2008/09/28

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』に登場する囚人、ロジオン・ニェーモフに注目してみましょう。

表題である「オレーニ」(鹿)は、ロシア人にとっては従順で臆病なトナカイのイメージであり、本書では「ラーゲリの掟」を知らない「お人好し」の囚人のことを意味しています。最近まで戦線にいた元将校ニェーモフは、まさに「オレーニ」です。彼のやさしさや正義感、道徳心がラーゲリにおける生活をより残酷なものにしていきいます。

ラーゲリ所長のオフチューホフは、作業主任に任命したニェーモフに次のように言います。

オフチューホフ それで、新しく来た奴らからいい品物をまきあげたか?
ニェーモフ おっしゃることがわかりません。
オフチューホフ ジャンパーだとか、皮外套だとか、絹のスカートだとか...自分でねこばばしておくつもりか?
ニェーモフ 失礼ですが、どうして、なんのために他人の品物をわたしがとったりしなければならないんですか?
オフチューホフ バカだな、生きるためだ! 「今日はお前死ね、おれはあしたにする」-これがラーゲリの掟だということを知らんのか?
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

「ラーゲリの精神」を実践することができないニェーモフは、謀略によってたやすく作業主任の立場を追われ、危険な一般作業に就くことになります。そして死の労働に従事しながらも、次のように言うのです。

ニェーモフ あのね、ぼくは、その、ときどき考えるんだけど...ぼくたちがもっているいちばん大事なものは結局命じゃないんじゃないかって気がする。
リューバ (じっと目を据えて)それじゃ、なんなの?......
ニェーモフ ラーゲリでこんなこと言うのはなんだか具合がわるいが...でも...良心...じゃないかって気がする。

◇◇◇

ソルジェニーツィンは『収容所群島』において、ニェーモフのような「オレーニ」がどのような道を辿るのか述べています。

すでに刑期の大部分を終えたこの収容所住人の表情には、残酷で毅然としたものが目立っていた(それが《収容所群島》の住人たちの民族的な特徴であるということを、私は当時まだ知らなかった。おだやかな、優しい表情をもつ人びとはたちまち《群島》で死んでいく)。彼は私たちがもがく様子を、まるで生後二週間の仔犬でも眺めるように、皮肉な笑いを浮かべて見ているのだった。
ソルジェニーツィン『収容所群島 2』(木村浩訳、以下同)

ニェーモフは、ソルジェニーツィンがブトゥイルキ監獄の第75監房で同室であった年若いブブノフのように、「その性格の純粋さと真っ正直さのために」、おそらくラーゲリで死ぬにちがいないのです。

彼のような人間はあそこでは生きられないのだ。



読了日:2008年9月17日

2008/09/27

ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(1)

鹿とラーゲリの女
鹿とラーゲリの女
  • 発売元: 河出書房新社
  • 発売日: 1970

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『鹿とラーゲリの女』(1969年)を読了しました。

◇◇◇

1945年秋の、ラーゲリにおける数日間を描いた戯曲です。ソルジェニーツィンは、本作ではじめて女性の囚人たちの生活に光を当てています。
朝、まもなく日が出ようというところ、道路には囚人作業場へ出勤する列。汚れたぼろぼろの綿入れ胴着を着た男女の囚人たちでいっぱいです。その最後列には数人、小ぎれいな格好をした、作業現場でらくな仕事をしている囚人たちがいます。その中の「カッコイイ」服装のジーナは、作業現場のタイピストで、営繕係のラーゲリ妻です。女囚たちは、ジーナを次のように話しています。

―ジーンカったら、にくたらしい、新しいスカートはいているわ。
―マルーシカのスカートよ。マルーシカが転属させられるときに営繕係が脱がせたんだわ。
―営繕係とくっつけば殿様暮らしってわけね!(歌う)
あたしゃ、班長さんの情人(いろ)だった、
営繕係のご機嫌とった、
作業手配係と寝たことあるの、
だからあたしはスタハーノフカ。
―これで終わり。パン、片づけちまった。
―最低量なんか片づけるのがあたりまえさ。班長をみろ、自分と自分の女には一キロとってる!...
(染谷茂・内村剛介訳、以下同)

