your book, sah?"
"No."
"'The World Was Silent When We Died.' It is a good title."
"Yes, it is. It came from something Colonel Madu said once." Richard paused. "The war isn't my story to tell, really."
Ugwu nodded. He had never thought that it was.(Page 530)

リチャードは、"The war isn't my story to tell"(「その戦争は私の語るべき物語ではない」)と言いました。

Then he felt more frightened at the thought that perhaps he had been nothing more than a voyeur. (Page 210)

ビアフラ戦争を内部で経験しながらも、リチャードは "voyeur"(「窃視者」)かもしれない、という負い目を感じていて、ビアフラ人というアイデンティティを持つことが出来ない、悲しさがあります。
虐殺を生き延びたオランナや、戦場で傷ついたウグウにとってこそ、"my story to tell" なのだと、リチャードは感じたのでしょう。

ウグウが書こうとしている物語は、"Narrative of the Life of Ugwu" なのだし、"Narrative of the Life of Olanna" なのでしょう。
1977年生まれの作者アディーチェにとって、ビアフラ戦争は"my story"ではないかもしれませんが、『半分のぼった黄色い太陽』は、両親や親戚、家族が彼女に語った"my story"を、アディーチェが自分のこととして "narrative" 語り継いでいる証しだと思います。

日本においても、第二次世界大戦を体験した世代から、戦争体験をめぐる「物語」を、どのように子世代、孫世代へ伝承するかは、重要な問題でしょう。
戦争体験者の「語り」と、語り継ぐ側の「語り」では、どのような違いがあるでしょうか。
戦争体験者の祖父たちはすでに他界し、わたし自身は「物語」を聞き取ることも、語り継ぐことも不可能であることを思うと、ビアフラ戦争のリアリティを、世代を超えて語り継ぐアディーチェに対して、より強い尊敬の気持ちを感じます。



参考:室井義雄『ビアフラ戦争 叢林に消えた共和国』(山川出版社、2003年)

2012/12/17

アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(1)

半分のぼった黄色い太陽
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 2010/8/25

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『半分のぼった黄色い太陽』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)を読みました。
2012年11月の読書会課題本でした。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは、1977年ナイジェリア生まれの女性です。
2007年に、イギリスの権威ある女流文学賞「オレンジ賞」を、最年少で受賞しています。

『半分のぼった黄色い太陽』(2006年)は、1960年代のナイジェリアが舞台です。
物語の主な登場人物は、以下の5人です。

ウグウ...13歳で貧しい村を離れ、大学教員であるオデニボの自宅でハウスボーイとして働く少年。
オデニボ...ウグウの「ご主人」で、スッカ大学の若い数学講師。理想に燃える進歩的知識人。
オランナ...大都市の裕福な家庭に育った、若く魅力的な女性。オデニボの恋人。
カイネネ...オランナの双子の姉で、父親から事業を引き継ぐ。理知的で現実主義。
リチャード...イボ=ウクウ美術に関心を持つ、作家志望のイギリス人。カイネネの恋人。

※ネタバレ注意※


物語は、1960年代前半のナイジェリア、スッカを舞台に始まります。
第1主人公のウグウは、13歳で村を離れ、大学教員であるオデニボの自宅で、ハウスボーイとして働き始めます。
ウグウは、地方の伝統社会と、都市部の近代社会の接点に置かれたキャラクターです。
生まれ育った村の伝統的な生活(土壁と草葺き屋根の小屋、パーム油ランプ、複数の妻と大勢の子どもたち、干し魚のスープなど)と、オデニボの近代的な生活(コンクリ壁、電気、冷蔵庫、ラジオグラム、パンとチキンなど)とが、ウグウの目を通して、対比されます。

ウグウがオデニボ宅での生活にすっかり慣れた頃、オデニボの恋人オランナが、イギリス留学から帰国します。
第2主人公のオランナは、両親が暮らす大都市ラゴスから、スッカに引っ越して、オデニボと暮らし始めます。
オランナは、成功した実業家夫妻の両親よりも、カノに住むムバエズィ伯父夫妻と従妹アリゼの方に、愛着を持っていました。
物質的に充足していても、どこかよそよそしい両親と、貧しいが愛情あふれる伯父夫妻とが、オランナの目を通して対比されます。
さらに、カノが舞台の場面では、ムバエズィ伯父と仲良く語り合い、オランナにも優しく接する商人アブドゥルマリクや、オランナの元恋人ムハンマドの特権的な暮らしも描かれています。

