2012/12/29

ドストエフスキー全作品を読みたい

ドストエフスキー全作品を読む、という計画を2011年にスタートしました。
ドストエフスキー全集は、戦後に出版されたものとして、河出書房新社版、新潮社版、筑摩書房版がありますが、わたしは新潮社版(全27巻・別巻1)で集めています。
10年くらいかけて、少しずつ読みたいですね。

2023年5月1日現在

    1848年
  • 『弱い心』
  • 『ポルズンコフ』
  • 『正直な泥棒』
  • 『クリスマス・ツリーと結婚式』
  • 『白夜』
  • 『他人の妻とベッドの下の夫』
    1849年
  • 『ネートチカ・ネズワーノワ』
    1857年
  • 『小英雄』
    1859年
  • 『伯父様の夢』
  • 『ステパンチコヴォ村とその住人』
    1860年
  • 『死の家の記録』
    1861年
  • 『虐げられた人びと』
    1862年
  • 『いまわしい話』
    1863年
  • 『冬に記す夏の印象』
    1864年
  • 『地下室の手記』
    1866年
  • 『罪と罰』
  • 『賭博者』
    1868年
  • 『白痴』
    1870年
  • 『永遠の夫』
    1871年
  • 『悪霊』
    1873年
  • 『ボボーク』(『作家の日記』に収録)
    1875年
  • 『未成年』
    1876年
  • 『キリストのヨルカに召されし少年』(『作家の日記』に収録)
  • 『百姓マレイ』(『作家の日記』に収録)
  • 『百歳の老婆』(『作家の日記』に収録)
  • 『やさしい女』(『作家の日記』に収録)
    1877年
  • 『おかしな人間の夢』(『作家の日記』に収録)
  • 『宣告』(『作家の日記』に収録)
  • 『現代生活から取った暴露小説のプラン』(『作家の日記』に収録)


2012/12/22

スタニスワフ・レム「ソラリス」

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
  • 発売元: 国書刊行会
  • 発売日: 2004/09

スタニスワフ・レム『ソラリス』(沼野充義訳、国書刊行会)を読みました。
「古今東西の名作を読もう」コミュニティの、2011年12月・2012年1月課題本でした。

スタニスワフ・レム(1921年-2006年)は、世界的な人気を誇る、ポーランドのSF作家です。
『ソラリス』(Solaris、1961年)は、『エデン』(1959年) や『砂漠の惑星』(1964年)と共に、人類と地球外生物との接触を描いたファースト・コンタクト三部作と言われています。
ロシアのアンドレイ・タルコフスキー監督が『惑星ソラリス』(1972年)、アメリカのスティーヴン・ソダバーグ監督が『ソラリス』(2002年)として、映画化しています。


物語は、主人公クリス・ケルヴィンが、地球から惑星「ソラリス」の観測ステーションに派遣されるところから始まります。
ソラリスは、赤色と青色の二つの太陽のまわりを回り、惑星全体がゼリー状の海で覆われています。
ソラリスのゼリー状の海は、「生きもの」であるかどうか。
「生きもの」であるならば、それは原始的な「準生物」「前生物」か、それとも理性を持ち、人類よりも高度に発達した「巨大な脳」なのか。
ソラリスの「生きている海」をめぐって、人類は約100年に及ぶ探検調査と研究を行ってきましたが、未だに成果は得られず、ソラリス研究は衰退し、観測ステーションは閉鎖の危機にありました。

ソラリス・ステーションで、現在も研究を続けているのは、ギバリャン博士、スナウト博士、サルトリウス博士という3人の科学者のみです。
しかし、クリスが到着した時には、ギバリャンは謎の自殺を遂げており、スナウトとサルトリウスも異常な振る舞いを見せます。
スナウトは、クリスを含む3人の人間ではない「別の誰か」が、ステーション内にいることを示唆します。
ギバリャンはなぜ自殺したのか、ステーションで何が起こっているのか、といった謎の解明に乗り出しますが、クリス自身も不可解な現象に見舞われます。

※ネタバレ注意※

クリスのところに、10年前に亡くなった妻ハリーが、生前とまったく変わらない姿で現れます。
クリスは自分の狂気を疑いますが、ハリーの姿をした謎の女性は、決して幻覚ではなく、手で触れることの出来るリアルな実体です。
スナウトとサルトリウス、自殺したギバリャンにも、それぞれ同様の「お客さん」が訪れていたのです。
クリスたちは、ソラリスの「生きている海」が人間の記憶を探り、もっとも深い思い出を実体化したのかもしれない、と考えます。
恐怖したクリスは、ハリーのコピーをロケットに閉じ込め、宇宙空間に放り出しました。
しかし、最初に訪れた時と同じ服を着て、第2のハリー・コピーが現れます。
第2のハリー・コピーは、ハリー・オリジナルと同じようにクリスを愛していますが、しだいに自分がオリジナルではなく、コピーであると気づきます。
コピーである自分は、クリスから愛されないという悲しみから、彼女は自殺を図りますが、人知を超えた再生能力を見せて、回復します。
クリスは、彼女が不死身の怪物であることをしっかり認識しながらも、彼女を受け入れ、本当に愛するようになります。

サルトリウスは、不死身の「お客さん」を壊滅させるため、特別な装置を開発します。
その装置によって、第2のハリー・コピーは「閃光と風の一吹き」となって、永久に消えました。
彼女はクリスのためを思って、自死を決意し、クリスが眠っている間に、スナウトに頼んだのです。
クリスは、彼女を永久に失って深く悲しみ、涙します。
もはや彼女がもどって来ることは望めませんが、クリスは地球に帰還せず、ソラリスに残ることを決意して、物語は終わります。

◆◆◆

SFでもファンタジーでも、架空の世界が舞台となる作品は、背景となる世界観をいかに説明するかが、面白さの鍵ですよね。
『ソラリス』では、ソラリス研究の歴史を説明する部分が、非常に生き生きとしていて、なかなか面白く読めました。
引用されている文献や、研究事例が、すべて架空だとは思えないほど、リアリティがあります。
物語は、ほとんどソラリス・ステーションの中だけで展開しますが、現在の物語の背景に、100年に及ぶ時間の流れと、多くの研究者・探検家、ソラリス学ブームに沸く人々の息づかいが感じられます。


物語は、主人公クリス・ケルヴィンの一人称の語りによって進められています。
第2のハリー・コピーは、自分がハリー・オリジナルではないと気づき、クリスを思いやって自死を選ぶなど、とても人間らしい内面を持っています。
彼女の自律的な人格も、ソラリスの「生きている海」による模倣でしょうか、それともクリスと一緒に暮らす間に、しだいに人間性が芽生えていったのでしょうか。
コピーの人格が、成長によって獲得したものではなく、生まれながらに備わっているものだとすると、第1のハリー・コピーがクリスによって排除された場面は、すごく残酷ですよね。
物語はクリスの視点から描かれているため、ロケットに閉じ込められた彼女が、ロケットを変形させるほどの力で暴れる異常性や、クリスの恐怖心が強調されています。
しかし、彼女の視点に立てば、クリスの名前を呼び続け、脱出しようと暴れる描写から、愛するクリスに騙された恐怖と怒り、絶望を強く感じました。


第2のハリー・コピーは、生まれながらに備わったハリー・オリジナルの記憶と、自分はコピーであるという気づきの狭間で、悩みます。
コピーとして生み出された彼女が、彼女<オリジナル>の人格を持つという矛盾が、彼女の悲しさ・人間らしさをより際立たていると思います。

「あなたは本当のことを言えないのよ。だってわたしはハリーじゃないんだもの」
「じゃあきみは誰なんだい?」
彼女は長いこと黙っていた。そして何度か顎を小刻みに震わせ、とうとう目を伏せて、こう囁いた。
「ハリーよ...でも...わかっているわ、本当はそうじゃないってこと。あなたがむこうで、以前愛していたのは...わたしじゃない...」
「そう」と、私は言った。「過去にあったことは、いまはもうない。それはもう死んでしまった。でもね、ここではきみを愛しているんだ。わかるだろう?」(238-239頁)

サルトリウスの装置によって、彼女が永久に姿を消した時、クリス宛に手紙を残していました。
「愛するあなた」と書かかれた手紙には、彼女の署名が書かれていませんでした。

その下には、抹消されている単語が一つあったが、私はそれを判読することができた。「ハリー」と書いてあったのだ。しかし、後で彼女が塗りつぶしたのだろう。(320頁)

彼女は、最後まで自分が「誰」であるか、悩んでいたのでしょう。
永久のお別れに、自分の名前すら書くことができない彼女の辛さを思うと、本当に悲しくなります。
ハリー・オリジナルの代理としてではなく、彼女自身を愛していると言うなら、クリスは彼女に名前を与えるべきだったと思います。
彼女が<オリジナル>の名前を持つことで、これから<オリジナル>の人生を歩むことだって、出来たかもしれません。

スナウトは、彼女はクリスの「脳の一部を映し出す鏡」にすぎないと警告します。
しかしわたしは、彼女がクリスの潜在意識を投影した鏡、クリスの分身だとは思えないのです。
もし彼女が、クリスの記憶の再現・再構成にすぎないのならば、自分がコピーであると自覚することも、葛藤する自我を持つことも無いでしょう。

◆◆◆

『ソラリス』における人類と地球外生物とのコンタクトというテーマは、「生きている海」と人間、「生きている海」が生み出した怪物(「お客さん」)と人間、という二重のコンタクトが描かれています。
ハリー・コピーとクリスは、互いに分かり合うことが出来ましたが、「生きている海」とクリスは分かり合うどころか、互いの意思疎通さえ不可能です。

クリスにとって、「生きている海」がなぜ自分の記憶を探り、ハリー・コピーを生み出し、自分のもとへ送り込んだのか、謎のままでしょう。
「生きている海」に、どんな意図や計画があったのかは分かりませんが、少なくとも人間に関心を持ち、人間にコンタクトを試みたことは明らかです。
約100年に及ぶソラリス研究において、人間から「生きている海」へのコンタクトが全て失敗したように、「生きている海」から人間へのコンタクトも、おそらく失敗だったと言えます。
人間側・「生きている海」側それぞれコンタクトを試みても、互いに一方的な話しかけで終わるため、意思疎通やコミュニケーションには至らないのだと思います。

クリスが、第2のハリー・コピーとコミュニケーションをとり、互いに愛し合うことさえ出来たのは、彼女に人間らしい自我があったからだと思います。
人間は、相手に人間的な理性や感情を見出せれば、人間であるかどうかは関係なく、コミュニケーションをとることが可能なのでしょう。
相手に人間らしい自我が見出せなかった場合、人間よりも原始的な「準生物」「前生物」として見下すか、人間よりも高度な「神」として畏れるかしか、相手を受け入れる方法が無いのかもしれません。

「ひょっとしたら、まさにこのソラリスは、きみの言う神の赤ん坊のゆりかごなのかもしれないな」と、スナウトが言葉をはさんだ。微笑みが次第にはっきりと形をとり、そのせいで目の周りにうっすらとしわが寄った。「この海はきみの説に従えば、絶望する神の萌芽、発端なのかもしれない。そして、元気のいい子供らしさのほうが、まだ理性を凌駕しているのかもしれない。そうだとすると、おれたちのソラリス研究書を集めた図書館は、この赤ん坊のいろいろな反応を記録した巨大なカタログにすぎないんじゃないだろうか...」(335頁)

ソラリス研究の歴史を紐解く場面では、人間中心主義的・地球中心主義的なアプローチが、何度も批判されていました。
クリスは、ソラリスでの体験を通して、罪の贖いも、救済もしない「欠陥を持った神」というコンセプトを思いつきます。
人間は古来、自然現象を含め、人知を超える現象はすべて<神話>によって説明してきました。
科学の発達とともに、<神話>はしだいに消えていき、現代は人間の歴史上、もっとも<神話>が消えた時代と言えるかもしれません。
現代よりも、はるかに科学が発達した時代に生きるクリスやスナウトが、「生きている海」という人知を超えた存在とコンタクトした時、再び<神話>によって現象を説明しようとする=<神>に回帰することが、とても皮肉に感じました。



読了日:2012年3月15日

2012/12/18

アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(2)

Half of a Yellow Sun
  • 発売元: Fourth Estate
  • 発売日: 2007/1/1

★アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(1)

カノにおけるイボ人の虐殺

ナイジェリアは、使用言語・祖先の歴史・宗教観・共同体の組織原理などを異にする人々の集団が、多数存在します。
1963年の人口調査によると、ハウサ人が1165万人(総人口の21%)、ヨルバ人が1132万人(20%)、イボ人が925万人(17%)、フラニ人が478万人(9%)、カヌリ人が226万人(4%)、イビビオ人が201万人(4%)となっています。
ハウサ人、ヨルバ人、イボ人が総人口の58%を占めており、この三大民族間の権力均衡が、ナイジェリアの政治的安定をもたらします。
ビアフラ戦争は、三大民族間の均衡が崩壊したために勃発した、と言われています。

「話す」という動詞は、ハウサ語で「イ-マガナ yi-magana」、ヨルバ語で「ソロ soro」、イボ語で「クゥ kwu」と発音します。
旧宗主国の言語である英語の「スピーク speak」を介してはじめて、お互いの意思疎通が可能になるほど、おのおの独自の言語を持っています。
ハウサ人は、ナイジェリア北部に居住し、イスラームの伝統を維持しています。
ヨルバ人は、ナイジェリア西部の各地に王国と都市を形成しましたが、19世紀に入ると伝統的社会構造が変化し、キリスト教の普及が始まります。
イボ人は、ナイジェリア南部に居住し、単系血縁集団が集まった村落共同体による、民主主義的な「国家なき社会」を形成していました。
イボ人は、民主主義的かつ進歩主義的な性格を持っていて、奴隷貿易やパーム油貿易を通じて、ヨーロッパ商人と早い時代から接触し、キリスト教を受容しています。