彼女たちが揶揄するように、ジーナはラーゲリ生活において非常に優遇されており、楽な暮らしをしています。このように、権力のある囚人(作業主任、医師、営繕係、会計係など)や自由人の職員(主席技師、現場監督など)や警備関係の軍人(ラーゲリ所長、看守の軍曹など)と親密な関係を持ち、自分の立場を守る女囚は「シャラショーフカ」(=あばずれ→ラーゲリ女)と呼ばれています。したがって、表題である「オレーニ・イ・シャラショーフカ」(鹿とラーゲリ女)の「ラーゲリ女」とは、ジーナのような女囚を意味しているのです。
ソルジェニーツィンは、「シャラショーフカ―ラーゲリ女。尻軽で、別に強いられたわけでもないのにいろごとをやらかす者」と註をつけています。

◇◇◇

『鹿とラーゲリの女』では、男性の囚人もいくつかに分類できることがわかります。①権力を持った幹部、②軍人や幹部に賄賂を送り、一般作業に従事しない構内勤務員、③「ブラトノイ」と呼ばれる刑事犯、④一般作業に従事する一般の囚人の4種類です。①と②の囚人たちは、警備関係の軍人と同じく④にあたる大多数の囚人たちを搾取・抑圧する立場にあります。そのため、家族から差し入れの食糧・物資が多く届く比較的豊かな囚人は、どうにかして②になろうと、こぞって①に取り入ります。

メレシチェーン (ホミッチに)あんた、いいセーターもってるな。色が気に入った。
ホミッチ (身体検査のあとで、まだ着こまずに)そのうえ色があせないんですよ! 品をみて下さい!(さわらせる)外国製です。着ていたのは誰だと思います?スウェーデンの百万長者の息子ですよ。
メレシチェーン まさか?
ホミッチ (中略)どうです着てみてごらんなさい。あたたかくて軟らかい。
メレシチェーン どれ着てみよう。百万長者のせがれとは面白い。(着る)
(中略)
メレシチェーン そうか、ありがとう。いいセーターだ。あんたの名前をきかなかったが。
ホミッチ ボリスですよ。
メレシチェーン あんた、夕方わしの個室に寄ってくれ、話がある。あんたもおさまるところへおさまらんといかん。
ホミッチ (気軽に)お礼を申します。でもわたしは深刻がるのはきらいでしてな。能ある者はどこへ行っても大丈夫です!

医師のメレシチェーンは①であり、ラーゲリ所長とすら気軽に話せるほどです。所長は、メレシチェーンに次のように言います。

オフチューホフ さあ、ほしいものはなんでもいえ。お前には欲しいものはないな。お前は自由人よりいい暮らしをしている。食い物には見向きもしないし、女には不自由していないし、アルコールはわしの方がお前からもらっている。さあ、なんだ?州市(まち)へ一週間護送兵なしで出してやろうか?ありがたく思え、お前は五十八条だからな!
メレシチェーン 州市(まち)へですか?わるくない。
オフチューホフ わるくないなんてもんじゃない。ほんとは絶対にいかんのだ。しかしなんとかしてやる。お前が必ず戻ってくるのを知っているからだ。お前にはこんないい所はほかにない。ほかになにかあるか?