第3主人公のリチャードは、イボ=ウクウ美術に魅了されてナイジェリアを訪れた、イギリス人青年です。
実業家や政治家が集まる駐在イギリス人社会には馴染めず、カイネネとの出会いをきっかけに、駐在イギリス人社会から離れ、イボ人との交友を広げていきます。
カイネネは、成金の両親を軽蔑しながらも、賄賂にまみれた事業を引き継ぎ、実業家となります。
リチャードはスッカに、カイネネはポートハーコートに暮らしながら、二人は少しずつ愛を深めていきます。

スッカのオデニボ宅は、オデニボとオランナを中心に、教員仲間のミス・アデバヨやエゼカ教授、若い詩人のオケオマ、イギリス人のリチャードらが集まる、知的サロンとして華やいでいました。
オランナとオデニボの満ち足りていた生活は、オデニボの母親の登場によって、阻害されます。
オデニボの母親は、近代教育を受けたオランナを嫌い、オランナとオデニボの仲を裂こうとします。
オデニボは、オランナを気遣いつつも、母親に強く抗議することが出来ず、オランナとの信頼関係が少しずつ悪化していきます。
オデニボとオランナは、二人の子どもを希望しますが、オランナは子どもに恵まれません。
不妊に悩んだオランナが、婦人科医の診察を受けるため、イギリスに旅行している時、オデニボの母親が、再びオデニボ宅を訪問します。
オランナが帰宅した時、オデニボは母親が連れてきた村娘アマラを妊娠させていました。
オデニボとオランナの間に決定的な亀裂が生じ、オランナは自暴自棄になって、リチャードと関係を持ちます。
アマラは、女児を出産しましたが、アマラにとっては不本意な妊娠・出産であり、養育を拒否します。
オランナは赤ん坊を引き取り、オデニボと二人で育てることを決心するのです。
オランナの勇気ある決意を応援していたカイネネでしたが、オランナとリチャードのあやまちを知って、傷つき怒ります。

4年後。
オランナは、オデニボの娘チマアカを「ベイビー」と呼び、実の娘のように慈しんで育てていました。
4年間で、従妹アリゼは結婚し、ウグウは英語の読み書きが上達していました。
オランナとカイネネの関係は悪化したままでしたが、カイネネとリチャードは関係を修復して、再び愛を育んでいました。
リチャードは、イボ人社会への親しみを深くし、イボ語に堪能になっています。
1966年、イボ人将校によるクーデターが起き、北部出身の政治家や将校が殺害されました。
ナイジェリア国内の反イボ人感情が高まり、北部出身の将校による第2のクーデターが起こり、ラゴスでイボ人将校や兵士が殺害されました。
第2クーデターの後、カノでもイボ人虐殺が始まります。ムバエズィ伯父夫妻と従妹アリゼは、友人だったアブドゥルマリクによって殺害されました。
カノ滞在中だったオランナは、ムハンマドに助けられて辛うじてスッカに逃れますが、心に深い傷を負います。
1967年、オジュク中佐が「ビアフラ共和国」を公式に宣言しました。
ナイジェリア連邦軍によって、スッカが陥落し、オデニボとオランナ、ベイビー、ウグウは、オデニボの母親が住むアッバに避難します。
リチャードは、ポートハーコートに避難し、カイネネと共に暮らし始めます。
アッバも陥落寸前となり、オデニボ一家はウムアヒアに避難しましたが、オデニボの母親は、避難の説得に応じず、アッバに残りました。
ウムアヒアで、オデニボとオランナはついに結婚しますが、戦況は悪化していきます。

食糧事情が極度に悪化し、オデニボ一家も飢餓に追い込まれていきます。
オランナは、貧しい隣人に囲まれた避難生活の中でも、青空学校を開講して、子どもたちに英語や算数を教えます。
オデニボは、母親の死をきっかけにアルコールに逃避し、オランナとの関係が再び悪化します。
ウグウは、少年兵として徴発され、戦場に送られます。
カイネネは、難民キャンプを運営し、栄養失調に苦しむ女性や子どもたちを支援していました。
リチャードは、ビアフラ政府の依頼で、執筆・広報活動をしながら、愛するカイネネを支えます。
ウムアヒアが陥落し、オデニボ一家はオルルのカイネネ宅に避難します。
オランナとカイネネは和解し、オランナはカイネネの難民キャンプを助けます。
カイネネは、なんとか食糧を手に入れるため、占領下にあるナインス・マイル通りに出かけます。
1970年、ビアフラの降伏が宣言され、2年半に及んだ戦争が終結しました。
戦争が終わっても、カイネネは帰らず、オランナとリチャードは、必死でカイネネを探します。
カイネネが二度と帰らないことを理解しながらも、カイネネと再び会えることを信じて、物語は終わります。