『半分のぼった黄色い太陽』では、ハウサ人のムハンマド、ヨルバ人のミス・アデバヨ、そしてオランナ、ウグウ、オデニボといった多くのイボ人が登場します。


イギリス植民地政府は、伝統的権威とその政治機構を温存させ、地方行政府として利用する「間接統治」方式で、ナイジェリアを統治しました。
北部ハウサ人社会は北部州、西部ヨルバ人社会と東部イボ人社会は南部州として、切り離して発展させられます。
イスラーム圏の北部では、「間接統治」方式が成功し、北部における伝統権威が存続します。
西部ヨルバ人国家のオバ(王)やチーフ(首長)は、北部のスルタンやエミールのような絶対的権威ではなく、東部イボ人社会では、権威者そのものが存在していませんでした。
そのため東部では、植民地政府が勝手に首長を創り出し、「任命首長制」が導入され、イボ人が強く反発して、1929年に暴動を起こしています。
南北分離発展のため、公用語についても、北部はハウサ語、南部は英語でした。


ビアフラ戦争勃発前は、多くのイボ人が、事務職員、行政官、技師、商工人、教師などとして、ナイジェリア各地の都市部に移住していました。
北部に130万人、西部に50万人のイボ人が居住していたと推定されています。
北部の都市カノにおいて、イボ人やヨルバ人などの「よそ者」は、「サボン-ガリ」(ハウサ語で「新しい町」の意味)と呼ばれる居住区に住んでいました。
「サボン-ガリ」は、1911年頃に植民地政府によって設置された居住区で、植民地政府はキリスト教徒や、高度に西欧化した移住者が、ムスリムと接触しないような、隔離した居住パターンを採用したのです。

カノに移住したヨルバ人の多くが、イスラームに改宗したのに対して、イボ人が改宗することはほとんどなかったと言われています。
各地に移住したイボ人を支援するためのイボ人同盟は、1960年代にカノにおいて活発な活動を行い、イスラームの学校に対抗して、独自のキリスト教系の小学校を設置・運営していました。

オランナのムバエズィ伯父さんとイフェカ伯母さん夫妻は、カノに移住したイボ人で、「サボン-ガリ」に暮らしています。
ムバエズィ伯父さんを中心に、イボ人移住者たちが「イボ人の子どもを入学させない北部の学校」に抗議し、「イボ連合小学校」が建てられるエピソードが描かれています。


こうした中で勃発した、1966年の二度のクーデターは、北部の都市におけるイボ人とハウサ人の対立を危機的状況にしました。
イボ人の中堅将校による「1月クーデター」と、その報復である「7月クーデター」の後、カノにおけるイボ人の大量虐殺が起こりました。

イボ人の大量虐殺はカドゥナ、ザリア、ジョスなどの各都市に波及し、同年10月半ば頃までには、北部の各都市には東部出身のイボ人はいなくなりました。
虐殺されたイボ人の人数は、連邦政府資料で4700人、臨時調査団の資料で6000~8000人であり、北部から脱出したイボ人難民は158万人に達したと言われています。
イボ人の大量虐殺が、イボ人による連邦からの独立と、それを阻止しようとした連邦軍との内戦にまで、発展したのです。

◆◆◆

"Half of a Yellow Sun" を読んで

『半分のぼった黄色い太陽』の原文“Half of a Yellow Sun”を手に取ってみて、「語り」に対する強いこだわりを感じました。

"Yes,sah. It will be part of a big book. It will take me many more years to finish it and I will call it 'Narrative of the Life of a Country.'"
"Very ambitious," Mr.Richard said.
"I wish I had that Frederick Douglass book."(Page 530)

ウグウは、"Narrative of the Life of Frederick Douglass,an American Slave"(「アメリカ人奴隷、フレデリック・ダグラスの生涯の物語」)に、軍事教練所で偶然出会います。
フレデリック・ダグラスは、アメリカの歴史において、重要なアフリカ系アメリカ人指導者の一人です。
1818年にメリーランド州に奴隷として生まれ、農場や造船所の奴隷として働いていましたが、当時禁じられていた読み書きを覚えて、1838年にニューヨークへ逃亡します。
その後は、奴隷制廃止論を訴えて、アメリカ合衆国中を旅し、新聞を発行するなど、奴隷解放運動に尽力しました。

ウグウは、このフレデリック・ダグラスの自伝を真似て、自分が書いている物語を 'Narrative of the Life of a Country.' (「ある国の生涯の物語」)と名付けます。

"narrative"(ナラティブ)とは、「物語」「物語を語ること」の意味で、storytelling(「語る」という行為)とstory(語られた内容「物語」)という、二重の意味が込められています。
"narrative"には、語り手が聞き手に向けた<人格的で相互作用的な語り>といったニュアンスがあり、医療・福祉の分野で特に注目されている言葉です。

For the prologue,he recounts the story of the woman with the calabash.

Olanna tells him this story and he notes the details.

After he writes this, he mentions the German women who fled Hamburg with the charred bodies of their children stuffed in suitcases, the Rwandan women who pocketed tiny parts of their mauled babies.
(1.The Book:The World Was Silent When We Died)

オランナは、カラバッシュを持った女性の物語を、ウグウに "tell"(「語る」「話す」)し、ウグウはオランナから聞き取った物語を "recount"(「物語る」「詳しく話す」)します。
オランナとウグウの間のミクロな(私的な)ナラティブを、ドイツやルワンダの例を引いて、マクロな(社会的な)ナラティブまで引き上げる時に、"write"(「書く」)という行為になっています。

"Are you still writing your book, sah?"
"No."
"'The World Was Silent When We Died.' It is a good title."
"Yes, it is. It came from something Colonel Madu said once." Richard paused. "The war isn't my story to tell, really."
Ugwu nodded. He had never thought that it was.(Page 530)

リチャードは、"The war isn't my story to tell"(「その戦争は私の語るべき物語ではない」)と言いました。

Then he felt more frightened at the thought that perhaps he had been nothing more than a voyeur. (Page 210)

ビアフラ戦争を内部で経験しながらも、リチャードは "voyeur"(「窃視者」)かもしれない、という負い目を感じていて、ビアフラ人というアイデンティティを持つことが出来ない、悲しさがあります。
虐殺を生き延びたオランナや、戦場で傷ついたウグウにとってこそ、"my story to tell" なのだと、リチャードは感じたのでしょう。

ウグウが書こうとしている物語は、"Narrative of the Life of Ugwu" なのだし、"Narrative of the Life of Olanna" なのでしょう。
1977年生まれの作者アディーチェにとって、ビアフラ戦争は"my story"ではないかもしれませんが、『半分のぼった黄色い太陽』は、両親や親戚、家族が彼女に語った"my story"を、アディーチェが自分のこととして "narrative" 語り継いでいる証しだと思います。

日本においても、第二次世界大戦を体験した世代から、戦争体験をめぐる「物語」を、どのように子世代、孫世代へ伝承するかは、重要な問題でしょう。
戦争体験者の「語り」と、語り継ぐ側の「語り」では、どのような違いがあるでしょうか。
戦争体験者の祖父たちはすでに他界し、わたし自身は「物語」を聞き取ることも、語り継ぐことも不可能であることを思うと、ビアフラ戦争のリアリティを、世代を超えて語り継ぐアディーチェに対して、より強い尊敬の気持ちを感じます。



参考:室井義雄『ビアフラ戦争 叢林に消えた共和国』(山川出版社、2003年)

2012/12/17

アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(1)

半分のぼった黄色い太陽
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 2010/8/25

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『半分のぼった黄色い太陽』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)を読みました。
2012年11月の読書会課題本でした。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは、1977年ナイジェリア生まれの女性です。
2007年に、イギリスの権威ある女流文学賞「オレンジ賞」を、最年少で受賞しています。

『半分のぼった黄色い太陽』(2006年)は、1960年代のナイジェリアが舞台です。
物語の主な登場人物は、以下の5人です。

ウグウ...13歳で貧しい村を離れ、大学教員であるオデニボの自宅でハウスボーイとして働く少年。
オデニボ...ウグウの「ご主人」で、スッカ大学の若い数学講師。理想に燃える進歩的知識人。
オランナ...大都市の裕福な家庭に育った、若く魅力的な女性。オデニボの恋人。
カイネネ...オランナの双子の姉で、父親から事業を引き継ぐ。理知的で現実主義。
リチャード...イボ=ウクウ美術に関心を持つ、作家志望のイギリス人。カイネネの恋人。

※ネタバレ注意※


物語は、1960年代前半のナイジェリア、スッカを舞台に始まります。
第1主人公のウグウは、13歳で村を離れ、大学教員であるオデニボの自宅で、ハウスボーイとして働き始めます。
ウグウは、地方の伝統社会と、都市部の近代社会の接点に置かれたキャラクターです。
生まれ育った村の伝統的な生活(土壁と草葺き屋根の小屋、パーム油ランプ、複数の妻と大勢の子どもたち、干し魚のスープなど)と、オデニボの近代的な生活(コンクリ壁、電気、冷蔵庫、ラジオグラム、パンとチキンなど)とが、ウグウの目を通して、対比されます。

ウグウがオデニボ宅での生活にすっかり慣れた頃、オデニボの恋人オランナが、イギリス留学から帰国します。
第2主人公のオランナは、両親が暮らす大都市ラゴスから、スッカに引っ越して、オデニボと暮らし始めます。
オランナは、成功した実業家夫妻の両親よりも、カノに住むムバエズィ伯父夫妻と従妹アリゼの方に、愛着を持っていました。
物質的に充足していても、どこかよそよそしい両親と、貧しいが愛情あふれる伯父夫妻とが、オランナの目を通して対比されます。
さらに、カノが舞台の場面では、ムバエズィ伯父と仲良く語り合い、オランナにも優しく接する商人アブドゥルマリクや、オランナの元恋人ムハンマドの特権的な暮らしも描かれています。

第3主人公のリチャードは、イボ=ウクウ美術に魅了されてナイジェリアを訪れた、イギリス人青年です。
実業家や政治家が集まる駐在イギリス人社会には馴染めず、カイネネとの出会いをきっかけに、駐在イギリス人社会から離れ、イボ人との交友を広げていきます。
カイネネは、成金の両親を軽蔑しながらも、賄賂にまみれた事業を引き継ぎ、実業家となります。
リチャードはスッカに、カイネネはポートハーコートに暮らしながら、二人は少しずつ愛を深めていきます。

スッカのオデニボ宅は、オデニボとオランナを中心に、教員仲間のミス・アデバヨやエゼカ教授、若い詩人のオケオマ、イギリス人のリチャードらが集まる、知的サロンとして華やいでいました。
オランナとオデニボの満ち足りていた生活は、オデニボの母親の登場によって、阻害されます。
オデニボの母親は、近代教育を受けたオランナを嫌い、オランナとオデニボの仲を裂こうとします。
オデニボは、オランナを気遣いつつも、母親に強く抗議することが出来ず、オランナとの信頼関係が少しずつ悪化していきます。
オデニボとオランナは、二人の子どもを希望しますが、オランナは子どもに恵まれません。
不妊に悩んだオランナが、婦人科医の診察を受けるため、イギリスに旅行している時、オデニボの母親が、再びオデニボ宅を訪問します。
オランナが帰宅した時、オデニボは母親が連れてきた村娘アマラを妊娠させていました。
オデニボとオランナの間に決定的な亀裂が生じ、オランナは自暴自棄になって、リチャードと関係を持ちます。
アマラは、女児を出産しましたが、アマラにとっては不本意な妊娠・出産であり、養育を拒否します。
オランナは赤ん坊を引き取り、オデニボと二人で育てることを決心するのです。
オランナの勇気ある決意を応援していたカイネネでしたが、オランナとリチャードのあやまちを知って、傷つき怒ります。

4年後。
オランナは、オデニボの娘チマアカを「ベイビー」と呼び、実の娘のように慈しんで育てていました。
4年間で、従妹アリゼは結婚し、ウグウは英語の読み書きが上達していました。
オランナとカイネネの関係は悪化したままでしたが、カイネネとリチャードは関係を修復して、再び愛を育んでいました。
リチャードは、イボ人社会への親しみを深くし、イボ語に堪能になっています。
1966年、イボ人将校によるクーデターが起き、北部出身の政治家や将校が殺害されました。
ナイジェリア国内の反イボ人感情が高まり、北部出身の将校による第2のクーデターが起こり、ラゴスでイボ人将校や兵士が殺害されました。
第2クーデターの後、カノでもイボ人虐殺が始まります。ムバエズィ伯父夫妻と従妹アリゼは、友人だったアブドゥルマリクによって殺害されました。
カノ滞在中だったオランナは、ムハンマドに助けられて辛うじてスッカに逃れますが、心に深い傷を負います。
1967年、オジュク中佐が「ビアフラ共和国」を公式に宣言しました。
ナイジェリア連邦軍によって、スッカが陥落し、オデニボとオランナ、ベイビー、ウグウは、オデニボの母親が住むアッバに避難します。
リチャードは、ポートハーコートに避難し、カイネネと共に暮らし始めます。
アッバも陥落寸前となり、オデニボ一家はウムアヒアに避難しましたが、オデニボの母親は、避難の説得に応じず、アッバに残りました。
ウムアヒアで、オデニボとオランナはついに結婚しますが、戦況は悪化していきます。