◇◇◇

③「ブラトノイ」たちは、窃盗・強盗・殺人などで逮捕された刑事犯であり、彼らは「働かない」ことを約束された囚人です。なぜならブラトノイは、「スターリンのおぼえがめでたい」、「社会的にみぢかな者」だからです。過酷な矯正労働に従事させられている大多数の囚人たちは政治犯であり、彼らは「社会的異分子」とみなされます。一方で、少数のブラトノイは「社会的新和分子」とみなされ、「ラーゲリが出来てこの方、ブラトノイが働いたためしはない」のです。
煉瓦積みの作業現場で、ブラトノイたちが作業班長であるガイに言います。

ジョーリック (上半身をおこして)班長、一服しましょうや。話があるんだ。なんとなく。
ガイ、すぐさま大またで彼らに近づきそばに腰をおろす。
フィクサートゥイ あのな、班長。あんたまだラーゲリの掟を知らねえんだ。おれたちゃ働かねえことになってる。おれたちが働いたってのはな、なんといおうか、あんたに敬意を表したまでなんだ。運搬台(もっこ)はもってってくれ。ほかの奴らにわたして働かせろ。
ジョーリック 早い話が、おれたちゃ掟どおりやってるってわけよ。わかったな?
ガイ 掟どおり?
ジョーリック そのとおり。
ガイ それで―パンは貰うことになってるのか?
フィクサートゥイ そうさ。そいつあいちばんでっかいやつをな。バランダはいらねえ、ほかの奴にやっていい。おれたちにゃ炊事場から運ばせるし、油っけにはこと欠かねえ。
ガイ 作業は誰がやる?
ジョーリック 働くのか? どん百姓どもがやるさ。いろんな小ものがな。それに政治犯の旦那方よ。

①、②、そしてシャラショーフカという囚人の型は、どのような集団においても存在し得るだろうなぁと思いました。その一方で、ブラトノイという存在には非常に驚かされました。
彼らはなぜ、「働かない」ことが掟となっているのでしょうか。ガイは次のように言います。「やつらの上司はおれたちの血を吸わすためにやつらを飼っているんだ。五十八条の者をやつらの餌食にしたんだ。監獄でもラーゲリへ護送中でもやつらと必ず一緒にする......」すなわち、一般作業に従事するしかない貧しい大多数の囚人たちを、より苦しめるシステムとして、ブラトノイたちは機能しているのです。



★ソルジェニーツィン「鹿とラーゲリの女」(2)

2008/09/17

フレッド・ピアス 「緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線」

緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
緑の戦士たち―世界環境保護運動の最前線
  • 発売元: 草思社
  • 発売日: 1992/05

フレッド・ピアス『緑の戦士たち-世界環境保護運動の最前線-』(平澤正夫訳、草思社、1992年)を読了しました。
WWF、グリーンピース、地球の友といった有名な環境保護団体の成立過程や運動手法などが伝えられています。
それぞれの団体の個性やイメージ、力関係といったものは日本にいると見えにくいので、とても参考になりました。

◇◇◇

★WWFを育てた人々
  • マックス・ニコルソン
    ...イギリスで最初の公的な自然保護運動の組織を生み出し、1961年に世界野生生物基金(のちに世界自然保護基金と改称。略称はともにWWF)を創設するさいに、指導的な役割を果たした。
    ...ニコルソン計画:WWFの資金を得るために考えた「金持ちの良心とプライドと虚栄心に訴える方法」=各国の王室の人たちに加わってもらい、野生生物保護にあまり乗り気でない裕福な実業家や会社から寄付を集める計画。
    →彼の計画は成功し、WWFの創設メンバーにはフィリップ殿下、オランダのベルンハルト殿下、大金持ちの第1号となったスイスの巨大化学工業会社ホフマン・ラ・ロシュのリュック・ホフマンが加わることになった。最初の寄付者はロンドンの富裕な不動産開発業者ジャック・コットンで、1万ポンド出した。つぎがシェル石油だった。こういった大金持ちからの多額の寄付が、その後しばらくはWWFの主要な資金源となった。

