2009/05/09

ディケンズ「オリバー・ツイスト」

オリバー・ツイスト〈上〉 (新潮文庫)
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 2005/12/14

ディケンズの『オリバー・ツイスト』(中村能三訳、新潮社)を読了しました。
主人公オリバーがひたすら不幸になる鬱展開で、それが(読者の同情を引き、劣悪な制度に対する怒りを誘うための)作者の狙いだとは分かっているのですけれど、やっぱり読んでいて辛くなりました。もちろんディケンズですから、結末は読者の期待どおり、典型的なメロドラマ風の大団円に終わります。
彼の作品は、読者に後味のよい泣き笑いを与えてくれる<大衆小説>だと思います。その役割を、ひと昔前のハリウッド映画だったり、連続テレビドラマだったりが担っていたような気がします。あるいは、テレビアニメや漫画が。

◇◇◇

オリバーの人物描写に関して、あまりに平面的で現実味を欠いているといった批判がしばしば見られます。Allan Grantは、「オリバーには個性も子供らしい性質もなく、作品内容の伝達手段にすぎない」と批判しています。
オリバーが批判にさらされる一方、ナンシーはその人物描写において高く評価されています。Wilkie Collinsは、ナンシーを「ディケンズが描いた最もよい人物」と述べているし、Brian Murrayは、ナンシーをディケンズの初期作品の中では比較的現実的な登場人物であると評価しています。

オリバーの存在が、主人公であるにも関わらず、希薄な印象を受けるのは確かです。
誕生から、養育院、救貧院、サワベリーの店、フェイギンの巣、ブラウンローによる救出が描かれる1章から16章までは、オリバーを中心に展開されます。しかし22章から23章に至る押し込み強盗の場面では、サイクスの脇役的存在となり、28章から36章に至るメイリー家での場面は、ローズやロスバーン、ハリーの方に重点が移ります。さらに、オリバーの出生の秘密を探る過程から、オリバー自身が除外され、37章から50章に至るまで、41章を除くと、オリバーは全く登場しません。
つまり、物語の進展とともに、オリバーの登場する場面が減っていくという作品構成になっているのです。

『オリバー・ツイスト』が、主人公オリバーの成長物語ではないことと、オリバーの人物描写が現実離れしていることは、結びついていると思います。
ディケンズは、1841年の序文でオリバーに対して "the principle of Good" という表現をしています。つまりオリバーは、「善の原理」を体現する<無垢な少年>として、精神的成長が止められた存在なのだと思います。そのため、彼はひたすら受動的=受苦的存在に甘んじなければいけません。
オリバーが少年期のさまざまな葛藤や苦しみ、喜びを経ながら精神的成長を得れば、その代償として「善の原理」=聖性を喪失するわけですから、作品の構造上不可能ですよね。

オリバーのそれに対して、ナンシーの人物造型が高い評価を得ているのは、彼女がこの作品中で、<成長する>ほとんど唯一のキャラクターだからでしょう。ナンシーは聖性を備えたオリバーと出会うことで、自分の運命と闘います。それは、キリストにおける改心と救済の寓話だと思います。


読了日:上巻 2009年4月27日 / 下巻 2009年5月5日