食糧事情が極度に悪化し、オデニボ一家も飢餓に追い込まれていきます。
オランナは、貧しい隣人に囲まれた避難生活の中でも、青空学校を開講して、子どもたちに英語や算数を教えます。
オデニボは、母親の死をきっかけにアルコールに逃避し、オランナとの関係が再び悪化します。
ウグウは、少年兵として徴発され、戦場に送られます。
カイネネは、難民キャンプを運営し、栄養失調に苦しむ女性や子どもたちを支援していました。
リチャードは、ビアフラ政府の依頼で、執筆・広報活動をしながら、愛するカイネネを支えます。
ウムアヒアが陥落し、オデニボ一家はオルルのカイネネ宅に避難します。
オランナとカイネネは和解し、オランナはカイネネの難民キャンプを助けます。
カイネネは、なんとか食糧を手に入れるため、占領下にあるナインス・マイル通りに出かけます。
1970年、ビアフラの降伏が宣言され、2年半に及んだ戦争が終結しました。
戦争が終わっても、カイネネは帰らず、オランナとリチャードは、必死でカイネネを探します。
カイネネが二度と帰らないことを理解しながらも、カイネネと再び会えることを信じて、物語は終わります。


◆◆◆

以下に、物語の構成を整理してみます。

【第1部 1960年代前半】
  • <第1章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第2章> 視点:オランナ、場所:スッカ→ラゴス→カノ→スッカ
  • <第3章> 視点:リチャード、場所:ラゴス→スッカ→ポートハーコート
  • <一の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第4章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第5章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <第6章> 視点:リチャード、場所:スッカ→ポートハーコート
  • <二の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
【第2部 1960年代後半】
  • <第7章> 視点:ウグウ、場所:オピ村→スッカ
  • <第8章> 視点:オランナ、場所:カノ→ラゴス
  • <第9章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート
  • <第10章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第11章> 視点:オランナ、場所:カノ
  • <第12章> 視点:リチャード、場所:カノ→ラゴス
  • <三の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第13章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <第14章> 視点:リチャード、場所:オボシ→ポートハーコート→スッカ
  • <第15章> 視点:ウグウ、場所:スッカ→アッバ
  • <第16章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート
  • <第17章> 視点:オランナ、場所:アッバ
  • <第18章> 視点:ウグウ、場所:アッバ→ウムアヒア
  • <四の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
【第3部 1960年代前半】
  • <第19章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第20章> 視点:オランナ、場所:ラゴス→スッカ→カノ
  • <第21章> 視点:リチャード、場所:スッカ→ラゴス
  • <五の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第22章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第23章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <第24章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート
  • <六の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
【第4部 1960年代後半】
  • <第25章> 視点:オランナ、場所:ウムアヒア
  • <第26章> 視点:ウグウ、場所:ウムアヒア
  • <第27章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート→オルル
  • <第28章> 視点:オランナ、場所:ウムアヒア→オルル
  • <第29章> 視点:ウグウ、場所:ウムアヒア→戦場
  • <第30章> 視点:リチャード、場所:オルル
  • <七の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>
  • <第31章> 視点:オランナ、場所:ウムアヒア→オルル
  • <第32章> 視点:ウグウ、場所:病院→オルル
  • <第33章> 視点:リチャード、場所:オルル
  • <第34章> 視点:オランナ、場所:オルル→スッカ
  • <第35章> 視点:ウグウ、場所:スッカ
  • <第36章> 視点:リチャード、場所:ポートハーコート→ウムアヒア→ラゴス
  • <第37章> 視点:オランナ、場所:スッカ
  • <八の書 私たちが死んだとき世界は沈黙していた>

三人称の物語ですが、ウグウ、オランナ、リチャードという3人の視点が、交互に描かれています。
物語には、1967年から1970年にかけて起きたビアフラ戦争(ナイジェリア内戦)が、大きく取り上げられていますが、この史実を全く知らない読者であっても、支障なく読むことが出来ます。
ウグウ少年の成長、オランナとオデニボの恋愛、カイネネとリチャードの恋愛といった、物語の魅力に引っぱられるうちに、ビアフラ戦争という歴史を知ることになります。

そして、ウグウ、オランナ、リチャードの物語の合間に、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」と題された物語が挿入されています。
「一の書」は、第11章でのオランナの体験が、第三者の視点で描かれています。
「一の書」と「ニの書」は、ビアフラ戦争が起こる前の第1部に挿入されていて、登場人物たちの困難な行く末を暗示しているように、感じました。
「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」は、ナイジェリア独立後の政治・経済の状況や、ビアフラ戦争にいたる過程を説明しています。

ビアフラ戦争をマクロな視点から描いたものが、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」であり、ミクロな視点から描いたものが、ウグウ、オランナ、リチャードの物語でしょう。
このような構成には、ビアフラ戦争を俯瞰で理解しつつ、そこに生きた人々のリアリティを感じてほしい、という作者の意図を感じますね。

◆◆◆

時系列順に並べると、第1部→第3部→第2部→第4部という構成です。
第1部と第2部の間に、4年が経過しています。
わたしは、第2部から登場する「ベイビー」について、オデニボとオランナの子どもだと思って読み進めていました。
しかし第3部で、「ベイビー」誕生にまつわるエピソードが明らかになり、とても驚かされました。

「ベイビー」の実母アマラというキャラクターによって、伝統的な社会でどれだけ女性が苦しい立場に置かれているか、分かります。
「英語を話し、車を所有している」オデニボは、「快く、即座に、服従」すべき「ご主人」であり、オデニボやオデニボの母親に対して、アマラは自分の意思を表明する「声をもたない」のです。
しかし、妊娠中に堕胎しようと試み、出産後も赤ん坊にふれようとせず、自分の食事さえも拒否する様子は、不本意な妊娠に対するアマラの無言の抗議だと思います。


オランナは、実母に抱くことすら拒否された無力な赤ん坊に、自分を投影させて、子どもを引き取ることを決意します。

でもいま、こうしてベビーベッドに寝ている無防備な人間といると、他者にこれほど依存しきっている存在はそれ自体が、より高貴な、善なるものが存在する証しであるに違いないと思った。事態が変わったのだ。
「わたしは信じるわ。善き神の存在を信じる」
「僕はどんな神も信じないよ」(289頁)

オランナは、赤ん坊に「神は美しい」という意味の「チマアカ」という名前を付けるのです。
オランナの「信じる」という言葉は、物語の終わりでも使われています。

「戦争は終わったけれど、飢餓は終わっていないんだよ、ンケム。そのディビアは山羊の肉がむしょうに食べたかっただけさ。そんなもの信じちゃだめだよ」
「わたしは信じるわ。あらゆることを信じるわ。カイネネを家に連れもどせるなら、なんだって信じるわよ」(491頁)

オランナの「信じる」気持ちは、未来への<希望>を持ち続ける強さへとつながっています。
キリスト教の神か、伝統宗教の神々かは重要ではなく、どんな困難に直面しても揺るぎない<心の支え・拠り所>を、オランナが持っていたことが、重要だと思います。

オデニボは、脱植民地化の理想に燃える進歩的知識人ですが、具体的な困難に直面した時に、意外な脆さ・弱さを露呈してしまいます。
伝統的な社会の後進性を否定しながらも、母親に強く抗議出来ないところや、「ベイビー」誕生にまつわるエピソードは、オデニボの弱さの表れです。
本来なら、オデニボは自分の理想に殉じて、潔く戦って死ぬべきだったのに、実際は戦争の暴力性に圧倒され、アルコールに逃避し、家族を省みなくなります。
オデニボが声高に語った民族主義、パン・イボの概念は、彼にとって本当の心の拠り所・支えにはならなかったのでしょう。

「エジマ・ム―マイ・ツイン、いったいどうしたの?」もう一度、彼女は訊いた。
「どうもしない、本当よ。べつにどうもしないわ」そういうとオランナはテーブルに置かれたブランデーのボトルに目をやった。
「この戦争が終わってほしい、彼がもとにもどるように。あの人、別人になってしまった」
「私たちはみんなこの戦争のただなかにいるの。別人になるかどうか決めるのは、私たち自身よ」とカイネネがいった。(442頁)

オランナは、戦争によって避難を余儀なくされ、窮乏生活を強いられても、青空学校で子どもたちに教え、カイネネの難民キャンプを手助けするなど、未来への<希望>を持ち続けます。
そして、「大義のために」オデニボやウグウを戦場へ送り出すのではなく、賄賂を使ってでも、戦場に行かせないよう奔走しました。
身近な家族を必死で守ろうとするオランナは、愛国心や民族主義に従うのではなく、「より高貴な、善なるもの」「善き神」に従っていたのだと思います。

◆◆◆

「一の書」から「八の書」までの、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」という物語内物語は、誰が書いたのでしょうか?

プロローグとして、彼はカラバッシュを持った女のことを物語る。泣き、叫び、祈る乗客たちがひしめく汽車の床に、女は座っていた。(「一の書」100頁)

ビアフラ人が死んだとき世界は沈黙していたことについて彼は書く。(「六の書」295頁)

エピローグのため、彼はオケオマの死をモデルにして詩を書く。彼はそれをこう名づける。「私たちが死んだとき、きみは黙っていたのか?」(「七の書」427頁)

ウグウは最後に献辞を書いた―ご主人へ。(「八の書」491頁)

「一の書」は、カノでの虐殺を生き延びたオランナの体験を、「彼」が聞き取って、記録しています。
第34章で、オランナはウグウに、自分の体験を語っています。
しかし、ウグウが語り手だとすると、一人称ではなく、「彼」という三人称が使われているのが、不自然です。
「一の書」から「七の書」まで、一貫して三人称「彼」が使われ、最後の「八の書」で、「彼」=「ウグウ」であることが明かされるのです。

リチャードがなにか書き留めていた。「僕の本のなかでこの逸話を使おう」
「本を書いているんですか?」
「ああ」
「どんなことですか、サー?」
「戦争について、その前になにが起きたか、起きてはならないことがどれほどあったか。タイトルは『私たちが死んだとき世界は沈黙していた』になると思う」(451-452頁)

マドゥ大佐の「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」という言葉を借りて、リチャードは物語を書いていました。
同時に、戦場から負傷して帰還したウグウも、物語を書き始めます。
ウグウが書いた物語を読んで、リチャードは「この戦争は僕が語るべきものではない」と言います。

イギリス人であるリチャードは、自分が書こうとしていた物語は、本当はウグウが「語るべきもの」だと考えたのでしょう。
そのため、「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」は、ウグウが「ある国の生涯を語る物語」を書くところを、リチャードが見ている、という構成なのだと思います。


★アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(2)



読了日:2012年11月19日

2012/10/14

オルハン・パムク「雪」(2)

雪
  • 発売元: 藤原書店
  • 発売日: 2006/03/30

★オルハン・パムク「雪」(1)

スカーフを被る自由、被らない自由

『雪』では、「髪を覆う少女たち」と「自殺」の問題が、重要なテーマとなっています。
「髪を覆う少女たち」「トゥルバンの少女たち」は、教員養成所に通う女子学生で、学校内でスカーフ着用が禁止されているにもかかわらず、スカーフをとることを拒否していました。

「髪を覆う少女たち」の一人であるテスリメは、Kaがカルスを訪れる前に、自殺しています。
テスリメの自殺について、トゥルバンのレジスタンスをして学校を退学させられたため、と彼女を美化する人々と、単なる失恋のため、と彼女を貶める人々に分かれます。
わたしは、テスリメが自殺した本当の理由は、実は重要ではなく、彼女の自殺をめぐって、イスラム主義者と政教分離主義者が衝突することが、問題なのだと思います。

トゥルバンの学生を授業に入れなかった教員養成所の校長は、狂信的なイスラム原理主義者によって暗殺されます。
第5章において、殺された校長と犯人の会話から、テスリメの自殺に対する、政教分離主義とイスラム主義それぞれの考えが分かります。

<犯人の主張>
「アラーの言葉であるコラーンの『部族連合章』と『御光章』に極めてはっきり書いてあるのに、大学の門で残酷な扱いを受けている少女たちの苦悩に対して、先生の良心は痛まないのか?」
「俺は政教分離の物質主義者の国で、信仰のために戦い、不当な扱いを受けた無名の英雄たちの無名の庇護者だ。」
「宗教に従って、信心深い少女たちに、髪を出さないからといって、コラーンのことばから出ないといって、政教分離主義のトルコ共和国がモスレムを、西洋の奴隷として名誉を捨てて、信仰を捨てさせる秘密の計画の手足として、ひどいことをして、最後にはモスレムの少女は苦しみに耐えられず自殺した」

<校長の主張>
「いうまでもなく、本当の問題はスカーフを象徴にして政治的芝居に利用したことによって少女たちを不幸にしたことだ」
「トゥルバンの問題をこのような政治的問題にしているのは、トルコを分裂させ、弱体化させようとする外の力があることがわからないのか?」
「女がスカーフを外せば、社会の中でもっと楽になる。尊敬される」
「その少女は学校に入れてもらえないからとか、あるいは父親の圧力のせいではなく、MITがわしに知らせてきたように、遺憾ながら、失恋のために首を吊ったのだ」

ムスリム女性のスカーフ着用が、義務(ワージブ)であるかどうかは、諸説あるようです。
義務とみなす人々は、主にコーランの次の章句と、さまざまなハディースを根拠としています。

それから女の信仰者にも言っておやり、慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう。(第24章 御光章 31節)

ここで「蔽い」と訳されているものの原語は「フムル」。
「フムル」は「ヒマール」の複数形で、頭部を覆うスカーフのことです。
したがって、「フムルを着用する際には、きちんと胸を隠しなさい」と命じているのであり、頭部を隠すべきかどうかの判断はしていません。
また、「外部に出ている部分はしかたがない」とは、どの範囲を指すのか不明瞭です。
ここからだけでは、コーランは体を全て覆うヒジャーブの着用を義務づけている、とは言えないでしょう。
そのため、どんな材質のもので、どの程度体を覆うべきかは、この章句やさまざまな伝承をどう解釈するか、という問題になります。