  • テディ・ゴールドスミス
    ...ゴールドスミス家はヨーロッパ有数の銀行家一族だった。経済界での彼は、弟の金融業者で会社乗っ取り屋でもあるジェイムズ・ゴールドスミスの風変りな添えものでしかない。しかし、イギリスの緑派にとっては1990年に創刊20周年を迎えた急進的な緑派の雑誌「エコロジスト」の創始者兼発行人である。
    ...雑誌「エコロジスト」:1970年に創刊された。1972年は環境に対する関心が世界的に高まった年だった。アメリカ、イギリスその他多くの諸国の政府は環境保護機関(アメリカでは環境保護庁、イギリスでは環境省)を新設し、新しい法律を制定せざるを得なくなった。結局は何の効果もなかった法律ができ、官僚機構が整備された途端に、環境問題の議論の熱はしばらくのあいだ冷めてしまった。石油危機につづく世界経済の激しい落ち込みのために、環境への悪影響より経済の成長が止まることの方に世界の関心は向けられた。その後、10年以上の歳月がたち、豊かな西側諸国が80年代に経済成長をつづけた結果、ようやく環境問題が再び政治課題として全面に踊り出た。


★グリーンピースのたたかい
  • ...現代において野生生物の生存に国際的な関心を呼び起こした最初の団体はWWFであったが、環境保護運動を誰もが加われるものにしたのは、60年代(=平和と愛、抗議と兵役忌避の時代)にスタートしたグリーンピースと地球の友だった。ともにきまじめなアメリカのシエラ・クラブから飛び出した人々がはじめたのだが、すぐに若い世代がこの運動を担うようになった。
  • ...そこにはヒッピー、マルクス主義者、毛沢東主義者、トロツキスト、イッピー、急進的なヴァンクーヴァー解放戦線、兵役忌避者、脱走兵などさまざまな人々が集まっていた。

  • ...メディアを使ったたたかい:グリーンピースは、動く映像の力をはじめて認識した市民団体だった。小さなゴムボートを操って捕鯨船の銛の前に飛び出したり、有毒廃棄物を積んだ船のへさきの下に突っ込んだりすると、カメラがそれをとらえ、テレビ画面で世界中の人が見ることになる。1971年にグリーンピース財団に改組されたあとの初代議長が、マスコミを使う選挙運動を手がけてきたベン・メカトフであったのは、むしろ当然であろう。
    =グリーンピースは一種の聖像(イコン)であり、何百万人もの人々を環境に目覚めさせるシンボル。

  • ...グリーンピースのやることは話として面白いので、マスコミのデスクがグリーンピースのイメージにすっかり乗せられてしまい、運動に不利なことは抑えて出さないようにしていた。このため、多くの諸国で、ライヴァルである地球の友には「勇敢なシロウトの失敗者集団」というイメージがあるのに対し、グリーンピースの方は「向こう見ずの成功者」というイメージを20年にわたって保ってきた。
    →このイメージを損なわないためには、グリーンピースは明瞭で分かりやすいメッセージを伝えなければならない。第三世界の農業や森林の再生といった込み入った問題は避けがちであった。
    =グリーンピースは腰が重く、他の勢力がすでに問題をはっきりさせ、政治的な動きがはじまってから場面に登場することが多い。しかし、そうした動きを世界的に大きな運動にするという点にかけては、誰もかなわない。

★シー・シェパード
  • ポール・ワトソン:グリーンピースはいまなお、創設者がもっていた昔ながらのクエーカー教徒の倫理観を信じている。
    =人や物に決して暴力をふるわない。「過激すぎる男」ワトソンは、このルールを大きく曲げ、組織から追放された。情熱に駆られたワトソンは、シー・シェパードという組織を別につくった。そして、より大きな法に適うのなら、現実の法律に反してもかまわないという立場で、活動をするようになった。
    →多くの人々の頭の中では、ワトソンとグリーンピースは結びついていたので、グリーンピースがワトソンのために傷つけられた名声を取り戻すのは容易でなかった。


