2012/03/28

アルベール・カミュ『ペスト』

カミュ『ペスト』(新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1969


アルベール・カミュ『ペスト』(1947年)を読了しました。
2011年12月の読書会課題本でした。

読書メーターで、『ペスト』の感想を読むと、<東日本大震災後の日本>と<福島原発事故>を連想したという感想が多いです。
『ペスト』は発表当時から、ドイツによるフランス占領の比喩ないし寓話であると解釈されてきました。
そのため日本の読者にとっては、<過去>の物語であり、<外>の物語だったのでしょう。
しかし東日本大震災以後、、『ペスト』は日本人が共有する、起こったばかりの生々しい体験を象徴する物語として読み直され、日本の読者の共感を呼び、震災以前と比べると驚くほど多くの人々に読まれています。
発表当時の読者、すなわちドイツによるフランス占領を体験した人たち、第二次世界大戦を体験した人たちが、『ペスト』のどこに共感し、どこに自分たちの戦争体験を重ね合わせたかは、現代の私たちが読んでも分からないものです。
同じ作品を読んだ時、ある読者はドイツによるフランス占領を思い起こし、ある読者は東日本大震災・福島原発事故を思い起こすというのは、面白い現象ですよね。
時代と読者に寄り添って、読み続けられていくのは、『ペスト』という作品が持つ力だと思います。

◆◆◆

物語の舞台は、1940年代のアルジェリアのオラン市です。
ペストが大流行し、感染拡大を防ぐためにオラン市が封鎖され、市民は完全に孤立した状態で、病気と死とに向き合うことになります。

物語は、"医師ベルナール・リウーが書いた記録"の中に、"ジャン・タルーの手帳"が挿入される構成になっています。
リウーの視点だけでは不足している部分を補う目的で、タルーの視点からの観察が組み込まれているのでしょう。

タルーは、青年時代に銃殺刑を目撃したことによって、「心の平和」を失いました。
現在も、「心の平和」を捜し求めていて、「すべての人々を理解しよう」と努めています。
そして、「心の平和」に到達するための道は、「共感」であると考えています。
タルーは、家じゅうに時計を一つも持たず、豌豆がいっぱい入っている鍋から、もう一つの鍋に「いつも同じ規則正しい動作で」豆を入れていく喘息病みの爺さんに、「聖者」の「手引き」となるものを見出しました。
タルーは、保健隊を組織して、献身的に救護活動を行い、リウー医師を支えますが、ペストに感染して命を落とします。
しかし、タルーにとっては、青年時代に「心の平和」を失った時からずっと、精神的な意味で「ペスト患者」だったのです。


リウー医師と、その老母であるリウー夫人に看護されて、タルーは最期を迎えました。
タルーの手帳には、この老婦人の「慎ましさ」や「善良さ」が、愛情深く書きとめられています。
タルーは、8年前に亡くした自分の母親を、リウー夫人に投影していたのだと思います。

私の母もそんなふうであった。私は母の同じような慎ましさを愛していたし、母こそ、私がいつもその境地に達したいと思ってきた人間である。(カミュ『ペスト』宮崎嶺雄訳、以下同)

リウー夫人、そして亡くなったタルーの母親こそが、タルーの捜し求めた「心の平和」に到達した「聖者」だったのでしょう。

するとそのとき、彼女の耳に、遠くから響いて来る、かき消されたような声が、ありがとうといい、今こそすべてはよいのだというのが聞こえた。彼女が再び腰を下ろしたときには、タルーは目を閉じて閉まっていて、そのやつれ果てた顔は、唇を固く結んでいるにもかかわらず、再びほほえんでいるように見えた。

「すべてはよいのだ」というタルーの言葉は、彼を苦悩させてきた「病毒」すべてを受け入れ、赦すこと、愛することを意味しているのではないでしょうか。
窮極において、タルーは「心の平和」を見出すことが出来たのだと思います。

◆◆◆

ペスト災害の初期、イエズス会士のパヌルー神父は、オラン市を襲ったペストを「神の災禍」になぞらえて、人々の不信仰の報いとして解釈していました。

あなたがたは今や罪のなにものたるかを知るのであります―カインとその子らがそれを知ったように、洪水以前の人々が、ソドムとゴモラの人々が、ファラオンとヨブとまたすべてののろわれし者どもがそれを知ったように、知るのであります。

リウー医師は、パヌルー神父について、次のように言っています。

パヌルーは書斎の人間です。人の死ぬところを十分見たことがないんです。だから、真理の名において語ったりするんですよ。しかし、どんなつまらない田舎の牧師でも、ちゃんと教区の人々に接触して、臨終の人間の息の音を聞いたことのあるものなら、私と同じように考えますよ。その悲惨のすぐれたゆえんを証明しようとしたりする前に、まずその手当をするでしょう。