トルコのシンクタンクKONDAが2007年に実施した調査によると、トルコ女性の約70%がスカーフ着用者であると言います。
2003年に実施した同様の調査では、着用者は約65%で、近年増加傾向にあることが分かります。
トルコ女性のスカーフには、チャルシャフ(ペチェ)、バシュオリュテュス(イェメニ)、テュルバンがあります。
チャルシャフ(ペチャ)は、顔以外を黒くて長いヴェールと長衣で覆うイスラム教団のユニフォームのことで、着用者は1%強だと言われています。
イェメニは、宗教的な意味合いは特になく、伝統や習慣から、地方や地方出身の女性が着用するスカーフです。
バシュオリュテュスは「頭を覆うもの」の意味で、イェメニと同じ場合と、信仰実践として着用する場合の両方があります。
スカーフ着用者の約6割が、イェメニとバシュオリュテュスの着用者です。
テュルバンは、耳も喉元もきっちりと覆うスカーフ着用で、信仰実践のために着用していて、スカーフ着用者の16%を占めています。

KONDAの2003年と2007年の調査結果を比較すると、バシュオリュテュス着用者は59.5%から51.9%に減少し、その中でも伝統や習慣を着用理由とする人は、31.2%から18.3%に減っています。
一方で、テュルバン着用者は3.5%から16.2%に急増し、そのうち9割が信仰のため着用していて、その中には自分の政治的立場を示すために着用している人が、約15%含まれています。
トルコのスカーフ論争では、この政治的意図が込められたテュルバンが問題となっているようです。


トルコは、1926年の建国以来、法律や制度を西欧に倣い、近代的な民主主義国家建設を目指しました。
もともと、トルコ女性にはスカーフを被る習慣がありましたが、近代化(=西欧化)と、世俗化(=脱宗教)の過程で、スカーフをはずすことが奨励されました。
しかし、脱スカーフ=都市部の高学歴・高収入層(近代化・世俗化)、スカーフ着用=地方の低学歴・低収入層(後進的)という従来の分類は、現在では通用しなくなっています。

トルコでは1980年代以降、宗教シンボルであるイスラム的スカーフの着用可能な領域をめぐって、いわゆる「スカーフ論争」が起こっています。
公共の場と教育の場では、スカーフが禁じられていたため、スカーフ解禁を求める女子学生が、禁止派の大学当局と衝突しました。
その後、1998年にスカーフ着用の女性議員が登場し、2002年以降の公正発展党政権では、大統領夫人や多くの閣僚夫人がスカーフ着用者です。
2007年から在位中であるアブドゥラー・ギュル大統領のハイリュンニサ夫人が、公的な場でスカーフを着用したため、大きな話題となりました。

女子学生のスカーフ着用は、大学によって対応が異なり、現在も議論が続いています。
しかし、2010年に高等教育評議会が、スカーフ着用を理由に登校を阻止してはならない、という通達を出し、事実上、大学でのスカーフ着用は解禁されたのです。


イスラム的スカーフは、女性抑圧のシンボルとして、理解(誤解)されてきました。
しかし、現在の近代化した若い女性が、主体的にスカーフを着用する現象について、復古主義やイスラム原理主義の勢力拡大とみなすのは、不適切です。
トルコでは、地方出身の新興富裕層は、イスラム的価値観を大切にしていて、西欧化とは異なる近代化の表れが、スカーフ着用であると言われています。
彼女らのスカーフ・ファッションは、復古的・前近代的な装いというよりも、西欧化への抵抗であり、アイデンティティ保持のために、イスラムを再評価していると言えます。


『雪』の第43章において、「髪を覆う少女たち」のリーダーであるカディフェは、「革命」のリーダーであるスナイ・ザーイムと、「髪を覆うこと」と「自殺」をめぐって、議論します。

「あなたが怖いのは、わたしが賢いことではありません。わたしが個性を持つことが怖いのです。」とカディフェ。「この町の男たちは、女が賢いことではなくて、彼女たちが独立して、自分でことを決める、それが怖いのです。」
「まさにその反対だ。」とスナイ。「あんたたち、女がヨーロッパ人のように、独立心を持って、自分で決めることが出来るようにとわしはこの革命をしたのだ。だからこそ、今スカーフを取って、髪を出してもらいたい。」
「髪は出します」とカディフェ。「このことをするのは、あなたが強制したためでも、ヨーロッパ人の真似をするためでもないことを証明するために、その後で首を吊ります。」(531頁)


「カディフェ、あんたは勇気があって、正直だ。しかし自殺は我々の宗教では禁じられておる。」
「コラーンの『女』の章で、『自らを殺す勿れ』と命じておられます。そうです。」とカディフェは言った。「しかし、そのことは自殺した少女たちを、万能なるアラーが彼女たちを許さず地獄に送るという意味にはなりません。」
「つまり、あんたはそう解釈するのだ。」
「さらには、全くその逆も正しいことになります」とカディフェ。「カルスの何人もの少女たちが髪を覆うことを望んだのに許されなかったために、自殺した者もいます。偉大なアラーは公正でおられます。彼女たちの苦悩をご覧になられます。心の中に神への愛があるのならば、このカルスの町にわたしの場がないために、わたしも彼女たちのように自らを殺します。」(532頁)

カディフェは、第13章の中で、「テスリメが自殺して死んだとしたら、そのことは彼女が罪を犯して死んだ意味になります」と語っていて、彼女の自殺をどう受け入れるべきか、迷っているようでした。
その後、第43章において、カディフェは「心の中に神への愛がある」のなら、神は、わたしたちの苦悩をご覧になり、罪を許してくださる、という気持ちに落ち着きます。

「心の中に神への愛がある」かどうかは、スカーフ論争においても、重要だと思います。
ムスリムの信仰実践とは、神と個人の契約に基づくものだから、スカーフ着用者が敬虔なムスリム女性、より良いムスリマであり、スカーフ非着用者が不信心、というわけではないのです。
カディフェが髪を出したとしても、彼女が心の中に「神への愛」を持ち続ける限り、より良い、敬虔なムスリマであると思います。


トルコにおけるスカーフ論争は、世俗主義とイスラム主義のイデオロギー対立の象徴です。
2008年に、スカーフ着用解禁を視野に入れた憲法改正案が国会を通過しましたが、トルコの憲法裁判所によって、世俗主義の原則に対する違憲判決が出され、憲法改正案は破棄されました。

トルコ女性にとって、「スカーフを被る自由」と「被らない自由」が、どちらも等しく保障されて、差別がなくなるのが、理想です。
しかし、宗教シンボルであるスカーフを、すべての場で解禁すれば、世俗主義の原則を崩す可能性があります。
トルコには、近隣の抑圧があるため、「被らない自由」が失われることが、世俗主義の人々から恐れられているようです。



参考:『トルコを知るための53章』(明石書店、2012年)
『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』(亜紀書房、1998年)

2012/10/13

オルハン・パムク「雪」(1)

雪
  • 発売元: 藤原書店
  • 発売日: 2006/03/30

オルハン・パムク『雪』(和久井路子訳、藤原書店)を読みました。
2012年7月の読書会課題本でした。

オルハン・パムクは、1952年にトルコのイスタンブルに生まれました。
22歳で初めて書いた小説『ジェヴデット氏と息子』(1982年)が、トルコで最も権威のあるオルハン・ケマル小説賞を受賞しました。
その後に発表した『静かな家』(1983年)、『黒い書』(1990年)、『わたしの名は紅』(1998年)は、ともにフランスの文学賞を得ていて、トルコ国内だけでなく、ヨーロッパやアメリカで高い評価を受けました。
『雪』(2002年)は、「911」事件後のイスラーム世界を予見した作品として、世界的ベストセラーとなり、フランスできわめて権威のあるメディシス賞を受賞。
2006年に、トルコ人として初となるノーベル文学賞を受賞しました。


『雪』は、1990年代初めの、トルコ北東部の国境近い小さな町、カルスが舞台です。
主人公のKa(本名ケリム・アラクシュオウル)は、政治亡命者としてドイツに暮らしていましたが、12年ぶりに祖国トルコへ帰ってきました。
彼は、学生時代に憧れていたイペッキという美しい女性が、夫と離婚してカルスに住んでいることを知り、結婚を申し込むつもりで、カルスを訪れました。
そして表向きは、「共和国新聞」に依頼されたジャーナリストとして、カルスの市長選挙と、若い女性たちの連続自殺事件について取材します。


※ネタバレ注意※

市長選挙を目前にしたカルスでは、世俗主義とイスラム主義の緊張が高まっていました。
イスラム穏健派の政党は、貧しい人々を手厚く支援する戦略で支持を集めていて、市長選挙に勝つ見込みです。
イスラム穏健派の市長候補が、Kaの学生時代の友人で、イペッキの元夫でもある、クルド人のムフタル。

約1カ月前に、カルスで自殺したテスリメという女学生は、イスラム的スカーフを着用する「髪を覆う少女たち」の一人で、スカーフ禁止派の学校当局から、登校を阻止され、退学させられる寸前に、自殺したという噂でした。
「髪を覆う少女たち」と呼ばれるグループのリーダーが、イペッキの妹カディフェです。
カディフェは、カルスに潜伏しているイスラム過激派のカリスマ「紺青」の恋人でもあります。
宗教高校の学生であるネジプやファズルは、「紺青」を尊敬していて、「髪を覆う少女たち」に憧れていました。
Kaがカルスに到着した日、イスラム過激派の狂信者によって、「髪を覆う少女たち」を迫害したとの理由で、教員養成所の校長が暗殺されます。

校長暗殺事件が誘因となって、イスラム原理主義の脅威を恐れる世俗主義者の一部が、軍事クーデターを起こすのです。
クーデターを指揮していたのは、Kaと同じバスでカルスに到着した、スナイ・ザーイムという俳優と、スナイの友人であるオスマン・ヌーリ・チョラク大佐でした。
軍クーデター発生の直後から、警察や情報局によって、カルス中のイスラム主義者や宗教高校生、クルド人民族主義者が襲われて、暗殺されたり、逮捕・拷問されました。
教員養成所の校長を暗殺した犯人を見つけ出して、カルス市民にクーデターの成果を証明し、直ちに犯人を処刑することを目指していました。

一方で、「紺青」とKaの提案により、ドイツの新聞社に、クーデターを非難する共同声明を発表することになります。
「紺青」を中心に、イスラム過激派、社会主義者、無神論者のクルド人民族主義者、息子が行方不明の母親など、カルスで迫害されている人たちが集まり、侃侃諤諤の議論を交わすのです。
イペッキとカディフェの父トゥルグットは民主主義者として、カディフェはイスラム主義のフェミニストとして、この集会に参加しました。

秘密集会の後、「紺青」はついに逮捕されます。
スナイ・ザーイムは、カディフェに対して、国民劇場の舞台で、スカーフをとり、髪を出すことを要求しました。
カディフェは、恋人である「紺青」の釈放と引き換えに、髪を出すことを決心します。
Kaはイペッキに結婚を申し込み、イペッキもKaの愛情に応えたため、二人は一緒にドイツへ行く約束をしていました。
「紺青」が釈放された後、Kaは情報局員のデミルコルらに拉致され、暴行されます。
デミルコルは、「紺青」の潜伏先を隠しているKaに、イペッキがもともと「紺青」の愛人だったことを教えるのです。
Kaは混乱し、嫉妬に苦しみますが、イペッキはKaを慰め、「紺青」を忘れるために、Kaと共にドイツへ行くことを約束します。
しかしその後、ドイツ行きの旅支度を急ぐイペッキのもとに、「紺青」が襲撃で殺されたという知らせが届きます。
イペッキは、Kaが密告者であると確信し、ドイツ行きを取り止めました。
カディフェは、国民劇場での芝居中に、「紺青」の死を知らされますが、芝居を続行し、カルスの人々の前で、ついに髪を出すのです。
スナイ・ザーイムは、芝居中にカディフェに銃撃され、死亡しました。
スナイが芝居のために用意した銃には、実弾が装填されていたのでした。

カルスでのクーデターから4年後、ドイツで暮らしていたKaは、何者かによって暗殺されます。
Kaの友人である小説家オルハンが、ドイツを訪れ、Kaの遺品を引き取ります。
暗殺される直前、Kaはカルス滞在中に書いた詩をまとめて、出版を目前にしていました。
オルハンは、Kaの遺稿を探しますが、どうしても見つかりません。
Kaが創作した詩の手がかりを求めて、オルハンはカルスを訪れ、Kaの足跡を辿ります。
イペッキは、4年前と変わらず美しく、独身のままでした。
カディフェは、スナイ殺害の罪で刑に服し、服役を終えた現在は、ファズルと結婚し、子育てに励んでいます。
オルハンは、Kaが「紺青」を密告したかどうか、疑問を持っていましたが、宗教高校の学生寮を訪れた時、Kaが密告者であると確信します。
「紺青」を尊敬する若者たちは、ドイツに亡命して、イスラム過激派の新しいグループを組織していると、噂されていました。
彼らがKaの暗殺者であり、Kaの遺稿を奪い去ったことを示唆して、物語は終わります。

◆◆◆

最後まで筋書きが読めず、すごく面白かったです!
恋愛・ミステリ・政治・宗教と、いろいろな要素が詰まった作品です。
Kaの、イペッキに対する強い恋心と極端な臆病さ、「紺青」への嫉妬心に注目すれば、素晴らしい恋愛物語として読むことが出来ます。
どこにでもありそうな恋愛ではなく、トルコのカルスという場所性にこだわった、カルスでしか成立しない恋愛物語ですね。