◆◆◆

以下に、物語の構成を整理してみます。

【第1部 1960年代前半】
  • <第1章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第2章> 視点:オランナ、場所:スッカ→ラゴス→カノ→スッカ
  • <第3章> 視点:リチャード、場所:ラゴス→スッカ→ポートハーコート
  • <一の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第4章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第5章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <第6章> 視点:リチャード、場所:スッカ→ポートハーコート
  • <二の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
【第2部 1960年代後半】
  • <第7章> 視点:ウグウ、場所:オピ村→スッカ
  • <第8章> 視点:オランナ、場所:カノ→ラゴス
  • <第9章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート
  • <第10章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第11章> 視点:オランナ、場所:カノ
  • <第12章> 視点:リチャード、場所:カノ→ラゴス
  • <三の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第13章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <第14章> 視点:リチャード、場所:オボシ→ポートハーコート→スッカ
  • <第15章> 視点:ウグウ、場所:スッカ→アッバ
  • <第16章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート
  • <第17章> 視点:オランナ、場所:アッバ
  • <第18章> 視点:ウグウ、場所:アッバ→ウムアヒア
  • <四の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
【第3部 1960年代前半】
  • <第19章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第20章> 視点:オランナ、場所:ラゴス→スッカ→カノ
  • <第21章> 視点:リチャード、場所:スッカ→ラゴス
  • <五の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第22章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第23章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <第24章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート
  • <六の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
【第4部 1960年代後半】
  • <第25章> 視点:オランナ、場所:ウムアヒア
  • <第26章> 視点:ウグウ、場所:ウムアヒア
  • <第27章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート→オルル
  • <第28章> 視点:オランナ、場所:ウムアヒア→オルル
  • <第29章> 視点:ウグウ、場所:ウムアヒア→戦場
  • <第30章> 視点:リチャード、場所:オルル
  • <七の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第31章> 視点:オランナ、場所:ウムアヒア→オルル
  • <第32章> 視点:ウグウ、場所:病院→オルル
  • <第33章> 視点:リチャード、場所:オルル
  • <第34章> 視点:オランナ、場所:オルル→スッカ
  • <第35章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第36章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート→ウムアヒア→ラゴス
  • <第37章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <八の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>

三人称の物語ですが、ウグウ、オランナ、リチャードという3人の視点が、交互に描かれています。
物語には、1967年から1970年にかけて起きたビアフラ戦争(ナイジェリア内戦)が、大きく取り上げられていますが、この史実を全く知らない読者であっても、支障なく読むことが出来ます。
ウグウ少年の成長、オランナとオデニボの恋愛、カイネネとリチャードの恋愛といった、物語の魅力に引っぱられるうちに、ビアフラ戦争という歴史を知ることになります。

そして、ウグウ、オランナ、リチャードの物語の合間に、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」と題された物語が挿入されています。
「一の書」は、第11章でのオランナの体験が、第三者の視点で描かれています。
「一の書」と「ニの書」は、ビアフラ戦争が起こる前の第1部に挿入されていて、登場人物たちの困難な行く末を暗示しているように、感じました。
「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」は、ナイジェリア独立後の政治・経済の状況や、ビアフラ戦争にいたる過程を説明しています。

ビアフラ戦争をマクロな視点から描いたものが、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」であり、ミクロな視点から描いたものが、ウグウ、オランナ、リチャードの物語でしょう。
このような構成には、ビアフラ戦争を俯瞰で理解しつつ、そこに生きた人々のリアリティを感じてほしい、という作者の意図を感じますね。

◆◆◆

時系列順に並べると、第1部→第3部→第2部→第4部という構成です。
第1部と第2部の間に、4年が経過しています。
わたしは、第2部から登場する「ベイビー」について、オデニボとオランナの子どもだと思って読み進めていました。
しかし第3部で、「ベイビー」誕生にまつわるエピソードが明らかになり、とても驚かされました。

「ベイビー」の実母アマラというキャラクターによって、伝統的な社会でどれだけ女性が苦しい立場に置かれているか、分かります。
「英語を話し、車を所有している」オデニボは、「快く、即座に、服従」すべき「ご主人」であり、オデニボやオデニボの母親に対して、アマラは自分の意思を表明する「声をもたない」のです。
しかし、妊娠中に堕胎しようと試み、出産後も赤ん坊にふれようとせず、自分の食事さえも拒否する様子は、不本意な妊娠に対するアマラの無言の抗議だと思います。


オランナは、実母に抱くことすら拒否された無力な赤ん坊に、自分を投影させて、子どもを引き取ることを決意します。

でもいま、こうしてベビーベッドに寝ている無防備な人間といると、他者にこれほど依存しきっている存在はそれ自体が、より高貴な、善なるものが存在する証しであるに違いないと思った。事態が変わったのだ。
「わたしは信じるわ。善き神の存在を信じる」
「僕はどんな神も信じないよ」(289頁)