★地球の友
  • ...地球の友は中央集権的なグリーンピースとは異なり、各国支部に自主性がかなりあった。これは、「ロビー活動をする専門家の小集団」をつくることが狙いであったためである。創設メンバーは会員を増やすことは考えておらず、信頼性の高い調査をおこなうことの意義を強調した。

  • ...反核キャンペーンにおいても、地球の友は公聴会を重視し、グリーンピースの戦術とはまったく対照的だった。いつも事実を慎重に調べ、とりすました態度を見せた地球の友に比べ、グリーンピースははじめからひたすら大衆受けを狙ったものだった。地球の友に比べ、当時のグリーンピースは調査もぞんざいだった。

  • ...イギリスの環境保護団体の熱心な活動家の多くは、地球の友で経験を積み、そのかなりの者がグリーンピースにたどりつく。



読了日:2008年8月29日

2008/09/15

ソルジェニーツィン「煉獄のなかで」

煉獄のなかで 上巻
煉獄のなかで 上巻
  • 発売元: 新潮社
  • 発売日: 1972

現在、ソルジェニーツィン追悼月間です。
ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』(1968年)を読了しました。

◇◇◇

モスクワ近郊の「特別収容所」(シャラーシカ)を舞台に、1946年のクリスマスから数日間が描かれています。
シャラーシカは、囚人である科学者や技術者たちが、国家のために開発・研究を進める研究所です。ソルジェニーツィンによれば、「しゃばにいるどんな学者でもそこで働かせてもらうのを名誉と考えるにちがいないほど、水準の高いもの」でした。
「第一圏にて」という原題は、ダンテ『神曲』の地獄の第一圏の意味で、シャラーシカを比喩的に表したものです。シャラーシカから一般収容所に送られようとする囚人が、次のように表現しています。

あそこは地獄ではありません。あそこは地獄なんかではありません! われわれが送られようとしている所が地獄なのです。われわれがもどろうとしている所が地獄なのです。シャラーシカは地獄のなかでもっとも上にあるいい第一圏なのですよ、あそこは―ほとんど天国といってもいいくらいの所ですよ......
(ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』木村浩・松永縁彌訳、以下同)

『煉獄のなかで』は、『ガン病棟』(1968年)と同じく、非常にポリフォニックに書かれています。これが、ソルジェニーツィンの作風なのでしょうね。
囚人数学者のネルジン、ユダヤ人言語学者でありながら社会主義の熱心な擁護者であるルービン、農民出身である囚人雑役夫スピリドン、ネルジンの妻ナージャ、外交官ヴォロジン、シャラーシカで権力をふるうヤーコノフ技術大佐、ヤーコノフの上司でありスターリンその人とも接見するアバクーモフ大臣などなどたくさんの人物が登場します。
なかでもスターリンの描き方は、やはり印象深かったですね。

 その男の名は、世界中の新聞が述べたて、何千のアナウンサーが何百のことばでしゃべり、演説者が演説のはじめと終わりで叫び、ピオネールたちのかん高い声が歌いあげ、主教たちが祈祷の中で唱えていた。その男の名は、軍事捕虜たちの瀕死の唇に、囚人たちのはれ上がった歯茎にこびりついていた。その男の名をとって、都市、広場、通り、大通り、学校、病院、山脈、運河、工場、鉱山、国営農場、集団農場、軍艦、砕氷船、漁船、製靴協同組合、託児所などがぞくぞくと改名され、それでもまだ足りず、モスクワのジャーナリストの一グループはヴォルガや月まで改名することを提唱していた。
が、その男は、首の皮のたるんだ(これは肖像画にはかかれなかった)、トルコ・タバコの匂いが口にしみついた、本に跡を残す脂性の指をもった、小柄な老人にすぎなかった。

「すべての時代と民族のもっとも天才的な戦略家」でも「偉大なる指導者」でも「最良の友」でもない、弱々しく老いた、卑小な"人間"としてのスターリン像は、ソクーロフ監督の映画『太陽』における滑稽な小男としての昭和天皇を思い出しました。