物語のキャラクターが、政教分離主義、社会主義、軍人、宗教的イスラム、政治的イスラム、戦闘的イスラム、クルド人民族主義と、厳密に描き分けられているのは、カルスという場所を表現するために、必要不可欠なのでしょう。
キャラクターを通して、世俗主義者も、イスラム主義者も、イスラム原理主義者も、等しく発言の機会が与えられていて、偏りが無く、作者の絶妙なバランスを感じました。


作品の原題は、トルコ語で「雪」を意味する"Kar"です。
主人公の名前が、Ka。
Kaが訪れる都市は、Kars(カルス)。
主人公Kaと、Karsという土地と、雪の情景(Kar)に、強い結びつきを感じますね。


わたしは特に、物語の構成が面白いと思いました。
以下に、作品の構成を整理してみます。

<第1章~第4章> 主人公Kaがカルスに訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第5章> 暗殺された校長と犯人の会話の録音記録。4年後にオルハンが取材し、遺族から渡された。
<第6章~第28章> Kaがカルスを訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第29章> Kaのカルス訪問から4年後、Kaの死から42日後に、オルハンがドイツでKaの足跡を辿る物語
<第30章> Kaがカルスを訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第31章> Kaがカルスを訪れた3日間。共同声明のための秘密集会。(Ka不在、ポリフォニー)
<第32章~第40章> Kaがカルスを訪れた3日間の物語(Ka視点)
<第41章> 4年後、オルハンがドイツでKaの足跡を辿り、トルコ帰国後にカルスを訪れる
<第42章> Kaがカルスを訪れた3日間(Ka不在、イペッキ視点)
<第43章> Kaがカルスを訪れた3日間(Ka不在、カディフェを中心に)
<第44章> 4年後、オルハンがカルスを訪れた物語。4年後の登場人物の状況。

→物語全体の語り手「わたし」=Kaの友人で小説家のオルハン

Kaが主人公の物語が、途中からKa不在の物語になり、イペッキやカディフェに軸足が移って、最後は語り手オルハンが、主人公代理となって、Kaの物語を進行するという構成が、斬新でした。
Kaの不在によって、Kaが「紺青」を密告したかどうかが謎になり、ミステリ性が際立ちますね。

Kaがカルスを訪れた3日間の物語と、それから4年後に、オルハンがKaの足跡を辿る物語が、交錯しているところも、面白かったです。
複数の視点と、複数の時系列を並べることで、Kaの物語がより立体的に感じられました。

◆◆◆

『雪』は、倒置法と主語の省略が多い文章で、なかなか読み難かったです。
気になったので、『雪』の冒頭部分を、原文・日本語訳・英訳で比較してみました。

Karın sessızlığı,diye düşünüyordu otobüste şoförün hemen arkasında oturan adam.

雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろに座っていたその男は。

The silence of snow, thought the man sitting just behind the bus driver.

karın  kar「雪」の属格=「雪の」
sessızlığı 沈黙
diye düşünüyordu  そう考えてた
otobüste şoförün バス運転手
hemen arkasında oturan  すぐ後ろに座って
adam 「男/人」の主格=「男は」

原文を見ると、倒置法はオルハン・パムクの文体的特徴だと分かります。
おそらく、トルコ語には動詞の人称語尾変化と、名詞の格変化があるので、主語を省略したり、語順を入れ替えても、変化語尾を見れば、トルコ語話者なら主語がすぐ分かるのでしょう。

誤訳が多くて読み難いという感想をよく見かけますが、誤訳ではなく、むしろ原文に忠実に訳した結果、こなれてない日本語になってしまったのでは、と思いました。

ちなみに、原文を見ると、「紺青」の名前は"Lacivert"(ラージベルト)でした。
この色は、ネイビーやウルトラマリンを指すようです。
『雪』の英語訳では、「紺青」は"Blue"という名前でしたよ。


★オルハン・パムク「雪」(2)


読了日:2012年7月10日

2012/09/29

ヘルタ・ミュラー「狙われたキツネ」

狙われたキツネ 新装版
狙われたキツネ 新装版
  • 発売元: 三修社
  • 発売日: 2009/11/14

ヘルタ・ミュラー『狙われたキツネ』(1992年)を読みました。
2012年5月の読書会課題本でした。

ヘルタ・ミュラーは、現在のルーマニア西部のバナード地方に、ハプスブルク帝国時代に入植したドイツ人の子孫「バナード・シュヴァーベン人」と呼ばれるドイツ系ルーマニア人の出身です。
1982年にルーマニアで発表した短編集『澱み』が、西ドイツでも注目を浴び、チャウシェスク政権から執筆禁止処分などの弾圧を受ける中、1987年についに西ドイツに出国。
1989年のチャウシェスク政権崩壊以降は、チャウシェスク時代のルーマニア、秘密警察による迫害をテーマに、執筆を続けています。
2009年に、ノーベル文学賞を受賞しました。

『狙われたキツネ』は、1989年の夏から冬にかけて、ルーマニアの地方都市ティミシュアラを舞台に、小学校教師アディーナと工場労働者クララの絶望的な日常が描かれています。

秘密警察に目をつけられたアディーナは、陰湿な脅迫を受けます。
アディーナが大切にしていたキツネの毛皮が、外出中に侵入した何者かの手によって、少しずつ切られていくのです。
アディーナの親友クララが、秘密警察セクリターテの将校パヴェルの愛人であったことが分かり、二人の友情も壊れます。
追いつめられて、田舎に逃亡したアディーナは、隠れている間にチャウシェスク政権が打倒されたことを知り、再び都市に戻ります。


◆◆◆

読んでいて、すごく気持ち悪くて、読み進めるのが辛かったです。
読書会の課題本でなければ、挫折していたと思います。
『狙われたキツネ』では、隠喩と擬人化が多用されていますが、それがとても生々しく、グロテスクに感じられました。

すぐ近くで<緑のナイフ>を持ったポプラの木がこっちの様子をじっとうかがっている。(ヘルタ・ミュラー『狙われたキツネ』山本浩司訳、25頁)

ダリアはよってたかってキッチンや寝室、皿やベッドをのぞき込んでいる(29頁)

街路樹の「ポプラ」や、「ダリア」の花までもが、監視国家の手先として感じられる描写に、相互監視社会に生きる人々の、極度の不安感が伝わってきます。

暗闇に乗じてポプラ並木がつぎからつぎへと道路を侵略しはじめる。あたりの家はこわごわと体を寄せ合っている。(33頁)

暗い低木の茂みのなかにひそんだ夜の軍勢は、もうしばらくうっそうと茂る葉のなかにそのまま隠れていようか、それともすぐに奇襲に打って出るか、決めかねている。いよいよ夕暮れの街で停電が起きると、夜の軍勢は下から襲いかかってきて、人々の体を脚から順に切り刻んでいく。(33-34頁)

敵意を持ち、攻撃的な「夜」のイメージは、秘密警察による拉致誘拐や暗殺への、生々しい恐怖感から生み出されるのでしょう。
このように、登場人物の精神状態が、自然や周囲の事物に投影されていく表現手法は、『狙われたキツネ』の特徴だと思います。
人々の不安感・恐怖感・絶望感から生み出されていくイメージ、いわば歪んだレンズを通して見る世界は、読者にとって不条理でグロテスクな寓話のように感じられるのですね。

◆◆◆

『狙われたキツネ』の原題は”Der Fuchs war damals schon der Jäger”です。
直訳すると、「あの頃、キツネはすでに猟師だった」という意味です。

アディーナが大切にしていたキツネの毛皮は、まず尻尾が切られ、次に一番目、二番目、三番目、四番目の肢が順番に切られていきました。
田舎に隠れていたアディーナは、独裁者夫妻の失脚を知り、都市にもどって来ましたが、その後もキツネに対する危害は止まず、最後には頭まで切られていました。

「とうとう頭がやられてしまった。結局、このキツネはやっぱりあくまで猟師だったのよ」と彼女が言う。(352頁)

このアディーナの台詞に、表題「あの頃、キツネはすでに猟師だった」が表現されています。
「キツネ」はアディーナ、「猟師」は迫害者(秘密警察・監視者)と言い換えることが出来ます。
すなわち、「キツネ」が「猟師」だとするなら、アディーナは「キツネ」であり同時に「猟師」でもあるということになります。
狩られるもの(被害者)と、狩るもの(加害者)の区別が曖昧になり、抑圧される民衆と悪しき権力者という単純な二分法では、説明できない状況が、表現されているのでしょう。

<家政婦の娘>は校長となっていた。前の校長は体操の教師に、体操の教師は教員組合の組合長に、物理の教師は「変革と民主主義」の責任者となっていた。(349頁)

ただ古いコートが新しいコートに変わっただけなのだ。(354頁)

独裁者夫妻の処刑後、解放された「キツネ」が、新たな迫害者「猟師」に変わるだけで、権力の構造には何の変化も無かったルーマニア革命に、深い失望感を持って、物語は終わります。


再読すると、作品冒頭の死んだハエを運ぶアリのイメージに、「あの頃、キツネはすでに猟師だった」という表題と、ルーマニア革命後の失望感が、凝縮されているように感じました。

アリがハエの死骸を運んでいる。獲物が大きすぎるせいで前が見えないアリは、ハエをひっくり返し、後ずさりして運ぼうとしている。(9頁)

こんなふうに地面を這いまわってはいるが、アリはとても生きているとはいえないし、人間の目からすると、およそ生きものには見えない。なぜなら地面を這いまわるというだけなら、街のはずれのサヤエンドウだってそうしているではないか。死んでいるはずのハエが生きものだと言えるのは、それがアリよりも三倍も大きくて運ばれているせいだ。人間の目から見れば、このハエこそが生きものなのだ。(9頁)

「ハエの死骸」は国家(権力)、「アリ」はルーマニア国民(民衆)と言い換えることが出来ます。
「アリ」が運ばなければ、「ハエの死骸」は動くことができません。
実は「キツネ」と「猟師」が一体化していたように、死んだ「ハエ」を動かしているのは「アリ」であり、動かしている間、「アリ」は自分の前が見えないのです。




読了日:2012年5月12日

2012/04/30

円城塔「道化師の蝶」

道化師の蝶 (講談社文庫)
  • 発売元: 講談社
  • 発売日: 2015/1/15

2012年3月の読書会課題本は、円城塔『道化師の蝶』でした。
第146回(2011年下半期)芥川賞受賞です。
芥川受賞作では、絲山秋子『沖で待つ』、青山七恵『ひとり日和』、楊逸『時が滲む朝』、磯崎憲一郎『終の住処』、赤染晶子『乙女の密告』を読みましたが、今回の『道化師の蝶』は、今までに読んだ芥川賞受賞作の中で、一番面白かったです!
この作品と出会わせてくれた、芥川賞に感謝。

『道化師の蝶』の面白さは、物語の中に物語がある、入れ子構造になっているところです。
そして、変奏曲のように、第1章で提示された「網」と「蝶」のモチーフが、第2章~第5章で変奏されて、全体として一つのまとまりを持っている構成が、すごく面白いと思いました。

エイブラムス氏は、第1章には「男」と書いていて、男だと思って読んでいくのですが、第2章で「子宮癌」を患っていたと書いてあり、「え!女だったの??」とびっくりさせられます。
<第1章>は友幸友幸の創作物という設定だから、そこで記述されているエイブラムス氏像も、信頼できないということになりますよね。
友幸友幸が、「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」として説明されている時点で、読者は<友幸友幸>=<信頼できない語り手>として印象付けられるわけですね。
以下に、作品の構成を整理したいと思います。


<第1章>
東京-シアトル間の飛行機内
語り手「わたし」
登場人物「エイブラムス氏」(「わたし」の隣席)
...「わたし」は、「旅の間にしか読めない本があるとよい」というアイディアを思いつく。
...着想を捕まえる銀色の「捕虫網」と、道化師のような架空の「蝶」という主題が提示される
→第1章は、友幸友幸の小説『猫の下で読むに限る』という設定

<第2章>
語り手「わたし」
<第1章>の『猫の下で読むに限る』の翻訳者
...友幸友幸という作家について証言する
友幸友幸は、アール・ブリュットに分類される多言語作家で、当人の姿が見当たらないまま、世界各地で未発表原稿が発見されている。
友幸友幸は、滞在地を移動するたびに、その土地の言語を習得し、作品で使用する言語を切り替えている。
『猫の下で読むに限る』は、無活用ラテン語で記述されている。
エイブラムス氏は実在する実業家で、友幸友幸の捜索をしていた。

<第3章>
モロッコのフェズ
語り手「わたし」
...お婆さんにフェズ刺繍を習っていて、刺繍を習得する過程で、モロッコ方言のアラビア語を習得していく。
→語り手「わたし」は、友幸友幸では?
→シアトル-東京間の飛行機内の出来毎の回想として、銀色の虫採り「網」と「蝶」のモチーフのバリエーションが登場。

<第4章>
サンフランシスコ
語り手「わたし」
...友幸友幸の捜索のために、エイブラムス記念館に雇用されたエージェント。
→<第2章>の「わたし」と同一人物
→記念館のカウンターで、係員の女性が「わたし」の書いたレポートを受け取る。

<第5章>
①エイブラムス記念館
語り手「わたし」
...エイブラムス記念館に雇われた非常勤職員で、「手芸を読む」能力がある。
→<第4章>の係員の女性と同一人物
→<第3章>の語り手「わたし」と同一人物
=友幸友幸本人が、自分を捜索する記念館に本名を隠して就職していて、自分が過去に書いた作品を読む作業をしている。