オランナは、赤ん坊に「神は美しい」という意味の「チマアカ」という名前を付けるのです。
オランナの「信じる」という言葉は、物語の終わりでも使われています。

「戦争は終わったけれど、飢餓は終わっていないんだよ、ンケム。そのディビアは山羊の肉がむしょうに食べたかっただけさ。そんなもの信じちゃだめだよ」
「わたしは信じるわ。あらゆることを信じるわ。カイネネを家に連れもどせるなら、なんだって信じるわよ」(491頁)

オランナの「信じる」気持ちは、未来への<希望>を持ち続ける強さへとつながっています。
キリスト教の神か、伝統宗教の神々かは重要ではなく、どんな困難に直面しても揺るぎない<心の支え・拠り所>を、オランナが持っていたことが、重要だと思います。

オデニボは、脱植民地化の理想に燃える進歩的知識人ですが、具体的な困難に直面した時に、意外な脆さ・弱さを露呈してしまいます。
伝統的な社会の後進性を否定しながらも、母親に強く抗議出来ないところや、「ベイビー」誕生にまつわるエピソードは、オデニボの弱さの表れです。
本来なら、オデニボは自分の理想に殉じて、潔く戦って死ぬべきだったのに、実際は戦争の暴力性に圧倒され、アルコールに逃避し、家族を省みなくなります。
オデニボが声高に語った民族主義、パン・イボの概念は、彼にとって本当の心の拠り所・支えにはならなかったのでしょう。

「エジマ・ム―マイ・ツイン、いったいどうしたの?」もう一度、彼女は訊いた。
「どうもしない、本当よ。べつにどうもしないわ」そういうとオランナはテーブルに置かれたブランデーのボトルに目をやった。
「この戦争が終わってほしい、彼がもとにもどるように。あの人、別人になってしまった」
「私たちはみんなこの戦争のただなかにいるの。別人になるかどうか決めるのは、私たち自身よ」とカイネネがいった。(442頁)

オランナは、戦争によって避難を余儀なくされ、窮乏生活を強いられても、青空学校で子どもたちに教え、カイネネの難民キャンプを手助けするなど、未来への<希望>を持ち続けます。
そして、「大義のために」オデニボやウグウを戦場へ送り出すのではなく、賄賂を使ってでも、戦場に行かせないよう奔走しました。
身近な家族を必死で守ろうとするオランナは、愛国心や民族主義に従うのではなく、「より高貴な、善なるもの」「善き神」に従っていたのだと思います。

◆◆◆

「一の書」から「八の書」までの、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」という物語内物語は、誰が書いたのでしょうか?

プロローグとして、彼はカラバッシュを持った女のことを物語る。泣き、叫び、祈る乗客たちがひしめく汽車の床に、女は座っていた。(「一の書」100頁)

ビアフラ人が死んだとき世界は沈黙していたことについて彼は書く。(「六の書」295頁)

エピローグのため、彼はオケオマの死をモデルにして詩を書く。彼はそれをこう名づける。「私たちが死んだとき、きみは黙っていたのか?」(「七の書」427頁)

ウグウは最後に献辞を書いた―ご主人へ。(「八の書」491頁)

「一の書」は、カノでの虐殺を生き延びたオランナの体験を、「彼」が聞き取って、記録しています。
第34章で、オランナはウグウに、自分の体験を語っています。
しかし、ウグウが語り手だとすると、一人称ではなく、「彼」という三人称が使われているのが、不自然です。
「一の書」から「七の書」まで、一貫して三人称「彼」が使われ、最後の「八の書」で、「彼」=「ウグウ」であることが明かされるのです。

リチャードがなにか書き留めていた。「僕の本のなかでこの逸話を使おう」
「本を書いているんですか?」
「ああ」
「どんなことですか、サー?」
「戦争について、その前になにが起きたか、起きてはならないことがどれほどあったか。タイトルは『私たちが死んだとき世界は沈黙していた』になると思う」(451-452頁)

マドゥ大佐の「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」という言葉を借りて、リチャードは物語を書いていました。
同時に、戦場から負傷して帰還したウグウも、物語を書き始めます。
ウグウが書いた物語を読んで、リチャードは「この戦争は僕が語るべきものではない」と言います。

イギリス人であるリチャードは、自分が書こうとしていた物語は、本当はウグウが「語るべきもの」だと考えたのでしょう。
そのため、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」は、ウグウが「ある国の生涯を語る物語」を書くところを、リチャードが見ている、という構成なのだと思います。


★アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(2)



読了日:2012年11月19日