読了日:2008年9月3日

2008/09/13

フロム「悪について」

悪について
悪について
  • 発売元: 紀伊國屋書店
  • 価格: ¥ 1,386
  • 発売日: 1965/07

エーリッヒ・フロム『悪について』(鈴木重吉訳、紀伊国屋書店、1965年)を読了しました。
Lamiumさんのおすすめです。ありがとうございました。
フロムの著作をはじめて読みました。
すごく分かりやすくて、名著だな~と思いました。

◇◇◇

悪に向かう人間の性向(=人間に内在する悪の可能性)を、フロムは次のように三つの現象から説明します。
  • a 「ネクロフィリア」(死を愛好すること)
  • b ナルチシズム
  • c 近親相姦的固着
この三つが結合すると、「衰退の症候群」(=人間を破壊のための破壊へかりたてるもの、そして憎悪のための憎悪へかりたてるもの)を形成するようになります。

「衰退の症候群」に対立するものとして、「生長の症候群」があります。
  • a' 「バイオフィリア」(生への愛)
  • b' 人間への愛
  • c' 独立性
以上の三つから成立しています。
この二つの症候群の生の方向 / 死の方向が、すなわち善の方向 / 悪の方向と言えます。

フロムは、「衰退の症候群」の極端な例として、フロムはヒトラーとスターリンをたびたび登場させます。
暴力、憎悪、人種差別、民族主義などに陥る人々は、この症候群に罹っているのであり、愛国心、義務、名誉といったもので自分を合理化しようとします。
図示されている通り、いわゆる悪の方向へ進むか善の方向へ進むかは、「ネクロフィリア」-「バイオフィリア」、ナルチシズム-人間への愛、近親相姦的固着-独立・自由の三つのバランスによるのです。
完全にバイオフィラスな人間は聖人と呼ばれるでしょうし、完全にネクロフィラスな人間は狂人とみなされるでしょう。

◇◇◇

フロムの説明は簡潔ですけれど、とても説得力がありますよね。
印象に残った箇所をいくつか引用しておきます。

殺しは最も原初的な水準で、非常な興奮となり大きな自己確認となる。逆に殺されることは、殺すことに対する論理的な二者択一にすぎない。これが原初的な意味での生の均衡なのである。すなわちできるだけ多く殺すことであり、そして一人の生がこうして血に飽くとき、その人は殺される用意ができたことになる。この意味において、殺すことは本質的には死を愛好することではない。最も深い退行の水準で、生を確認し超越することなのである。(pp.32f.)

私が述べようとしてきたことは、母親とのきずなは、母の愛に対する願望も、母の破壊性に対する恐れも、ともに、フロイトが性的欲求に基づくと考えた「エディプス的きずな」よりもはるかに強度で、かつ根源的なものであるということである。(pp.137f.)

無節操で硬化した人間としてその生涯を終始した殆どの人は、ヒットラーやスターリンの部下のような場合でさえも、善人となりうるチャンスをもってその生をスタートしたのだ。かれらの生涯を詳細に分析すれば、それぞれの各時点における心の硬化度はどの程度か、そしてまた人間らしくあり得た最後のチャンスがいつ失われたのかがわかるかもしれない。それとは全く逆の光景もまた見られるのであって、最後の勝利が次の勝利を容易にし、遂には正しいものを選択するための努力は不要になる。
以上あげた例は、大抵の人が生きる技術に失敗するのは、かれらが生まれつき悪であるとか、よりよい生活を営む意志を持たないからではなくて、かれらが覚醒することなく、いつ岐れ道にさしかかり決定すべきかを見通し得ないからであるといことを示している。(pp.187)

フロムがa、b、c、を説明する際に言及していたG.フロベール『聖ジュリアン伝』と、リチャード・ヒューズ『屋根裏部屋の狐』も、読んでみたいなぁと思いました。



読了日:2008年8月23日