②「喪われた言葉の国」
語り手「わたし」が訪れた世界→友幸友幸の内面世界?
→喪われた言葉の国=無活用ラテン語の国
...「わたし」は、<第1章>で登場した鱗翅目研究者に頼まれて、「蝶」を捕まえるための銀色の「網」を編む。
...材料である銀色の「線」には、「土地や記憶」が欠けている。
→友幸友幸は、場所を移動するたびに、その土地に根差した言語で書いていくが、「無活用ラテン語」は「使用者のいない人工言語」「死語」だから、「土地や記憶」が無い。

③蝶と鱗翅目研究者とエイブラムス氏
...<第1章>で、エイブラムス氏が「架空の蝶」を発見し、鱗翅目研究者に見せる場面のバリエーション。
...「道化師の蝶」か、「道化師を捕まえる網」=「着想を捕まえる網」かどちらか一方を選ぶように言われ、エイブラムス氏は「網」を選ぶ。
→「蝶」の視点と、「わたし」=友幸友幸の視点が重なる。

→エイブラムス氏が「蝶」を捕まえることが出来ないのは、友幸友幸をどんなに探索しても、見つけることが出来ないのと同じ。

→「蝶」が飛行機内の男性の頭に産みつけた「卵」=「着想」
...卵が孵って、「旅の間にしか読めない本があるとよい」というアイディアが、男性の頭の中で育ち始める。
→この男性は、<第1章>の語り手「わたし」であり、<第5章>の終結部が<第1章>の冒頭部につながっていく。



読了日:2012年3月31日

2012/03/28

アルベール・カミュ『ペスト』

カミュ『ペスト』(新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1969


アルベール・カミュ『ペスト』(1947年)を読了しました。
2011年12月の読書会課題本でした。

読書メーターで、『ペスト』の感想を読むと、<東日本大震災後の日本>と<福島原発事故>を連想したという感想が多いです。
『ペスト』は発表当時から、ドイツによるフランス占領の比喩ないし寓話であると解釈されてきました。
そのため日本の読者にとっては、<過去>の物語であり、<外>の物語だったのでしょう。
しかし東日本大震災以後、、『ペスト』は日本人が共有する、起こったばかりの生々しい体験を象徴する物語として読み直され、日本の読者の共感を呼び、震災以前と比べると驚くほど多くの人々に読まれています。
発表当時の読者、すなわちドイツによるフランス占領を体験した人たち、第二次世界大戦を体験した人たちが、『ペスト』のどこに共感し、どこに自分たちの戦争体験を重ね合わせたかは、現代の私たちが読んでも分からないものです。
同じ作品を読んだ時、ある読者はドイツによるフランス占領を思い起こし、ある読者は東日本大震災・福島原発事故を思い起こすというのは、面白い現象ですよね。
時代と読者に寄り添って、読み続けられていくのは、『ペスト』という作品が持つ力だと思います。

◆◆◆

物語の舞台は、1940年代のアルジェリアのオラン市です。
ペストが大流行し、感染拡大を防ぐためにオラン市が封鎖され、市民は完全に孤立した状態で、病気と死とに向き合うことになります。

物語は、"医師ベルナール・リウーが書いた記録"の中に、"ジャン・タルーの手帳"が挿入される構成になっています。
リウーの視点だけでは不足している部分を補う目的で、タルーの視点からの観察が組み込まれているのでしょう。

タルーは、青年時代に銃殺刑を目撃したことによって、「心の平和」を失いました。
現在も、「心の平和」を捜し求めていて、「すべての人々を理解しよう」と努めています。
そして、「心の平和」に到達するための道は、「共感」であると考えています。
タルーは、家じゅうに時計を一つも持たず、豌豆がいっぱい入っている鍋から、もう一つの鍋に「いつも同じ規則正しい動作で」豆を入れていく喘息病みの爺さんに、「聖者」の「手引き」となるものを見出しました。
タルーは、保健隊を組織して、献身的に救護活動を行い、リウー医師を支えますが、ペストに感染して命を落とします。
しかし、タルーにとっては、青年時代に「心の平和」を失った時からずっと、精神的な意味で「ペスト患者」だったのです。


リウー医師と、その老母であるリウー夫人に看護されて、タルーは最期を迎えました。
タルーの手帳には、この老婦人の「慎ましさ」や「善良さ」が、愛情深く書きとめられています。
タルーは、8年前に亡くした自分の母親を、リウー夫人に投影していたのだと思います。

私の母もそんなふうであった。私は母の同じような慎ましさを愛していたし、母こそ、私がいつもその境地に達したいと思ってきた人間である。(カミュ『ペスト』宮崎嶺雄訳、以下同)

リウー夫人、そして亡くなったタルーの母親こそが、タルーの捜し求めた「心の平和」に到達した「聖者」だったのでしょう。

するとそのとき、彼女の耳に、遠くから響いて来る、かき消されたような声が、ありがとうといい、今こそすべてはよいのだというのが聞こえた。彼女が再び腰を下ろしたときには、タルーは目を閉じて閉まっていて、そのやつれ果てた顔は、唇を固く結んでいるにもかかわらず、再びほほえんでいるように見えた。

「すべてはよいのだ」というタルーの言葉は、彼を苦悩させてきた「病毒」すべてを受け入れ、赦すこと、愛することを意味しているのではないでしょうか。
窮極において、タルーは「心の平和」を見出すことが出来たのだと思います。

◆◆◆

ペスト災害の初期、イエズス会士のパヌルー神父は、オラン市を襲ったペストを「神の災禍」になぞらえて、人々の不信仰の報いとして解釈していました。

あなたがたは今や罪のなにものたるかを知るのであります―カインとその子らがそれを知ったように、洪水以前の人々が、ソドムとゴモラの人々が、ファラオンとヨブとまたすべてののろわれし者どもがそれを知ったように、知るのであります。

リウー医師は、パヌルー神父について、次のように言っています。

パヌルーは書斎の人間です。人の死ぬところを十分見たことがないんです。だから、真理の名において語ったりするんですよ。しかし、どんなつまらない田舎の牧師でも、ちゃんと教区の人々に接触して、臨終の人間の息の音を聞いたことのあるものなら、私と同じように考えますよ。その悲惨のすぐれたゆえんを証明しようとしたりする前に、まずその手当をするでしょう。

しかしパヌルー神父は、保健隊に参加してから、救護者たちの最前列に位置して、病院とペストの見られる場所で働きました。
そして、まだ小さい一人の少年が、苦しんで死んで行く様子を目撃しました。

大粒の涙が、ぼうっと赤くなったまぶたからほとばしって、鉛色の顔面を流れ始め、そして発作がついに終わったとき、まったく力尽きて、四十八時間の間にすっかり肉のなくなってしまった両腕と骨ばった両足とを引きつらせながら、少年は、荒し尽された床の中で、磔にかけられた者のようなグロテスクなポーズを作った。

「磔にかけられた者のような」というフィリップ少年の死は、明らかにイエス・キリスの受難のアナロジーでしょう。
これを見て、パヌルー神父は、<子供の苦しみ>=<十字架の苦しみ>であると理解したのだと思います。
フィリップ少年の死後、パヌルー神父は次のように言います。

「まったく憤りたくなるようなことです。しかし、それはつまり、それがわれわれの尺度を越えたことだからです。しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです」

「私には今やっとわかりました、恩寵といわれているものはどういうことか」

「罪のない者」の苦しみと死に向き合い、パヌルー神父の内面が大きく変化したのです。
その後、ミサの説教においてパヌルー神父は、「すべてを信ずるか、さもなければすべてを否定するか」と、「われわれは神を憎むか、あるいは愛するか」と問いかけます。
この二つの問いに対する、パヌルー神父自身の答えは、

われわれに差し出された、その受けいれえぬものの心臓に、まさにわれわれの選択を行うために、とびついて行かねばならない。子供の苦しみは、われわれの苦きパンであるが、しかしこのパンなくしては、われわれの魂はその精神的な飢えのために死滅するであろう。

ただひざまずいて、すべてを放棄すべきだなどといっている、あの道学者たちに耳をかしてはならぬ。闇のなかを、やや盲滅法に、前進を始め、そして善をなそうと努めることだけをなすべきである。

神への愛は困難な愛であります。それは自我の全面的な放棄と、わが身の蔑視を前提としております。しかし、この愛のみが、子供の苦しみと死を消し去ることができるのであり、この愛のみがともかくそれを必要なもの――理解することが不可能なるがゆえに、そしてただそれを望む以外にはなしえないがゆえに必要なもの――となしうるのであります。

したがってパヌルー神父は、「罪のない者」の苦しみと死を受けいれ、「すべてを信ずる」こと、「神を愛する」ことを選んだのだと思います。

◆◆◆

フィリップ少年の死に、「恩寵」を見出したパヌルー神父とは対照的に、リウー医師は「子供たちが責めさいなまれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじません」と言います。

このリウー医師の言葉は、『カラマーゾフの兄弟』のイワンが、子供が虐待された事件や、子供が残酷に殺された事件を例にとって、「神」は認めるが、「神によって創られた世界」は絶対に認めない、と主張する考えと、同じテーマだと思います。

で、もしも、子どもたちの苦しみがだ、真理をあがなうのに不可欠な苦しみの総額の補充に当てられるんだったら、おれは前もって言っておく。たとえどんな真理だろうが、そんな犠牲には値しないとな。

いいか、かりにおまえが、自分の手で人類の運命という建物を建てるとする。最終的に人々を幸せにし、ついに平和と平安を与えるのが目的だ。ところがそのためには、まだほんのちっぽけな子を何がなんでも、そう、あの、小さなこぶしで自分の胸を叩いていた女の子でもいい、その子を苦しめなくてはならない。そして、その子の無償の涙のうえにこの建物の礎を築くことになるとする。で、おまえはそうした条件のもとで、その建物の建築家となることに同意するのか、言ってみろ、嘘はつくな!
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』亀山郁夫訳)

リウー医師にとって、人々を治療するということは、「あるがままの被造世界と戦うこと」を意味しています。
神を信じることは、「戦いをやめる」=「治療することをやめる」ことを意味するため、リウー医師は、自分は<神を信じていない>と断言できるのでしょう。

リウーには、窮極においてタルーが果たして平和を見出したかどうかはわからなかったが、しかし少なくともこの瞬間、自分自身にとってはもう決して平和はありえないであろうこと、同様にまた、息子をもぎとられた母親や、友の死体をうずめた男にとって休戦などは存在しないことだけは、わかっているような気がした。(カミュ『ペスト』宮崎嶺雄訳)

リウー医師は、タルーのように<死>に「心の平和」を見出すことは出来ないし、パヌルー神父のように<神>を愛して、すべてを信じることも、出来ない。
<神>を拒み、病と死を受け入れることを拒み、戦い続けるリウー医師は、とても孤独だと思いました。
タルーの死後、ペストとの戦争が終結した夜は、「敗北の沈黙」であり、「澄んで冷え切った空に、凍りついたような星影の、同じ寒々とした夜」でした。
この、澄んだ冷え切った「沈黙の夜」の情景は、リウー医師の内面を表現しているように思えました。



読了日:2011年12月3日

2012/02/20

『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (3)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
  • 発売元: 光文社
  • 発売日: 2006/11/09

『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (1)
『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (2)

イワンが創作した物語詩「大審問官」は、全編を通して「自由」の問題がテーマとなっています。
「大審問官」において、イエスは「奇跡と神秘と権威」に従う「囚人の奴隷的な」信仰ではなく、人間の「自由な愛」を望み、「信仰の自由」「良心の自由」を増大させたと語られていました。

イワンから「大審問官」を聞かされた時、アリョーシャ自身も「奇跡」に対する信仰に縛られていたと言えるでしょう。

長老が亡くなられるときは並々ならぬ栄光が修道院にもたらされるはずだという確信が、アリョーシャの心を支配していた。(1巻 p.76-77)

大聖人として慕われたゾシマ長老の死後、奇跡が行われることへの期待は、修道院の僧侶たちをはじめ、つめかけた巡礼や町の人々にとって共通のものでした。
身内の病人や病気の子どもたちを連れた人々は、治癒の奇跡がすぐにも現れることを期待していました。
遺骸はいっさい腐敗せず、光輝き、芳香すら感じられるはずでした。

これほど性急かつ露骨に示された信者たちの大きな期待が、もはや忍耐の緒も切れ、ほとんど催促に近いものを帯びてきたのを目にして、パイーシー神父にはそれはまぎれもない罪への誘惑のように思えた。(3巻 p.12)

しかし、奇跡は実現しなかったのです。
ゾシマ長老の遺骸は、すぐに治癒の力を発揮する代わりに、またたくまに腐敗しはじめ、腐臭を発します。
奇跡が実現せず、ゾシマ長老が「卑しめられ」「名誉がうばわれた」ことは、アリョーシャの心を無残に、唐突に傷つけ、動揺させました。
イワンは、大審問官の口を通して「人間は奇跡なしに生きることはできない」と語りましたが、アリョーシャもまた信仰を失ってしまうのでしょうか?