しかしパヌルー神父は、保健隊に参加してから、救護者たちの最前列に位置して、病院とペストの見られる場所で働きました。
そして、まだ小さい一人の少年が、苦しんで死んで行く様子を目撃しました。

大粒の涙が、ぼうっと赤くなったまぶたからほとばしって、鉛色の顔面を流れ始め、そして発作がついに終わったとき、まったく力尽きて、四十八時間の間にすっかり肉のなくなってしまった両腕と骨ばった両足とを引きつらせながら、少年は、荒し尽された床の中で、磔にかけられた者のようなグロテスクなポーズを作った。

「磔にかけられた者のような」というフィリップ少年の死は、明らかにイエス・キリスの受難のアナロジーでしょう。
これを見て、パヌルー神父は、<子供の苦しみ>=<十字架の苦しみ>であると理解したのだと思います。
フィリップ少年の死後、パヌルー神父は次のように言います。

「まったく憤りたくなるようなことです。しかし、それはつまり、それがわれわれの尺度を越えたことだからです。しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです」

「私には今やっとわかりました、恩寵といわれているものはどういうことか」

「罪のない者」の苦しみと死に向き合い、パヌルー神父の内面が大きく変化したのです。
その後、ミサの説教においてパヌルー神父は、「すべてを信ずるか、さもなければすべてを否定するか」と、「われわれは神を憎むか、あるいは愛するか」と問いかけます。
この二つの問いに対する、パヌルー神父自身の答えは、

われわれに差し出された、その受けいれえぬものの心臓に、まさにわれわれの選択を行うために、とびついて行かねばならない。子供の苦しみは、われわれの苦きパンであるが、しかしこのパンなくしては、われわれの魂はその精神的な飢えのために死滅するであろう。

ただひざまずいて、すべてを放棄すべきだなどといっている、あの道学者たちに耳をかしてはならぬ。闇のなかを、やや盲滅法に、前進を始め、そして善をなそうと努めることだけをなすべきである。

神への愛は困難な愛であります。それは自我の全面的な放棄と、わが身の蔑視を前提としております。しかし、この愛のみが、子供の苦しみと死を消し去ることができるのであり、この愛のみがともかくそれを必要なもの――理解することが不可能なるがゆえに、そしてただそれを望む以外にはなしえないがゆえに必要なもの――となしうるのであります。

したがってパヌルー神父は、「罪のない者」の苦しみと死を受けいれ、「すべてを信ずる」こと、「神を愛する」ことを選んだのだと思います。

◆◆◆

フィリップ少年の死に、「恩寵」を見出したパヌルー神父とは対照的に、リウー医師は「子供たちが責めさいなまれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじません」と言います。

このリウー医師の言葉は、『カラマーゾフの兄弟』のイワンが、子供が虐待された事件や、子供が残酷に殺された事件を例にとって、「神」は認めるが、「神によって創られた世界」は絶対に認めない、と主張する考えと、同じテーマだと思います。

で、もしも、子どもたちの苦しみがだ、真理をあがなうのに不可欠な苦しみの総額の補充に当てられるんだったら、おれは前もって言っておく。たとえどんな真理だろうが、そんな犠牲には値しないとな。

いいか、かりにおまえが、自分の手で人類の運命という建物を建てるとする。最終的に人々を幸せにし、ついに平和と平安を与えるのが目的だ。ところがそのためには、まだほんのちっぽけな子を何がなんでも、そう、あの、小さなこぶしで自分の胸を叩いていた女の子でもいい、その子を苦しめなくてはならない。そして、その子の無償の涙のうえにこの建物の礎を築くことになるとする。で、おまえはそうした条件のもとで、その建物の建築家となることに同意するのか、言ってみろ、嘘はつくな!
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』亀山郁夫訳)

リウー医師にとって、人々を治療するということは、「あるがままの被造世界と戦うこと」を意味しています。
神を信じることは、「戦いをやめる」=「治療することをやめる」ことを意味するため、リウー医師は、自分は<神を信じていない>と断言できるのでしょう。

リウーには、窮極においてタルーが果たして平和を見出したかどうかはわからなかったが、しかし少なくともこの瞬間、自分自身にとってはもう決して平和はありえないであろうこと、同様にまた、息子をもぎとられた母親や、友の死体をうずめた男にとって休戦などは存在しないことだけは、わかっているような気がした。(カミュ『ペスト』宮崎嶺雄訳)

リウー医師は、タルーのように<死>に「心の平和」を見出すことは出来ないし、パヌルー神父のように<神>を愛して、すべてを信じることも、出来ない。
<神>を拒み、病と死を受け入れることを拒み、戦い続けるリウー医師は、とても孤独だと思いました。
タルーの死後、ペストとの戦争が終結した夜は、「敗北の沈黙」であり、「澄んで冷え切った空に、凍りついたような星影の、同じ寒々とした夜」でした。
この、澄んだ冷え切った「沈黙の夜」の情景は、リウー医師の内面を表現しているように思えました。



読了日:2011年12月3日