彼は自分の神を愛していたし、神に対してにわかな不満も抱きかけたが、それでも神をゆるぎなく信じていた。しかし、昨日イワンと交わした会話を思い出すと、何か漠とした重苦しい、悪い印象が、彼の魂のなかで今またふいにうごめきだし、それがますます力をおびて、魂の表面へ浮かび出ようとするのだった。(3巻 p.45)

ぼくはべつに、自分の神さまに反乱を起こしているわけじゃない、ただ『神が創った世界を認めない』だけさ。(3巻 p.47-48)

アリョーシャの『神が創った世界を認めない』という言葉は、イワンの言葉の影響が明らかであり、アリョーシャの信仰の揺らぎを意味しています。

このおれは神の世界というのを受け入れていないことになるんだ。むろん、それが存在していることは知っているが、でも、ぜったいにそれを認めない。おれが受け入れないのは神じゃない、いいか、ここのところをまちがうな、おれが受け入れないのは、神によって創られた世界、言ってみれば神の世界というやつで、こいつを受け入れることに同意できないんだ。(2巻 p.218-219)

そして、アリョーシャを「堕落」させようとするラキーチンに誘われて、アリョーシャはグルーシェニカのもとを訪れました。
しかし、「恐ろしい女性」グルーシェニカのもとで、アリョーシャは『一本の葱』という寓話を聞き、グルーシェニカの魂に「誠実な姉さん」「愛する心」、すばらしい「宝」を見出すのです。
アリョーシャは、グルーシェニカに対して「あなたがいま、ぼくの心を甦らせてくれたんです」と語っています。

その後、修道院へ戻ったアリョーシャは、つい先ほどまでは「恐ろしい不名誉なこと」に思えた腐臭についても、「あのときのような悲しみやいきどおり」を感じませんでした。
ゾシマ長老の棺が置かれた庵室で、福音書の「カナの婚礼」の朗読を聞き、アリョーシャの心は「歓び」で満たされます。
歓びに満ちあふれたアリョーシャは庵室を出て、大地に倒れこみ、大地に泣きながら口づけし、「大地を愛する」「永遠に愛する」と誓ったのです。

ドストエフスキーは、「長老が多くの人々を惹きつけたのは、奇跡というよりはむしろ愛の力」によってであると語っています。
したがってアリョーシャは、ゾシマ長老が生前に何度も語った「人を愛するものは、人の喜びをも愛する」という「愛の力」によって、「奇跡」を求める<誘惑>に打ち勝ったのだと思います。


※『カラマーゾフの兄弟』からの引用文は、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳です。


読了日:2011年10月22日

『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (2)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
  • 発売元: 光文社
  • 発売日: 2006/11/09

★『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (1)

★「三つの問い」の意味
大審問官は、福音書の「三つの誘惑」について論じることで、「彼」に問いかけている。
「悪魔が三つの問いのなかでおまえに告げ、おまえが退けたもの、つまり聖書のなかで<誘惑>と呼ばれている問い以上に、真実なことがほかに言えただろうか。」p.265
→大審問官は、福音書において「三つの誘惑」こそが「世界と人類の未来の歴史をあますところなく言い当てる」ものであると考えている。

  • 「三つの誘惑」(マタイによる福音書 第4章1節から11節)の位置づけ
    →イエスは、荒れ野で悪魔から試みを受けた。
    荒れ野での40日は、旧約聖書でイスラエルの人々が荒れ野を放浪した40年間を象徴している。
    悪魔の試みに対抗するために、イエスは旧約聖書の申命記から引用して応答している。
    申命記は、モーセが死を目前にしてイスラエルの人々にした説教であり、出エジプト以降のイスラエルの人々の足跡を辿る内容となっている。
    神がどのようにイスラエルを導いたか、神の導きにもかかわらずイスラエルの人々がたびたび不信仰に陥り、その不信仰の結果、40年間荒野を放浪したことが強調されている。
    ※申命記は、これまでモーセが民に伝えてきた律法の要約。「申命」とは「重ねて命じる」という意味。
  • ※マルコ1章12節から13節、ルカ4章1節から13節も「三つの誘惑」のバリアント。


→大審問官は、福音書の「三つの誘惑」をどのように解釈したのか?

第1の誘惑
  • <マタイによる福音書>
    さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、”霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
    イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」


    イエスの応答→申命記8章3節からの引用「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」

  • <大審問官>
    「おまえは世の中に出ようとし、自由の約束とやらをたずさえたまま、手ぶらで向かっている。ところが人間は生まれつき単純で、恥知らずときているから、その約束の意味がわからずに、かえって恐れおののくばかりだった。なぜなら人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはいまだかつて何もなかったからだ!」p.267
    「その石ころをパンに変えてみろ、そうすれば人類は、感謝にあふれるおとなしい羊の群れのようにおまえのあとから走ってついてくるぞ。」p.267
    「ところがおまえは、人間から自由を奪うことを望まずに、相手の申し出をしりぞけてしまった。なぜなら、もしもその服従がパンで買われたなら、何が自由というのかと考えたからだ。」p.267-268
    「非力でどこまでも罪深く、どこまでも卑しい人間という種族の目からみて、天上のパンは、はたして地上のパンに匹敵しうるものだろうか?」p.269
    「パンを与えてみよ、人間はすぐにひざまずく。」p.272

    →大審問官は、イエスが最も大切にしたものは「自由」(=「信仰の自由」「良心の自由」)であると考えている。
    大審問官の考えでは、人間は「非力で、罪深く、ろくでもない存在でありながら、それでも反逆者」であるため、お互い分け合うことが出来ず、「自由」(=「天上のパン」)と「地上のパン」は両立しがたいものである。
    「自由」の問題の根底には、人間は「いっしょにひざまずける相手を求める」という問題がある。人間は、「地上のパン」を与えてくれる相手(=「ひざまずくべき相手」)に、自分の自由を喜んで差し出す。

    →しかし、「三つの誘惑」においてイエスは石をパンに変える奇跡を行わなかった。イエスは人間の「自由」を支配することをよしとせず、「地上のパン」を退けたことを意味している。
    イエスは「確固とした古代の掟」に従うのではなく、人間の「自由な愛」を望み、人間の自由を増大させた。
    →人間の自由が増大した一方で、「何が善で何が悪か」を自分なりに判断していかなくてはならないこと(=「良心の自由」)は、人間にとって恐ろしい重荷、苦しみとなった。


第2の誘惑
  • <マタイによる福音書>
    次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当ることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」
    イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。


    ※第1の誘惑において、イエスが旧約聖書の言葉を引用して誘惑を退けた。そのため第2の誘惑では、悪魔自身も旧約聖書の言葉を引用して、巧みに誘惑している。

    悪魔の誘惑→詩編91章11節から12節の引用「主はあなたのために、御使いに命じて あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び 足が石に当たらないように守る。」
    イエスの応答→申命記6章16節の引用「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。」

  • <大審問官>
    「おまえはその誘いをしりぞけ、誘いに負けて下に飛び降りることはしなかった。」p.275
    「しかしくり返すが、おまえのような人間が、はたして数多くいるものだろうか?」p.275
    「はたして人間の本性が、奇跡をしりぞけるように創られているものだろうか?」p.276
    「ところが、おまえは知らなかった。人間が奇跡をしりぞけるや、ただちに神をもしりぞけてしまうことをな。なぜなら人間というのは、神よりもむしろ奇跡を求めているからだ。」p.276
    「人々がおまえをからかい、あざけりながら『十字架から降りてみろ、そしたらおまえだと信じてやる』と叫んだときも、おまえは十字架から降りなかった。おまえが降りなかったのは、あらためて人間を奇跡の奴隷にしたくなかったからだし、奇跡による信仰ではなく、自由な信仰を望んでいたからだ。」p.276-277

    →大審問官は、第2の誘惑では「奇跡」の問題を中心に論じている。人間の「自由」を支配することになるため、イエスは「奇跡」による信仰を退けた。
    この「奇跡」をめぐる議論も、第1の誘惑と同じく「自由」をめぐる問題が根底にある。大審問官の考えでは、イエスの望んだ「自由」に持ちこたえられる人間は数万人程度であり、残りの数十億人は「自由」を受け入れることが出来ない。
    →したがって大審問官たち(ローマ・カトリック)は、「自由」を重荷とする数十億人に対して、「信仰の自由」「良心の自由」よりも、「やみくもに従わなくてはならない神秘」こそが大事であると教えてきた。


第3の誘惑
  • <マタイによる福音書>
    更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
    すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。


    イエスの応答→申命記6章13節の引用「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい」

  • <大審問官>
    「われわれは、もうだいぶまえからおまえにつかず、あれについている。おまえが憤ってしりぞけたもの、そう、あれがおまえに地上のすべての王国を指さして勧めた最後の贈りもを、あれから受け取ってちょうど八世紀になる。われわれはあれからローマと皇帝の剣を受け取り、われこそは地上の王、唯一の王と宣言した。」p.281
    「強大な悪魔のあの第三の忠告を受け入れていれば、おまえは、人間がこの地上で探しもとめているすべてを、埋め合わせられたではないか。つまり、だれにひざまずくべきか、だれに良心をゆだねるべきか、どのようにして、ついにはだれが、文句なしの、共通の仲むつまじい蟻塚に合一できるのかということだ。」p.282
    「世界と皇帝の帝衣を受け入れれば、全世界の王国の礎石を置き、全世界の平安を与えることができたのだ。なぜなら、人々の良心を支配し、その手に人々のパンを携えているものでなければ、人々を支配することはできないからだ。われわれは皇帝の剣を手にし、剣を手にすることで、むろんおまえをしりぞけ、あれのあとについて歩み出した。」p.282-283

    →大審問官の言う「あれ」とは、イエスを誘惑した「悪魔」を意味している。
    大審問官たち(ローマ・カトリック)は、イエスの「偉業を修正」して、「奇跡と神秘と権威」の上に築き上げた。「奇跡と神秘と権威」という三つの力こそ、イエスが「悪魔」から誘惑され、退けたものである。


→大審問官の解釈では、第1の誘惑と第2の誘惑は、「奇跡」「神秘」の問題を論じており、第3の誘惑は「権威」の問題を議論している。


★なぜアリョーシャは、物語詩「大審問官」を「イエス賛美」と言ったのか?

大審問官自身も、かつてはイエスの望んだ「自由」に耐え抜ける「選ばれた人々」の仲間となりたいと望み、荒れ野での修行に耐えた。
しかし、「自由」を重荷とする「従順な人々の幸せ」「何十億人の幸せ」のために、自分の「良心の自由」を犠牲にして、イエスの「偉業を修正」した人々(=「忌まわしい幸福のために権力を渇望する」)の仲間に入ったのである。

大審問官は、イエスではなく「悪魔」についていると語るが、実はイエスが大切にした「自由」(「信仰の自由」「良心の自由」)を批判しているのではなく、イエスの理想が絶対的に正しいと熱烈に信じている。

→そのため、アリョーシャはイワンの物語詩を「イエス賛美」と評したのである。
大審問官は、「自由」を受け入れられない何十億の人々に絶望しているが、同時に愛しており、彼らの望む幸福(=「囚人の奴隷的な歓び」)を与えるために、イエスの教えに反した自分の罪を自覚しながら、人々の「自由」を支配する権力者となった。

→イワンは、自らが創作した大審問官というキャラクターを「偉大な悲哀に苦しみ、人類を愛する受難者」「人類への愛を癒しきれなかった人間」と説明している。



※『カラマーゾフの兄弟』からの引用文は、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳です。
※聖書からの引用文は、新共同訳です。


★『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (3)

『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (1)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
  • 発売元: 光文社
  • 発売日: 2006/11/09

2011年の読書会では、6月から10月まで4回に渡って、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から「大審問官」を読みました。
『カラマーゾフの兄弟』を初めて読んだのは、2007年9月で、今でも大好きな作品です。
初めて読んだ時は、愛着が強すぎて、作品を対象化出来ず、感想を書けなかったのでした。
今回は約4年ぶりに再読したということで、思ったことを書きます。
引用は、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳です。


★物語詩「大審問官」の舞台設定
「彼が自分の王国にやってくるという約束をして、もう十五世紀が経っている。」p.253
「心が語りかけることに対する信仰だけがあった。」p.254
=「当時は奇跡もたくさんあった。」p.254
→加熱する聖人信仰、天使信仰、聖母信仰。

「人々のあいだに、そういった奇跡の信憑性に対する疑いが早くも生まれはじめたんだ。」
「ドイツ北部に恐ろしい新しい異端が現れたのはまさにそのときだった。」p.254
→宗教改革の始まり。1517年、ルター『95ヶ条の論題』
「これらの異端者たちは、奇跡を冒瀆的に否定しはじめた。」p.254
→プロテンスタントは聖人信仰、聖母信仰を批判、拒否。

「ところが、そのまま信仰を失わずにいた連中は、逆にますますはげしく信じるようになった。」p.254
「おれの物語詩は、スペインのセヴィリアが舞台だ。」p.255
→スペイン異端審問は、15世紀にセヴィリアから始められた。主にユダヤ教徒、イスラム教徒を対象とした。
 宗教改革の時代では、プロテスタントも対象とし、反宗教改革を推進する。


★「大審問官」の物語構成
  • スペインのセヴィリア「南国の町」に、「彼」が姿を現す。
    →「彼」とは、「人間の姿を借りて」降臨したイエス・キリスト。
    降臨した場所は「熱い広場」で、つい前日には「百人ちかい異端者たちが、枢機卿である大審問官の手でいちどに焼き殺された」ばかり。
  • 民衆は「彼」の方に殺到し、「救ってください」と叫ぶ。
  • 大審問官が「彼」を捕えるよう命じ、「彼」を神聖裁判所の牢獄に閉じ込める。
     「明日にはおまえを裁きにかけ、最悪の異端者として火焙りにしてやる。そうしたら、今日おまえの足に口づけした民衆も、明日はわたしの指一本の合図で火焙りの焚き火めがけ、われ先に炭を投げ込むのだよ、それがわかっているのか?」p.261
    →「彼」の行う奇跡と群衆の熱狂は、福音書のアナロジー。
    イエスが「癒しの奇跡」「よみがえりの奇跡」を行い、民衆は「ホザナ」と叫んでエルサレムに迎え入れるが、逮捕され処刑が決まると、民衆はイエスをあざけり、罵倒する。
  • 大審問官が「彼」に問いかける。
    「いったいおまえはなぜ、われわれの邪魔をしにやってきたのか?」p.265
    「悪魔が三つの問いのなかでおまえに告げ、おまえが退けたもの、つまり聖書のなかで〈誘惑〉と呼ばれている問い以上に、真実なことがほかに言えただろうか。」p.265
    「おまえは世の中に出ようとし、自由の約束とやらをたずさえたまま、手ぶらで向かっている。ところが人間は生まれつき単純で、恥知らずときているから、その約束の意味がわからずに、かえって恐れおののくばかりだった。なぜなら人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはいまだかつて何もなかったからだ!」p.267
    「非力でどこまでも罪深く、どこまでも卑しい人間という種族の目からみて、天上のパンは、はたして地上のパンに匹敵しうるものだろうか?」p.269
    「パンを与えてみよ、人間はすぐにひざまずく。」p.272
    「われわれはおまえの偉業を修正し、それを奇跡と神秘と権威のうえに築きあげた。」p.280
    「われわれははたして人類を愛していなかったのか? あれほど謙虚に人類の無力さを認め、愛情をこめてその重荷を軽くしてやり、彼らの非力な本性を思って、われわれの許しさえ得れば罪さえも許されることにしてやってことが。」p.280
    「われわれは、もうだいぶまえからおまえにつかず、あれについている。」p.281
    「われわれはあれからローマと皇帝の剣を受け取り、われこそは地上の王、唯一の王と宣言した。」p.281
    「何十億の幸せのために、天上の永遠の褒美をえさに、彼らを呼び寄せる。」p.288
    「そして、彼らの幸せのために罪を引き受けたわれわれは、おまえの前に立ってこう言う。『できるものなら、やれるものなら、われわれを裁くがいい』と。」p.288
  • 「彼」は大審問官の話を聴き、何ひとつ反論しない。無言のまま、「彼」は大審問官にキスをする。
  • 大審問官は牢獄のドアを開け、「彼」を解放する。「彼」は町の暗い広場を立ち去って行く。
    →「彼」が奇跡を行い、逮捕・投獄されるところは福音書と同じだが、処刑を免れ、生き延びる結末は福音書と大きく異なる。

★「彼」が大審問官にキスをした意味
キス=祝福、受容、赦しの意思表示
→神は、大審問官の言うような人間の弱さ、惨めさ、愚かさを初めから理解していて、その上で人間を愛している。



★『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (2)
★『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を読む (3)

2012/02/19

「ひまわり」(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)

ひまわり デジタルリマスター版 [DVD]
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  • 発売元: 東北新社
  • 発売日: 1999/12/24

ヴィットリオ・デ・シーカ監督「ひまわり」(1970年、原題 I girasoli)を観ました。
映画部の2011年11月課題映画でした。

第二次大戦終結後のイタリア、ミラノが舞台。
主人公のジョバンナは、ロシア戦線に従軍した夫アントニオが、ソ連で行方不明になっており、夫が生きていると信じ、帰りを待ち続けている。
反戦映画として有名らしいですが、反戦メッセージよりも、はるばるソ連まで夫を捜しに行く、妻ジョバンナの意志の強さや、行動力、愛の深さに感動しました。

アントニオが従軍したスターリングラード攻防戦は、1942年~43年。
ジョバンナが、アントニオを探すためにソ連に渡るのは、雪解けムードの中。
スターリンが死んだのが1953年だから、ジョバンナは10年近い間、夫の帰りを待ち続けたわけですね。
わずか12日間しか、夫婦として共に過ごしていないのに、10年も変わらず愛し続けられるなんて、ジョバンナすごい。

ソフィア・ローレンは、撮影時35~36歳だったはずで、結婚当初のはじける若さのジョバンナと、10年後のうちひしがれて疲れたジョバンナを演じ分けられるのも、すごいですね。
服も髪型も飾って若さにあふれていた頃よりも、地味な服装と髪型で夫を待っている頃の方が、素の美しさが際立つな~と思いました。

◇◇◇

「ひまわり」は、西側初のソ連ロケが行われた記念すべき作品らしいです。
映画公開が1970年ということで、撮影はブレジネフ時代。
作品の中での年代設定は、フルシチョフ時代だと思われます。
撮影交渉は困難を極めたでしょうし、撮影を実現させたデ・シーカ監督ほか映画スタッフの熱意と努力が素晴らしいですね。

ジョバンナとアントニオが再会したソ連の駅は、すぐそばに大きな冷却塔が並んで立っています。
「ひまわり」のロケ地がウクライナなのは有名ですから、あれを見て、真っ先にチェルノブイリ原発が思い浮かんで、ゾッとしました~。
でも調べたら、チェルノブイリ原発は、1970年に建設が始まり、1977年に1号炉が完成したらしく、映画の撮影時期とズレるので、あのシーンはチェルノブイリ原発では無いようです。
モスクワ近郊で、発電所が隣接する駅はカナチコヴォ駅だけなので、そこがロケ地だろうと言われています。
したがって、「ひまわり」に登場した稼働中・建設中の冷却塔は、モスエネルゴ社の火力発電所のようです。


ソ連でのジョバンナの行動を整理すると、
  • ジョバンナがモスクワに着いて、外務省を訪れる。
  • 外務省の役人と列車でウクライナを訪れ、ひまわり畑と墓標の丘を案内される。
  • ウクライナで手掛かりが見つからなかったので、モスクワに戻り、レーニン・スタジアムで夫を捜す。
  • スタジアムの最寄の地下鉄のヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅で、イタリア人の元兵士と話す。
  • イタリア人と話をした地下鉄の駅から、東へわずか2kmほどのカナチコヴォ駅で、アントニオと再会。

◇◇◇

★ひまわり畑のロケ地はどこ?

無数のひまわりと、丘一面をおおう墓標のシーンは、強烈に印象に残りますね。
ひまわり畑に建てられた記念碑は、ロシア語で「ファシストに殺されたイタリアの兵士たち、ここに眠る」といった内容のようです。

ひまわり畑のロケ地について、日本語Wikipediaでは「ソ連で撮影されたものではなく、スペインで撮影されたもの」と書いてありますが、この記述は何をソースにした情報なのか、謎です。

IMDb(The Internet Movie Database)の撮影地情報では、
イタリアのロンバルディア州パヴィーア県ベレグアルド、
イタリアのロンバルディア州ミラノ、
ロシアのモスクワ市、
ロシアのモスクワ市クレムリン、
ウクライナ
と記述されていますし、英語Wiki、イタリア語Wiki、ロシア語Wiki、ウクライナ語Wikiでも、「ひまわり畑のロケ地はスペイン」と言う記述は全く見当たらなかったので、やはり日本語Wikiの情報は誤りでは、と思いました。

在ウクライナ日本大使館の公式サイトには、ひまわり畑のロケ地は、キエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州だと書かれていました。
ひまわり畑の中で、ジョバンナが老婆に夫の写真を見せて、消息を尋ねるシーンがありますが、そのエキストラの老婆がウクライナ語で話していることが、ウクライナである証拠だそうです。

さらに、日本で販売された映画「ひまわり」のビデオの説明書には、 「(映画に出てくるひまわり畑は)ウクライナと信じておられる方には申し訳ないが,ひまわり畑はモスクワのシェレメチェボ国際空港の近くだった。」と記載されていたそうです。
在ウクライナ日本大使館のサイトでは、映画公開当時及びビデオが販売された時代は、ウクライナは旧ソ連の一共和国で、外国人はクレムリンから80km以上離れてはいけないと言う規則があったため、観光客がウクライナに押しかけるのを当局が恐れたため、あえて嘘情報を流したのではないかと書いてありました。

ウクライナでは現在でも、7月下旬頃には、一面に咲くひまわりを見ることができるみたいです。



鑑賞日:2011年11月22日

2012/02/02

ドストエフスキー「分身」


ドストエフスキー『分身』(1846年)を読みました。
新潮社『ドストエフスキー全集 1』に収録されている、江川卓訳です。
ドストエフスキー全作品を読む計画の2作目です。

下級官吏のゴリャートキン氏は、上役の娘であるクララに恋をし、彼女の誕生日を祝う晩餐会に招かれていないのに赴きますが、玄関ですげなく断られてしまいます。裏階段からなんとかもぐりこみますが、クララの前で大失態を演じ、会場から追い出されてしまいました。
その帰り道、自分と瓜二つの男と出会います。翌日出勤すると、昨晩の男が同じ職場に着任しており、同じゴリャートキンという名前だと知ります。
新ゴリャートキン氏は、上司にうまく取り入り、同僚に愛想を振りまき、役所での地位を乗っとります。旧ゴリャートキン氏は、新ゴリャートキン氏が自分を破滅させようとしていると思いこみます。"私と駆落ちしてください"と懇願するクララからの手紙を信じ、馬車で彼女を迎えに行った旧ゴリャートキン氏は、思いがけず屋敷に招き入られ、集まった上役一同から涙ながらの同情を受けます。
旧ゴリャートキン氏は、医者に連れられ、馬車に乗せられます。行き先は精神病院でした。

◇◇◇

【登場人物整理】

ヤコフ・ペトローヴィチ・ゴリャートキン(旧ゴリャートキン)...九等官、係長補佐
新ゴリャートキン...九等官、旧ゴリャートキンと瓜二つの顔、同じ姓、同じ土地の出身
ペトルーシカ...旧ゴリャートキンの従僕

アンドレイ・フィリッポヴィチ...課長
アントン・アントーノヴィチ...係長
オルスーフィイ・イワーノヴィチ・ベレンジェーエフ...五等官 旧ゴリャートキンのかつての後盾 クララの父
クララ・オルスーフィエヴナ...老五等官オルスーフィイの一人娘
ヴラジーミル・セミョーノヴィチ...八等官、アンドレイ課長の甥、26歳
ネストル・イグナーチエヴィチ・ワフラメーエフ...十二等官、役所の当直
役所の同僚...二人の記帳官(十四等官)、二人の書記(オスターフィエフ、ピサレンコ)
クリスチャン・イワーノヴィチ・ルーテンシュピッツ...内科兼外科医、旧ゴリャートキンの主治医
カロリーナ・イワーノヴナ...ドイツ人女性、食堂の女将、旧ゴリャートキンと結婚の約束をしていた

◇◇◇

主人公のゴリャートキン氏は、役所勤めをしながらも、クリスチャン医師の治療(投薬+カウンセリング)を受けている人物として、作品冒頭から設定されています。
彼は独身で、750紙幣ルーブリの蓄えがあり、アパート暮らしで使用人もおり、暮らし向きも世間並み以下ということはない。

★新ゴリャートキン氏は何者なのか?
→旧ゴリャートキン氏の「分身」=妄想(幻覚・幻視・幻聴)
理想の自分(新ゴリャートキン氏)と現実の自分(旧ゴリャートキン氏)

★『分身』に描かれているエピソードは、どこから妄想でどこが現実なのか?

  • 第1章...起床~貯金額を数える~出掛ける準備→現実 語り手「作者」
  • 第2章...クリスチャン医師のカウンセリングを受ける→現実
  • 第3章...オルスーフィイ家の玄関で追い返される→現実
  • 第4章...晩餐会の様子→現実 語り手「作者」
    裏階段から旧ゴリャートキンが晩餐会にもぐり込む→現実 旧ゴリャートキンの「意識の流れ」が地の文に描かれ始める。
  • 第5章...みぞれの中、分身に出会う→妄想
  • 第6章...翌朝、役所に新ゴリャートキンが着任→妄想?
  • 第7章...旧ゴリャートキン宅に新ゴリャートキンが招かれ、すっかり仲良くなる→妄想?
  • 第8章...新ゴリャートキンが役所で旧ゴリャートキンに冷たくし、仕事を横取りする→妄想?
  • 第9章...新ゴリャートキンに手紙を書く→妄想の手紙?
    ワフラメーエフの手紙を受け取る→妄想の手紙(第10章で手紙が消えている)
  • 第10章...役所で新ゴリャートキンとひと悶着→妄想?
  • 第11章...クララの手紙を受け取る→妄想の手紙(第13章で手紙が消えている)
    クリスチャン医師から処方された薬を見つけて錯乱する→現実?
  • 第12章...従僕が勝手に退職を決め、引っ越す準備をしている→現実
    オルスーフィイ家を訪れ、上役たちに弁明する→現実
  • 第13章...クララが駆落ちのために現れるのを待つ→現実
    オルスーフィイ家に招かれ、上役たちから歓待を受ける→現実
    クリスチャン医師と馬車に乗る→現実
    馬車の窓から新ゴリャートキンが馬車と共に走り続けているのが見える→妄想

『分身』は、幻想と現実が交錯していて、すごく面白いです。
<分身>というモチーフは、ゴーゴリ『鼻』から着想を得ていると思います。
『分身』の副題「ペテルブルグ叙事詩」は、プーシキンの叙事詩『青銅の騎士』へのオマージュだと思います。
『青銅の騎士』は、ペテルブルグを舞台に哀れな下級官吏の青年が発狂する物語です。
『分身』のゴリャートキン氏は、<ペトローヴィチ>という父称ですから、”ピョートルの息子”という意味です。ゴリャートキン氏は、ピョートル大帝の都=ペテルブルグが生んだ一類型の人間であることを示しているのかもしれません。
『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンと悪魔の対話は、<分身>のモチーフの発展だと思います。



読了日:2011年1月8日

二重人格 (岩波文庫)
二重人格 (岩波文庫)
  • 発売元: 岩波書店
  • 発売日: 1981/08/16